第23話 信長は帰蝶が大好きだったようです。

信長の側近筆頭の長門守(岩室 重休いわむろ しげやす)の父が呼び出された。

太雲たうん岩室 宗順いわむろ そうじゅん)は魯坊丸ろぼうまるの早朝稽古に付き合っており、それが原因で魯坊丸ろぼうまるが登城を渋っているからだ。

かなり信長様がご立腹らしい。


「今日も来なかったな」

「体調不良の為、登城できぬそうです」

「何が体調不良だ」

「申し訳ございません」

「長門、おまえを責めている訳ではない。そうだな、太雲たうん


太雲たうんは頭を剃り、僧侶の格好で信長に平伏した。

家督を譲ったと言っても岩室家の元惣領だ。

信長にずっと付き従う長門守に比べ、自由に動けるようになった。

もしかすると太雲たうんは以前より影響が強くなっていたかもしれない。

これではどちらが惣領か判らなかった。

そんな中でも若い衆が長門守を中心に集まりはじめていることを太雲たうんは嬉しく思っている。


「何故、呼び出されたか判っているな」

魯坊丸ろぼうまる様の件でございますか?」

「その通りだ。何故、登城できぬほど厳しく、何をやっておるのだ」

「上洛の準備で余裕がないからでございます」

「何を今更」

「此度の上洛は少し危ないことになるかもしれません。少しでも体力を付けようと体を鍛えております」

「日頃、怠けておるからだ」

「それは否定しません」

「ははは、否定せんのか」


膝の上に肘を乗せて、手で頭を支えるように身を乗り出した。

嬉しいとき、興味が沸いたときにやる仕草だ。

魯坊丸ろぼうまるの体力は7歳からすると人並みであり、武将の子としては十分であった。しかし、襲われたときに自分の身を守れる程度の体術と体力くらい持ち合わせていない。

これでは守る方の負担が大きい。

しかも体術に関してはからっきしだった。

甲賀衆の子供程度に体力を付けて貰わないと拙いと太雲たうんが慌てて鍛え直していた。

夜が明けぬ早朝に行うにも理由がある。

今の尾張に余分な警護を割く余裕がなく、那古野や熱田に潜伏している者に時間を割いて警護をお願いした。

日が昇る前に体力が尽きた魯坊丸ろぼうまるはその場に倒れる日々を送っていると告げた。

たとえ起きても体中が痛く、動くのも辛いだろうと。


「あははは、情けない奴め。それで登城できぬほどに寝込んでいると言うのか?」

「有り体に言えば、そういうことです」

「這ってでも登城させろ」

「無理とは申しませんが上洛まで日がございません。少しでも危険を取り除く為に、お目溢めこぼしをお願い申し上げます」

「仕方ない奴。その分、そちが働け」

「畏まりました」


思っていたほど、信長の勘気に触れることはなかった。

魯坊丸ろぼうまるが来ないのは信長にとっても都合がよかったのだ。

まず、評定の後にある談議をせずに済む。


小言であれこれと指摘されて不愉快になるのが信長であった。

魯坊丸ろぼうまるも仕事が増えて不愉快になっています)


那古野衆が魯坊丸ろぼうまるを頼り過ぎるのも問題であった。

(下手に頼まれると断れない魯坊丸ろぼうまるの性格です)


帰蝶と仲良く会話する魯坊丸ろぼうまるにも腹が立った。

(仕事の話をしているだけです。役方代の役職を与えたのは信長です)


評定に口を挟まないという決まり事を守りながら、評定で決まったことに後から間違いを指摘する。

終わってから駄目だしであった。

大人相手でも容赦がない。

一言の文句が十や二十の正論と証拠で論破される。

不祥事が飛び出すとタダで済まない。

銭勘定になると熱田・津島商人の出入禁止が飛び出す。

大人顔負けの論客だ。

次の評定までの課題を与える先代様のような振る舞いが特に癇に障り気に入らない。

この為に魯坊丸ろぼうまるは林を筆頭に家老衆から嫌われていた。


林-秀貞はやし-ひでさだに頼まれて一芝居打っている事を知る者は少なく、信長も知らされていなかった。


一方、見守る城主の中にはその堂々とした態度を誉めちぎる者もいる。

元々、熱田周辺の城主は魯坊丸ろぼうまるを支持しており、最近は那古野周辺の城主も支持しはじめている。

その魯坊丸ろぼうまるが来ない事にほっとしてしまう。

まったく出来過ぎる弟というのは腹が立つものだ。


それに比べると、紙に書いた饅頭で満足する信勝が可愛く思えた。

岩崎城の丹羽勢の調略に手を焼いているらしい。

戦がしたくとも銭がなく、家老に戦を止められていると聞く。

末森の運営で悪戦苦闘している。

最大の原因は、筆頭家老の叔父、守山城主である信光が不在だからだ。

北側半分が信光に従って末森に従わず、鳴海、大高、沓掛が造反中。

家老衆は残る末森勢で岩崎丹羽と正面から戦うのは避けたいのだろう。

調略戦を行っているのだが、巧くいっていない。

信勝は領主として経験不足過ぎた。


普通はそうだ。

城主となり、領地を預かってから色々なことを知り、領主として一人前に育ってゆく。

信長も領地を巡って色々なことを知った。


「で、今度は何を企んでおる?」

「企むですか」

「尾張中の忍びを畿内に送って何をやっておるのだ」

「ご存知と思いますが調べているだけでございます」


報告は長門守から信長に伝わっている。

魯坊丸ろぼうまるに届いた報告と手紙は千代女が簡単にまとめて、長門守に送っており、信長は同じ情報を得ていた。


「だから、何を調べているのだ?」

「簡単に申しますれば、尼子と大内の動きです」

「何の為だ?」

「上洛した折、公方様と三好殿で戦が起こるかもしれないのです」

「それは承知している」

「それに合わせて背後から尼子が上洛するかどうかです」


そこまで言うと、信長も理解できた。

魯坊丸ろぼうまるは中国を越え、九州まで調べさせていた。

尼子が動くには背後の動きが重要であった。


陶 隆房すえ たかふさ、今は陶 晴賢すえ はるかたに改名したのであったな。 それがどう動くかということか?」

「差し迫ってはそういうことでございます」

「相変わらず、可愛げのない奴だ」


見た目の可愛さと中身の冷徹さが釣り合っていない。

用心深さが異常なほど徹底していた。

それこそ箸の上げ下げまで調べさせているのではないと思えるほどだ。

そのきめ細やか情報を元に論破されては堪らない。


しかも甲高い可愛い子供の声で悪行を暴露する。

狙われた領主は説明に冷や汗を流し、糾弾に息切れを起こし、結論で白目を剥いて倒れた。

その領主など立ち直れずに子供の声を聞くだけで怯えて隠居してしまった。

そこまで酷い者は少ないが、論破された者は多い。

あの下調べの念入りさは異常だと信長は思った。


そこまで調べる必要があるのか?

魯坊丸ろぼうまるが京に上って帰ってくれば、晴れて信長も『尾張守』となる。

官位を貰ってくるだけの簡単な仕事と考えていた。

しかし、どうやら魯坊丸ろぼうまるは京で一戦交えてくる気らしい。


努々ゆめゆめ、公方様(足利 義藤あしかが よしふじ)に弓を引くことはあってはならん。まさかと思うがなかろうな」

「何があろうと織田は公方様に付くと魯坊丸ろぼうまる様もそう断言されております」

「そうか、それならばよい。佞臣ねいしんくみするかもなどと言うならば、旅立つ前に切り捨てるしかない」

佞臣ねいしんとは、奉公衆の上野 信孝うえの のぶたかですか、それとも、御供衆の三好-長慶みよし-ながよしのことでございますか?」

「三好しかおるまい。長年、公方様に弓を引くとは何たることか。 公方様を助け、民を安んじるのが武家の本分ではないか。然るに、三好はおのれの欲で歪めておる。万死に値する行いと思わぬか」


信長は熱く語り、本気で怒っていた。

公方(将軍)を利用することしか考えない世である。

その中に純粋に忠誠心に篤く、朝廷、将軍、守護を立ててご奉公することを正しいと思っており、背筋正しい、武家の姿の理想を持っていた。

太雲たうんは頑なに正しさを貫こうとする好青年の姿を見た。

信長とは、これほど真っ直ぐであったのか。

この乱世において、これほど清い者は少なかった。

思わず、見惚れて言葉を無くしていた太雲たうんを信長は急かした。


太雲たうん、早う説明せよ。彼奴は何を調べさせておる」

「まず、兵糧のあるなしで戦の期間が計れます。商人を通じて、どれくらいの兵糧が動いたか調べております」

「商家を調べるのか?」

「正攻法、脅して強引に、あるいは、夜中にこっそりと調べる方法と手段は数多あります」

「なるほど、忍びの分野だな」


しかし、調べるには時間が少な過ぎた。

加えて中国・九州は遠く、行って帰ってくるだけで一月も掛かる。

送った者はまだ戻って来ていない。


「次に河原者の武器の部具を生産しております。どこで戦が起こるか知ることができます」

「どういうことだ?」

「矢の一部である矢じりや羽根、鎧・弓の材料に革を必要とします。これらを調達するのが河原者らです。彼らが忙しい場所が戦場に近い場所なのです」

「なるほど、思わぬ所から知るのじゃのぉ」


この話は忍びなら意外と知る者は多い。

太雲たうん魯坊丸ろぼうまるが知っていたことが意外であった。

現地に行き、その土地の者と信頼関係を結ぶ必要があり、今回は考えていない。

代わりに現地の忍びと接触し、その情報を得るように企んでいる。

巧くゆくかは判らない。


「さらに、銭の動きを見れば、戦が起こる時期と兵数とその期間が割り出せます」

「何故だ?」

「私も理屈を何度聞いても判りませんが、東は貧しく、米を奪い合って殺し合いをしております。しかし、西は米が無ければ、米を買えばよいのです」

「銭があれば、確かに買えるな」

「しかし、銭がない場合はどうしますか?」

「戦を仕掛けて、村や町、寺々から巻き上げるのか」

「いいえ、それは畿内や東海に限ります。西国は最初に商人から銭を借りるのです。そして、銭の償還する期限が近づくと戦をして銭を稼ぐ。ですから、不作になってもすぐに戦にならないのです」

「東と西で、そのような違いがあったのか?」

「他にも戦のできない領主は銭の為に大国の属国になるなどもあります」

「判り難いな」

魯坊丸ろぼうまる様は『でふれ』と言われました。何でも西国は銭が溢れ、銭が回っているが銭が足りない。ゆえに、銭を多く持っている者が強くなる」

「何の問答だ!」

「はい、まったく判りません。とにかく、銭の償還期限を調べれば、いつ戦が起こるか判るそうです」

太雲たうん、儂をカラかっておるのか?」

「いいえ、まったく。それが魯坊丸ろぼうまる様の戦のやり方なのです」


う~~~ん、信長は唸っていた。

魯坊丸ろぼうまるの言ったことを理解しようと、何度も太雲たうんの話を聞き直した。

やはり、一人では判らない。

ならばと、帰蝶様や勘定方まで呼んで理解しようと試みる。

夜が更けても、ああでもないこうでもないと続いた。

何と勤勉な方だ。


「ええい、返せねば、返さねば、良いではないか」

「徳政令を出すと評判が悪うなります」

「背に腹はかえられぬ」

「そうですね。熱田の商人ならどうします…………あっ」

「どうかしたか?」

「殿(信長)が徳政令を出せば、熱田の商人は魯坊丸ろぼうまるを立てます」

「彼奴が儂に逆らうのか?」

「そういう意味ではございません。借金を返さない領主は、他の領主から滅ぼされるのです。米や鉄砲や火薬などが手に入りません。それに大内や大友は明国、南蛮との貿易で栄えています。商人を切ることができないのです」

「帰蝶、そうなるとどうなるのか?」

「はじめに戻ります。借金の返済日が近づくと、どこかを襲って銭を手に入れないといけなくなります」

「そうか、それで石見銀山を取り合っていたのか?」

「はい、銀山を手に入れる為に借金をしても、銀山の銀がそれを補ってくれます」

「その余った銭で仲間をかき集めることができる。銭を持った者がより強い力を手に入れるのか」

「殿(信長)、西国は銭を得る為に戦をしているのです」

「それで銭を知れば、戦が判るのか」

「あの子の知恵の泉は底が知れませんね」


太雲たうんにはやはりよく判らなかった。

しかし、信長様と帰蝶様は判ったらしい。

二人で手を繋いで飛び跳ねて喜んでおられる。


「殿(信長)、勉強になりました」

「帰蝶、それは儂もだ」

「殿(信長)はやはり凄い方でございます」

「何をいう。帰蝶の助言のお蔭だ」

「何をおっしゃいます。殿(信長)の粘りでございます」

「これからも付き合ってくれるか」

「もちろんです」


人前であることを忘れ、お熱いことだ。

ホント、仲が良い。

貪欲に学ぼうとする姿勢も面白い。


尾張の虎と呼ばれた先代様は面白い方であった。

その息子の信長様は王道を説き、真面目で勤勉な方だ。

対して、その弟の魯坊丸ろぼうまる様は慎重と用心深さを持ち、才気あふれるのに怠惰に過ごそうとする。

どちらも面白すぎるのぉ!

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