第50話 帰蝶とデート。

我が妻の髪を括り上げて烏帽子に隠し、色艶やかな衣装を着せて腹当を付けて雑兵に扮させる。

顔細く、色白々で眉毛の長きことがはっきりと浮かぶ。

薄紅の唇が妙に艶っぽく、ひょろひょろとした若侍が出来ていた。


「殿、如何ですか?」

「おぉ、美しいぞ! まるで若きツバメを迎えたようだ」

「ほほほ、それは褒め言葉になりません。他のお言葉を考えて下さい」

「すまん。すぐに思いつかん」

「仕方ないお人でございます。では、そろそろ行きましょうか?」

「では、視察に赴こう」


四日前、帰蝶と清州周辺の視察に赴こうと決めたが、気の利かない信勝に末森に呼び出され、帰ってくるとお市の猶子の話が上がり、さらに三好 長慶みよし ながよしの嫡男との婚儀の話が舞い込んだ。

使者の岩室 重義いわむろ しげよしの話では埒が明かない。

太雲たうん岩室 宗順いわむろ そうじゅん)を呼び出し、5人ほど見繕って、京の様子を見に行かせることにした。


内藤 勝介ないとう しょうすけ林 通忠はやし みちただ魯坊丸ろぼうまるに取り込まれている気がしてならん。

長門(岩室 重休いわむろ しげやす)の話では、末森の家老も取り込まれているようだ。

あの悪童あくとうと平手の爺の頼みで、評定の後に何度も膝を突き合わせた、

本気で儂に逆らう気がないのはよう判った。

当主を狙うどころか、いずれ城主になるのも面倒だと思っている。

俄かに信じがたいがそうなのだ!

親父 (故信秀)が二度と悪童あくとうと会わなかったのがよく判る。

あれと話していると頭が痛くなる。

他の誰かに宛がって、自分だけノウノウと暮らしたいなどと本気で思っている度し難い馬鹿だ。


「可愛いではありませんか、兄の為に色々とがんばってくれています」

「仕事を与えないと、あの悪童あくとうは何もしようとしないからな!」

「ほら、ご覧ください。この苗は間隔を空けて植えるようになったのですよ」

「種を蒔くだけでよいのではないか?」

「確かに苗を植えてゆくのは面倒ですが、お日様の光がよく当たり、稲が育つのは皆も知るところです」


去年までは『蝮土』を加え、土を裏返すだけであった。

それでも牛や馬を使っての大仕事だ。

今年は苗を別の所で育てて、1本1本の間隔を空けて植えてゆくと言う。

数年後には水路を引いて、草履を履き替えさせるように水を毎日入れ替えてゆくと言う。


「それだけで同じ田から多くの米が取れるのですから不思議ですわ」

「まったくだ。狐の仕業ではないか?」

「狐様ではなく、熱田明神様でございましょう。熱田があれほど豊作になれば、皆が魯坊丸ろぼうまるの声に従うようになるのは自然の流れです」

「家老らだけでなく、民も悪童あくとうに取り込まれているのか?」

「お気をつけて下さい。あまり喧嘩をなさると、魯坊丸ろぼうまるを取り立てて、のし上がろうと良からぬことを考える馬鹿が湧いてきます」


まったくだ。

あの悪童あくとうにその気がなくとも周りが勝手に動くからな!

馬鹿は度し難い。


「まぁ、なんと立派な渡し場ですね!」

「驚いたか?」

「はい、絵図面では知っておりましたが見るのは初めてです」


那古野から清州に延びる美濃路は稲生いのうの船着き場で川を渡る。

川に沿って船着き場があり、舟が横並びに置かれていた。

船着き場は大きな入江のようになっていた。

舟は浮き板の先に繋がれており、大きな渡し舟が何艘もあった。

一度に100人の兵を渡すことができる。


「この鉄の鎖が連環ですか?」

「三国志の『連環の計』から名を付けたらしい」

「これを外すと、いかだになり、一度に5,000人の兵を向こう岸に渡すことができるのですね!」

「そうだ! 川が静かならば、繋ぎ方を替えて、橋にするとも言っておった」

「まぁ、浮き橋ですか! それは見とうございます」

「相判った。次は訓練と称して、帰蝶に見せてやろう」

「ありがとうございます。絶対ですよ!」


目を輝かせ、帰蝶は子供っぽく答えた。

嫁いで来て、もう4年になる。

帰蝶のことを判ってきたと思っていたが、少年のような子供っぽさがあるとは知らなかった。


「どうされました。そのようなお優しいお顔をされて、どなたか別の女子にょしょうのことでも思い出されておりました?」

「馬鹿者、帰蝶を見ておったのだ」

「それは嬉しいことを!」

「儂を真似て、城下に降りておるのであろう。ここには来なかったのか?」

「城下から土手の工事までは見に行きましたが、それ以上先は人目も憚れます」


四年も経っているが、まだ美濃の人質と思う者も多い。

帰蝶が居なくなると、那古野が回らなくなることを役方衆と裏方衆で知らぬ者はいない。

政務の町奉行、勘定奉行、郡奉行、寺社奉行、宗門奉行、普請奉行。

庶務の目付、用人、奏者、取次、右筆など。

それらを取り締まっていた役方の平手 政秀ひらて まさひでは空席だ。

つまり、役方代の帰蝶が奉行まで、すべて取り仕切ることになってしまった。


「何故、奥方が口を挟むのか!?」


など、軍務の番方衆の中にはそれを理解できない者も多い。


「すまん、苦労を掛ける」

「それは言わない約束です…………と言うのでしたか?」

「ははは、そうであったな。だが、いっそのこと悪童あくとうにでもさせるか? 帰蝶の仕事まで取ろうとしないであろう」

「止めて下さい。そんなに仕事を与えたら尾張を逃げ出して、出奔されてしまいます」

「ははは、それは面倒だ。止めておこう」


今日の視察は美濃路の迂回路を見ることだ。

土岐川(庄内川)を渡ると川を沿って新しい土手道が造られ、清州川(五条川)に新しい橋を掛けて、中島郡に入ってゆく。

土岐川(庄内川)と清州川(五条川)に林家の領地があるので、南砦は林家に丸投げした。

橋を渡り、南西に道が伸びてゆく。

最終的に元の美濃路と合流する。

この迂回街道を守る為に増田村の東に増田砦を造った。

空掘を三重に掘って、中央に盛り土をして砦としている。

清州から半里(2km)もない砦は、いつ攻められてもおかしくないほど危険な場所にある。

兵の数は300人であり、鉄砲100丁を配置している。


「これはお館様、このような場所まで足をお運び、ありがとうございます」

「待て。お館様は武衛様のご名称だ。決して間違うな」

「申し訳ございません」

「それはともかく、よく守ってくれておる。これからもよろしく頼むぞ」

「そのように言って頂き、ありがたき幸せでございます。城を失って伊勢を彷徨っていた我が一族を拾って頂いたご恩は必ずや返させて頂きます」


伊丹 康直いたみ やすなおは元伊丹城主の家系にあたる。

摂津国人であったが、管領の細川氏の権力闘争に巻き込まれて城は落城した。

その後、外戚の間野時秋らの親族を頼り、伊丹城の奪還を試みたが、遂に、その機会は訪れなかった。

相当に苦労したらしい。

摂津での復帰を諦めて、今川氏の岡部氏を頼ろうと伊勢を彷徨っている所で声を掛けられた。

織田では常備兵を指揮する武将を探していたのだ。

一族郎党をまとめて召し抱えてくれたことに感謝してくれるのは嬉しいが、外聞もあるので制しておいた。


常備兵は信長の私兵である。

家臣の二男・三男を貰い受けて指揮官として育てているが、圧倒的に経験値が足りない。

そこで戦場を駆けて、感謝状を貰ったこともある武将を探した。

伊丹 康直いたみ やすなおは偶然に見つけた一人であった。

康直やすなおは小さな家臣団を持っていた。

一度に数人の武将を召し抱えられ、信長にとって実に好都合であった。


「信長様!」

「どうした太雲たうん?」

「100人と言う少数で来たことが裏目に出ました。清州勢が欲を出して、兵を集めております。城内にいた300人がこちらに向かっております」

「信長様、兵をお返し致します。直ちに那古野に一度お戻り下さい」

「その心配は無用だ。手筈通りに動け。太雲たうん秀貞ひでさだに常備兵の指揮権を委譲するとだけ伝えて来い」

「畏まりました」

「帰蝶、太雲たうんとともに那古野城に戻っておくか?」

「殿が大丈夫とおっしゃるならば、大丈夫なのでしょう。一緒に見させて頂きます」


ちょっとした視察のつもりが、気の利かない清州勢の為に戦観光に変更されてしまった。

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