013 お返しとイメージ
妙な看病をした二日後、三連休最後の夜。
スマホにまた、
前回と同じうどんを店で受け取って、いつものマンションを目指す。
インターホンを鳴らすと、今回はすぐに返事があった。
『はい』
「イツイツでーす」
『ふふっ』
短い笑い声がしてから、オートロックが開く。
いつものようにエレベーターを上がって、静樹の部屋にたどり着いた。
「ご苦労様です」
「イツイツでーす」
「もうっ。
静樹はずいぶんと回復しているようだった。
格好こそ完全な地味モードだが、顔に血色があり、表情も明るい。
「もう平気なのか?」
「はい。まだ少しだけ喉は痛いですけど、明日には治ると思います」
「そうか。よかったな」
「……蓮見くんのおかげです。……ホントにありがとうございます」
「いいって。ほら、これ」
静樹はうどんの入った袋を受け取ると、「ちょっと待っててくださいね」と言って部屋の奥へ引っ込んだ。
かすかな足音がした後に、何かを握りしめた静樹が戻ってくる。
「はい。昨日の薬代です」
「……ああ」
そういえば、返すって言ってたっけ。
静樹の白い手のひらには、数枚の小銭が置かれていた。
素直に受け取り、自分の財布に仕舞う。
静樹の性格上、断っても納得しなさそうだしな。
「……なにかお礼もしなきゃとは思ってるんですけど、なにが良いかわからなくて……」
「いや、いいよ。頼まれたわけでもなければ、大したこともしてないからな」
「そんな、ダメです。わがまままで聞いてもらったんですから……」
わがまま?
ああ、引き止められたことか。
べつに、気にしなくていいのに。
しかし、例によって性格上、譲る気も無さそうだ。
形だけでもなにかお礼をされてしまった方が、かえって後腐れがないかもしれない。
……あぁ、そうだ。
「なら、部屋にあったあの漫画、貸してくれないか?」
「えっ?」
「『シックスティーンラブ』だよ。途中で終わって、続きが気になってるんだ」
俺が言うと、静樹はだんだんと嬉しそうな笑顔を浮かべて、弾んだ声で答えた。
目もキラキラと輝いているような気がする。
「もちろんです! 私の一番好きな漫画ですからね! むしろ、嬉しいです!」
「……っ」
静樹はすっかり満面の笑みだった。
その表情は、学校で派手ガールズたちと話しているときのそれとは比べものにならないほど、自然で、かわいらしく見えた。
「? 蓮見くん、どうしたんですか?」
「……い、いや」
自分の顔が赤くなるのがわかって、俺は思わずそっぽを向いてしまった。
不意打ちだった……。
最近はこの顔も多少見慣れていたが、まさかまだこんな兵器を隠し持ってたとは……。
「ってことだから……まあ、貸してくれれば、お礼はそれでいいよ」
「はい! 私も読んでほしいです!」
「……」
静樹はいつになくテンションが高かった。
ホントにまだ体調悪いのか……?
「じゃあ、どうぞ上がってください!」
「え、なんでだよ」
「いっぱいありますから。本棚から直接、その箱に入れちゃいましょう」
「いっぱいって……何巻まであるんだ?」
「32巻です!」
「マジかよ……」
想像の三倍くらい多かった……。
少女漫画ってそんなに続くもんなのか?
「うん、ちょうどですね」
本棚の前にイツイツの箱を置いて、大量の漫画本を詰める。
なんとかギリギリ入りそうだ。
ちなみに、静樹の部屋には看病の時と同じく、危険そうなものは置かれていなかった。
まあ、自分から俺を上げるぐらいだから、当然と言えば当然か。
「重そうだな、これ」
「自転車ですよね? 気をつけてくださいね」
まあ、帰りは下り坂だし、たぶん平気だろう。
今日はもう配達はやめて、このまま帰るとするか。
「……あの、蓮見くん」
「ん?」
「……変じゃないですか? 私が……少女漫画が好きでも……」
そう言った静樹は、いつの間にか暗い顔をしていた。
さっきまでの元気が、すっかりなくなっている。
なんだか、不思議なことを聞くやつだ。
「べつに、変じゃないよ」
「……ホント?」
「そりゃあ、ちょっとイメージとは違ったけど。でも、好きなものに変もなにもないだろ」
「そ……そう、なんでしょうか」
「なんでそんなこと聞くんだ?」
「……それは」
静樹は迷っているようだった。
少しの間俯いて、床に敷かれたカーペットの模様を、指でなぞっている。
それから意を決したように、ゆっくり顔を上げた。
「……周りの子はみんな、こういうの読みませんから。……やっぱり私も、似合ってないんじゃないか、って……」
そう言った静樹の表情に、俺ははっきりと見覚えがあった。
「自分の格好を見て、引かないのか」。
初めて配達で静樹が俺に聞いた、あの時と同じ顔だ。
そして俺には、静樹がなにを考えているのか、なにを思ってこんなことを聞くのか、少しだけわかったような気がした。
「……いいじゃん」
「えっ……」
「少女漫画。好きでもいいと思う。それに、家で地味なのもな」
「……蓮見くん?」
「周りの勝手なイメージなんて、気にするなよ。そいつらや、それに俺だって、ホントのお前のことなんてなにも知らないんだ。そんなやつらの目より、ありのままの自分を大事にしてやってもいいんじゃないか?」
気がつけば、俺は静樹にそんなことを言っていた。
静樹は、周りの目が怖いんだろう。
周囲のイメージと実際の自分が違っているのが不安で、ひょっとすると、後ろめたさすら感じているのかもしれない。
今回のことも、あの時のことも、そう考えれば合点がいく。
だが、自然体の自分でいられないというのは、きっとものすごく窮屈だ。
その気持ちは、俺にだってわかる。
むしろ、俺みたいなマイペースな人間だからこそ、より強くそう思う。
「似合ってなくても、周りがなにか言っても、それが静樹だろ。正しいのは、絶対にお前だよ」
「……」
「とりあえず、ありがとな。漫画、読んだら返すから」
イツイツの箱を背負って、俺は立ち上がる。
調子に乗って、話しすぎた。
お節介は焼かない、図々しいことも言わない。
そう決めていたはずなのに。
恥ずかしさと後ろめたさでどうにかなる前に、早く帰ろう。
「蓮見くんっ」
靴を履いてドアを出たところで、静樹が小さく叫んだ。
「ん?」
「その……ありがとうございます」
「……ああ。じゃあな」
俺はそのままクロスバイクに跨り、重い背中に苦戦しながら自宅へ戻った。
別れ際、ちらりと見えた静樹の瞳は、うるうると揺れていたような気がした。
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