第13話 法は別れを告げる
インターホンを押し、数秒の
暫くして、駆け寄るような足音が僅かながらドアの向こうから聞こえる。風葉にも聞こえたのか、彼女は俺の服の袖の端をギュッと小さく掴む。
そして、ドアが開く音がする。
ふと、風葉の母親と思われる人が出て来た。
風葉の年齢と外見から考えると、40を越えた程度の年齢だろうか。目の辺りは、風葉と似た面影を感じる。
目線を落とすと、背後には小学生と思われる子供が顔を覗かせていた。この子も風葉と似た雰囲気がある。差し詰め風葉の妹だろう。
風葉「お母……さん……沙弥果…………」
風葉母「とうとう……帰って来たのね…………」
風葉の母親は、表情こそ驚きに包まれているものの、その声には怒りの感情が含まれているように感じた。
そして、彼女は俺と理愛華の方を向く。
風葉母「お2人は……」
勝幸「風葉を保護した者です。礎と申します」
理愛華「高槻です」
風葉母「そうでしたか。風葉が迷惑をかけて申し訳ございません」
何とか表情を保っているが、内心の風葉に対する怒りが痛い程に感じる。
風葉母「ここで話すのも何ですから、お上がり下さい」
母親の言われるままについて行き、リビングに入る。
風葉の父親だろう、1人の男性がコーヒーを口に付けながら新聞を見ていた。太い黒縁の眼鏡に少し長めのふわっとした髪、申し訳程度の口髭が穏やかそうな様子を感じさせる。
いないかもしれないと言ってはいたが、ここ最近で出張から帰って来たのだろう。
風葉「お父……さん…………」
風葉父「風葉……⁉︎帰って来たのか…………‼︎」
俺達の存在に気付いてこちらを向くと、やはり表情は驚きに変わった。
俺は
例のパッションフルーツタルトを渡すと、俺達は隣の和室に腰を下ろした。
3人で……とは言っても俺と風葉が殆どだけど、これまでの
勝幸「……それで、こうしてお宅に伺いに来たという訳です」
話し終えると、母親の方が口を開く。
風葉母「何はともあれ、風葉が無事だったのは幸いですし、礎さんも保護して頂きありがとうございます」
怒りを抑えきれないように、語気が強まっていく。
風葉母「で、風葉ねぇ……‼︎アンタ、自分が何をしたか分かってんの⁉︎」
風葉父「まぁまぁ
ギャンギャン怒鳴る母親を父親が
まぁ、怒るのも無理はないか。
いくら何でも、自分の娘が数日間行方不明で、実は家出していて他人に保護されてたなんて、その反応は普通だ。
一方の風葉はと言えば、怯え加減で下を向いている。
風葉母「今回は優しい人に保護されたけど、もしも悪い人に拾われて、誘拐とかされたらどうなると思ってんの⁉︎誰も助けてくれないのよ‼︎」
キレてはいるが、正論だろう。
それに、心配しているのは、まだ子供を想う最低限の気持ちはある証拠だと思う。
だったら、和解が不可能な訳ではない。何とかして和解させて、この家族の平穏な生活を少しでも取り戻させるべきだ。
勝幸「ほら、風葉も何か……」
風葉「…………りたい」
勝幸「はい?」
風葉「……向こうの家に……戻りたい」
一瞬、言葉を失う。
母親の勢いに逃げ出したくなったのだろうか、ここで勇気が臆病へと変化してしまったようだ。
風葉は弱々しい声と様子で、そう訴えかける。その姿は、とても小さく見えた。
どうしようか……
風葉を見ながら、理性的に言葉を組み立てる。
理愛華「そんな事言わないで、ほら……」
風葉「でも……でも…………」
ここまで来た。
和解の為には、少なくともここで引き下がる訳にはいかない。それに、こいつはこの家にいなければいけない。俺と一緒にいてはいけないんだ。
それを言ってやらなければ……
勝幸「それは無理だよ」
俺は風葉の言葉を遮る。心が痛んで、少し声が震えて格好がつかないが、それでも言葉を続ける。
勝幸「民法にね、あるんだよ。『成年に達しない子は、父母の親権に服する』『親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う』ってね。この意味が分かるか……?」
風葉は暗い表情で、こちらを向く。こんな顔は見たくないが、理性的に行動するなら、我慢するしかない。
そして彼女は、小さく一言、
風葉「………………分からない」
勝幸「親権と監護権は、例外を除いて、一致して父母にある。だから、風葉は両親の親権の下に生きて、親御さんには風葉を監督し、保護する義務があるんだよ」
理愛華「要するに、勝幸が風葉と住むのはダメって事。犯罪になっちゃうのよ」
理愛華の要約で、風葉は理解したようだ。
彼女は再び目線を落とし、唇の隙間から小さな声を出す。
風葉「でも……一緒がいい…………」
僅かに開かれた、その瞳を潤せて。
勝幸「んな事を言ってもなぁ……一緒に住んでやりたい気持ちはヤマヤマだが、法律があるから無理なんだよ」
風葉「でも……やだ…………‼︎」
風葉がゴネ続けてしまってる。まるで、欲しい物を買って貰えなかった子供のようだ。
こういうのを見ると、まだこいつは年相応の子供なんだと感じる。遠くから家出して来る程の精神があっても、本当の中身はまだ10代のそれなのだ。
さて、俺も困った。このままでは
と、その時。
風葉父「済まない」
向かいを見ると、机に両手を付き、彼女の父親が頭を下げていた。
え?
何で、突然にも謝るんだ。
困惑のあまり、何も言葉が出せない。
風葉父「我々が迷惑をかけてしまって、申し訳ない」
勝幸「え…………」
風葉の父親は体勢を戻すと、今度は目線だけを下げて続ける。
風葉父「確かに家出して迷惑をかけた風葉も悪い。でも、家族に寄り添えなかった私にも責任がある」
俺はただただ黙って、話を聞いていた。
やりきれなさを瞳に
風葉父「私はコンサルタントとして、人々の暮らしの役に立とうとあちこちに行っててね…………家族も大切だとは思ってるけど、自分の仕事が沢山の人の生活に貢献している事を感じるとね、やっぱり仕事を
この人もこの人で、仕事と家族の天秤で悩んでいたのだろう。
一方で風葉の母親も、さっきの様子からして、きっとストレスで気が短くなってしまったのではないか。
仕事柄、家を離れる事が多い事が、決してそれが悪いとは言えないが、家族とのすれ違いを起こした。そこに風葉の落第も重なって、母親のメンタルを圧迫した。そして、自堕落な生活を始めた風葉と、ストレスで喧嘩っ早くなった母親との
これまで様子や話から推し量るにそんな感じだろう。
風葉の父親はコップに口を付けて、一口だけコーヒーを
風葉父「礎さん、高槻さん。まずは保護してくれてありがとうございました。そして、現状をもう一度考える機会を作ってくれて、ありがとう」
勝幸「いえ、そんな……」
風葉父「いや、風葉は本当に良い人に助けられた。娘が帰って来てくれた今、仕事は
風葉の父親は、小さく笑いながらそう言った。家族内の摩擦の解消に向けて、前向きに考えてくれているのは、こちらとしても良かったと思う。
勝幸「第三者ながら考えさせて頂きますと、この事は誰が悪いとかの問題ではないのでは……」
風葉母「いや、風葉の方が悪いですよ‼︎自分勝手過ぎて呆れます……‼︎」
風葉父「舞ちゃん一旦静かに」
決して強い言い方ではなかったが、穏やかな言葉の裏の圧力に
勝幸「取り敢えずは、和解して、これからどうするか考えてくれれば、こちらとしても伺った甲斐があります」
俺はそう言うと、風葉の背中をツンと叩く。
風葉「……………」
こちらを向いた風葉に小さく頷き、促す。
少し弱々しい様子ではあるが、風葉は正面を向き直した。
そして向き合うと、父親の方から口が開かれた。
風葉父「一緒にいてやれなくてごめん、風葉。これからの事について、しっかりと話し合おうよ」
風葉の父親は真剣な表情で謝った。きっと、風葉にも伝わったんじゃないだろうか。
理愛華「ほら、風葉もね」
風葉「うん……勝手にいなくなって、ごめんなさい」
理愛華に
風葉母「取り敢えず、ごめん。でも、しっかりと話し合うからね」
そして、ややふてくされ気味に、風葉の母親も謝った。
話し合うみたいだが、この人が落ち着いてくれるかが心配だ。
確かに夫の職業上、夫とは中々共にいられなかったり、娘が家出したりして荒れてしまうのは分かるが、3人の中では間違いなく一番性格に難がある。
何とか円満に終わってくれればいいが……
まぁ、俺は俺で自分の使命を全うする事が出来たし、ひとまず安心していいのかな。
≪≫
帰る時が来た。
色々とあったけど、これで取り敢えずは落ち着くだろう。
理愛華「では、これで失礼します」
勝幸「お邪魔しました」
風葉父「いやいや、本当にありがとう。娘を保護してくれた恩は忘れないよ」
家族4人が玄関に集まり、俺と理愛華を見送りに来た。
風葉は、少し暗い表情で俺の方を見ている。
2〜3秒程だろうか。ふと互いの目線が合うと、風葉は何かを言いたそうに口をパクパクさせた。
風葉の方に向き直ると、俺は一歩だけ歩み寄った。
勝幸「風葉、もしも困った事があったら、訪ねて来たらいい」
至って真剣な表情で構える。
こいつの事に関してはよく分からないが、どうしても家族間で解決出来ない事でもあったら、俺の所へと来てヘルプを求めて欲しい。風葉達の為になれるのなら、俺はいつでも応答するつもりだ。
そんな気持ちが伝わったのか、暗い表情に僅かな光が差し込む。
そして。
風葉「………………うん‼︎……ありがとう‼︎」
風葉は小さな笑みをみせた。
駅へ行き、理愛華と一緒に特急に乗る。
軽食をとり、行きに見た
自然に囲まれた場所から抜け出して、人々が行き交う街並みが視界に現れる。間も無くして、乗り換えの駅へと着いた。
理愛華「勝幸、明日って暇?」
勝幸「土曜だったよな。まぁ学校もないし、課題も溜まってはないから大丈夫だと思う」
理愛華「じゃあさ、川崎駅前に遊びに行けたりする?」
勝幸「科学館とか水族館とかなら喜んで」
理愛華「うん‼︎行こうよ‼︎」
風葉の一連の出来事はきっと解決した。家族内で円満に終わらせて、あの子が二度と俺の下を訪れないのが一番だ。
そして、またいつも通りの生活が始まる。学校に行き、バイトをして、誰かと遊ぶ、いつも通りの生活。
決して退屈な人生ではないが、今回みたいな変わった経験も
そんな事を思いながら、黄緑と緑のラインの電車に揺られ始めるのだった。
ぼーっとしながら、俺は景色を眺めている。
そして時々、今週末の競馬の予想を頭で思い浮かべる。
風葉と出会う前に儲けた10万円のうち、半分は貯めて、残りは馬券に回そう。今週は疲れたので、日曜とかには馬券の買う金額を増やして、自分にサービスしてあげてもいいかな。
と、その時。
ふと、肩に何かが乗っかる感触がする。
横を向くと、理愛華が眠っており、頭をコテンと俺の肩に託していた。
勝幸(理愛華も、俺と風葉の事に付き合ってくれたもんな。流石に疲れたか……)
肩を動かさず、理愛華の頭を受け入れる。電車の音に掻き消されそうな程の小さな寝息が、左耳へと入って来た。
俺は寄り添うように、理愛華の方へ首を倒す。
勝幸(なぁ理愛華)
そして、すやすやと眠る彼女に、心の中で問う。
勝幸(どうして俺は…………あんなに風葉を、守ってやりたい、一緒にいてやりたいと思ったんだろう)
当たり前だが答えは出ない。声に出してないし、そもそも理愛華は寝ている。
勝幸(まぁ、分からないものは仕方ないか……)
そう心の中で呟くと、立てたばかりの質問を崩す。
そして、理愛華を包み込むようにして、俺はゆっくりと目を閉じた。彼女の、さらっとした髪に頭を触れて。
…………寝る前に最後に言っておこう。
髪でも身体でもそうだが、美少女は良い匂いがするとかよく言われる。
けどね、そんな事はない‼︎正直言って、匂いなんてしない……‼︎
良い匂いがするのなんて、せいぜい風呂上がりから……寝るまでの…………間……く……らい………………
≪≫
目が覚めた。
タイミングが良かったみたいだ。2駅程で降りる終点に着く。
勝幸「理愛華、お〜い、起きろ〜」
理愛華「…………ん……あ、ごめん……結構寝てた?」
勝幸「まぁね。でも俺も寝てたから」
目が覚めて数分程して、俺と理愛華は電車を降りた。
時刻は3時半。土日なら競馬のメインレースが発走する前、全国のファンが熱狂の
しかし、外は意外に暗く、気温は寒さすら感じられる程だった。
勝幸「お前、鶴見まで乗るのか?」
理愛華「うん、そっから車で送迎してもらう」
理愛華は家から最寄り駅までお迎えが来るらしい。と言う事は、俺が駅に着いたら今日の所はお別れだ。
勝幸「分かった……お、来たかな」
ホームから来た京浜東北線に乗る。
乗り換えて1駅、それが自分の最寄り駅だ。
にしても、ここまで本当に色々あった。俺は目を閉じ、一昨日からの一連の出来事を振り返る。
風葉と夜の公園で出会って、風邪を看病して、過去を聞いて、そして親の下へと行って…………
途中からは、理愛華の助けもあって、ここまでやる事が出来た。本当に、優しくて頼りになる彼女だ。
少しばかり思い出していると、駅へと着いた。
勝幸「今日はありがとうな」
理愛華「うん、じゃあね。また明日」
勝幸「そうだな、またな」
ホームに降り、乗っていた電車を
そして、改札を通って、外に出た。
依然として気温は低く、空は暗い。水滴がアスファルトを叩き付け、壁際では水の粒が
勝幸「はぁ……雨か」
そう言えば、洗濯物を外に干して家を出たんだった。思い出し、思わず溜息が出てしまう。
そして、俺はゆっくりと歩き出す。
勝幸「ったく、つくづく運がねぇな」
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