第35話 京見物(1) 来ないと見えないこともあるものだ。

「魯兄じゃ、遅いのじゃ」

「そうか、待たせてすまん」

「それより、これはどうじゃ、これでよいか?」

「おぉ、可愛く化けているぞ」

「可愛いか、そうか」


知恩院の横手、大門の脇を少し入った所を待合場所にして、お市らはすでに到着しており、俺が来るのを待っていた。

お市は町娘の格好でくるりと回って衣装を見せてくれた。

可愛いと褒めると無性に喜んでいる。

俺の姿は見慣れた商人の小倅の格好であり、慶次は派手な着流し、千代女は女中、彦右衛門は護衛の侍の格好だ。

本来なら(近衞) 晴嗣はるつぐは商人の若旦那の姿をする所だったが、今日は直衣のうしの姿のままであった。


「その格好で出歩くつもりですか?」

「着替えなど持って来ておらん」

「仕方ありません」


そう言いながらずらり並ぶ護衛を見た。

10人ほどがぞろぞろと付いてくるつもりだ。

お市の護衛が女中の千雨ちさめ、犬千代、弥三郎やさぶろうの三人だ。

もちろん、俺が出掛けるとなれば、忍びが10人ほど偽装して警護することになる。

俺が遅くなったのは先行して下見に向かった忍びの時間を稼ぐ為だ。

加藤らには感謝の言葉しかない。


「今日はどこに連れて行ってくれるのじゃ?」

「前回、見ることができませんでした。御所と武衛屋敷、それと室町殿(花の御所)を見に行きます」

「もっと面白そうな所に行こうではないか?」

「誰かのせいで京見物が出来ておりませんので」

「騒ぎを起こしたのは魯坊丸ろぼうまるの責任ではないか」


ふふふ、ほほほ、お互いに笑みを浮かべて俺と 晴嗣はるつぐは睨みあった。

忘れて貰っては困る。

晴嗣はるつぐが同行するとか言うからぶらりと京見物ができなくなってしまったのだ。

その代わりにあちらこちらに招待されて上京はかなり詳しくなった。


「上京とは何なのじゃ?」


知恩院を出た所でお市が頭にクエスチョンマークを付けて首を捻った。

どんな仕草も可愛らしいのも問題だ。

道に出た瞬間から人目に付いてしまう。


「お市様も可愛いと思いますが、目立っているのは若様らの方だと心得ます」

「そうなのじゃ。魯兄じゃも格好いいがこの二人も中々なのじゃ。特に慶次は芋っぽさが無くなっておるぞ」

「そうか、それは嬉しい褒め言葉だね」


慶次が扇子を肩に掛けて首を後ろに捻って答えてきた。

その流し目にお市が『おぉ~!』と声を上げた。

それを見守るように 晴嗣はるつぐが顔を横に向ける。


「この間にのぶ兄じゃが入ったら完璧なのじゃ」


何が完璧なのだろう?

お市が変なことを言うので、兄上(信長)が間に入った光景を想像してしまった。

薔薇が咲いているのが見えたぞ。

なんとなく萎えた。

もう敢えて何も考えたくない。


「魯兄じゃ、落ち込むことはないのじゃ。すぐに魯兄じゃも大きくなって、もっと格好よくなるのじゃ」

「別に落ち込んでいないから励まさなくていいぞ」

「そうなのか?」


お市の質問に戻ろう。

京は大きく分けて上京と下京に別れている。

二条通りの北が上京であり、公家屋敷が多く並んでいる。

何故、二条が境になっているかと言えば、大内裏(御所)は二条通りに面してあったからだ。

この大内裏(御所)が公界と下界の境界線になった。


「ほぉ、京の町は天国と地獄が分かれておるのか?」

「ははは、違いねぇ」

「慶次、変な所で笑わないで下さい。お市が誤解します」

「公界と下界というのが、那古野で言うところの城の中と城の外のようなものだ。庶民が暮らす所が下界だ」

「なるほど、よく判ったのじゃ」

「京では上辺かみのわたり下辺しものわたりと呼んでいる」

「うん、神の渡りかみのわたり死もの渡りしものわたりじゃな」


何故だろう?

お市が言うとぶっそうな言葉に聞こえた。

…………まぁ、いいか!

二条通りが三途の河に見えそうなので話を変えた。


「お市、まんじゅうでも食うか?」

「いただくのじゃ」


露店で人数分のまんじゅうを買うと店主が大喜びだ。

護衛の方は恐縮しているが自分達だけ食べていると、どうも気が引けて美味しく感じないのだ。


「あまり美味しくないのじゃ」

「お嬢様、それはあんまりだ。この辺では美味しいと言って貰っているぞ」

「そうなのか? 尾張では饅頭は甘い物と相場が決まっておるぞ」

「甘い饅頭なんて、露店で売れませんよ」

「おかしいのぉ?」


一般に饅頭と言えば、塩味だ。

京ではその塩だって貴重であり、沢山使えない。

砂糖を使った饅頭もあったが贅沢品であり、露店で売るようなものではない。


「魯兄じゃは何でもよく知っておる」

「尾張では水飴屋があり、塩も水飴も小袋一文で手に入るから、甘い饅頭が売られているのだ」

「一文ですか!?」


お市より露店の店主の方が驚いてしまった。

一文は食べ物屋の商人らに卸す値段で売り値ではない。

美味しい食事を提供して欲しいので儲けを度外視している。

京から海が遠いから塩が貴重だ。

一方、尾張は海に面している。

薪の値段を差し引けば、塩はタダで手に入る。

小袋に入った塩を一文で売っても損はない。


「尾張が羨ましい。いっそ尾張に行くか?」

「来る者は拒まず、那古野はいつでも歓迎しますよ」

「考えておきます」


饅頭を食べ終わると三条通りを歩いてゆく。

さきほどからお市がキョロキョロとして落ち着きがない。

道が迷路のようになっているせいか?


「お市、どうかしたか?」

「京はもっと綺麗で華やかな場所と思っておった。店がごじゃごじゃとあるし、道も狭い、その上に埃っぽい。市が考えていた京の都と違うのじゃ」

「市殿、それは勘違いだ」

「何が違うのじゃ」

「ほれ、あそこに壁が見えるであろう」


晴嗣はるつぐは扇子で露店の先の壁を差した。

お市も頷く。

そして、反対側の壁を差し返した。


「こちらの壁から、あちらの壁まで、それが三条通りだ」

「宮様、何を言っているのじゃ? 三条通りとは、道のことではなかったのか?」

「あっておる。三条通りとは大通りのことだ」


お市が腕も組んでクエスチョンマークを頭に沢山生やすと首をぐるりと捻って考えている。


「う~~~ん、やはりよく判らないのじゃ」

「簡単です。人が通る場所を残して、大通りの道の上に人々が勝手に店を建てている」


あっ、そういうことか!

俺は京に入った時から抱いていた違和感が完全に解けた。

町に入った時に大きな屋敷と貧相な小屋が並んで立っていた。

そして、貧相な町の出入り口に門番のような者が立って警戒をしていた。

木板を立てて町を守っているから町だと思ってしまったのだ。


ここは町じゃない。

三条大通りという大きな道の上に勝手に建てられた露店街か。

襲ってくる者に警戒しているだけではなかった。


「それで道が不規則になっておったのか?」

「そうです。皆が好き勝手に店を出したのでこうなってしまったのです」

「面白いのじゃ。京ではそんなことが許されるのか?」

「お市殿、そんなことは許されないぞ」

「そうなのか?」

「許されないが、取り締まる者がおらんのです。帝も立ち退いて貰いたいと思っていますが、この者達をどこにやるかでお悩みなのです。これでお判りですか?」

「それは難しいのぉ」


そりゃそうだ!

三条通りだけで一体何人の人が住んでいる?

東西に一条から九条の大通り、南北に朱雀大路、大宮大路、西宮大路…………。

中でも、最大の朱雀大路は全長34町(3.7km)、幅47間(85m)だ。

下手をしなくても屋敷に住んでいる人より多い数の民が住んでいる。

どこかに新しい町を作らないと移住させることもできない。


ちょっと待て。

上京の通りも意外と狭かったぞ?


晴嗣はるつぐ、三条大通りが狭いのは納得できた。しかし、上京では庶民が勝手に小屋を建てている訳ではあるまい」

「…………」


晴嗣はるつぐが俺から目を逸らした。

下京は庶民が路を勝手に占領している。

では、上京は誰だ。

町の一角が木板でぐるりと木壁が立てられていた。

それが町並みと勘違いした。

下京と上京の路の広さが余り変わらなかったからだ。


「なぁ、 晴嗣はるつぐ。上京の路は勝手に誰が占領しているんだ?」

魯坊丸ろぼうまる、よく考えよ。この物騒な世の中だ。皆、自分の身を守ろうと思うのは当然だと思わぬか?」

「ええ、思います。それで路に衛兵などの家を建てて、それを壁に囲って守っているのですよね」

「ほほほ、これも自衛の為だ」

「公家様がそれをしていては、下々に出て行けなど言えませんな」

「痛い所を突くな」

晴嗣はるつぐも悪い子なのじゃ」


お市に咎められて 晴嗣はるつぐは渋い顔をする。

自分の身は自分で守らないといけない。

これが京の都の正体であり、この無法地帯を生み出したのか?

これじゃ、三好を咎めなられない。


来ないと見えないこともあるものだ。

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