第6話 あなたは神を信じますか?

(弘治元年12月4日(1555年1月6日))

身も心も凍り付くような風に吹かれて白い波が打ち付けられて散っていた。

寒い。

誰もがぶるぶると震え、足を止めて膝から三重のがりになりそうだった。

波も高く、船も帆を畳んで停泊したままになっている。

急いだ意味がなかった。

そう言えば、今朝も宿営地を出ると水溜まりに氷が張り、誰かが歩く毎にパリパリという氷が割れる音が耳に入った。

吐いた息も真っ白に染まり、小刻みに身を震わせる兵の姿があった。

冬の行軍は厳しい。

万全の体制を整えても厳しい。

簡易カイロの開発は必須だと思った。

そんな厳しい行軍だが、誰一人、文句を言う者はいない。

あっ、一人だけ例外がいたな。


「寒い、寒い、こういう寒い日はこれがないとやって行けない」


そう言いながらおちょこに少し強めの蒸留酒を注いで馬上で朝から一杯を頂く姿があった。

そもそも寒さなど屁とも思わない慶次がそれを言うか。

まったく。

呑む為なら恥も外聞もない。

遠江で直臣になった家臣らが申し訳ないという顔になる。

いやいや、主が悪いだけで君達が悪い訳じゃない。

俺は呆れているだけで怒っていない。

ただ、態度が悪いだけだ。


京では警護ももちろん、諜報から始末まですべて慶次に任せていたし、この御一行の警備も慶次が指揮している。

備品に上物の蒸留酒が入っているのはその為だ。

治療用のアルコールを別に用意している。

あぁ、何をやらせても完璧だ。


暇をしている慶次には桂川の自警団の育成も押し付けた。

暇のハズがないのだが?

素人を3ヶ月で立派な足軽に育てた。

一目見ただけでなんとなく素質を見抜いて自警団に入れてゆく。

ある程度、数が揃った所で訓練日を入れてきた。

つまり、有事は作業員を兵にする。

訓練は熱田式を採用し、10日の内、8日は土木作業、1日は訓練、1日は休暇とした。

正規の自警団員は足軽頭のような者らであり、普段は警備と訓練と訓練の指導が仕事だ。

こちらは6日に1日のお休みが貰える。

それだけ訓練が厳しいという事だ。

一年もすれば、戦える土木作業員が万単位で増産されてゆく。

公方様が喜びそうだ。


俺のやり方を踏襲とうしゅうしながら慶次なりの遊び心がちらほらと見える。

秋祭りと称して、盆踊ぼんおどりのような踊りで連帯感を持たせ、銭をチラつかせて地域毎に競わせた。

見事に揃った動きは盆踊ぼんおどりではなく、もう組み体操だ。

秋祭りの最後に乱交社交パーティーが無ければ、100点満点を慶次に上げる所だった。

祭りの後に沢山の祝言が合同で行われる。

秋祭り、春祭り、夏祭りと年に三回も開催すれば、京で出産狂奔ラッシュが起こるのは目に見えている。

日頃のらしか、何か知らないが俺は知らん。

順次建設中の長屋街ニュータウンには子供連れが優先して入れる。

すると、来年の今頃には赤ん坊の泣き声で凄い事になりそうだ。

ホント、知りません。


慶次は馬上で気持ちよく酒を浴びるように呑んでいた。

育てた家臣を信頼しているのだろう。

この要領の良さが慶次なのだ。

ただ真面目が大好きな兄上(信長)ではとても飼いならせない生き物だった。


「酔った振りをしているだけだ。何も気にする事はない」

「いいえ、あれは完全に…………」

「気にするな」

「流石、魯坊丸ろぼうまる。判っている」


慶次が酔っている事はよ~く判っている。

酔い過ぎていないだけだ。

早死にするぞ。


話は少し戻るが、京から舟で川を下るようにした事を後悔した。

桂川から淀川に入って舟の上でのんびりする。

さらに堺からも船で熱田まで戻る。

船の上で“のんびり、ごろごろ、ごろごろこ”とするつもりだった。

できませんでした。

どんな着重ねして寒いモノは寒く、体を動かさないので寒さが倍増だった。

舟の上は寒かった。

ぶるぶる・・・・してごろごろ・・・・所じゃなかったよ。


淀川を下って寝屋川に入ると野崎観音で一泊する。

さらに降って大和川(恩智川)と合流すると、今度はその大和川(恩智川)を遡る。

次に見えるのは石切劔箭神社いしきりつるぎやじんじゃだ。

ここに泊まるつもりだったが調べてみると温泉がない。

何故、石切温泉がない。

温泉でのんびりとぽかぽかとする計画が大無しだ。

温泉がなければ、泊まる価値もないのでもう少し足を延ばした河内国一宮の枚岡神社ひらおかじんじゃ辺りまで遡った。

ここから馬に変えた。


今朝、宿営地を出ると、さっき言ったがあちらこちらの水溜まりに氷が張っていた。

枚岡の宿営地から東高野街道を抜け、長尾街道に折れ曲がって堺まで5里 (20km)だ。

のんびり休憩を挟みながら三刻 (6時間)ほどであり、昼過ぎに到着した。

皆、寒さと移動の疲れで疲労ピークを迎えている。

俺は寒さに震えていただけだが、護衛の一部は陸路でマラソンをしていた。

舟に合わせて対岸を走る。

中々ハードな行程だ。

そして、堺の湊に到着した。

ざぶん、ざぶんと海の香りと一緒に波の音が聞こえてくる。

よく見ると風に煽られて波が岸にぶつかって白いしぶきを上げていた。

見るだけで心が凍り付いた。

寒いから中に入ろう。


 ◇◇◇


俺達は納屋-宗次のうや-そうじの別宅を借りて一息を付く。

練炭を贅沢に使って部屋を暖かくすると雪だるまのような厚着を脱いでいつもの軽装に戻って畳に寝転がる。

やっと生き返った。

これです。

これこそが至福。


「あぁ、緩んでいるね」

「はい、緩んでおります」

「いいのか?」

「いつもの事でございます」


おいそこ、二人で判っていますって顔をしない。

俺はこの瞬間の為に生きているのだ。

御褒美がなければ、もう逃げ出しているぞ。

畳みと毛皮の繋ぎ合わせた丸い敷物を用意しているとは洒落ているではないか。

この色と肌触りはイタチと見た。

中々にいい感じだ。

宗次そうじは俺の好みをよく調べている。

100点満点をやろう。

千代女の配慮で俺は誰にも会わずに、その日はごろごろを堪能させて貰った。


 ◇◇◇


考えてみれば、この御一行は千代女の御一行だった。

堺の商人のお出迎えの宴会に俺がいる必要もない。

皆さん、がっかりだ。

大店の皆さんは京でも会っているし、この後の会合で会うので何の問題もない。


明日以降に用意されている会合は『生野銀山』についてだ。

姫山(姫路)から餝磨しかま街道を通って但馬に入る。

姫山の城代は小寺-職隆こでら-もとたかであり、その主人が御着城主の小寺-政職こでら-まさもとだ。

但し、その父の則職のりもとは家督こそ譲っているが、実権は父親が握っている。

つまり、この三人を取り込まないと道が開けない。


さらに、播磨の海衆と呼ぶべき、交易を商いとする英賀あが御坊が餝磨しかまに拠点を張っている。

盟主は英賀三木氏9代目の当主の三木-通秋みき-みちあきだ。

目と鼻の先にある英賀御坊は餝磨しかま街道の整備をし、飾磨津の拡張をすれば、必ずぶつかる。

今は良好な関係だが、あの意地汚い坊主共が黙って隣で繁栄する小寺家の湊を黙って見ている訳がない。

必ず仕掛けてくると思う?

疑問型だ。

俺の考え過ぎと言われそうだが、三河の予定を狂わせたのも怪僧の所為だ。

用心するに越した事はない。


生野銀山の話が完全に決まったら、天王寺屋てんのうじや津田-宗及つだ-そうきゅう)に行って貰おうと思っている。

やはり御坊の関係は天王寺屋てんのうじやだ。

線は細いが商才に長け、元々大坂御坊と繋がっていたので僧侶の扱いが巧い。


一方、魚屋ととや田中-与四郎たなか-よしろう、後の千利休せんのりきゅう)は体も大きく武将のように迫力あり、切磋琢磨した交渉力もあると思う。

交渉力のみならば、他の追髄ついずいを許さない。

しかし、武将のような腹黒さが見え隠れするので僧侶相手では分が悪い。

腹黒さでは僧侶の方が一枚も二枚も上手なのだ。


下手な小細工をするより、商人としての損得勘定に長けた天王寺屋てんのうじやの方が僧侶も安心する。

一枚くらいならば、英賀御坊も銀山に噛ましてもいい。

欲を搔けば、身を滅ぼすと忠告しておくけどね。

いずれにしろ、派遣した山師が新しい鉱脈を見つけてからの話だ。


そう言えば、俺のいない宴会場で小さな店の店主が頑張った。

この機会にせめて千代女に名前を憶えて貰おうと躍起になっていた。

それが何か?

必死に宣伝するが千代女の笑顔に一蹴された。

俺の役に立つ事、織田家に得な話を持って来て下さいと。

憐れよのぉ。


 ◇◇◇


翌日、天候の回復を待って天王寺屋てんのうじやの案内で堺見物だ。

そう言っても珍しいモノは多くない。

ただ、活気は熱田に負けていない。

全国からの商品と南蛮由来の品が並んでいる。

のれんをくぐって歩いた。

やはり道が狭く、歩くと土埃が舞うのが欠点だ。

俺はその土埃に鼻を隠した。


「あははは、熱田は堺と同じく活気に湧いていますが、清潔さでは叶いませんからな」

「堺もやればいいと思いますよ」

「確かに道に煉瓦を敷くと美しい。私はやりたいと思いますが…………」

「何か問題でも?」

「そこに銭を出してくれる者がおりません」


なるほど、堺の商人の意識改革はその域まで来ていないのか。

主の道はともかく、側道になるとさらに狭くなる。

人が行き来するのも大変だ。

その狭い側道に露店が所狭しと並んでいる。

水飴や砂糖菓子も売っているが、土埃が被っていると思うと食べる気がしない。

なんと、タコ焼きが売っていた。


「熱田名物を真似てみました」

「もしかして、天王寺屋てんのうじやの屋台ですか?」

「申し訳ございません」

「別に構いませんけど」


あれは鉄板を作るのが一苦労なのだ。

やりたいなら譲ってやったのに。

試食を兼ねて1個だけ貰う。

粉っぽく、味も薄い。

レシピもなしで試行錯誤を繰り返しているみたいだ。

道具も見よう見まねで作っている。


「若様、これは?」

「ほっておけ、堺のタコ焼きだ。熱田と味が違って丁度いい」

「お許し頂けますか?」

「好きにすればいいさ」

「ありがとうございます」


やはり天王寺屋てんのうじやは商魂逞しい。

火事が心配なので屋台は川沿いに移すのを推奨しておいた。

その後は根来衆の鉄砲などの確認だ。

細かい所が改良されていた。

これは勉強になる。


逆に、やはりと思ったのが早合だった。

織田式の早合が真似られました。

一度、使わせたからね。

バレると思っていたけど、弾の周りに後から真鍮の板を巻く事で解決したか。

軽く熱を加えて一体化させいる感じだ。

思っていたより早く秘密がバレた。


最後に天王寺屋てんのうじやが案内したのはあばら屋だった。

だが、部屋に入った瞬間に察した。

教会というには余りにボロい家だが、入った瞬間に祭壇が見え、その前に宣教師と判る姿の南蛮人が立っていた。


「こ・ん・に・ち・は」


片言の日本語が如何にもらしい。

俺が京に上がる以前、公方様に会いに来た奇妙な南蛮人がいたと聞いた。

後で商人に確認すると、名をフランシスコ・ザビエルと言う。

一度、平戸に戻ったと聞いたが…………ともかく、俺は宣教師とお友達だ。

まだまだ、欲しい物が沢山ある。

まずは『トマト、ぷりーず』だ。


「エンカンダード デ コノセールテ」(初めまして)


俺がスペイン語を話すと向こうがびっくりした。

イスパニア語を話す日本人は初めてだと言われた。

もちろん、本土という意味だ。

俺にマニラやゴア(インド)に来た事があるのか聞くが、もちろん俺は日本から出た事もない。


「驚く事は何もありません。尾張に来れば、イスパニア語をしゃべれる者は多くいます」

「本当ですか」

「本当です」

「信じられません」


嘘じゃないぞ。

外交を担当する者はスペイン語が必修だ。

漢語は公用語であると同時に、中華圏の国際語なので必然的に習う。

しかし、これから南蛮人と会う事が多くなる。

俺の注文を正しく伝える部下は必要だ。

と言う訳で、スペイン語は必修だ。


外国語に興味を持った者のみ、英語、ドイツ語、フランス語も教えている。

北京語を教えるかは非常に微妙だ。

使えないかもしれない。

尾張に来れば、片言だが10人はしゃべれるぞ。

千代女も通訳を介さずに聞いている。

講義をずっと聞いて来たから聞くくらいはできそうだ。

天王寺屋てんのいじやだけが通訳のお世話になっていた。


「信じがたいですが、あなたがしゃべっているので信じたくなります」

「一度、尾張に来て頂ければ判ると思います」

「必ず、行かせて頂きます」


俺はルソン(マニラ)の事を詳しく聞いた。

宣教師は言葉を濁しながら答えてくれる。

国内事情を話したくないのだろう。

イスパニアとポルトガルで揉めているのは承知しているが、俺の興味はそれではない。

欲しいモノが手に入るかが問題なのだ。

ここで人伝だった注文の品を直接した。

以前、天王寺屋てんのいじやが持ち帰った唐柿とうし(トマト)の種はトマトではなく、チリペッパーでした。

つまり、唐辛子の一種だ。

栽培してできた物は余り辛くない唐辛子でピーマンのように食べている。

結局、俺の説明が伝わっていなかったのだ。


「トマーテですか?」


トマトを欲しがったことに驚かれた。

俺の発音は奇妙なイスパニア語らしい。

発音が可怪しいらしい。

伝わればいいんだよ。


トマトを食べるというと『毒りんごを?』と、さらに奇妙な顔をされた。

イスパニアではトマトは観賞用の植物だったのか。

道理で伝わらない訳だ。

苗に大金を出す。

種でもそれなりに出す。

俺の熱意にはっきりと届けてくれると約束を得た。

契約成立だ。

これでトマト・スパゲティーもゲットだぜ。

最後に宣教師が聞いてきた。


「貴方は神を信じますか?」


う~ん、どう答えよう。

俺は信じていないが、織田魯坊丸として「信じない」と発言するのは非常に拙い。

信じると答えるのも可笑しい。

聞いてきている神様は『ゴット』だからな。

俺が困っていると天王寺屋てんのうじやが代わりに答えた。


「あははは、この御方にそれを聞くのは間違っている。この御方こそ、熱田明神の生まれ代わり、神様ご自身だ。神様にあなたは神を信じるとか聞くのが間違っている」


天王寺屋てんのうじやの言葉を通訳が伝える。

やっと通訳が仕事する。

今、熱田明神を『熱田のイエス』とか言ってなかったか?


「この地にイエスが降臨したなど聞いておりません。嘘はいけません」


なんか怒られた。

俺は神ではないと説明する。

だが、同時に俺の事を神様と思う人が多くいるので、声を荒げて否定しない方がいいと忠告しておいた。


「神の名をかたるのは、神への冒涜です。地獄に落ちます。今すぐ、お止めなさい」


そう怒らないで欲しい。

俺は「自分で神だ」と名乗った事は一度もない。

人が勝手にそう言っているだけだ。

声を荒げて否定すると、献上品を持って行っても帝と公方様も会ってくれないかもしれないぞ。

まぁ、いいか。

決めるのは宣教師だ。

そう言えば、名乗るのを忘れていた。


「俺の名は魯坊丸ろぼうまるです」

「わ・た・し・は・コスメ・デ・トーレスといいます」


ザビエルさんじゃなかった。

何でもザビエルは昨年の内にゴアに戻ったそうだ。

ザビエルさんが帰った後に堺で大砲を持つ船が現れたと聞いて、コスメはそれを確かめる為に堺に来たそうだ。

その大砲の船を持つ家を『織田家』と言う。

そして、俺の苗字は織田だった。


「どこで大砲を買いましたか?」


もちろん、どこからも買っていない。


「嘘はいけません」


信じて貰えませんでした。

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