閑話.秀吉の立身出世物語(7)「藤吉郎の誤算」
室町時代、九州の戦乱は畿内より長く続いた。
室町時代の初期は南北朝より始まり、征西大将軍として九州へ派遣された
一時は菊池氏・原田氏・伊東氏・秋月氏・島津氏・三原氏・草野氏・松浦氏・星野氏・平戸氏・千葉氏・大村氏・山鹿氏などの九州の有力諸氏7万騎を従えて、京に上がる東征を試みたが失敗に終わった。
そして、北朝方3代将軍
明国の皇帝は
そして、
だが、
こうして
そして、ゆっくりと
しかし、肝心の
何もできぬ儘に
結局、
大友家は鎌倉時代に豊後・筑後守護職と鎮西奉行職に輔任された後、元寇の戦いで基盤を固めた。
その後、
応仁の乱以降は大友氏、大内氏、少弐氏の三者で争い続けた。
そして、大内氏が没落すると、豊前・豊後・筑前・筑後・肥後半国を支配下に収めていた。
大友家は幸運であった。
天文23年 (1554年)、『天下静謐』と『惣無事令』が発せられると、他国への介入を禁じられた。
幕府の使者が織田家の帆船に乗ってやってくると大砲の威力を見せ付けた。
畿内における公方様の鎮圧は苛烈を極め、『惣無事令』に反した家が公方様の手で次々と打ち取られて行く。
大友家の幕下の大名達がそれを聞いて震え上がってくれたのだ。
その中で毛色が違ったのが、大友家であった。
京で『永禄の変』が起こるまでの6年間を内政に力を注ぎ、南肥後の相馬氏などの調略を進め、日向の伊東氏が助けを求めると臣従させて援助を行った。
博多の支配権を握った
唯、支配力が強くなるほど、反発心もより一層大きくなっている事に気が付いていなかった。
大友家の次に飛躍したのが
だが、少弐氏重臣達の調略により、龍造寺一族の多くを殺害されて壊滅の危機に瀕した事もあった。
天文15年(1546年)、蒲池氏の支援を受けた
さらに元主君筋の
筑後国は大友家の幕下にあった
混在していた為に大友家の家臣に領地を譲る余裕もなく、大友軍を中に入れる事もなかった。
これが後に幕府の『天下静謐』を発した後に筑後に侵攻できない理由となった。
この時点で
それが他領を他所に筑後の小領主が群雄割拠して争って遊んでいられる原因となった。
だが、政権が公方
さて、肥前水ヶ江城を拠点としていた
すると、
すべては
そうして
こうして力を取り戻した
幕府が『天下静謐』と『惣無事令』を発しても無視した。
狂犬の飼い主が
ともかく、飼い主が目を逸らすとどこでも襲い掛かる。
手が付けられない暴れ者に流石の水軍松浦党も同盟を申し込んだ。
瞬く間に北肥前を治めてしまったのだ。
その中には
だが、
裏切ると
そして、
まぁ、九州探題を名目に肥後や日向に介入している
他にも肥前を我が物にしたい
尤も、筑前に手を出させないという当初の目的は十分に達成されていたので
もう1つの肥前の大名は有馬家である。
有馬家は島原半島一帯を支配して、日明貿易や南蛮貿易を独占する事で有力大名となった。
だが、天文19年 (1550年)に当主がキリスト教を弾圧し始めると南蛮貿易を進めたい者とキリスト教を排斥したい者で家中が割れた。
そして、天文22年(1552年)に家督を譲られた有馬氏12代当主
しばらくすると急に成長した
狂犬だ。
そして、公方が代わって公方が
次は有馬家の番と恐怖して
大友家に臣従した家を
さて、筑前と豊前は大内家の支配地であったが、『大寧寺の変』で
しかし、筑前や豊前まで手が回らない。
秋月文種、野仲重兼、山田隆朝などの有力国人が独立の動きを見せ、無秩序になった事を理由に豊前に侵入した。
こうして、筑前と豊前の実質的な支配権を獲得していった。
良く言えば、
悪く言えば、掠め取った。
また、その邪魔をさせない為に
弘治2年(1555年)に起こった『厳島の戦い』では毛利家が勝利し、毛利家は一時的に周防、長門、石見を奪ったにも関わらず、それを手放して尼子に譲った。
実質の支配をしていた筑前と豊前が名実共に大友家のモノとなり、博多から上がる収益で大友家が盤石な支配力を得る財源となった。
弘治5年/永禄元年(1558年)に尼子家を制して、毛利家が周防、長門、石見を奪ったが、その先の筑前と豊前に手を出して来なかった事も幸いした。
もちろん、
弘治3年(1556年)に関東征伐をした幕府の次の狙いは九州征伐であり、下手に大内の九州旧領を願い出ると毛利家が先兵として使われる可能性があった。
石見銀山を朝廷領にする
労力の割に得るモノが少ないと読んでいた。
一方、
その時点では公方
そして、公方
公方
まさか、すぐに戦端が開かれるなどとは考えてもいなかったのだ。
肥後は
肥後の北は緩やかな山地からなっており、南は険しい山地が連なった山岳地帯となり、14郡99郷の土地に分かれていた。
菊池氏を始め、阿蘇、名和、相良などの諸氏が続いた。
幕府が『天下静謐』と『惣無事令』を発した以降は、他領が口出しできない事を良い事にして、九州探題の大友家は球磨郡と芦北郡を掌握していた相良家などの争いに介入して、南肥後にも支配地を広げた。
この大友家の支配は一見順調に進んでいるように見えたが多くの遺恨を残し、
そして、織田家が勝って大友家が朝敵・賊軍となった。
朝廷・幕府方として反大友の士に決起を促すと、自らも出陣して南肥後に侵入して、南肥後を奪取すると北肥後へ兵を進めた。
そこから一進一退を繰り返す。
毛利家と和睦を結び戻って来た北九州の九州連合は
さて、日向の伊東家は
守護である島津家に対して、
足利氏の一門
しかし、
幕府の思惑を外れて領国支配を強めた
こうして、幕府方の島津家の力が強化されたかに見えたが、島津家の奥州家と総州家に分かれて内紛を起こし、伊東家はそれに巻き込まれた。
伊東氏6代当主
さらに、財部土持金綱を滅ぼして平野部から土持氏の勢力を駆逐する。
こうして、北は門川町から南は紫波洲崎までを平定した。
文明3年 (1471年)に桜島が大規模な噴火を起こし、文明8年 (1476年)頃まで5年近くも続き、島津家が弱体化したのが原因かもしれない。
その後、島津家の内紛に参入し、宗家の奥州家と敵対し、豊後国の大友氏に助力を頼み、伊作家の
こうして、8代
日向は島津家、伊東家、本郷家、
伊東家の不幸は続く、大永3年(1523年)に8代
天文17年(1548年)には、嫡男の歓虎丸が9歳で早世した事を嘆いて、剃髪して『三位入道』と名乗り、天文20年(1551年)年に仏事に傾倒した義祐は佐土原に大仏堂を建立し、
そして、九州連合を
帰国すると島津
だが、天は
1月20日、
国内には反抗する者も多い。
守備兵を残すとこの程度の兵しか用意できなかったが、島津豊州家と本郷家を打ち破ると、伊東家の主力が不在という事もあって、次々と支城を降伏させて
あと少しで陥落という所で2万3,000人の大友軍が高岡城に入ったのを聞いた。
1月25日、
大友軍の大将は
数において大友軍が圧倒的であった。
一方、島津軍は陥落寸前の
大友軍は鉄砲で威嚇しながら渡河して来る。
『大将首を取れ!』
大友軍の士気は高く、誰もが目の前に転がっている
ちょうど谷間となっており、そこに大軍の大友軍が殺到した。
そして、逃げる
いるハズのない兵が左右から現れて挟撃する。
気付いた時には大友軍は総崩れであり、逃げ出す兵を島津軍が追い駆けた。
中央の大友軍が総崩れになると、全体で優勢に戦っていた大友軍が浮き足立ち、我先にと一之瀬川を渡河して逃げ出す兵が殺到し、川を真っ赤に染めた。
討たれた大友軍の兵は3,000余と言われる。
大将の
特に嫡男の虎房丸が降伏し、
27日、島津軍の追撃を振り切って、再度、高岡城で再結集した大友軍が出陣し、島津軍と対峙する。
大友軍兵は兵を1万5,000人と随分と減らしたが、それでも島津軍より多く、互角以上に戦えるハズであった。
但し、士気の低さは如何ともし難かった。
こうして島津軍と大友軍が決着を付けようとした時、大友の武将を伴った織田家の使者がやって来て、停戦を命じられた。
「あと、5,000、3,000の兵があれば」
あと5,000人の兵が要れば、別動隊を背後に回して大友軍を崩壊に導けただろう。
あと3,000人でも追撃をして高岡城で再結集など許さなかっただろう。
日向の半分、巧くすれば、すべてを奪えた。
何故、勝っているのに停戦に応じなければならない。
悔しさの余り、
◇◇◇
(永禄4年 (1561年)1月25日~4月30日)
おらは府内を出ると、大友の武将の先導で豊前、筑前で砲艦外交を続けた。
肝心の領主は不在であり、代理と留守家老の相手をする。
深酒は
腹がだぶだぶになっただ。
博多では商人達を脅す。
織田家の大砲の威力に南蛮人らも青い顔になっていた。
開拓費に三万貫文を奪い取った。
人夫の手配なども任せた。
堺などでやっている物品税は、しばらく導入しないらしい。
難しい事はよく判らんだ。
大宰府まで足を運んで戻ってきた筑前・筑後・肥前の武将を相手に
大友家の武将が取り仕切って、皆を強引に納得させただ。
これが終わると
作事奉行の
おらは肥前の半島を迂回して点々と回って行く。
海岸では大砲を派手に撃っておく。
どこに行っても納得できないと言う顔だが、大友家の命令に渋々従った感じだった。
肥後では、大友派と反大友派が睨み合う中で会談だ。
おらが命じられているのは停戦のみであって戦後処理を勝手にする訳にはいかない。
奪った城の返還を命じておく。
また、無用な殺生を許さないと脅しておいた。
薩摩の
おらは帝の約束も守れた。
「おらが決める事はできないだが、
「よろしく、お願い致します」
いつも通りに幕府のやり方を説明し、起請文を頂くと一先ず終わった。
さらに大隅、日向を回ってから豊後の府内に寄ってから名護屋浦に戻る頃には3月中旬になっていただ。
名護屋浦に戻ると第二陣の
皆、大名格、奉公衆と偉い方ばかりだ。
昨日まで一城主だったおらと違う。
なんと言うか、見るだけで威厳があって偉い方ばかりだ。
その方々の上座に座るには居心地が悪かった。
「藤吉郎様、お久しぶりでございます」
「これは
「豊前はどうでございました。騒ぎが起こる度に呼び出されて大変でございますね」
「おらはそこに居るだけでございます。何かを決める訳ではございません」
「藤吉郎様はお心が広い」
「
「ははは、そんな事をすれば、父に叱られます。どうか某の事は
荒廃した湊町を復興するにも先立つモノがない。
あぶれた者を引き連れて出稼ぎにやってきたのだ。
「藤吉郎様、また船に乗せて頂けませんか?」
「いつでも言って下さい。船頭に申し付けておきます」
「ありがとうございます。織田家の船は何度乗っても驚きに溢れております」
「そう言って頂けると、船乗り達も喜ぶ事でしょう」
安芸を守っていた標準艦と違い、おら達が乗ってきたのは織田家の最新艦だ。
大砲一つでも全然違うらしい。
おらの良く知る捕鯨砲に比べるとどれも凄いの一言だ。
「藤吉郎、よい所であった」
「さっきから探しておった」
「帰って来たならば、顔を出さぬか」
「気が利かん奴だ」
おらを呼んだのは
公式な場では、おらの名前の後ろに『様』を付けるが、普段はいつも通りの呼び捨てだ。
おらも特に注意しなかった。
二人に『様』と言われる度に鳥肌が立つので何となく気が楽なのだ。
「南九州から誰一人も人夫を出しておらんぞ」
「では、すぐに書状を出しておきます」
「もう何度も出した。催促しても一ヶ月以上も返事が来ぬ。お主が島津でへらへらとしていた所為だ」
「申し訳ございません。では、使者を立てて要求致します」
「手緩い。あの日向でも出しておるのに、守護を望んだ島津が出しておらんのだ」
おらは当然と思った。
九州連合には毛利家に対して多額の賠償金が請求されて、それを支払おうとすればすべての大名が破綻してしまう。
大友家の勘定奉行も青い顔しただ。
だは、
しかも人夫の飯は織田方が用意する。
疲弊した土地で兵糧が足りない家にとって、丁度良い人減らしになる上に、賠償金の補填にもなる。
大友家は一人でも多くの人夫を出すように命じた。
賠償金を払えない。
収穫が少ない。
そんな領主ほど人を寄越すのは当然の流れなのだ。
対して島津方には賠償金の請求がない。
早々に寝返った者は凄い得をした事になっただ。
だが、肝心の報償は貰えていない。
人夫に銭を払うので人を出せと言っても、報償もないので課役に応じたくないと言う心情は、おらにも理解できただ。
やはり褒美は欲しいだ。
だが、これは
毛利家は納得できたが、島津家の武将はそれに納得できないのだ。
「なぁ、藤吉郎。その使者を俺達に任せろ」
「
「何を言う。お前は船奉行だろう。外交交渉は一任されていると聞いたぞ」
俺達の仲だと言わんばかりの馴れ馴れしさだ。
第二陣の手前、造営は
第二陣の方々に出しゃばらせない為の処置だった。
「藤吉郎様、良いではありませんか」
そう後ろで言ったのは、右筆助手の
おら達は右筆やその助手の命令を聞いて動いているだ。
内政で忙しい
「本当に宜しいので?」
「仮に失敗すれば、その後で藤吉郎様が行ってまとめるだけです。その方が藤吉郎様の偉大さが判るでしょう」
「そんなモノでございますか」
「そんなモノです」
南肥後の相良家などは、
「
流石、
舌先三寸で陥落させた。
この調子で薩摩も巧く乗り切ってくれると思っていたのだが、思っている以上に
島津家との交渉を巧く終え、宴会の席で豪語した。
『織田家に従わない者など、自ら鉄槌を下してくる』
酒の勢いで言ってしまった。
そして、見事に負けた。
完敗である。
織田家に不満を持つ者を立ち上がらせる結果になった。
「どうして、そうなるのだ」
早船が先に帰って来て、織田家の敗北を知らせてくれた。
数日後、船団が戻ってきた。
おらの顔を見ても何も言わずに消えて行った。
それとは対照的にカラリと爽やかな顔で
「
「ははは、負けてしまいました。あそこまで愚将とは思っておりませんでした」
「どうするつもりだ」
「地形も把握できました。次は負けません。問題ございません」
軍艦『尾張』などは京に戻したので、大量の兵を乗せる事はできない。
薩摩に向かうのは、ほぼ同数の兵だ。
これで勝てば、おらの名声はより引き立つと
戦と聞いて犬千代は嬉しそうだが、おらは嬉しくないだ。
「大丈夫です。この
おらはとんでもない悪党に騙されているような気分になっただ。
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