第6話 あいさつは3つ指で!
「おかえりなさいませ」
「た、ただいま…………」
中根南城に戻ってくると玄関の板間で正座をして、ちょこんと三つ指を立てて出迎えてくれる三人の女の子がいた。
「その今度は何の遊びですか?」
「旦那さまをお迎えする練習でございます」
「まだ、婚姻しておりませんが?」
「花嫁修業を手伝って頂けると申したではありませんか?」
「旦那様はそうおっしゃいました」
「言ったです」
俺は目が点になった。
確かにはじめて出迎えたときに言ったような気がする。
しばらく見ない間に随分と馴れたようだ。
家がギスギスするより良いと思う。
三人に責められるのは微妙だ。
ははは、後ろで慶次が大笑いをしている。
慶次も幼い妻を貰って困惑しているが、俺の方はその一人が3歳だからね!
まぁ、婚約者ではなく、単なる保護者ですよ。
ザ保護者!
しかし、武田家もよくやるよ。
厳しい山道を越えて3歳の
真理姫が到着したのは、兄上(信長)が尾張守護代と尾張守の官位を貰う3日前であった。
祝いの使者には若すぎた。
そりゃ、武田家当主である晴信の三女だから資格はあるが、やることが無茶苦茶だ。
しかも、そのままで俺の妻に!
流石にそれは受け入れられない。
俺は13歳まで元服をする気はなく、元服するまで婚姻もしないと宣言した。
だから、「婚姻しません」が通用しない。
あの(近衛)
(人が良さそうに見える爺さんほど厄介だ)
帝が悲しむと言われると、朝廷に忠誠心の厚い兄上(信長)が断れる訳もない。
婚約に反対する信勝兄ぃを俺は応援した。
「ほほおぉ、信勝殿は皇女様との婚姻に反対なのですか?」
「は、反対ではなく。魯坊丸には早すぎる」
「婚約でございます」
「しかし、尾張は受け入れるだけの準備がされておらん」
(信勝兄ぃ、がんばれ!)
「時間もございます。それとも信勝殿は帝に反意がおありでしょうか? 帝に、帝に、帝に!」
「反意などあろうハズがありません」
「では、反対されませんな!」
「と、とうぜんだ」
「よろしゅうございました」
信勝兄ぃは粘り腰がない。
俺はそこから半日粘ったが、粘れば粘るほど、皇女の御殿とか、誰を派遣するとか、話がどんどん具体的になってゆく。
はい、
駄目だ!
じゃんけんのパーはグーに勝てるが、チョキに勝てない。
相性が最悪だ。
5年後に細部を話し合うとして許して貰った。
さて、武田の姫を誰が預かるのか?
3歳の幼子を過酷な山道に再び送り返す訳に行かない。
初夏の暑さでよく倒れなかったものだ。
雨が降れば、風邪を引く。
体温が下がった時点で終わりになる。
死なずに尾張に到着できたのは奇跡じゃないか?
それを承知で帰すのは酷だった。
しかし、誰も受け取らないので俺が預かることになった。
すると、北条宗哲が強引に16歳の
こっちの
「気に入らなければ、送り返して結構です」
宗哲は武田家の姫に負ける訳に行かないと、ぐいぐいと兄上(信長)を押した。
押しの強さに兄上(信長)が負けた。
どこか年のせいか(近衛)稙家様に似ている。
稙家様との交渉で疲れ果てた俺ははじめから白旗を上げた。
戦場なら負ける気はしないが、交渉で勝てる気がしない。
何故、早川殿が選ばれたのか?
その理由が今川家に嫁ぐ為に引き出物などの準備が一通り揃っていたことだ。
今川との同盟はしばらく凍結だしね。
聞かされた本人も茫然だ。
急な輿入れと言われて、心の整理も追い付かないままに船に載せられて、着いた熱田の湊で事実を知らされた。
しかも婚姻は先延ばしになり、花嫁修業に変わって中根南城に入れられたのだ。
6年後になれば行き遅れ、もう引き返すこともできない。
戦国の世だから仕方ないけどさ。
ちょっと可哀想になってしまった。
早川殿が中根南城に入ったのが10日ほど前のことだ。
俺は中根南城に来た早川殿を出迎えて、その後に熱田の湊で宗哲を見送ると今月の清洲会議の為に城を留守にした。
清洲の仕事を終えると、那古野、熱田、そして、その後は沓掛城に入っていた。
そして、10日ぶりに中根南城に戻ってきた。
馴れてくれてよかったと思う。
その早川殿の隣でにっこりと微笑むのは、六角家から来た8歳の
早川殿より3日前だった。
何を競争しているのやら?
俺は六角家の頼みを無下に断ることもできなかった。
断ると望月家の立場が悪くなるし、忍びも融通して頂いている。
できれば、六角家と争いたくない。
こうして、織田家の中に六角派、北条派、斎藤派、将来的には武田派が形成されるかもしれない。
そして、派閥争いを起こす。
組織が大きくなると必ず起こるのだ。
判っているが、これを止める術はない。
皇女の婚約が決まった時点で、こうなるのは見えていた。
稙家様はすべてまとめて食ってしまえばいいと気楽に言ってくれるけど面倒でしょう。
どうして俺がそんな面倒事を引き受けないといけないのだ。
俺は中根南城の中だけで手一杯だ。
皇女様をどう扱えばいいのか、全然判らないぞ!
他家にも婚約したいと言っている方がいる。
美濃の
すでに義理の兄弟ですから、その必要もないでしょうと断った。
家臣からは林家、加藤家、大橋家、佐治家から打診を受けた。
全部お断りだ。
そう言えば、浅井久政からも婚姻の話があったらしい。
余程、織田の新兵器が欲しいようだ。
兄上(信長)に長女の
要するに、人質に出すので軍事同盟を結んで欲しいと願ってきた訳だ。
もちろん、兄上(信長)も俺も断った。
すると、浅井家は方針転換して信勝兄ぃに懇願した。
信勝兄ぃは貰える者は貰っておく方針らしい。
浅井家は余程焦っているのか、すぐに側室として送られて来た。
阿久姫が嫁いできたと言うので、婚儀の席に俺も末森城に呼ばれ、その婚儀の席で阿久姫の話を聞いた。
「美濃の姉上(近江の方)から織田家に人質として嫁ぐのではなく、織田家に避難できて喜ぶべきですとお言葉を貰っております。阿久は織田家に来られて幸せ者です」
浅井久政の長女の阿久姫は庶子だったが、祖父の浅井亮政の養女となっていたらしい。
近江の方と真逆だ。
しかし、身長5尺8寸 (176cm)、体重28貫(105kg)の大女で、信勝兄ぃが小さく見えた。
体重28貫(105kg)。
体重は俺の4倍だ。
兄上(信長)、側室に貰わなくて正解です。
しかし、俺が断った家の姫を信勝兄ぃが次々と側室に迎えている。
入れ食いのダボハゼだ。
本当に大丈夫ですか?
まぁ、家も人のことは言えませんけどさ。
そんなことを考えているとやって来た。
俺に擦り寄ってくる小姓だ。
「魯坊丸様、曲輪を見て回るご許可を頂けませんか?」
「駄目」
「そう言わずに、何卒、御情けを」
「武田家に掛ける情けはない」
「武田家を辞めます。私は真田家ですから」
このうるさいのが武田家の姫に付いていた。
名を源五郎といい、6歳の
紛うことなき、人質兼スパイだ。
好奇心旺盛な小姓であった。
最初は『遊戯道(アスレチック)』や『猿飛』(トランポリン)に夢中になっていたが、里やお栄から曲輪の話を聞いて曲輪に興味を持ち始めている。
大弓の発射台や
「げんごろう、わがままをいってはだめじゃ」
「違う。違う。駄目じゃではなく、駄目なのじゃじゃ」
「うん。だめなのじゃ」
「真理姫は偉いのじゃ」
えへへへ、お市が突然に現れて、真理姫に言葉使いの指導をしている。
拙いでしょう。
真理姫も『のじゃ姫』になってしまう。
「魯兄じゃ、おかえりなのじゃ」
「あぁ、今戻った。こちらに来ると怒られるぞ」
「末森にいると、お人形様にされるから嫌なのじゃ」
自室謹慎を終えたお市は、新しく入った側室の為に煌びやかな京の衣装を色々と着替えされられてファッションショーに付き合わされている。
お市は土田御前の自慢の娘にされていた。
「お人形様はもうこりごりなのじゃ」
お市が少し拗ねるように言った。
俺がお市の頭を撫でていると、早川殿と豊良方が目をキラキラとさせて見ていた。
「どうかしたか?」
「旦那様とお市様は二人ともお可愛いらしく、見ていて絵になります」
「うっとりしました」
「お市が?」
「はい。それにお市様はお強い。私はこれでも薙刀には自信を持っておりましたが、お市様には手も足もでませんでした」
早川殿はお市と模擬戦をしたらしい。
薙刀と小刀の戦いなのに圧倒されたらしい。
「お市様の強さは桁違いですが、お里様もお栄様もお強い」
えっ、俺はちょっと耳を疑った。
里とお栄も早川殿の薙刀を避けたらしい。
流石に懐に入って反撃はできなかったらしいが、怪我をさせないように手加減しようと奢っていた自分が恥ずかしいと早川殿がしょんぼりとした。
「織田が戦に強いと聞いていましたが、身を持って痛感いたしました」
「凄かったです。里様も栄様もカッコ良かったです」
「しゅごいじゃ」
「大丈夫なのじゃ。早川も豊良もすぐに強くなれるのじゃ」
どうして、お市が一番偉そうなのだ?
それより里とお栄だ。
「千代、里とお栄はどれくらいの強さなのだ?」
「…………」
千代女が目を逸らす。
後ろに桜達が居れば、聞き直すのだが残念ながら、ここに居ない。
俺はじっと千代女が答えるのを待った。
凄く言い辛そうだ。
千代女が小さな声で耳元に囁いた。
「体力だけならば、若様より上と思います」
が~ん、何となくそんな気がした。
俺は薙刀を避ける自信もない。
反射神経でも負けているのか?
2つ下の妹にも劣る俺って何だろうな?
落ち込んだ。
「いつまで玄関で遊んでいるの? 早く上がって来なさい」
母上の声が掛かった。
「そうなのじゃ! 魯兄じゃの隣の席を決めるのじゃ」
「負けません」
「すでに一敗しておろう。全勝のわらわに言う言葉ではないのじゃ」
「まだ、一敗です。お市様に勝てば、同数になれます」
「早川殿に負けません」
何を争っているのか?
そう言えば、三本指を立てて出迎えるのはいいのだろうか?
武家の小笠原流では三つ指のみを付いて深々とお辞儀をする仕草はなかった。
膝の前で手をハの字に置き、全ての指をすべて床に付けていた。
正式な場では絶対にやってはいけない。
「慶次はどう思う?」
「あれはあれで美しかったと思うぞ」
俺もそう思う。
正座をして三本指を合わせて指先をちょこんと付ける姿勢は美しかった。
「美しいのは三本指ではなく、『三人の嫁達が美しい』の間違いではないか?」
ち、違うぞ。
慶次がからかうように言った。
誤りを正すのではなく、武家の作法を別に教え、公家の作法はお市に教えさせよう。
これはこれでありにしよう。
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