第47話 上様御成り。
(天文22年 (1553年)7月18日)
「上様のおなーりー」
どん、どん、どん…………一刻 (2時間)毎になる太鼓の音に合わせて公方様が部屋に入って来た。
浅井家の代表がやっと戻ってきたので講和交渉が再開される。
やっと俺も呼び出されて参加させられる。
浅井家の家臣である
浅井家の家臣らしい者が来たが、こちらも塩対応だ。
阿呆な浅井家に付き合う気はない。
もちろん、講和を成立させて公方様の思惑に乗らない手もある。
だが、公方様は三好に対して業が深すぎる。
これから何度も付き合わされる事を思えば、一度清算するのも一つの手と割り切った。
但し、誰かの筋書に乗るつもりはない。
そもそも講和交渉をはじめた直後に臣従して六角家の保護下に入れば、
街道と湊を失うだけ済んだハズだった。
浅井家が阿呆なのだ。
清洲会議の結果を持ち帰った六角家では、織田家のやり方を北近江で試す事が追加されて代官の設置を言い出した。
さらに長引かせた結果、腹黒い謀略家を呼び込んで公方様の生贄として差し出された。
浅井家は終わった。
公方様の前で六角家の
進行は中立を保つ為に
公方様は立会人なので本来は何もしゃべらないハズだが、その原則を破って介入していた。
「(大野木)国重、よい返事を持ってきたであろうな」
ここで良い返事とは1つだ。
“公方様の命に従います”
この一択であった。
一太刀も交わさずに六角家に完全降伏する。
そんな屈辱を北近江の武将らが受け入れられるだろうか?
「返答は如何に?」
「上様の命に従います」
公方様の眉がぴくりと動いた。
意外な返答に目を白黒させて困っている。
知略、謀略の類いはやはり苦手らしい。
顔に出ているぞ。
さぁ、どうすると俺は内心で舌を出していた。
「1つ、公方様にお願いしたき儀があります」
「なんだ?」
「我が主君の嫡男である
公方様に笑みが浮かぶ。
講和が終わって困るのは公方様だが、浅井家の者も気が利かない連中ばかりだった。
公方様の笑みに浅井家の一同も微かに喜んでいた。
「魯坊丸、浅井家がそう言っているがその話を受けるのか?」
また、余計な事を言う。
本当に知略戦は駄目々々だ。
俺がここで『受け入れる』と言ったらどうするつもりだ?
“そのような話は知らん。自分らで交渉しろ”
そう答えて突っ返せばいいのだ。
俺が断ると信じているのは構わないが、それならば事前の会見に応じろよ。
黒幕がいなくなった時点でボロボロだな。
「織田の姫を浅井家に送ると言うのはあった話でございます」
おい話が違うと言わんばかりに身を乗り出した。
「織田家の家臣に
「嫁がせるつもりなのか?」
「公方様、慌てる事でございません。六角家に隷属する浅井家がそれを為せますか?」
お市が欲しい、だがこの際誰でもいい。
浅井家も必死だ。
交渉が成立せねば浅井家が滅ぶと焦っているので同意してくる。
「お約束致します」
「その返事を浅井家がするのは筋が通りません。六角家に隷属される方が六角家の意向も聞かずに返事ができるのですか。さて、後藤様、合意されますか?」
「
「後藤様、どうかご許可を頂きたい。代官を断る訳ではございません。領主が変わるだけでございます」
「今須の領主も納得するとは限らんであろう」
「させます」
「後藤様、これはまだまだ長い協議になりそうでございますな」
「そうだな」
「しばらくお待ちを。急ぎ戻って整えて参ります」
俺は(大舘)晴光の顔をじっと見る。
完全に置いていかれた晴光が役目を思い出したように公方様に問いかけた。
「浅井家は六角家の要求を受託致しましたが、織田家との婚姻の為に継続協議となりました。講和協議は次回の持越しとなります。よろしいでしょうか」
身を乗り出したままで固まっていた公方様がやっと我を取り戻した。
継続協議。
つまり、延長だ。
「延長だと。さらに伸ばすというのか?」
「そうなりました」
心の中で「延長だ、延長だ、延長がきまった」と何度も叫んでいるように見えた。
元の話に戻った。
「浅井久政は余程、余をこの朽木に留め置きたいらしいな」
浅井家の面々が何の事か判らないと言う顔をする。
ここからは悪党の筋書だ。
知っていれば、こんな馬鹿な対応をしていない。
「帝は余に都に戻るようにおっしゃっておるが、浅井家は余が帰っては困るらしいな」
「何の事でございましょう」
「黙れ! 余が知らんとでも思っておるのか。余に帝の不評を買わせ、京にいる
「そのような事はございません」
「そう言えば久政は長慶の同盟者であったな。迂闊であったわ」
「上様」
「余を騙した罪は重い。久政に伝えよ。余、自ら出陣して、その首を刈ってやる」
「我々に謀反の意志はございません」
「ふふふ、今更の降伏だと。許すものか。寝返るなど言う者はすべて領地没収の上に
ばさっと体を翻すと部屋から出て行ってしまった。
顔面蒼白の浅井家の者が何とか取り成して貰おうとするが、他の奉公衆が壁となって進ませてくれない。
最悪の結果に大野木国重が茫然としていた。
憐れだ。
◇◇◇
騒ぎが収まったからやっと公方様と面会できた。
まずは俺に苦情を言うのが公方様らしい。
「打ち合わせもしていないのに、予定と違うなどと言われても聞けませんな」
「どうせ察しの良いお前ならば気がついたであろう」
「気が付きましたが、織田家が北近江の武将から恨みを買う必要を感じませんでした」
「後藤が応じればどうなったか?」
「公方様も(六角)義賢様も浅井家と戦をする事で合意しているのでございましょう。後藤殿は応じる訳がございません」
「そうか、そういうものか」
「勝手に上洛戦を決めたのですから、上洛戦以降は付き合いません。ご了承頂きたい」
もう公方様相手のしゃべり方ではない。
不遜で殺されても文句が言えない。
同席した奉公衆の一人である
それに対して、
だが、俺も『知恩院・東山霊山城の戦い』を通じて悟った。
この公方様にははっきり言わないと通じない。
「安心しろ。三好と決着を付けた後はこちらでやる」
???
幕府の運営は公方様らでないと判らない。
俺が手伝う事ではない。
だが、予算や兵はどこから調達するつもりだ?
何か隠しているな。
ちぃ、俺は小さく舌を打った。
「魯坊丸、この戦は勝てるな」
「お任せ下さい。浅井戦も上洛戦も完勝してみせましょう」
「ふふふ、言うたな」
強さだけが公方様の武器ならば、知略だけが俺の武器だ。
そこで負ける訳にいかない。
「事前に(六角)義賢様と相談し、義賢様の策として出させて頂きますが、その指示を承諾して下さい。お約束頂けないならば、完勝は保障しかねます。当然の事ながら長引けば、上洛戦の余裕もございません」
「よかろう。だが、今言った事を忘れるなよ」
「お任せ下さい」
指揮権だけは俺が貰う。
だが、藤孝の眼光がさらに厳しくなった。
これが済めば用なしと、藤孝から刺客が送られてくるかもしれないな。
千代女に言って警備をより厳重にして貰うようにしておこう。
翌日、浅井家の者を残して俺と公方様は観音寺城を目指す舟に乗り込んだ。
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