閑話.浅井久政の決断。
(天文22年 (1553年)6月20日)
北近江国は伊香郡、浅井郡、坂田郡の総称である。
浅井家の動員できる兵力は8,000人であった。
一ヶ月前、織田お市との婚儀の噂が上がり、美濃の使者にも意見を聞いた。
だが、それで決断するほど
「織田の繁栄を聞く」
「
「如何にも」
「耐え忍んで六角家を見返してやりましょう」
「この際だ。織田家を利用しましょう」
「天は我らを見捨てておりませんでしたな」
「待つ必要などない。織田家の援助が貰えれば、六角家など叩き伏せてやる」
「京極という餌を与えて飼いならしましょう」
浅井家の重臣達はもう織田家から姫を貰うつもりでいた。
家格の高い京極家の威信を疑っていなかった。
魯坊丸がいれば、「その家格の高い京極家を追い落として、踏ん反り返っているのはどこのどいつらだよ」と言ったかもしれない。
得てして、都合の悪い事は忘れるようであった。
だが、久政はそれほど楽観していない。
久政はまず織田家をよく知る
「織田家はよい鉄が造れる技術大国です」
「それほどの技術大国なのか?」
「よい道具も揃っており、織田家に学ぶ所が多くございます」
「鉄砲で勝っているのではないのか?」
「織田様は鉄砲を多く買われていますが、多く造れないだけで鉄砲を造れない訳ではございません。根来衆の者の話によれば、織田製の鉄砲の方が使い勝手がよかったと」
織田家が単に栄えているだけの国でない事を知った。
次に知勇を兼ね備えた家臣である
主膳は天才の誉れ高い息子の喜右衛門尉(
「此度の噂をどう見る?」
「策謀の匂いが致します」
「某も同じでございます」
「判りかねます」
久政は喜右衛門尉と同感であった。
阿久姫を送ったのも策謀の1つであり、織田家と縁が結べればそれで十分だった。
それで織田家の援軍を封じた。
それを巻き返そうと六角家を講和交渉に引き出したので十分な成果だった。
時間を稼いでいる間に三好家は大和を抑え、その力を徐々に回復している。
1年、少なくとも半年の時間を稼ぎたかった。
お市の噂に玄蕃允と主膳はこの噂に策謀の匂いを感じ取った。
久政も同じである。
その策謀の中身が判らない。
何を狙っているのか、理解できない。
迂闊に乗れなかった。
「殿、ここで悩んでいても答えはでません」
「行ってくれるか?」
まだ無名の若者であった喜右衛門尉は行商の姿でその日の内に尾張へと旅立った。
◇◇◇
(天文22年 (1553年)7月5日)
尾張から喜右衛門尉が戻って来た。
久政はすぐに喜右衛門尉を呼び出し、その席に玄蕃允と主膳も同席した。
「喜右衛門尉、尾張はどうであった?」
「先に申し上げますと。まったく判りません。理解しがたい国でございました」
「理解できないだと?」
喜右衛門尉はまず清州に入った。
活気に沸いた良い町だった。
見る物すべてが珍しく、行きかう人も饒舌に織田家を語ってくれた。
噂通りの善政を敷いていた。
喜右衛門尉が清州に到着した23日から大雨に遭ったのだ。
「守護代の信長は民の為に自ら氾濫した堰の修復に赴くほどのお人好しでございました。しかも飢えた民に米を配ると言う善政ぶりにも驚かされました」
「その噂はこちらにも届いておった」
「民が織田様を慕うのも納得できました」
雨の中を出陣する信長を見送った喜右衛門尉には信長の勇ましさが目に焼き付いていた。
その後ろに織田家に富を齎した
「某も勧誘を受けましたがお断り致しました」
「織田家で斎藤家の娘を崇める事を許していると申すのか?」
「咎める者はおりません。むしろ好意的に受け入れられておりました」
「信じられん」
「嫁と言っても他家の娘を?」
「間違いないのか?」
「間違いございません。さらに那古野・熱田に行けば魯坊丸様を『
「尾張は神の国にでもなったつもりか?」
「しかし、それも納得できます。隣国の三河で民が飢えていると聞けば、魯坊丸様は無償で米を送ったのです。敵国にです。あり得ません」
「その噂も聞いた。織田が流した嘘であろう」
「いいえ、某は三河の行商人と伊勢の商人とも話を聞いて確かめましたが事実でございます」
「敵国に米を送るなどあり得ん」
「そのような国が生き残れるものか」
「熱田の狐に化かされたのではないのか?」
「決して嘘ではございません。化かされてもおりません」
とにかく喜右衛門尉の常識がすべて崩れ去った。
尾張の国は異常な事だらけであった。
河原者と言う飢えた民を救い、読み書き算盤を教えている。
その中には武士になった者もいる。
三河の者は魯坊丸を仏と称えた。
「この乱世の世に『仏の国』を造っているとしか思えません」
喜右衛門尉は本来の目的を忘れてしまった。
否、織田家を理解できる訳がない。
困窮する浅井家を助ける為に輿入れの話を考えても不思議な事のない国だ。
裏など読める訳もないと喜右衛門尉は諦めて帰ってきたのだ。
当たり前であった。
魯坊丸は自分の生活向上の為に様々な知恵を授け、組織を替え、それを実現する為に銭を稼いでいるだけである。
河原者という飢えた民を助けたのではなく、無償で労働力を手に入れた。
無償と言うと語弊があるように聞こえるかもしれないが、どれほど武将や商人や農民を連れて来ても魯坊丸の教えを理解できないのは同じである。
頭が空っぽの河原者の方が教え易かった。
結果的に魯坊丸は職人と河原者を大切にする事になった。
魯坊丸は虐げられている者を見過ごせるほど残忍ではないが、飢えた民を救いたいなどと言う高尚な趣味を持ち合わせていなかった。
三河の民を救ったのも同じ理由だ。
一向一揆で被害が出るくらいならば、先に恩を売って後で回収すればいい。
完全な損得勘定であった。
だが、喜右衛門尉に理解できる訳もない。
「頭が痛くなって来たぞ」
「殿、それは私も同じでございます」
「玄蕃允、主膳、思う所を申せ?」
玄蕃允と主膳は首を振るだけであった。
そもそもお市を北近江に嫁がせる理由を探した事が間違いであった。
策士、策に溺れる。
慎重に事を運ぼうとして結果、久政は貴重な時間を無駄に浪費した。
「玄蕃允、主膳、お市殿を嫁に欲しいと交渉して来い」
「畏まりました」
「準備が整い次第、出立したします」
玄蕃允と主膳は京極高広への面会を申し出た。
色々と手続が面倒であった。
結局、高広から書状を受け取って発したのは7月9日となった。
◇◇◇
(天文22年 (1553年)7月10日)
夕刻、朽木から公方様の豹変を伝える報告が入った。
織田家の姫を貰う噂が上がった頃から公方様は浅井家に同情的であった。
その公方様が一転して浅井家に厳しい沙汰を言い付けた。
「何が起こった。直ちに調べよ」
久政は京や六角家を調べさせる。
公方様が変わった原因があるハズだ。
六角家が何かを仕掛けた。
久政の脳裏にその事が過った。
「喜右衛門尉、何か思う所はあるか?」
「思いつく事はございません。しかし、公方様が織田魯坊丸様を召喚し、朽木に向かうと言う知らせが入っております」
「尾張に残してきた間者からか」
「はい」
「六角が魯坊丸に泣き付いたと言う事か?」
「考えられるとすれば、それしかございません」
久政が六角の思惑を読む。
「三好か?」
「おそらく、そうかと」
「何を仕掛けたと思う」
「公方様は三好を憎んでおられます。魯坊丸を抱き込んで三好に攻勢を掛ける約束をしたのではないかと推測致します」
「三好を倒す為に我らを見捨てたのか?」
「おそらくはそうかと」
こうなると手の打ちようがない。
翌日、朽木から
公方様は取り付く島もなかったと嘆く。
しばらく、公方様の酒会などに招かれて良好な関係を築けたと思っていた3人は公方様の変わりように慌てたと報告する。
朽木に残った者が公方様への面談を求めているが期待できない。
「何に怒られたのか、まったく見当もつきません」
「後は六角家が折れるだけの所まで来ておりました」
「久政様、どう致しましょうか?」
起死回生の一手は織田家からお市を嫁に貰う事しかない。
織田家を味方に付ければ、六角家も妥協するしかない。
三好家と今川家が怖れるほどの織田家だ。
毎日のように小谷城に集まった家臣団が議論を繰り返す中で久政は織田家からの返答を待った。
「今日も東野家から誰も来んのか?」
浅井家を見限って出頭命令に逆らう領主も出てきた。
大勢は和睦であったが、それでも主戦派は六角家との決戦を訴える。
「朝倉様が2万の大軍で援軍に来る」
「それを信じろと言うのか?」
「六角、斎藤を合わせれば3万を超える。朝倉家が浅井家の為に犠牲を強いるとは思えん」
「六角家と朝倉家の緩衝地帯として浅井家を残したいのだ」
「その為に六角と決戦をする馬鹿がいるか!」
議論は白熱すると言うより殺気立っていた。
主戦の頼りは朝倉家の援軍だ。
一方、講和派は離反する領主もいるので5,000兵も集まるかどうかを心配していた。
その5,000人も六角と斎藤の二手に分けなければならない。
勝てる訳がない。
一方的な蹂躙が始まる。
玄蕃允と主膳からお市の嫁入りを断られたと報告が入った。
二人は粘って交渉を続けると言っている。
久政は天を仰いだ。
「ここまでだ。(大野木)国重、朽木に急ぎ戻って、六角の条件を飲むと返答して参れ」
「殿、それでは浅井家が…………」
「戦っても同じ事だ」
「申し訳ございません」
「願わくは、お市殿を猿夜叉丸に貰いたいとお伺いせよ。もしも頂けたならば、猿夜叉丸が助かる。代わりにこの首を差し出してもよい」
「殿、某は」
「言うな、頼んだぞ」
久政は覚悟を決めて、(大野木)国重を送り出した。
しかし、18日に戻って来た報告は苛烈を極めた。
酷い言い掛かりであった。
どうやら三好家と浅井家を一緒にされたらしい。
唯一の救いは『寝返る事すら許さん』と公方様が言った事であった。
19日、東野家を除いてすべての諸将が小谷城に集結した。
議論が煮詰まった夕刻に
「殿、一大事でございます」
「如何した」
「
「早過ぎるぞ」
夜半になって蒲生の兵を撃退したと言う報告が入った。
ともかく鞍掛山に3,000人の兵を送った。
翌日(20日)、
「東野は後続の2,000の兵でこちらが対処致そう。さらに2000を斎藤家の後詰として送り、小谷城に2000を残す。残る6000の兵で鞍掛山の援軍に駆け付けましょう」
「ありがたい」
東は関ヶ原に斎藤家の兵7,000人が現れたと報告があった。
東の城主には、朝倉の後詰が到着するまで城に籠って守りを固めるように指示を送った。
久政は敢えて東に援軍を送らない事を決めた。
六角家を倒せば、必然的に斎藤家も引く事になる。
「久政殿、本気で勝てるつもりでございますか?」
「いいえ、勝つのは無理でしょう」
「でしょうな」
「ゆえに『
「よい判断だ」
「ご迷惑を掛けます」
「こちらも義理を果たしたまで。公方様に弓を引くつもりはありません。そこはご容赦を願いたい」
「あくまで我らの敵は六角でございます」
「判りました」
「宗滴様、お待ちしております」
「すぐに追い付きましょう」
22日、久政は小谷城を宗滴に任せ、残る兵2,000人を引き連れて鞍掛山へ向かった。
鞍掛山の決戦が迫っていた。
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