第46話 魯坊丸、傀儡にされた事に気付く。

(天文22年 (1553年)7月15日)

クエェ~エ、クエェ~エ、湖畔に二羽の鶴が泣き出して見送ってくれた。

その鶴は季節外れの変わり者らしい。

近淡海ちかつあはうみが気に入ったのか、春に飛び立たずに居残った。

縁起がいいので殺さないようにとのお達しが出ているらしい。

俺達は朽木に渡る為に舟に乗った。

鶴達の見送りを受けて西の湖(豊浦)から漕ぎ出された。


「若様、若様、この水がしょっぱくないです」

「水が冷たくて気持ちいい」

「魚さん、魚さん」

「はしゃぐな、お前ら子供か?」

「波も静かです。ここなら落ちても怖くありません」

「そうか、鳥人間が恋しいか」

「違います。熱田の海は怖いのです」


何でも改良機は高度33尺 (10m)付近で旋回する練習をしているらしい。

俺も立ち会いたい。

糞ぉ、忙しいのが悪いのだ。


「あのときはもう駄目だと思いました」

「運よく漁師に拾って貰ったらしいじゃないか」

「奇跡ですよ」

「大丈夫だ。さくらの悪運は俺が保障する」

「若様に保障されても全然安心できません」

「すべてさくらに任せた」

「頼りにします」

「嫌ですよ。道連れです。巻き添えです。死ぬ時は一緒です」

「全力で断る」

「同意」

「逃がしません」


何でも旋回時に風に流されて沖の方に出たらしい。

海に落ちたさくらを舟が追い駆けたがその日は波が早く、さくらは沖に沖にと流されて死にそうになったらしい。

偶然、漁をしていた漁師に拾って貰った。

さくらは悪運が強い。

まだ、三人がどうでもいい事で騒いでいる。

さくら達は見ていて飽きない。


海に何度も落ちてたらふく海水を飲んでいるさくらはしょっぱくない海の水に驚いている。千代女に付いて熱田に来るまで望月の地から出た事のない三人は割と近いのに近淡海を見た事がなかったらしい。

それではしゃいでいる。

まるで子供、いや幼児に見えてきた。

そんな騒がしい舟の上で千代女が静かに、先に進む舟を見ている。

水先案内人の平井-定武ひらい-さだたけの舟だ。


「どうかしたか?」

「いえ、どうして予定の舟を段取りできなかったのかを考えていました」

「確かに怪しいな」


俺は500人が乗る舟をお願いしていた。

しかし、何故か用意できなかったのだ。

平井氏は観音寺城の南西にある西の湖(豊浦)を支配する領主だ。

平井氏は高島、愛智、栗太、そして、蒲生に分かれている。

この近淡海を舟で往来して過ごす湖の民だ。

小早こはやのような舟でも12人から14人を運べる。

渡し船なら20人から30人は乗れる。

物流も多くなり、貨物用の渡し舟も増えているハズだ。

それなのに舟がない?

周囲からかき集めて14隻しか用意できなかったのは余りにも不自然であった。


「兵は飾りなので足りない分は義兄上(中根-忠貞なかね-たださだ)から借りればいい。そちらは問題ない。だが、嫌な予感がする」

「それで神輿櫓ですか」

「移動できる物見台だ」


残る事になった兵には、先に赤田家に移動して貰って、高さ20尺 (6m)の神輿を作って貰うように頼んでおいた。

木を組んで立ち上げるだけの簡単な神輿だ。

上の台は一人寝転がり、雨が降っても大丈夫なような屋根の付いた台座を作って貰う。

それを10台造るように命じておいた。

これが今回の切り札だ。


バシャン!

突然、水音がすると紅葉が苦無クナイを投げ込んだ。

どうやら紐が付いていた。


「若様、やりました」


万遍の笑みで紅葉が嬉しそうに苦無を引き上げると取れた魚を俺に見せた。

おい、こんな所で魚を釣ってどうする。

リリースだ(逃がしてやりなさい)。

もう死んでいるけどさ。

さくら達も負けるかと準備をはじめたから止めました。

はしゃぎ過ぎだ。


 ◇◇◇


観音寺城から高島まで5里 (20km)だ。

舟がゆっくりだが、それでも朝に出れば昼過ぎに到着できた。

義兄上(中根忠貞)は兵300人で出迎えてくれた。

そして、その日の内に朽木に入った。

到着早々、公方様が飛んでくるかと思ったが意外と大人しい。

どういう事だ?


6月末(6月27日)から奉公衆に任せていた六角と浅井の講和交渉に公方様が直々に立ち合うようになった。


「浅井家の言い分はもっともである。六角は欲張り過ぎではないか」

「こちらも譲歩しております」

「領地を安堵と言いながら代官を置き、徴兵や徴税も代官が行う。それでは領主は何の為にいる」

「普請など取り仕切る役目がございます。戦となれば指揮をお願い致します」

「だが、それでは六角のいいなりではないか」

「領主の為に行うのです」

「取れた米も六角がすべて奪うのではやっていけないではないか?」

「預かるだけでございます。その都度に配給致します」

「六角がこのような事を言っているが、浅井は受け入れるのか?」

「無茶でございます」


浅井家の代表は大野木-国重おおのぎ-くにしげ野村-定元のむら-さだゆき三田村-秀俊みたむら-ひでとしの三人だった。

それに加えて、街道にある関所の廃止と町や国境に六角の兵の駐屯を要求していた。

完全に属国だ。

戦もしていないのに敗戦国として扱われる。

そんな屈辱を受け入れられる訳ではない。

公方様は浅井家に同情して、六角家を責め続けたらしい。

六角代表の後藤-賢豊ごとう-かたとよは冷や汗を流した。

公方様が積極的に浅井家を擁護していたのは知らなかった。

おかしい?

2日前に朽木に出発して情報を集めていた加藤-三郎左衛門かとう-さぶろうさえもんが合流した。


「加藤、公方様が浅井家を庇う理由はないな?」

「ございません」

「と言う事は、十兵衛と会ってから態度を変えたのか」


加藤が頷く。

それから7月10日まで公方様は六角家の要求が過剰であると責め続けた。

(後藤)賢豊は(六角)義賢よしかたに譲歩してもいいかを問うたが、その答えは『否』であった。

一切の譲歩をするな。

それ所か、六角家に編入された領地の領主は観音寺城の城下に住む事を義務付けた。

要求の追加であった。

流石に浅井家の三人が怒ったらしい。


「それはあまりと言えばあまり、臣従せよと言っているに等しいではないか」

「浅井家はどうなる」

「浅井家は家老として扱って貰えるのだろうか?」

「浅井家も一領主として扱う」

「馬鹿にするな」


こんな感じでだったらしい。

浅井家は公方様が味方に付いていると思っていたのでかなり強気になっていた。

だが、その日(10日)を境に公方様の態度が豹変した。

六角の要求を飲むか、断るか、本国に確かめるように公方様が決断を迫った。


「加藤、どういう事だ。そんな報告は聞いていないぞ」

「魯坊丸様が熱田を発った日でございます」

「俺が熱田を発つのを待っていたのか?」

「おそらく」


俺に伝わらないように配慮したと言う事は考えられない。

そんな小細工ができる公方様ではない。


「若様、織田の使者の話を組み合わせて、考えては如何ですか?」

「今朝の話か?」

「はい、浅井の使者が来た話です」


やっとと言うか、遂にと言うべきか。

浅井家の使者が2日前にやって来てお市を嫁に欲しいと言ったらしい。

末森では信光叔父上が信勝兄ぃに通す前に断り、兄上(信長)は怒り狂って追い返した。

予定通りの塩対応だ。


「浅井家の使者は帰らずに粘っているのだったな」

「ですが、断られた事は浅井家の本国にも伝わっていると思われます」

「公方様の豹変に焦って、織田家を頼って来たと言う事か?」

「そう考えれば、辻褄が合います」

「あの公方様がすぐに会いに来ないのも、その理由の1つか」


俺の予想では到着早々でもやって来て、「知恵を出せ!」と無理難題を押し付けてくると予想していた。

だが、実際は何も言って来ない。

公方様が逗留している寺に入れて貰えないので、義兄上(中根忠貞)の案内で朽木を見て回っている。

完全に意表を突かれた。

まさか、のんびりと観光できるとは思ってもいなかった。

朽木が発展する様を見て、公方様もついつい長居する事になったのだろう。

砦が造られ、山狩りを楽しみ。

三好を呼び込んで討ち取りたいという淡い夢を見たのだろう。

あっ、繋がった。


「若様、何か思い付きましたか」

「この策は光秀が考えたものだ」

「なるほど、落し物。あるいは残り香でございましたか。いなくなっても若様に迷惑を掛けるのですね」

「どういう事ですか?」

「簡単だ。上洛戦する夢を公方様に見せて取り込んだ」

「上洛戦?」

「これから兵が集まる所があるだろう」

「あっ、なるほど」

「邪魔をされないように十兵衛は若様を見張っていたのです」

「それが十兵衛の役割だったのであろう」

「やはり殺しておきましょう」

「待て、待て、そう怒るな。何が何でも魯坊丸様が天下に号令する姿を見たかっただけだ」

「若様を騙すなど許せません」

「三好家を完全に降せば、若様の名声は否が応でも高まる。然すれば、天下は若様を中心に周りはじめる」

「悪いがこちらにも予定がある。勝手に早められては迷惑だ」


無駄に三好家と戦って浪費させるつもりはない。

俺が熱田を出た日を起点にすべてが動き出している。

ならば、俺が朽木に到着した時点で…………。


「加藤、朽木から早馬は出ているのではないか?」

「出ております」

「どっちだ?」

「東と南です」

「斎藤家と六角家だな」

「織田家にも向かっているかもしれません」

「だろうな」


16日、浅井家の使者が戻って来ないので俺は待機させられていた。

公方様は一向に会おうとしない。

17日、京から近衞-晴嗣このえ-はるつぐが到着した。

俺が朽木に入ったと聞いて、急いで会いに来たようだ。


「魯坊丸、久しいな」

「お久ぶりでございます」

「公方様を何としても京に戻さねばならん」

「ご安心下さい。十数日の内に京に戻ると言われると思います」

「誠か、でかした」

「いいえ、最初から公方様もそのつもりだったようです」

「どういう意味だ」

「密かに(六角)義賢よしかたが陣触れを出し、観音寺城の兵を集め出しました。おそらく、尾張にもその指示が出され、兵をかき集めている事でしょう」

「上洛の話だぞ。頭がおかしくなったのか?」

「いいえ、少し拗ねているだけでございます」


銭が掛かるから拗ねている。

10年掛けてやるつもりだった事を強引に凝縮された。

光秀にしてヤラれた。


「公方様は浅井討伐のついでに上洛戦をするつもりです」

「上洛戦だと!?」

「急いで三好家と連絡を取って、帳尻を合わす身になって下さいよ」


京で戦なんてさせないぞ。

下手をすれば、京が火の海に沈む。

決戦はまだいい。

その後の平定戦が最悪だ。

何十日掛かる?

そうなったら俺は帰る。

やってられるか。

あっ、いい所に晴嗣はるつぐが来てくれたのかもしれない。


晴嗣はるつぐ様、帝へ伝言をお願いしたい」

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