第34話 どこもかしこも敵だらけ!?

「内大臣様、これでよろしいのですか?」

「麿が許す」

「公家の『しきたり』に反すのでは?」

「麿が許す」

「内大臣様、本気で使者様をここに座らせるのは流石に?」

「麿が許す」

「ならば、目付けである某も」

「それは許さん」


脂ぎった内藤-勝介ないとう-しょうすけが額から汗をぽたりぽたりと落としながら青筋を立てて俺をギロリと睨み付けた。

すべてを任せたと言っておきながら、土壇場でそれをひっくり返されては体裁の悪さもはなはだしい。

お約束が違います。

そう言わんばかりにそんな怒りに満ちた視線が俺に突き刺さっていた。


俺、知らないよ!?


内藤は到着したその日に俺の到着を幕府に野口-政利のぐち-まさとしらを使者として派遣し、その日の内に拝謁の日が決まった。

勝介しょうすけも満足顔であった。

同様に朝廷にも使者を送ると、明日にでも使者を向かわせると返事を貰った。

つまり、お市が来た日の次の日だ。

勝介しょうすけは広間に皆を集めて、帝の使者をお出迎えする準備を整えていた。

すべて公家の古式伝来の『しきたり』に則った。

俺も公家風の服装に着替えさせられ、お出迎えから見送り、そして、土産まで整えていった。

がんばれ、勝介しょうすけ

心の中でエールを送った。

だが、そこに近衞 晴嗣このえ はるつぐが遊びにやって来たのだ。

晴嗣はるつぐの気まぐれは、今にはじまったことではない。


「これでは『おもてなし』がなっておらんな」


そういうと駄目だしがはじまり、家臣の座る位置まで変えていった。

最初はありがたいと思っていたのだが?

流石に俺を上座に座らせた辺りから、皆が首を傾げるようになった。

自分も上座に座り、お市も俺の斜め後ろに座らせた。

晴嗣はるつぐの好き勝手が続く、内大臣に逆らうつもりは毛頭もない。

でも、流石に拙いだろう?

そう思いながら俺は素直に従った。


「魯兄じゃ、お市はここに居てよいのか?」

「こちらにおわす、内大臣近衞-晴嗣このえ-はるつぐ様がここに居れと言っている。従っておればよい」

「そうなのか? 判ったのじゃ」

「姫様、『そうなのか』ではございません。魯坊丸ろぼうまる様も『従っておけばよい』ではございません」

「では、何と言えばよいのだ?」

「むむむ」


晴嗣はるつぐに逆らえない勝介しょうすけが俺に苦情を言い始める。

俺だって知らないよ。

皆の前で晴嗣はるつぐに意見するのははばかられた。

いつも通りに「おぃ、どういうつもりだ!」と友達に話しかけるように気軽く確かめたいが、公の場で馴れ馴れしい所を見せる訳にいかない。

だが、勝介しょうすけはそれが気に入らないらしい。


勝介しょうすけ、まさか内大臣近衞 晴嗣このえ はるつぐ様の命に逆らうのか?」

「そういうつもりではありませんが、儀式からいいますと朝廷の使者を上座に迎えるのが儀礼と承知致します」

「麿に下座に降れと申すのか?」

「いいえ、そうは申しません。若様と姫様のみ」


バ~ン、扇子をすっと抜いて床を叩く。

そして、それを勝介しょうすけに突き付けると晴嗣はるつぐは穏やかそうな声で、それで威嚇するように言った。


「麿と魯坊丸ろぼうまるを引き裂こうというのだな」

「決して、そのようなことは」

「同じだ。慶次、そんな所におらず、麿の後ろに控えよ」

「畏まりました」


一介の武士が上座に座るなんてあり得ない。

慶次を止めようとするが、その度に晴嗣はるつぐに責められた。

勝介しょうすけの面目は丸つぶれだ。


「麿らは花の下で『桃園の誓い』をした義兄弟だ。そう心得よ」


はじめて聞いた。

牡丹の木の下で茶会をした記憶があるが、杯を交わした記憶はない。

もちろん、死ぬときは一緒なんて言っていない。

茶の席は牡丹の花が風に散って中々に美しい風流な景色になっていただけだ。

そう言えば、上洛の時もその牡丹の花びらが舞っていたらしい。

それゆえにお市の上洛は花散る中の艶やかな行列だったと言われている。

勝介しょうすけが後ろの野口-政利のぐち-まさとしらに義兄弟とは、どういう位置づけだと問うている。

もちろん、判らないと首を横に振っている。


 ◇◇◇


帝に会うにも、公方様に会うにも色々と手続が必要になる。

まず、京に到着した知らせを朝廷に使いを送ると、無事に到着したことを喜ぶお声を伝える使者が遣わされる。

使者が来ることを伝える使者が来るのだから面倒なことこの上ない。

そのお礼の使者を遣わし、その後に正式な使者を送って、いつ参内すればいいのかとお伺いを立てて、いつ参内するようにと伝える使者が再び送られて日取りが決まる。

その間にも色々と儀式が続く。


たとえば、今回の俺は参内する為の従五位下の位を持たない。

このままでは参内できない。

ゆえに俺を従五位下にするという使者がやって来て従五位下になる。

そのお礼の使者を送り、従五位下になりましたと公家衆にあいさつ回りを終えると、はじめて参内ができる。

京に在住している者か、何度も来ている者はその手間を省くことができるが、俺ははじめての上洛だ。

本当に面倒臭い。

最短で日程を組んでも10日も掛かる。


一方、公方様へ使者を送ると拝謁の日程が決まる。

事前に手紙などで詳細を詰めておくからだ。

こうして、公方様への拝謁をする。

公方様に会うのは朝廷ほど面倒ではない。

簡単だ。

しかし、そこから面倒なのだ。

公方様主催の宴会という顔見せ興業が開かれる。

つまり、お披露目だ。

お披露目が終わると公方様を逆に御招きせねばならない。

一般的には、能会など準備する。

すると、今度は公方様と一緒に御招きした方々のお返しの招待状が届く。

つまり、伊勢-貞孝いせ-さだたかや上野信孝などの屋敷に招かれる。

あるいは、三好家や六角家から宴の誘いが掛かる。

もし、主人が主催しない場合は代わりに家臣からご招待が届く。

三好なら松永-久秀まつなが-ひさひで、六角なら蒲生-定秀がもう-さだひでか、進藤-貞治しんどう-さだはる三雲-定持みくも-さだもちもあり得るか?

武家社会の輪に入ったことを認め合って拝謁が終わったことになる。

もちろん、お誘いが掛からない人もいる。

それは仲間として認めていない。あるいは、意に介さないという意志表示だ。

どちらにしても面倒だ。


 ◇◇◇


そんなことを考えている内に帝の使者が到着した。

広間に通された瞬間、使者がぎょっとした顔で足を止めた。

勝介しょうすけの額から大粒の汗が流れる。

上座に俺が座っているからだ。

普通なら「なんと言う無礼でおじゃりますか」とか言って、背中を向けて帰る所だろう。

だが、それができない。

俺の隣に内大臣の晴嗣はるつぐが座っている。

見届け人が来ているなど思っていなかったので使者も焦っている。

緊張した時間が過ぎてゆく。

使者は立ったままで従者に耳打ちして晴嗣はるつぐの意図を確認する。

自分で聞かないのが公家らしい。

ふわぁぁぁ、お市から欠伸が出た。

もう限界を過ぎ、すでに飽きている顔だ。


「麿の前でお言葉を読みあげよ」


晴嗣はるつぐがそう言うと使者は仕方なく、晴嗣はるつぐの前に座り、帝のお言葉を述べた。

使者が帰ると広間に居た武将は解散となった。

勝介しょうすけが今後の段取りと言って、かなり強い足取りで随行員を連れて広間から出ていった。


 ◇◇◇


広間を出た勝介しょうすけは抑えていた怒りを露わにしていた。

これが帝を迎える臣下の態度か?

魯坊丸ろぼうまるはいったい何様のつもりだ。


「使者を上座でお迎えなど許されるのか?」

「公方様は使者を下座でお聞きすることがあります」

「官位の高い方が上座にあると思われます」

「御使者様は八位でございますれば、内大臣様が上座で間違っておりません」

「使者様は誰に会いに来たのだ。内大臣様か、違うであろう」

「その通りでございます」

「儂は魯坊丸ろぼうまるに騙されたのだ。口出しせぬと言いながら、近衛様を使って、あれこれと口を挟んできたのだ」

「まさか?」

「では、何ゆえに近衛様が来られた。魯坊丸ろぼうまるが呼んだに違いない。ああいう奴なのだ。人のよい顔をしながら、背中からがぶり噛みついてくる」


那古野の評定のことを思い出していた。

筋を通し、まるで控えているような風を装い、評定が終わると豹変して弾劾してくる。

決まったことを後からひっくり返すのだ。


魯坊丸ろぼうまる様が言われることは誠にもっともなことであります。決して不条理とは言えません」

「騙されおって」

「林様も魯坊丸ろぼうまる様のことを褒めております」

「信勝を立てて裏切った奴の言葉など信用できるか? 頼りない信勝から魯坊丸ろぼうまるに乗り換えたのよ。魯坊丸ろぼうまるが元服した後は手の平を返して、信長様を貶めようとしてくるぞ」

「まさか?」

「儂は騙されんぞ」


しかし、恐ろしい奴だ。

京に入って数日で内大臣近衞 晴嗣このえ はるつぐを籠絡しておるとは。

勝介しょうすけ魯坊丸ろぼうまるに今まで以上に警戒感を強めていく。

信長様の為にも何としても主導権を取らねば。

そう誓う勝介しょうすけであった。


 ◇◇◇


皆が出て行くと晴嗣はるつぐは手を後ろに付いて膝を崩して足を開いた。

晴嗣はるつぐなりに無理をしていたらしい。


「俺としては助かりますが、こんなことをして宮中で大丈夫なのですか?」

「宮中では織田の者をよく思わぬ者も多い。銭を配ってくれているので表面上は体裁を取り繕っておるが、帝からお名前が掛かることを妬んでおる」

「そうでしょうね」

「もし、使者が帰ったなら、麿はこれを出すだけだ」


そう言うと懐から手紙を取り出した。

晴嗣はるつぐも帝から手紙を預かっていた?

手紙二通、益々、判らんぞ?


「帝から詫びて欲しいと頼まれた」

「帝から?」

「お主を政争に巻き込んでしまったと詫びられていた」

「そのようなお気遣いは無用です」

「そう伝えておこう」


帝は本心から俺に礼を言いたかっただけらしい。

そんな素直な気持ちから出た言葉が思わぬ波紋を呼び、俺の周りに波及したことを聞いて心を悩ましていると言う。

近衛家が俺によくしてくれるのは帝の御心に沿ったものだったのだ。

つまり、今日の使者様は反織田の一人という訳だ。

使者にかこつけて、あることないことを弾劾し、あるいは要求するつもりだったと思われた。

だから、わざわざ晴嗣はるつぐが駆けつけた。

儀式を歪ませてまで嫌がらせに近い援護(サービス)は俺の後ろ盾が近衛家であるという反織田の公家衆への威嚇だった。


「宮中も揉めているのですね?」

「帝に取り入りたい者にとって、織田が帝に近づくのは不都合な者が多いのだ」

中御門家なかのみかどけとか、三条家さんじょうけですか?」

「ほほほ、察しがよいな」


今川義元の母(寿桂尼じゅけいに)の兄は中御門宣秀であり、三条家の当主である三条西 実枝さんじょうにし さねきは義元の招待で駿河の国で住んでいる。

今川義元は駿河に多くの公家衆を招いて住まわせている。

東の都と呼ばれているくらいに駿河は栄えており、公家衆にとって安住の土地だ。

そんな今川派の公家衆にとって、帝が織田派になるのは不都合だった。

帝は公明正大こうめいせいだいなお人柄だ。

普通に考えて、一方的に織田に肩入れするなどあり得ない。


「それが判らん奴が多いのよ」


あぁ、寿桂尼じゅけいにの姉は山科-言綱やましな-ときつなの正室だったな。


言綱ときつなは味方だ。あいつは朝廷に貢献している織田を頼りにしている」

「今川は言綱ときつな様をよく思わないのではないですか?」

「ほほほ、義元が織田並に献金してくれるなら考え直すかもしれんな」


それはあり得ない。

織田は他の追随ついずいを許さないほど朝廷に貢献している。

義元が金山で取れた金をすべて献上するくらいの覚悟がいる。

今川も好景気によってかなり儲けているが所詮はお零れだ。


「魯兄じゃ、まだ話は続くのか?」

「姫には退屈な話であったな」

「そうじゃ、市は退屈なのじゃ」

「では、町にでも行きましょうか?」

「おぉ、話が判るのぉ」


おい、晴嗣はるつぐには自分の身分を考えてくれ。

昨日の今日だぞ。

まだ、京の町の騒ぎが収まっていない。


「ささぁ、行きましょうか」

「そうするのじゃ」


あぁ~~~、お市がその気になった。

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