閑話.多事多難(2)。

京の町に暗く厚い暗雲が立ち込めた。

三好・畠山連合軍が崩壊し、織田家と公方様が京を去った。

三好-長逸みよし-ながやすが重症を負ったので、その嫡男の長虎ながとらが指揮を取った。

手元に残ったのはわずか1,000人足らずの兵のみであり、2万5千人もいた兵のほとんどが四散し、残った兵も武将と共に帰城して京を去った。

だが、長慶ながよしが上洛したことで京の治安は回復する。


一方、残兵は落ち武者狩りなどに合って、多くの命を落とした。

それでも半数くらいは帰郷できたと思われる。

そして、生き残った残兵を集めた野良武将が今度は野盗化して京の周辺に出没するようになった。

長慶は丹波の兵の半数を京に呼ぶことにした。

長慶は御所への謝罪にはじまり、各所の鎮静に翻弄される。

公方様が朽木に入ったという知らせも届いた。

京の周辺では、公方様に付くか、三好家に付くかと大騒ぎになっている。

若狭の武田家など、勝手に鼻息を荒くする。

畠山家当主の無様な敗走は大和、河内南部、紀伊の支配に暗い影を落とした。

丹波の勢力は八上城の波多野家と八木城の内藤家の遺児とに分裂した。

山城、摂津の領主達も三好家の惨敗に動揺している。

天下の三好家にヒビが入り、暗雲は雷鳴を轟かせていた。

魯坊丸が去って7日足らずで京の町は二転三転と目紛るしく様相を変えていた。

その背後の細川-晴元ほそかわ-はるもとが高笑いしている声を誰も聞くことはなかった。


【御所】

近衛-稙家このえ-たねいえ晴嗣はるつぐが帝に拝謁し、久我-晴通こが-はるみちからの手紙を読み上げた。

尾張に帰った魯坊丸ろぼうまるが無事であったことは嬉しい限りだ。


「魯坊丸はいにしえの天駆ける船を復活させようとしておるのか?」

「そのようでございます」

「人柄は穏やか、民草を思う心があり、祖先を敬うことを忘れず、また、それを復活させようとしておるのか」

「帝、魯坊丸こそ臣下に相応しい者と存じ上げます」


稙家の声に帝も静かに頷いた。

だが、その先の勅は発しない。

魯坊丸は静かに暮らすことを望んでいると晴嗣から聞かされていた。

魯坊丸本人が望むなら数多の栄誉を与えても良いのだが望んでいないのだ。


「恐れながら、魯坊丸との縁を深めておくことが上々かと思われます」

「何かよい案があるのか?」

「魯坊丸より貰った医学書で、お孫様、方仁みちひと皇太子のお子である誠仁さねひと親王(2歳)、また、目々典侍がお産みになられた春齢皇女 かすよのひめみこ(4歳)がご回復されました。これも何かの縁でございます」

春齢皇女 かすよのひめみこならば歳もあうな!」

「お市の2つ年下で同じでございます」

「晴嗣、また飛鳥井あすかいではないか」

「父上、これも巡り会わせでございます」


お市の猶父である飛鳥井-雅綱あすかい-まさつなは64歳という御高齢であるが、多くの子を為している。

朽木晴綱正室の妹に目々がおり、方仁みちひと皇太子に典侍として入れられた。

その目々典侍がお産みになったのが春齢皇女 かすよのひめみこであった。

方仁みちひと皇太子は2年前に第二皇女の永高皇女えいだかのひめみこは夭折し、また娘を失うのかと思っていた。

しかし、魯坊丸ろぼうまるの医学書に沿って治療すれば、徐々に回復して全開した。

確かに巡り合わせとしてこれ以上にない。


「帝、お待ち下さい」


参議の万里小路までのこうじ-賢房かたふさが止めた。

飛鳥井家はつい先日に織田-市おだ-市を猶子にしたばかりである。

続いて春齢皇女 かすよのひめみこに嫁ぐ事になれば、飛鳥井あすかい家と織田家は強く結び付く事になる。

もしも目々典侍に第二皇子を生む事があったならば、第二皇子を次の帝という勢力になり兼ねない。


誠仁さねひと親王にこそ、後ろ盾が必要なのではございませんか?」


帝は何も答えずに頷いた。

誠仁皇子の同腹に当たる第三皇女が相応しい。

賢房かたふさに向かって「よきにはからえ」と呟いた。

帝のご内意を頂いた。


氷高皇女ひだかのひめみこの裳着を飛鳥井-雅綱あすかい-まさつな殿にやって頂きたく存じ上げます」

「お引き受け致しましょう」


稙家はいずれ魯坊丸を近衛家の猶子に迎えるつもりだった。

悪くない話だ。

これからは万里小路家や飛鳥井家と連携して魯坊丸を取り込まねばならない。

土産は何がよいかと思案した。


内蔵寮くらりょうはどうでしょうか? 内蔵頭くらのかみも従五位下で官位が上がる訳でありません。山科卿も魯坊丸ならば、譲っても怒らないでしょう」

「兼任させるのか?」

「商人のような魯坊丸です。『座』に対して、発言権のある役職です。渋い顔をしても受け取らないということはないでしょう」

「そう言えば、三好-長慶みよし-ながよしも欲しがっていたな」

「油座でも復興し、その益を手に入れようと企んでいるのでしょう」

「そちらはしばらくお預けだな」


稙家は、久我晴通を迎えに下向する。

誰に何を与え、何を命ずるかを決めて行った。

帝は特に発言しない。

稙家と晴嗣のみで話を進めた。

帝も誠仁親王の御世に魯坊丸が太政大臣になっておれば、世も平らかになると疑わない。

ヤリ過ぎないように忠告するに留めた。


「では、氷高皇女の話は勅にできぬぞ」

「まだ、御二人とも幼い。内々でよろしいかと存じ上げます」

「そのように致せ」


話が終わると、帝は綸旨りんじを稙家に預けた。

綸旨はそうであって欲しいと言う帝にとってお願いであり、詔勅(命令)ではない。

内容はこんな感じだ。


「孫も魯坊丸のお蔭で元気になった。

その孫は魯坊丸に感謝し、慕っておる。

いずれは妻に娶って欲しい。

気が進まんならば、断ってもよい。

礼にならぬが、内蔵頭に任じる」


魯坊丸は「将来の約束なんて知らん」と柳に風と聞き流すだろう。

だが、帝を尊敬する信長にとって命令と同じだった。

魯坊丸が何を言おうと実現しようと邁進する。

稙家・晴嗣の誤算はすでに始まっていた。


「稙家、尾張より戻ったならば、また話を聞かせてくれ」

「よい話ができますように努力致します」


こうして、稙家は尾張に向けて旅立っていった。

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