魔王少女なのにデレるもんか!

しかも・かくの

序章 少女達の事情

第1話 魔王降誕

 その日、魔王城は期待と不安と緊張の極にあった。

「はぁっ、はぁっ……」

 当代の魔王であり、即ち世界の支配者として君臨するゴルダは、寝台に横たわって荒く苦しげな息をついていた。


 たとえ百人の兵隊に囲まれようと易々と返り討ちにしてのけるだろう魔族の長が、身を内から揺すぶる大波に、為す術もなく翻弄されている。

 今しも微塵となって飛び散りそうな魂を、強靭な精神の力で繋ぎ止める。

 そしてゴルダにとっては永劫とも思える、ひとときの戦いの果てに。


 ――オギャァ、オギャァ

 新たなる命が、この世界に生を享けた。

「おおっ」

「こ、これは……」

「まさか!?」

 分娩室として整えられた広間に、驚きの小波が走る。消耗してぐったりと寝台に沈んでいたゴルダは、あえぎながら顔を起こした。


「私の子……早く、ここに……」

 今にも絶え入りそうな掠れ声で、しかし何者も抗えぬ意思を込めて命じる。強い畏れと戸惑いの念を抑えて、真っ先に動くことができたのは、やはり魔王の夫たるドラゴだった。


 生まれたての赤子をしっかりと抱え上げ、母の目前へと近寄せる。途端、ゴルダは息を呑んだ。自分とも他の魔族達とも明らかに異なる特徴が、視界に強く刻み込まれる。

 だが衝撃に打たれた表情は、すぐに限りない慈しみの微笑みへ変わった。


「そう、そうなのね……私の赤ちゃん……あなたは……」

「ゴルダ、名付けを」

 促すドラゴには隠しきれない切迫した色があった。その理由はもちろんゴルダにも分っていた。自分はもう長くない。だからこれが我が子へ贈る最初で最後の宝物となるだろう。ゴルダは迷わなかった。


「サターニア」

 すっと心に浮かんだままを告げる。その場に居合わせた者達は、巨岩の重みを背に受けたかのように一斉に膝をつき、頭を垂れた。


 ゴルダまでで百七代を数える魔王の歴史の中で、その名は唯一にして絶対の意味を持つ。

 始祖王サターニア。

 絶大な力を振るって人族を屈服させ、魔族による支配体制を打ち立てた、偉大なる初代魔王だ。


 異を唱えようとする者はいなかった。赤子が備えている異形は、ただ始祖王だけにあったと伝えられるものに相違ない。

 まるでそれが己の名だと知っていたかのごとく、赤子はぴたりと泣きやんだ。そして魔王自身を除けば魔族中最強と謳われるドラゴをして、心底から戦慄せしめる業を為す。


「なっ、これは……自ら陰の氣を生み出しているのか?」

 腕の中のサターニアから、魔族にとっての力の源がこぼれ出ていた。量はわずかに過ぎない。だが中空から取り込むのではなく、確かに身の内から外へとあふれさせている。こんなことができる者は他にない。成長した暁にはいったいどれほど膨大な陰氣を操れるようになるのか、想像することさえ困難だ。


「本当に始祖王陛下の生まれ変わりなのか」

 驚嘆と共に呟くドラゴの腕の中で、赤子は早くもまぶたを開けた。やはり伝説の始祖王と同じ色の瞳で当代の魔王を見つめ、小さな掌をいっぱいに広げて差し伸べる。


「まあ……いい子ね、サターニア」

 赤子の触れたところから陰の氣が流れ込み、憔悴したゴルダの身をじんわりと癒やしていく。


 だがいかんせん量が全く足りていなかった。それは干上がった海をコップの水で満たそうとするのにも似た、甲斐なく虚しい行いだ。

 ゴルダの命数は既に尽き果てる寸前だった。魔族ひとり分、それも魔王の存在を維持せしめるに足る陰氣となれば、現在世界にある全てを集めてもまかなえるかどうか。

 それでも心に安らぎをもたらすには十分だった。ゴルダはうっとりと目を細めた。


「ふふっ、冷たくていい気持ち……ねえドラゴ、この子のことをお願いね。大切にしてあげてね」

「心得た」

 ドラゴは短く頷いた。もはや多言は不要だった。ゴルダはゆっくりとまぶたを閉じた。


「……サターニア。この世界はあなたのものよ……どうか幸せに……」

 第百七代魔王ゴルダは薨去し、同時にサターニアが第百八代魔王として即位する。

 そして、十五年の月日が流れた。

 


 

 魔王城内にある謁見の間において、自分の成魔を祝うために参列した者達を、サターニアは高い位置の玉座から見渡した。

 人族はもちろんいない。この場に招かれる特権を有するのは、各地に点在する格式高い城の主や、魔王の直臣近臣といった魔族の中でも重要な存在ばかりである。


 それでも十五になったサターニアが、摂政の庇護を離れ、名実ともに親政を開始する節目の日だ。魔都ケイオスはもちろん、大陸中から集った魔族達によって、さしも広大な謁見の間も所狭しと埋め尽くされている、ようなことはまるでなかった。

 参列者の総勢は七名、文字通り一目瞭然だ。


「サターニア陛下、ここに成魔の時を迎えられたこと、心よりお祝い申し上げます。我ら臣下一同、これからもいっそうの忠義に励み、粉骨砕身の覚悟で尽くす所存にございます。どうか陛下におかれましては、我ら魔族の長として、また世界を統べる王として、幾久しく君臨なさいますよう、伏してお願い申し上げます」


 玉座の前に跪き、主を寿ぐ辞を奉ったのは、昨日まで摂政の大役を勤め果たしたドラゴだった。ゆっくりと面を上げる。頭に生えた黒光りする二本の角が、高く反り返って見るからに猛々しい。もし敵として対すれば、誰しも威圧感を覚えずにはいられまい。

 もちろん実力も相応だ。ドラゴと正面切って戦える者など、魔族の中でも片手の指に足りないだろう。


 しかしサターニアにとってはたったひとりの肉親である。公の場では厳しい態度を崩さないが、誰よりも頼みにし、近しくもある。緊張するような相手ではなく、今も型通りの答礼をすればよいだけで、難しいことは一つもない。儀式は滞りなく終了するはずだった。


「……陛下?」

 だが長過ぎる沈黙の時間が続き、ドラゴは訝しげに眉をひそめた。玉座にあるサターニアは、じっと顔を俯けているばかりだ。


「どうしたサターニア。具合でも悪いのか?」

 他の者には聞こえないような小声で尋ねる。ドラゴに感知できる限り、娘の陰氣に異常はない。だがなにしろ重度の箱入り育ちである。知らない者達が並んでいる場にあって、萎縮してしまったことは十分に考えられた。

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