夏休み昆虫『娘』日記 ~俺のカラダは蜜の味!?~
猫島 肇
一日目 カブトムシ
俺、黒木(くろき) 幹也(みきや)は特異体質である。
それに気付いたのは小学三年生のころ。それまでは本を読むのが好きだった幹也少年は、友人の勧めで虫取りに目覚めた。確かそのとき読んでいたのは、『ファーブル昆虫記』だったと思う。あまり内容ははっきりとは覚えていないが、昆虫の姿にワクワクしたものだ。だから安易に俺は出かけてしまったのだろう。夏の太陽がじりじりと照りつける中、何十分、いや、何分正気でいられたか。
俺のカラダは、無数の虫たちに埋め尽くされていたのだ。
その後、気にした母が念のため病院に連れて行ったところ、なんと――。俺の体から樹液に似た成分が検出されたらしかった。
しかし小学生まではヒーローだった。なにせ珍しい虫が寄って集(たか)って、まさしく入れ食い状態。カブトムシはもう日常茶飯事だ。飛んで火にいる夏の虫とは、こういうことなのだろう。
だが、現在俺は高校生。高校生にもなると昆虫に興味のあるヤツなんて高が知れている。最近は小学生ですら気味悪がって、果ては学習帳の表紙すら変えられた始末だ。俺だって、別に虫が好きなわけじゃない。というより、むしろ苦手なレベルだ。どうしたって寄ってくるので、どうしようもないだけで――。
「本当に、どうしたもんかね……」
俺は体に甘い体重を感じて眼を開ける。部屋には樹液の香り。それでも窓から風がそよいでくるのでまだマシなほうだ。しかしおかしい。網戸は閉めて寝たはずなのだ。それなのにいまは全開で、薄手のカーテンが風で揺れていた。紛れもなく俺の部屋だが、誰かが入った痕跡があった。
「あっつい」
まただ。今日はシャワーを浴びて朝練に行かないといけないのに。どうにもこうにもこいつらは、俺の邪魔ばかりをする。口をへの字に曲げて、少し呻いてみせた。
世間はいま、夏休み。クーラーの利いた部屋でだらだら過ごすも良し、可愛い女の子と海やプールでイチャイチャするのも良し。俺だってひと夏のアバンチュールを夢見ていないわけではない。だけど、毎朝こうでは夏の夜をゆっくり過ごせないのだ。
ちらと脇の下を見ると、茶色い毛玉を確認した。艶やかなアンバーの髪の少女が、俺の腕を枕代わりにして寝ている。すると彼女もこちらに気付いたようで、もぞもぞと身を動かしにかかった。
「ん……、おはよう、幹也クゥン」
顔は確かに可愛い。くりっとした眼にぷっくりとした唇。気怠そうな甘い声。まだ寝ぼけているようなので襲われても文句は言えないだろう。男は狼なのだが、それでも俺は寝覚めが悪かった。朝一番に眼にしたのが昆虫(・・)だなんて、きっとほとんどの人間がそうだろう。姿形は可愛い少女。額の中央に立派な角がなければ、誰だって興奮するはずだ。彼女はきっと、いいや絶対に、中身はただの虫なのだ。
今年も、うんざりする季節がやってきた。
「だぁあ!!!」
俺は大声とともに布団を跳ね除ける。しかしソレは一向に体から離れようとはしなかった。飛んでいくのはただ薄いブランケットだけ。
普通の人間なら驚いてここで飛び起きてもいいところ。だけど、こいつは……、いまだに俺の脇にくっついてすやすやと寝息を立てていた。毎度思うが、人の姿をしているのに重さは昆虫並なんて、脳が混乱するからヤメテクレ。
「おい! そろそろ離れろよ!」
最悪だ。角を引っ張っても離れる気配もない。それに過去のトラウマが邪魔をして、どうしても指に力が入らなかった。そりゃあ俺だって、力任せに引き剥がしたことはある。しかし、つままれてジタバタと暴れる少女に、そのとき、とてつもない違和感を覚えたのだ。
「えー? もう少しいいじゃん!」
「止めろ! すり寄るなぁ!」
こうなっては仕方ない。家族に取ってもらおう。そう思ってドアノブに手を掛けたとき、昆虫少女が腕に指を這わせてきた。彼女の滑らかな指は、俺の筋張った手を優しく撫でる。
「もうイっちゃうの……? ねぇ、もっと、舐めさせてよ」
「ふぐっ!?」
耳元で吐息混じりの甘美なる囁きを聞いて、俺は変な鳴き声を漏らした。ちなみに、フグは旨い。……って、いやそうじゃない! だから虫は嫌いなんだ!
こいつらは、俺のカラダしか目当てじゃないくせに!
「ケダモノめっ!」
「はぁ?」
オネェタレントのような暴言を吐いて、俺は彼女の制止を振り切る。勢いよく階段を駆け下り、ダイニングテーブルで朝食の準備をしている家族に話しかけた。
「ねぇ、こいつ、取ってくれない!?」
「あら、幹くんおはよう! いつもこのくらい早く起きてくれれば、お母さん何も言わないんだけど」
「おう幹也。おはよう。今日から夏休みなんだって? 休みの日でも早起きなんて感心だな」
「今日俺は朝練があって……、あぁ違う! これ! 誰か取ってよ!」
のほほんと両親は、俺のカラダに張り付く違和感を見逃している。母さんは何事かと、こちらに近付いてじっと観察していたが、少女を咎めるわけでもなくにっこりと笑った。
「まぁ、可愛いじゃない」
「幹也は本当に、虫が好きだなぁ」
「待て待て待て! 俺は別に虫が好きなんじゃなくて、虫に好かれてるだけ!」
何度その訂正をしたか分からない。初めは心配していた母も、慣れてくると他人事。カラダに害があるわけじゃないし、放っておいても治らないし、確かに心配してもしょうがないんだけどさぁ。
俺にくっついている虫を見て、可愛いと言えるほどには成長したらしい。父さんは父さんで、笑っているが目が泳いでいる。意外と男の方が虫に弱い。
「でも、触れるのはお姉ちゃんしかいないしねぇ」
あらあら困った、と母さんは右手にフライ返し、左手に頬を置く。姉は大学生だが、まだ夏休みではないはずだ。高校とはタイミングが異なり、あと一週間くらいは後だったと思う。
しかしキッチンを見渡すが、姉の姿はない。
「姉貴は!?」
「お姉ちゃんは朝のシャンプーするとかで、お風呂場にいるわよぉ」
「ぐああ!」
なんてことだ。寄りによっていま朝シャンなんかするな。女の風呂は長い。忙しい今日に限って時間を潰されることが何とも言えず苦痛だった。俺もシャンプーするかのごとく頭を掻くが、気にも留められず母さんは続ける。
「今日陸上の朝練でしょう? 朝ごはん用意したから、食べちゃってね。その前にお顔洗って、歯磨きしちゃいなさい」
母さんはピンクのエプロンを外し、軽く畳みながら椅子に掛ける。食卓には温かな湯気を上げて、朝食の鮭が並んでいた。貴重なタンパク源だ。これから走り込むのに栄養がなければ倒れてしまう。
「うぅ……」
しかしそれにありつくためにはまず顔を洗ってこなければ。洗面台に行くには気が重いが、姉も入浴中だし、俺には何もすることはない。こういうとき、都合よく腹の虫が鳴る。
「はっはっは! 幹也はお腹にも虫を飼っているんだなぁ」
それも散々聞いた。家族のみならず友達にも耳にタコができるほど聞いている。若干のイラつきを感じながらも、俺は廊下をずんずんと進んでいった。
「はぁー、これを見るのが、嫌なんだよ……」
苦虫を噛み潰したような顔を鏡に映し、さらに胸元に眼を落とす。カラダにまとわりつく少女。暑苦しくてしょうがない。こんなに、可愛いのに、虫だなんて……!
虫ばかりに好かれて彼女なんかできやしない。俺が変な気を起こす前にどっか行ってほしかった。肩を落として、歯ブラシを口に含む。
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