第29話 公界のプリンス!?

どたどたどた、廊下を激しい足音を立ててやってきた。

そこに現れたのはこれほどか、そう思うほどの美しい顔立ちをした貴公子だった。

背景に花々が咲き開いたような錯覚が襲った。

あぁ、これが公家様か。

心の中で納得する。

ただ、その足音から落ち着きのなさが想像でき、ギャップ萌えとでも言えばいいのか、細い指先までしなやかに洗練された動きが艶やかに映った。

兄上(信長)の負けだ。

この超美形の公家様にはまったく敵わない。

年の頃は兄上(信長)と同じくらいか、いやぁ、少し若いか。

俺と目が合うと、これはいけないとばかりにさっと扇子で口元を隠した。


「ほぉ、これは愛らしい子じゃ」

晴嗣はるつぐ、少しは落ち着け」

「めずらしき御仁をお招きしたと聞いて急いでやってきた」

「判った。判った。とにかく座れ」

御岳父ごがくふ殿(義理父)、これが落ち着いていられようか」

「おまえな。その落ち着きのなさ、どうにかならんのか。我が息子がおまえの真似をして困っておる」

「ほほほ、(久我)通興みちおきは見所がありますぞ」

「笑いごとではないわ」


右近衛大将のご子息をお助けした俺らは屋敷に来て欲しいと願われた。

行きたくなかった。

もちろんお断りしたのだが、先ほどまで怯えていた兵達が若宮様の命令が聞けないのかとばかりに無言の圧力を送ってきた。

なんという変わり身の早さだ。

再び、睨み合うという選択もなく、同行することになる。

鴨脚-光敦いちょう-みつあつらも屋敷まで護衛してくれるので逃げる間もなかった。


しばらくは部屋に案内されて、主もおらなかったのでお茶を飲んで楽しむ。

暇を持て余した慶次が庭で通興みちおきと稽古をし始めた。

役儀やくぎを途中で止めて戻ってきた久我-晴通こが-はるみちが悠然として現れて上座に座った。

畏くも右近衛大将様だ。

失礼なことはできないと思っていると足音が聞こえ、晴嗣はるつぐが乱入したのだ。


宮中に晴嗣はるつぐと呼ばれる者は一人しかいない。

内大臣・近衞-晴嗣このえ-はるつぐ、前関白・近衛-稙家このえ-たねいえのご子息で近衛家の御曹司だ。

晴通はるみちの娘を嫁に貰っているので義理の息子に当たる。

晴嗣はるつぐはそんな晴通はるみちの横に座って俺を眺めた。


「おぬし、中々に愛らしい顔立ちをしておるのぉ。宮中の雀どもが騒ぎそうだ」

「何のお話でございましょうか?」

「宮中で織田の麒麟児がやって来たと大騒ぎになっておる」


あぁ、やっぱりバレた。

久我邸に熱田の商人を招いたと噂になれば、誰もが最初にそれを思いつく。

否定しようにも真実だから覆すのは難しい。

だからと言って、肯定すると色々と面倒なのだ。


「申し訳ございません。俺は熱田の麒麟児などと呼ばれたことはございません」

「そうか。では、何と呼べばよいか?」

旗屋-金田はたや-きんたとお呼び下さい」

「ほほほ、それは助かる。実を言うと、こちらも準備が出来ておらん。その方がこちらも都合がよいぞ」

「こちらもその方が助かります」

「そうか、助かるか!?」


これが『公然の秘密』という奴か。

すぐにでも兄上(信長)の手紙と一緒に俺の手紙を伊勢-貞孝いせ-さだたかに届けさせよう。京に来ているのに顔を出さないと公方様(足利-義藤あしかが-よしふじ)がへそを曲げる可能性もある。

会ったこともないので、どんな人か知らないけどね。


「で、いつ三好と対決するつもりだ?」


晴嗣はるつぐは体を乗り出して単刀直入に聞いてきた。

質問の意味が判らない。

俺がキョトンとした顔をした為か、 晴嗣はるつぐは扇子を閉じて腕を組んだ。


「違ったのか?」

晴通はるみち様、何のことかご説明願えますか?」

「何も難しい話ではない。最近、京の都では織田が上洛して、三好を追い払ってくれるという噂が立っておる」


俺はちらりと千代女を見ると首を小さく横に振っていた。

千代女も知らないことらしい。

どういうことだ?

上洛の兵の数は尾張から500人、警護に堺から1,000人を調達すると、朝廷、幕府、三好に伝えてあったハズだ。


「ほほほ、そんな戯言を誰が信じますか?」

晴嗣はるつぐ様、戯言ではなく、事実でございます」

「まだ、そんなことを。そうか、敵を欺くにはまず味方からか」

「欺くも何もありません」

「堺では4、5万の兵を集っているという噂だぞ」

「まさか?」

晴嗣はるつぐ、あまり脅すのではない。まぁ、驚くのも無理はない。 晴嗣はるつぐが言っているのは、民草が勝手に言っておる根も葉もない大袈裟な京の噂話だ」

「そうですか」


ほぉと息は吐いた。

どうして、そんな噂になっているのだ?

今度から報告書に噂話を入れておくか。

それは駄目だ。

数多の根拠もない話を確信していたのではこちらの身が持たない。

そう言えば、池に大蛇がいるという噂を聞いて、池の水をすべて抜こうとした話があったな。

実際に確認する兄上(信長)も兄上(信長)だが、噂なんてそんなものだ。


「麿が聞いた所によると、堺では万人に近い傭兵や力自慢が集まっているそうです」

「知りませんが、本当の話ですか?」

「事実だ。使いの者を出して確認した。織田の兵を雇う為の武闘会なるモノを開いているらしい。そこで勝ち残った者しか織田で雇わない。また、武闘会なるモノで勝つだけでも賞金も貰える。堺に腕自慢が集まっておる」

「それだけではないぞ」

「まだ、あるのですか?」

「その噂が噂を呼び。その武闘会を一目見ようと、数万人もの観客が集まっている。これをすべて雇い入れれば、わずか一日で織田は数万の大軍を手に入れる。これを考えた者は稀代の策士だな。 ほほほ、そうであろう。違うか?」


晴嗣はるつぐは何か楽しそうに言っているが、噂になっている時点で策として終わっている。

警戒した三好が大量の傭兵を買い集めようとした瞬間に討伐されて終わってしまう。

愚策だ。

そもそも俺は何も聞いていないし、言ってもいない。

この武闘会を開催したのは堺衆だ。

何も起こらない…………と思う。

後で、千代女に調べさせておこう。


晴嗣はるつぐ様、織田に策も何もございません。織田が願ったのは、腕に覚えがある者、秩序を重んじ乱暴・狼藉をしない者、如何なる命令にも従う者、そんな者を探して欲しいとお願いしたのみでございます。いずれは京に完成する武衛屋敷の警護として雇いたいと思っております。注文が多く、堺衆の方にはご足労と思いましたが、傭兵の数は1,000人のみでございます」

「誠か!? 麿までに嘘をついているのではないだろうな?」

「一切、嘘はございません」


俺を睨むように 晴嗣はるつぐがまっすぐに見ている。

目を逸らさずに睨み返しておく。

晴嗣はるつぐは腕を組み直した。

そして、扇子で肩を苛立つように何度も叩いている。

そのまま睨み合いを続ける。


御岳父ごがくふ殿(義理父)、織田が言っているのは本当のようですな」

「だから、麿もそう言っておったであろう。此度がはじめての上洛だ。織田にそんな小細工をする余裕などないであろうと」

「恐れ入りました」

「おまえらは血の気が多すぎるのだ」


バツが悪いのか、晴通はるみちから目を離した。

まったく、どうしてこうなったのだ?

その瞬間、今まで解けなかったパズルのピースがはまる音が聞こえた。

まさか、まさか、まさかぁ!?


晴通はるみち様、お聞きしたいことがございます」

「何なりと。麿に答えられる範囲でお答えしましょう」

「難しい話ではございません。三好が京を治めてから2年余り、京では戦らしい戦もなくなりました。京の再建も進んでいるとお聞き致します。京の民は三好を頼りにしているのではないのですか?」

「頼りにしていた。そう言うべきですな」


やはりそうか。

この屋敷に来るまで、野盗の話を兵達から聞いていた。

京が治まってくると、兵崩れの野盗が増えたそうだ。

彼らは仲間を見張りに立たせて、警邏が近づくと逃げてゆくらしい。

だから、中々に捕まらない。

そして、一番に最悪なのが三好の兵の中にも野盗まがいの行為をする者が現れたことだ。

当然と言えば、当然であった。

三好はその野盗のような奴らを傭兵として雇っているのだ。

武将の目の届かない所では野盗に返ってしまう。

京の民は三好の治世に失望しているのだ。

だから、町の周りに木塀を立てて自衛する。

空気がピリピリとしていたのもその為だ。


「俺が上洛することが、それほどの希望になってしまいましたか?」

「ほほほ、帝が褒める逸材ですぞ。織田の繁栄を聞けば、京中の民草が希望を持つのも当然でしょう」

「なるほど、納得が行きました」


彦右衛門(滝川 一益たきがわ かずます)が頭を掻いて唸りはじめた。

話について来られないようだ。

千代女も口元に手をおいて思考中の癖を見せている。

俺は聞こえるように口を開いた。


「つまり、こういうことだ。三好が京を治めて戦はなくなった。京の民はそれに喜んだ。しかし、代わりに野盗が徘徊し、三好はそれを取り締まることができない。京の民は途方に暮れた。なぜなら、それを取り締まる三好の兵も野盗と同じなのだ。いつまで経っても平和な暮らしが戻って来ない。京の民は三好に落胆したのだ」

「あっ、そういうことですか」

「そういうことだ」


千代女は気が付いたようだが、彦右衛門(滝川 一益たきがわ かずます)はまだ唸っている。

2年前、京の都が落ち着いた頃に尾張から新しい物が入ってくるようになった。

那古野・津島・熱田に行った行商人が尾張の民が幸せに暮らしている様が伝わってくる。

三好に落胆した頃、尾張が楽園との話を聞く。

そこに上洛する話が舞い上がった。

三好に代わる新しい統治者の出現を期待しているのだ。


「それは魯坊丸ろぼうまる、おまえのことか?」

「俺(魯坊丸)である必要はありません。兄上(信長)、信勝兄ぃでもよいのです。とにかく尾張から上洛してくることに意味があるのです」

「どうして、そうなる?」

「この息苦しい空気を取り除いてくれる新しい風を欲しているのです。ただの空気です」

「空気などではないぞ。京中の民草が三好の治世に不満を持っておる。それは公方様への期待であり、それを支えてくれる織田への期待なのだ」

晴嗣はるつぐ様、勘違いしてはなりません。民は三好に失望しているだけです。公方様への期待というは、ただの空気です。空気に実力は伴いません。実力がないと知れた瞬間に空気は破裂してなくなってしまいます。

大切なことなので、もう一度言います。

三好の人気が下がっているだけで、公方様の人気が上がっているのではありません。公方様の為に命を賭けて戦うという者は多くないのです」


やっと判ったよ。

三好は京の治世を取り戻すことに失敗した。

そこで公方様(足利 義藤あしかが よしふじ、後の剣豪将軍義輝)は奉公衆の上野信孝らの甘言に乗って三好と対決できると錯覚した。

三好は京中の民に憎まれている。

だから、民が三好に不満を持って立ち上がってくれると勘違いしたのだ。


そのきっかけは『織田の上洛』だ。

もちろん、それがなくともいずれはどこかで暴発したと思う。

その空気を読んだ(細川)晴元はるもとが京に舞い戻って火に油を注いだ。

三好は(細川)晴元はるもとを捕えようと無理をする。

無理をすれば、周辺の領主からも不満が出る。

畿内は再び、争乱に戻る。

そのシナリオを書いたのは(細川)晴元はるもと辺りか。

参ったな。

京の治安を回復しないと解決できないぞ。

俺は天を仰ぎたくなった。

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