第85話 魯坊丸、戦ごっこを続けたいかと問う。

昼を過ぎたくらい。

織田方から白旗が上がり、交渉役には熱田神社の大宮司である千秋 季忠せんしゅう-すえただが大宮司の衣装に着替えて、数人の供を連れて外門から出ていった。

何故、千秋なのかと言えば、神職や僧侶を殺すと祟られると本気で信じられており、無事に交渉を終えて帰ってくる確率が一番高いからだ。

もちろん、僧侶である知恩院の僧正様にお願いすることもできるのだが、説得している時間が勿体なかった。

季忠すえただにもかなり嫌な顔をされたが、無理矢理に頭を下げて頼み込んだのだ。


「殺されたら恨みますよ!」

「仇だけは討ってやる」

「本当に呪いますからね!」

「季忠の為に本殿より大きな社を建てて祀ってやる」


季忠は本当に恨めしそうな顔でまな板の上の鯉のように送られてくれた。


 ◇◇◇


俺は帳簿の写しから危険を嗅ぎ取ると見張り台から降りた。

そして、右筆と季忠を呼びに行かせた。

慌てる俺を見て千代女が聞いてくる。


「どうかなさいましたか?」

「伊勢衆の今川からの買い付け量が少ない。信濃と武蔵で戦をしているので大量に余ることはないが、それにしても少ない。少な過ぎる!」

「今川からの買い付けが少ないのですか?」

「少ない。去年が不作だったとは聞いておらん。駿河・遠江・三河の商人らが高値で買おうという話を蹴ったのだ! 怪しいと思わんか?」

「今川家が売らないのは判りますが、秋に出陣がないならば、商人から買い占める意味が判りません」

「秋の出陣ならば収穫した米を商人に売らねば済む話だ。つまり、そういうことだ!」


千代女もはっとしたようだ。

普通に考えると、駿河・遠江・三河の商人らが伊勢に米を売らない意図が判らん。

もしかして、占いの類いで夏にかけて不作になると考えているのか?

そうも考えてみた。

だが、それもあり得ん。

誰も明後日の天気を知らない!

つまり、倉に売る米がないのだ。


誰かが買った?

もちろん、北条ではなく、武田でもない。

そんな報告は入っていない。

では、誰だ?


北条と今川が同盟を結ぶ可能性が高くなり、敢えて兵を動かさないことで北条から信頼を買うという選択はある。

だが、今川がこの時点で兵糧を買い占めれば、虎視眈々と背後を狙っているような疑惑を持たれないか?

北条には風魔がいるので警戒される。

無理筋だ!

ならば、北条に疑惑を持たれない為には兵を動かすしかない。


「千代、夏が不作になるという噂がどこかにあったか?」

「ございません」

「清州が動くのは兄上(信長)が仕掛けたからではないのか?」

「信長様が仕掛けたようです。具体的には判りませんが、色々と動いているようです。しかし、18日と信光様に言って来たのは清州の方でございます」

「兄上(信長)は俺に隠しているつもりなのだろうな!」

「申し訳ございません」

太雲たうんのせいだ。気にするな! 中根南城であれば、すぐに確認できるがここに居ては確認もできん」


千代女と話しながら広間に急ぐ!

何故か、お市も付いてくる。

興味深そうに大きな目を広げて耳を澄まして聞いている。

忙しいので無視することにした。

俺は正面門で守っている林 通忠はやし みちだたに声を掛けた。


「魯坊丸様、如何なさいました」

「目付衆と側近衆を集めさせよ。織田は三好に降伏する。白旗を上げさせろ!」

「どういうことでございますか?」

「説明は後だ。とにかく、白旗を上げろ! 主だった者のみで良い。広間に集めよ。急げ、時間がない!」


俺の中で悪い予感が広がってゆく。

岩室 重義いわむろ しげよし (長門守の弟)の様子がおかしいことに気づいて、別途に使者を出すようにしたが、俺は兄上(信長)を信用し過ぎていたのかもしれない。


兄上(信長)が独力で清州を落とすことはいい事だ。

俺の傀儡くぐつになって貰っては困るのだ。

それではいつまで経っても俺は中根南城に引き籠れない。

那古野の家臣らだけでがんばってくれるのは助かる。

その為ならば林 秀貞はやし-ひでさだの代わりに横暴に振る舞って恨みくらいは買ってやる。

用が済み次第に『城で蟄居ちっきょ! (引き籠れ!)』とか言ってくれ!

それで俺の目的は果たせるのだ。


だが、今川 義元いまがわ-よしもとを相手にするには兄上(信長)は若すぎた。


「ふふふ、魯坊丸ろぼうまる様が言われると違和感しかございません」

「魯兄じゃの方が若いのじゃ!」

「義元が知れば、悔しがるでしょうね!」

「そうなのじゃ!」


千代女とお市が仲良くなっている?

広間に入ると、すでに季忠と右筆が待っていた。

俺は知恩院にいる者の命を『銭で買う』と言う手紙を書かせ、それを持たせて季忠を(三好)長逸ながやすの元に送った。

嫌がったが送った!


その他にも兄上(信長)と義理父ちちうえ中根 忠良なかね ただよし)、守山城主の信光のぶみつ、勝幡城主の信実のぶざね、美濃の(斎藤)利政としまさに各2通ずつ、他にも六角の方々への協力を願う書状を急いで書かせて、使者を送り出した。

時間との勝負になってきた!


兄上(信長)は気が付いているのか?

俺はそれを知る術はない。

ならば、気づいていないと思って行動する。

まぁ、兄上(信長)に手紙が間に合えば、何とかなるのだが?


 ◇◇◇


織田が白旗を上げると戦闘が中断された。

熱田神社の大宮司である季忠の姿を見て、武将らが慌てて知恩院の広間に押し掛けてくる。

それと同時に (林)通忠みちだたが皆を連れて戻って来た。


魯坊丸ろぼうまる様、これはどういうことでございますか?」

「我らは勝っておるのですぞ!」

「畠山は助力の大和勢が壊滅し、攻撃に勢いがございません。三好勢も昨日ほどの攻めようとする様子もなく、『この戦』は我らの勝ちでございます」

「魯坊丸様! 何故、ここで白旗を上げるのでございますか?」

「ここで弱気になるのは悪手でございます」

「敵が息を吹き返してしまいますぞ!」


皆が俺に話す間も与えずに騒ぎ立てる。

今日こそ、慶次らと一緒に討って出て手柄を取ろうと意気込んでいた。

その直前に冷や水を掛けられたようで怒っていた。

俺は目を瞑り、両手を組んだままでしばらく黙って聞いてやることにする。


「千代姉じゃ、魯兄じゃはどうして言い返さぬのじゃ!」

「皆様の頭に血が昇っており、何を言っても聞く気がないからです」

「信兄じゃならば、立ち上がって逆に怒り出しそうじゃ!」

「そうですね! でも、若様は皆の頭の血が引くまで待つつもりです」

「色々なやり方があるのじゃな!」


後ろで暢気におしゃべりをしてくれている。

その内、美味しそうな牡丹丼が運び込まれて来た。

お市の『牡丹』じゃないぞ!

広間に来る前に俺があらかじめ命じて用意させた。

昼も過ぎている。

皆、急いで来たので腹が空いてきただろう。

甘い肉の匂いが部屋中に漂った。


一番に手を付けたのはお市だった。

千代女や下女の千雨や女官も手伝って皆に配ってゆく。

拒絶する者もいるが大抵は受け取って、がつがつと一気に腹に放り込む。


「そろそろ、頭も冷えたか?」


目付衆の内藤 勝介ないとう しょうすけが溜息を付く。

そう言えば、一番に怒鳴りそうな勝介が通忠と一緒に後ろで控えていた。

勝介も俺の性格が判ってきたか?

皆に道を開けさせて前に寄って来ては頭を下げた。


「我らに相談もなく、お決めになられました。余程の事でございますな!」


詰まらんことを言えば、『更迭するぞ!』と言わんばかりに目に殺気を込めている。

いいね、いいね!

体中は煮えたぎっていても頭だけは冴えている。

そんな感じが目付衆の勝介と通忠、側近衆の寺西 秀則てらにし ひでのり林 通政はやし みちまさ加藤 延隆かとう のぶたかから伺える。

若侍衆では中川 弥兵衛なかがわ やすべえ浅野 長勝あさの ながかつ辺りか!

随行員の20人も静かに後で待っている。

右大臣の (近衞)晴嗣はるつぐや公方様の(足利)義藤よしふじ、そして、山科卿らに鍛えられただけはある。


「今川三万の大軍が尾張に迫って来ている。ここでいくさごっこを続けたいか?」


今度こそ、本当の冷や水だ!

遊んでいると帰る家がなくなるぞと俺は言った。

もちろん、三万人という数ははったりだ!


一万人以上であることは兵糧から読めるが、それ以上は読めない。

最大数は四万人くらいが予想されるが駿河の国を空にする訳もなく、三万人は今川の最大数だ。

だが、今は数を議論しても始まらない。


「どうする? いくさごっこを続けたいか?」


俺は大切なことなのでもう一度同じことを問うた。

皆、怒号も箸も止まった。

まったく考えてなかったのであろう。

し~んと沈黙が訪れた。

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