閑話.多事多難(7)。
【武田】
甲斐の
純粋な武力ならば、父の
良きにつけ、悪しきにつけ、信虎は甲斐守護であった。
扇谷上杉家と山内上杉家の両上杉氏と同盟を結び、『花倉の乱』では対立していた駿河の善徳寺承芳(今川義元)を助力して、今川と同盟を結んだ。
そして、義元の母、寿桂尼の助力で三条公頼の娘(三条夫人)を晴信の正室に迎えたことで、信虎の栄華が極まった。
だが、家臣の意見を聞かずに独断で決める信虎は家臣団の反発を買い、遂に晴信を盛り立てて『押し込め』が起こった。
信虎を駿河に追放して、晴信は家臣団に盛り立てられて当主になった。
これによって今川に大きな恩を作った。
晴信は後ろ盾として、より今川の同盟を重視せねばならなくなる。
とても今川に都合のいい話だ。
もし、『押し込め』が起こっていなかったら?
敵対する北条が勢力を増してゆく。
一方、同盟であった扇谷上杉氏は失墜している。
信虎が山内上杉家を見限って北条と結ぶ可能性もあった。
今川にとって都合の悪い話だ
花倉の乱より5年。
信虎に聞いたこともない悪行の噂が湧き、信虎は「下らん」と放置した。
調べてみれば、どこから湧いたかも判らない。
そこに偶然に起こった天災で民が飢える飢饉が起こった。
家臣団の不満が爆発し、『押し込め』へと発展する。
とても、今川に都合のいい話だ。
義元は反目していた両上杉氏を外交で懐柔し、北条包囲網も作り出した天才だ。
外交のみで自分によって都合のよい状況を作り出す。
北条包囲網。
これも今川に都合のよい話だ。
両上杉氏が衰退し、北条の勢いが止まらなくなると、三国同盟を唱えた。
武田は今川から妻を貰い、北条は武田から妻を貰う。
最後に北条が今川に妻を出すと三国同盟が完成する。
お互いに後背を気にせず、戦ができる。
本当に都合のよい話だ。
義元も常に率先して都合のよい状況を作ってきた。
晴信は巧くしてヤラれてきたと思う。
さて、織田の情報を北条(風魔)から買ったのは癪であったが、色々と面白い話を聞かせて貰った。
晴信はふっと笑った。
「何か面白いことがございましたか?」
新参者で頭角を現してきた
「北条と武田では取扱いが随分と違うのかと思ったのよ」
「今川の同盟国ですから、警戒されて当然かと」
「それと熱田にいた間者3人が3人とも拘束されたことだ」
「二人は牢獄のような館、もう一人は他の商人らと普通の館でした。織田もこちらの間者を完全に把握していないことが判りました」
「当然だ! 入って来た者をすべて疑っていたのではキリがない。城などに出入りした者、重鎮に接触した者、後は重要な施設の周辺を徘徊した者に当たりを付けて探っているのであろう」
そりゃ、そうだ!
幸綱は晴信に言われて気がついた。
どうやって間者を見つけたのか?
考え過ぎて袋小路に入ってしまった。
自分に振り返れば簡単な解答だ。
いかん、いかん、と言う感じだ。
幸綱の家臣らは忍び働きが出来る者が多く、幸綱の館に近づく者を警戒している。
それを大規模にやっていると思えば納得できた。
「その方の者も尾張に送れ!」
「畏まりました」
忍び働きで評価されているのは嬉しかったが、北信濃に侵攻している時点で忍びを割かれるのは少し痛い。
幸綱は溜息を付くこともできずに髭を摩る。
そこに弟の
幸綱も褒美に旧領の小県の所領を許すと伝える為に呼び出されていたのだ。
晴信が転機を迎えたのは天文19年9月に起こった『砥石崩れ』であった。
常勝を続けた武田軍は調子に乗っていた。
城兵500人の砥石城を7,000人の武田軍が攻めた。
この砥石崩れで横田備中(高松)、郡内衆の小沢式部、渡辺伊豆守らおよそ1,000人もの将兵が死傷すると言う大敗をした。
失われた諸将を補充する為に真田幸綱らが重用され、談合にて晴信は多数を占めることが成功したのだ。
もちろん、晴信は巧みな話術で家臣団を率いていたが、ここを転機に軍政や内政を多く改革することにできるようになった。
「信繁! 村上義清はどうなった?」
「越後から援軍を得て、葛尾城に向かって来ております」
「やはり越後が出てきたか?」
「
「幸綱、背後の調略はどうなっているか?」
「すでに、
「ならばよし」
晴信は地図に目を通し、葛尾城から北西に指が動いてゆく。
その指が
「信繁、荒砥城の奪取はどうなった?」
「すでに先発隊を送っております。今日中に朗報が来ることでしょう」
「そうか!」
葛尾城と荒砥城が北信濃への出入口になる。
どちらも山城で川が迫っており、大軍が動き難い。
この二城を
晴信はそう考えた。
だが、次に入ってきたのは朗報ではなく、凶報であった。
「更級八幡付近を通過中、
「抜かった!」
晴信が叫ぶ。
援軍を囮にして、少数で先行したに違いない。
敵は寡兵(少数)であり、被害は小さいハズだ!
だが、敗走した味方を集め直すのは苦労する。
兵を立て直す間に葛尾城が陥落すれば、士気が下がるのは間違いない。
一歩間違えれば、大敗になる。
「兵を退く。葛尾城の虎繁に撤退指示だ。
「畏まりました」
その日(23日)、晴信は北信濃から一時撤退を指示した。
今川勢が敗退したと嬉しい報告の後に、自らも撤退するという苦渋の決断をする。
雪斎と同じ
「幸綱、織田の新兵器を手に入れろ!」
「承知致しました」
晴信も無茶を言うと幸綱は思う。
簡単に手に入るなら新兵器などと言わない。
困ったものだ!
「信繁、織田と
「もう決めていらっしゃると存じ上げます」
「誰がよい」
「此度、割を食った虎繁に行かせるのはどうでしょうか?」
「そういたそう。
そう言われて信繁が返事に戸惑った。
真理姫は晴信の三女である。
それに異を唱えるつもりはない。
だが、真理姫はまだ3歳だった。
七つ前は神のうちと言われ、いつ死ぬか判らない。
「どうした?」
「真理は…………!」
「相手も7歳だ。丁度よいではないか?」
「では、婚約を!」
「連れて行けと言った。そうだな、四郎の妻に天女と新兵器を持ち帰ったならば、虎繁には1万石をくれてやると言っておけ!」
「兄上!?」
「3歳の子を連れて帰れなどとは言うまい。人質だ!」
「ならば、他の者を!」
「儂の子だから価値がある。織田は随分と武田を警戒しておる。それを取り除かねば、同盟を結べぬ」
織田との同盟と言われて、信繁が脳裏に勢力図を書いてゆく。
武田は今川を挟んで織田と隣接している。
武田と織田が同盟を結べば、今川は挟撃される形になる。
「今川とはどうされますか?」
「それは織田が決めることになるな!」
信繁が渋い顔をするのとは対称的ににやにやと髭を摩っていた幸綱が呟いた。
「織田が三河、遠江を攻めている間に武田は駿河が取れますな!」
「織田が決めると言ったであろう。儂が望むのではない」
「しかし、兄上?」
「武田・北条・今川の三国同盟が、武田・北条・織田の三国同盟に変わるだけだ。
織田が三河を攻めれば、今川は為す術がない。
三河では済まぬ。
遠江で止めようとする今川の背後を突いて駿河を奪う。
また、北条も直接に織田と接したいと思わない。
干渉地帯として駿河に武田が入ることを許すハズだ。
これで武田が欲した海が手に入る。
「織田は攻めますか?」
「判らんが、斯波家は遠江半国守護であり、今川に奪われているという大義がある」
「駿河を襲う大義はありません」
「織田と同盟を結べれば、その助力として駿河を攻めることもできる」
「なるほど、大義名分は大切ですな!」
晴信は笑い、幸綱は髭を摩る。
どちらも悪い顔をしている。
信繁は今川をあっさりと切ることに同意しかねた。
「兄上!」
「今川の次は武田かもしれん」
「信繁様、織田の味方と明言しておくのは大切なことでございます」
「勝ち馬に乗れと申すのか?」
「はい」
「信繁、武田が生き残る為だ。耐えよ!」
晴信は常に武田にとって最良の策を繰り出してゆく。
3歳の我が子すら戦の道具だ。
信繁には他の策が思い付かない。
それが意に添わなくとも信繁は頭を下げるしかなかった。
だが、晴信はまったく別のことを考えていた。
織田が勝ち馬だから乗るのではない。
『窮鼠、猫を噛む』
晴信は今川を恐れていた。
今川を倒した織田には追従する者が増える。
今川にとって嫌な流れだ!
この難局を義元はどう乗り切るのか?
この都合の悪い状況を、どう好転させてゆくのか?
この最悪の状況をどう都合よく変えてゆくのか?
晴信に思い付かない。
だが、義元ならば思い付くかもしれない。
あの義元がこの程度で終わる訳もない。
あらゆることに備えねばならない。
織田との関係を改善し、新兵器を手に入れる。
まずはそこからだ。
晴信は使える者は我が子でも躊躇しなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます