十六日目 カブトムシ
「だってお兄さんらの話長いんやもん! すっかりウチの翅もピンピンしてきたわ! おかげさんで、もうすぐ飛べそうやで!」
「はぁ……」
おかげさんではなく幹也さんだけど、まぁ飛んでどこかに行ってくれるならそれでいい。世話した覚えはないが、恩を感じて俺から離れてくれるなら万々歳なのだが。
「だったら、もう外に出て行けるよね。窓開けるから飛んでってくれない?」
「ちょい待ち! 良く見たらお兄さん、ええ顔しとるやんか! ものは相談なんやけど、ウチをここに置いてくれんかな!?」
こいつは……! なんでこんなに図々しいんだ! それにセミなんかウルサくて育てられるはずがない。
「出てって! 絶対無理!!」
「えぇー!? ケチやなぁ!」
「ケチとかそんな問題じゃないの!」
窓を勢いよく開けて身を乗り出す。カラダを激しく振ったら力強く外に飛び出してくれた。セミの翅音って、意外と大きくてキモイし怖い。素早く窓を閉めてもうどこにも居ないことを確認すると、安心して壁に背中を預ける。いままでアブラゼミが止まっていたとか考えたくない。
くしゃり、と堅いけれども小さい何かが潰れる音がした。
「ん……、まさか……?」
嫌な予感がしてそっと背中を見てみる。シャツに付着する茶色い細かいクズが、先程までいた水着少女の以前の服だと気付いて、俺は驚嘆を上げる。
「ヒッ、ヒィヤァー!!」
「うるさいってば!!」
すみません! 近所迷惑なのは分かってる。でも叫ばずにはいられないじゃん? だってセミの抜け殻だよ? 潰しちゃったんだよ? ぽろぽろ零れてくるんだ。掃除、しなきゃじゃん?
でも中身が入ってなくて良かったよ。それだったら俺、気を失っていたんじゃないかと思う。仕方なしに一階からコロコロクリーナーを取ってきて、絨毯の上を往復させた。
うわぁ! 虫の脚ってトゲトゲがあってキモイ! さっさと捨てて俺も寝よう。今日の話はよく分からなかったけど、まぁそんなに状況が変わるわけでもないし、別に気にしなくていいや。
それからまた平穏な日々が訪れる。ああ、幸せだ。先日セミの抜け殻の処理という地獄を経験したので、しばらくは神様が機転を利かしてくれたのだろう。このまま何事もなく過ごさせてくれればいいのよ、神様!?
でも、そうは行かないのね。俺ってばまた姉に餌やりを頼まれたんだけど、蓋を閉められてなかったみたいなの。どこのって? そりゃあもちろん、カブトムシとミヤマクワガタね。
というか一号はともかくとして、ミヤマちゃんは森へ帰れるチャンスだったのでは?
「バカを言え! わたしは貴様に連れ去られた同胞を森に連れ戻すという使命がある!」
「こっちは好きで幹也クンの側に居るの! クワガタなんかに言われる筋合いはありませーん!」
ミヤマちゃんは相変わらず高圧的だし、一号も相変わらず、べ、と舌を出している。というかそんなにくっつかないで。暑苦しい気分だ。
「そうだ、貴様! わたしと一緒に森へ来い! 共に暮らせば、もう同胞がここへ来なくても済む!」
「ダメです! 幹也クンは一号と暮らすの! ここが愛の巣なの!」
俺を取り合ってケンカしているように見えるのだが、きっとそれは幻想だ。昆虫に好かれても何も嬉しいことはない。可愛い女の子に見えるのも、俺の頭がおかしいだけに決まっている。カラダの件については俺が原因ではないらしいけど。
虫としては森で暮らすのが一番いいのだろう。ふたりとも森に行くか行かないかで揉めていた。え? どこが愛の巣だって?
「お前たち、ふたりで仲良く森へ帰ってくれ……」
ぽつりと願望を漏らしたが、それはカブトムシになぜか全力で否定された。俺はその勢いに気圧されてしまう。
「ダメ! ダメダメ! それは絶対ダメェ!!」
「んなっ、なんでだよ……? あっちは、ここより暮らしやすいだろ?」
「そうだそうだ! 貴様は森へ帰ればよい!」
ん? 君はどうなの、ミヤマちゃん?
珍しくしおらしくしているが、何かあったのだろうか。そういえばあの雑木林にはスズメバチがいるし、カブトムシを脅かす何かがあってもおかしくはない。
「ダ、ダメなの……。だって、あそこには、ヘラクレスがいるから……」
ヘラクレス? それってもしかして、ヘラクレスオオカブトのこと?
大仰に震えてみせているが、そんな簡単には騙されないぞ。
「おい、一号。ヘラクレスオオカブトは、日本に居ないぞ?」
帰りたくないからってそんなウソを。でもバレバレだぞ。つくならもっとマシなウソをつけ。
「それが居るんだって! 狙われているんだよぅ! だから森には帰れないの! 幹也クンとずっとここで暮らしたいのにぃ!!」
「ヘラクレスか……、森の深くに住むというオスだな」
えっ? 居るの? 疑ってごめん。狙われてるって単語は気になるけど、それより気になることがあった。
「そうなんだ……。でもどうして海外産のカブトムシが日本に……?」
「それは彼に訊いてみねば分からんな。何か理由はあるだろうが。しかし彼とて、子孫を残すのに必死なのだろう。一号は彼の相手でもしてやればいいのではないか?」
ほうほう。ここへ来てちょっと大人な会話だ。実際は理科の実験のようなものであるが、人間に見えていると嫌でも想像してしまう。
ミヤマちゃんはニヤニヤと笑っているが、そんないじめみたいなセリフは負け犬の遠吠えだぞ!?
「ヒッ! ヤダよ! 森にも絶対帰らないからね!?」
うーん、ヘラクレスが日本に居るのも気になるけど、直接会って話す以外に手っ取り早い方法はないしな。少し気になるからといって、そんなにデカい虫に会いたいわけでもない。
一号が会いたくないように、俺だって勘弁だ。彼女は狙われていると言っていたが、虫の世界も厳しいんだろう。
いや待てよ? 一号とヘラクレスの恋路が上手くいけば、もしかして俺は解放されるのでは……?
日本カブトは嫌がっているが、海外カブトは乗り気なようだし、ちょっと背中を押してやれば意外と馬が合うかもしれない。ひとよひとよにひとみごろ……じゃなかった、嫌よ嫌よも好きの内ってやつ。
ってあれ? さっきのって何だっけ? 円周率? 変な知識だけは付いている。まあいいや。
「よし! 森へ行こう!」
「ええーっ!?」
「どういう風の吹き回しだ? いや、それならそれでわたしは、その、嬉しいのだが……」
そのツンデレ要らないです。それに君たちと一緒に暮らすとか、そういうのではないからね!? あくまで俺の自由のために行くんだよ!
だけどそれを言うと二匹ともからバッシングを受けそうだったので、真意は隠すことにした。できるだけ俺が思うかっこよさを前面に出して、カブトムシを説得する。初めて披露する相手が昆虫娘なんて、ちょっと悲しい。いや! 練習だと思えばいいさ!
「一号、お前のためだ。一緒に行こう」
「幹也、クン……!」
あー、チョロい! 良かった! しかしミヤマちゃんからは睨まれているような気がする! ごめんだけど、どちらも趣味じゃないんです!
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