第16話 太郎の鬼退治

桃太郎に対し、そう言い放った子供は走り去ってしまいました。


桃太郎は次第に小さくなっていく子供の背中を見守りながら、ただ何も言えずにいました。


いや―――


見守っているのではなく、ただ呆然としていたのです。


「俺がまだお前くらいの歳だった頃だ。

本土の人間が一度、俺たちの村に来た事があった。」


頭領はそんな桃太郎に対し、語りかけました。


「その者の言うには、村が貧しくこのままでは皆飢えて死ぬから少しだけでも金を分けて欲しい。との事だった。

金を売って米を買い、飢えをしのぎたかったのだろう。」


彼の表情は陰り、その声音も心なしか陰鬱な印象を与えるものでした。


「しかし、この島に住む者達はそれを断った。

その頃は鉱山を掘り当てたばかりでな…。

皆金銀に目が眩んでいたのだ。」


桃太郎は何とも言えない表情でその話をただ黙って聞いていました。


「その後はその村がどうなったのかは知らん。

だがそれからだ。

この島の財宝が頻繁に狙われるようになったのは…。」


頭領はそこまで話した後、チラと桃太郎を見遣ります。


そして―――


「どう思う?

その村について…。」


桃太郎に対してそう尋ねました。


「どうって…。」


頭領の不明瞭な質問に、桃太郎は戸惑います。

が、何とか答えを見つけ出そうと頭を巡らせて…


「まさかその村というのが…


僕のいた村だったという事ですか?」



「………知らん。」



答えた桃太郎に対し、頭領は短く笑いながらそんな、無責任な答えを返しました。

しかし頭領はこうも付け加えます。


「だが…もしもそうだったとすれば…。

彼らにとって俺達はまさしく『鬼』に見えていたに違いない。」


「で、ですが…だからといって侵略行為が許されるわけではありません!」


頭領の言葉に、桃太郎が反論します。

しかし頭領はそれに対し、険しい表情で言葉を返しました。


「それは俺たちだからそう思えるだけだ。

もしもいざその者の立場になれば…人間どんな行動に出るか分からん。

仕方のない状況というものは、あるものだ。」


頭領の言うことはとても難しく、まだ年齢的にも幼い桃太郎にとっては理解し難いものでした。

しかし頭領の今の話をそのまま捉えるとなると、それはつまり…



「じゃあ…みんな『鬼』、と言う事ですか?

この世の人間は皆誰かにとっての『鬼』。」


俯き、小さく呟く桃太郎を一瞥した後、頭領は鼻を鳴らしました。


「ああ。

裁かれる方も『鬼』…

そんな『鬼』に対して正義感を振りかざし、鉄槌を下す方も『鬼』…なんだ。


ただ…だからといって赦す必要もない。

肝心なのは妥協点だ。

自分自身も相手と同じ『鬼』なんだって事に気付いていればいい。」


桃太郎は彼のその言葉を、ただボーッとした様子で聞いてましたが…


「妥協点を探る……。」


彼は独り言のようにそう呟くと、もう一度目の前に並ぶ住民達の亡骸を眺めたのでした。




次の日ーーー


朝も早い時間、村の中心には多くの人が集まっていました。

その中には頭領、おばあさん、そして桃太郎の姿も見えます。


あの村についての今後の対応を話し合う予定です。


頭領は台の上に立ち、前に控える大勢の人々に声高らかに呼びかけました。


「皆のもの!

これより、あの村への対策について話し合いたいと思う!

我らから報復に出るか!

これまでと同じように守りに徹するかだ!」


彼のその言葉に、群衆の中の一人が叫びました。


「もちろん!

報復しようじゃないか!

十年前もそうだが今回もそうだ!

今度は俺たちがあの村を焼き払ってやろう!」


すると今度は別の所からも声が上がります。


「あの村の連中のせいで何人もの人間が殺された!

皆殺しだ!皆殺しにするぞ!!」


それに釣られて皆が一斉に叫び始めました。


「皆殺しだ!皆殺しだ!

あんな悪い奴らは皆殺しにしてしまえばいい!」


「報復してやるんだ!

あの悪魔共に思い知らせてやれ!」


人々の目は血走っており、その様はまるで人とは思えません。

その場にいる全員が憎悪を爆発させるその異様な光景に、桃太郎は嫌な寒気を感じました。


「桃太郎よ。

お前はどうする?」


こんな喧騒の中でも、頭領の問いかけは桃太郎の耳にもはっきりと聞こえました。


「どう………って。

ここは僕の村ではありません…。

僕にそれを決める権利なんて…ありません。」


桃太郎は俯きましたが、頭領はそんな彼を横目で見ただけで、すぐに視線を前に戻しました。


「静まれ!皆のもの!」


そして頭領が一言号令をかけると、群衆の声がピタリと止みました。

そして彼はこんな事を言い出したのです。


「俺の息子…太郎はこの島の人間だ。

そして今ここにいる俺の息子…桃太郎はあの村の人間だ。」


頭領の発言に、群衆がわずかにざわつきます。

発言の意図が分からない。

と言ったところでしょうか。


「つまり、ここにいる我が息子にとってはあの村は第二の故郷なんだ。

仇を取るために復讐するのもいいが、まずはこいつの希望も聞かねばならぬだろう。」


そう言って頭領は桃太郎に目配せをします。

促された桃太郎はかなり困惑している様子を見せますが、しかし頭領はそんな彼に対しこう言います。



「自分の理想を遠慮せずにぶつけろ。


妥協点というのはそこから見つけるものだ。」


その言葉を聞いた桃太郎はハッと何かに気が付いたかの様な顔を見せると、すぐにそれは決心のついた表情へと変わりました。


そして彼は台の上へ上がると、目の前に広がる人々を見渡します。




自分はこの島の人間をたくさん殺した―――


そんな自分が今から言おうとする事を、果たして皆は聞き入れてくれるのだろうか―――



彼はそう思うと、緊張のあまり唇が震えます。


しかしそれでも、彼は勇気を振り絞り…


「皆さん…。

僕の話を、少しだけ聞いてください。」




静かに語りかけました。




「僕は…


ここに来るまで…


自分こそが正義だと思い込んでいました。」



彼は唾を小さく、飲み込みました。



「だけど…思ったんです。

自分が正義であるならば…


悪は何を考え、何を思うのだろうか…と。


人を殺し、傷つける悪は…


自らを悪だと自覚しているのだろうか…と。」



その場が静かなせいでしょうか…

彼は自分の言葉がやけに耳に響きました。



「僕はあなた達を傷つけた。


決して僕を許してくれなんて言いません。


僕がどれだけ謝罪したところで、僕に殺された人達は返ってこないのですから!


でも…


でも…!」


そこで桃太郎は覚悟を決め、こう言い放ちました。



「あなた達は決して手を汚してはなりません!

復讐に自らの手を染めないでください!」


彼の言葉がその場に響き渡った後、そこはしばしの静寂に包まれました。

人々は何も言わず、目の前に立つ桃太郎のことをただ見ていたのでした。


しかし―――


「せがれさんよぅ…。」


その中の一人の男が、その頭領の息子に呼びかけます。


「あんたがこの島に攻めてきた事情は知ってる…。

あんたに対して思う事がないって事はねえが…。

だがあんたからしてみれば仕方がない事だし、むしろあんたは被害者だと思う。

だから俺達はあんたに対して復讐をしたいわけじゃねぇ。」


その口調は桃太郎に対しての呆れた様子がありありと感じ取られ、桃太郎はその表情をわずかに陰らせます。


「だがあの村にはケジメってもんを取らせてもらう。

そうじゃねえと死んだ奴らは浮かばれやしねえ。」


案の定―――


桃太郎の気持ちなど全く伝わらなかった様です。



それもそのはず。


桃太郎がいくらこれについて説得したところで、彼らにそれが伝わる事はないのです。


なぜなら…


その理由は、別の場所から出た言葉によって、明らかになります。


それは幼い少年の声。




「だいたい……

みんなをころしたのは、おまえだろう…」




憎しみに震える声を振り絞ったのは―――


昨日の墓地で出会った子供でした。




その言葉に対して、人々は何も言いませんでした。


むしろ、その言葉に後押しされる様に―――



人々は皆桃太郎の事を睨みつけていたのです。

みんな言葉には出しませんが、その視線から感じられるのは桃太郎に対する明確な憎しみの感情。


皆桃太郎の事情は知っています。

彼はただ洗脳されていただけで、むしろ被害者というべきです。


しかし―――


しかし、桃太郎のその手で彼らの大切な人々を殺めた事実も変わりません。


だから何も伝わらない。


いくら彼が復讐を行う事に反対したところで、当然人々は聞く耳など持たないのでした。



そんな桃太郎は、その突き刺さる様な目を受け、そんな中で―――


彼は自らの今のこの状況を改めて実感しました。


皆、自分を憎んでいる―――

この状況を。



そしてそれにより、ある感情がふつふつと湧き上がってきている事に彼は気が付きます。


それは―――



びっくりするくらいの、乾いた感情―――


でした。




悲しみでも、後悔でも、申し訳なさでもなく―――


自らに対しての、自嘲。




桃太郎は実感しました。



今の、自分の姿は…


正義の味方が、正義のままに行動した結果に成り果てた姿―――



みんなから―――



恐れられ、怖がられ、憎まれ、悪まれ、恨まれ、嫌われ、忌み嫌われ、蔑まれ、軽蔑され、貶され、睨まれ、責められ、虐められ、嫌がられ、厭がられ、疎まれ―――



これが自らが憧れた―――



正義の正体。



自らを正義と名乗り、悪事を働く。



自分こそまさに―――


悪よりも最低で…

虫ケラよりも下等で…

反吐よりも醜悪で…


そして………



『鬼』よりも非道な存在だった。



しかし―――



しかし彼は思いました。



そんな自分だからこそ言える事があるのだと。



彼はもう一度息を吸うと―――


「ええ。

みんなを殺したのは、僕です。


正義の名のもとに、『鬼退治』と称して。」



吐き出した声はどこか無感情に感じられ…



人々の目がさらに一層険しいものとなります。



「皆…僕を見てください。


あなた達には、僕がどう見えてますか?



…僕は、自分こそが正義だと思ってました。


今、あなた達の目の前にいる、この憎むべき最低で最悪の『鬼』は…


自らの事を正義だと信じていたんですよ。


とても信じられない話ですが、あなた達が今から復讐を果たそうとしている仇もそうなんです。」



その内容、声、口調は、今までの彼からは想像出来ないくらいの無機質なものに感じられました。


そんな彼の言葉を受け、一人の女が悲痛な叫びをあげます。


「じゃあなんだって言うの!?

このまま泣き寝入りでもしろと言うの!?

こんなに……こんなにたくさんの人が殺されていると言うのに…。」


彼女はその両腕に木箱を抱えていましたが、

桃太郎にはその箱の中に何が入っているのか、おおよそ想像がつきました。


彼女のやるせない気持ち。


彼はそれも理解しています。


だから―――


「だから妥協してください。


許すべきだ、見過ごすべきだとは言いません。



妥協……


………するのです。」



そうして彼はまた、前を向きました。


彼のその顔はまさに、正義に憧れる幼い少年ではなく―――



現実を見定める『鬼』の顔でした。

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