十七日目 ムネアカオオアリ

 俺はかごを携えて、図書館近くの雑木林へと向かっていった。話を付けたらすんなりかごに戻ってくれたのだ。いつもそうならいいのに……。もっと虫よけになるような呪いをかけてくれたなら良かったのになぁ。でもそれなら呪いにはならないか。

 何したんだよ、俺のご先祖様は。考えてもしょうがないことだし、俺は暑さから脳みそを回すことを諦めている。夕方とはいえ、今日は蒸し暑かった。


 もう! あんなこと言わずに、適当なところで放してやれば良かったよ! でも戻ってくるかぁ、そうだよね。


「お兄ちゃん! 虫かご持ってどこ行くの?」

「ふぇ?」


 女の子の声がしたので辺りを見渡してみるが、誰も居ない。しかしその声には聞き覚えがあった。最近女児と会うような事案は発生していない。つまりは、俺の足元には――。


「ムネアカ、ちゃん? いつもいきなり現れないでよ……」


 心臓に悪いじゃないか。アリだと小さいから、どこにいるかも分からないんだよ。俺は驚きで上がった肩を落とし、ムネアカオオアリに説明してやる。


「ヘラクレスオオカブトを探しにね。問題が解決したら、こいつらが森に帰るかもしれないんだ」


 違う、と言わんばかりに二匹はガサガサとプラスチックの中で暴れる。へっへーん! 蓋もちゃんと閉めたし、今度こそは出て来れないだろう。実は、いざとなれば虫かごごと、どこかに置いて帰ることも考えている。見つかりやすいところに置いておけば虫好きな子どもにすぐにでも見つかるだろう。夏休みの自由研究にでも使ってくれ。


「ふーん、でも気を付けてね。森には怖いお姉さんもいるの」


 怖いお姉さん? あんなところに近付くなんて、物好きな女性もいるものだ。いや待てよ? それが虫のことだったら、もしかして、スズメバチのことだろうか?


「黒と黄色の、ハチさんのこと?」

「うん! お兄ちゃんこの前会ったでしょ? ムネアカ、知ってるよ?」


 虫のコミュニティってスゴイ。お兄ちゃん、連絡網とか回ってこないか回すの忘れちゃうタイプだよ。怖いってのはたぶんハチだからだろうけど、人の姿でいるならそこまで恐怖は感じなかった。


 手元のかごの中では、なおも手足を必死にばたつかせて何かを訴えているようだ。6本の脚って、手の役割、あるのかな?


「それからお兄ちゃんのこと探してるみたい。お兄ちゃんのゴナイシツって言ってたけど、それってなぁに?」

「はぁ、何だろう……?」


 そんな難しい言葉、お兄ちゃんでも知らないよ? ムネアカちゃんはちゃんと勉強して大きくなってね。アリの勉強って何するのかは分からないけどさ。


「とにかく気を付けてね! ムネアカはお母さまの看病に戻ります!」

「あ、そっか。お母さん、病気なんだよね」


 そういえば忘れていた。通りでしばらく会っていないはずだ。って、いやいや! 別に会いたかったわけじゃないし!!


「でもおかげさまでちょっと元気になってきたよ! お兄ちゃん、ありがとう!」


 守りたい、この笑顔。


 いや、その、別に虫は好きじゃないけど。でもやっぱり幼女の姿だと親近感を覚えてしまうのだ。あぁ、やっぱりやめよう。背中に付いている翅と虫の腹に目が行って、サッと興味が失せてしまった。


「そ、そうか。それなら良かった。じゃあ俺ももう行くね」


 早いところこいつらを森へ帰したい。素早く逃げ帰ってくれば捕まらずに家路に着くことはできるだろうか。無理か、俺の家バレてるもんな。奇跡的に帰れても追ってくるよね。……怖っ!


 おかげでちょっと涼しくなったよ。カサカサ動く虫かごも、もうこれ以上持っていたくない。




 やっとの思いで図書館横の雑木林に着いたが、さて、これからどうしよう。来たはいいが、ヘラクレスオオカブトなんて探したことないから分からない。いくらカブトムシの中では大きいとはいえ、この木々の中で見付けるのは一苦労だ。


「むー、どうしたものか……」


 夕焼けは少し藍色に染まりつつある。夜行性だからとそそのかされて遅くの時間に来たのだが、これ深い森だったら絶対に迷うやつだぞ。大気がむわっとして、暗闇に誘っているようだ。遠くでヒグラシが鳴いている。


 もう少しは大丈夫だと思うが、適当に探したら見つからなくても途中で帰ろう。そう思っていた最中だった。


「ぎょえ!」


 一匹のセミが俺の顔面めがけて飛んできたのだ。こいつは確かアブラゼミ。先日とは違う個体だろうか。俺には昆虫の違いは良く分からない。


「お兄さん! こんな夜中に何しに来たん!?」


 同じ個体だった。できればこのウルサイ少女とも出会いたくなかったのだが、違う個体ならどこでもNGだ。だからってこいつもOKってわけじゃないんだけど。そう何度もセミに止まられては困る。


「あの、どいてほしい」

「おっと! 悪い悪い! 嬉しくてついお兄さんの顔に止まってしもたわ!」


 頭にしがみ付く形となっているので、俺の目線は常にヘソだ。もう少し下はどうしても見れないことになっている。ちら、と横に目線を外し、ただ地面をじっと見ることにした。


 つい、じゃない。そっちは水着なんだから、もっと恥じらいを持って接してほしい!


「また幹也クンは別の女とイチャイチャして!」

「そ、そうだぞ!? 日本では唯一の愛する女性とだな……!」


 いえいえ、別にイチャついているわけじゃないです。向こうが勝手に激突してきただけだし、こちらがどうにかしようとか思ってない。そもそも虫だし。というか! 君たちとも関係築くつもりはないからね!


 俺はセミが向かってきた驚きで虫かごを落としてしまったらしい。都合よく蓋が開いたのか、二匹の硬い昆虫が顔を出す。一号と三号だ。決して愛人にした覚えはないが、以前姉に言われてから意識してしまい、いまではその名前を言うのもはばかられる思いだった。


 彼女たちは俺の片腕ずつを分け合って腕を絡ませ、なぜか両方とも恋人のような態度を取っている。アブラゼミは顔から移動してくれたものの、両手を掴んで可愛く上目遣いをしてきた。俺の指と水着少女の指が重なって、目の前の彼女にのみ気を取られる。


「そういえばウチの服どうしたん? お兄さんがどうしてもって言うから置いてったけど、……楽しんでるやろか?」

「っ、言ってない!!」

「はぁ!? 何よそれ!?」

「そんな趣味があるとは聞いてないぞ!?」


 言ってないし、それにそんな趣味はありません。アブラゼミはからかうように笑っている。何を言い出すかと思えば、こいつ……! セミファイナルになっても助けてやらないからな!?

 いや、できれば近付きたくないのでたぶん普通に見捨ててしまうと思うけど。


「なーんて、冗談やんかぁ! お笑い見とらんな!?」


 全然面白くないです。君こそお笑い見てないでしょ? 虫のくせに分かったような顔をされるとムカつくな!


「んで、お兄さんはここに何しに来たん? もしかして、またウチに会いたくなったとか?」


 また冗談か。でもなぜかまんざらでもない顔をしている。相手するのも面倒だが、しかし彼女はいままで森に居たのだ。何か知っているかもしれない。


 カブトとクワガタは牙を剥いているが、俺にしがみ付いているのは変わらなかった。もうこれ以上変なヤツが増えないでほしい。願わくは全部どっかに行ってほしい。家で待たせているオオムラサキがふと脳裏によぎって、こいつも連れてくれば良かったと思った。

 どこかに逃げてくれるなら、一度のタイミングで済ませたいからだ。


「あー、その、ヘラクレスオオカブトが、この雑木林に居るって聞いて……」

「なにぃ!? お兄さん、また女の子たぶらかしに来たん!?」

「違う違う! そいつはオス! こいつがヘラクレスに狙われてるって聞いたから、確かめに来たの」


 ヘラクレスの名前を出すだけで、一号は怯えて俺の陰に隠れてしまった。いつもこうしおらしかったらまだ可愛げがあると言うのに。


「ふぅん。じゃあアイツかな」

「知ってるの!?」

「ウチと一緒な縄張りやで! ……知りたい?」

「知りたい知りたい!」


 カブトムシは全力で首を横に振っているが、俺には使命がある。こいつとヘラクレスをくっつければ、俺は晴れて解放だ!

 恋が上手くいけば森に居続けてくれるだろう。しかしアブラゼミからは情報と交換で、ある条件を付けられた。


「じゃあ、お兄さんのカラダ、吸ってもええ?」

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