第14話 桜が好きだ

「売れる売れないは問題ではありませんが、売れます。必ず。おふたりが一番よく分かっていらっしゃるでしょう。敷地内に店を出すこと、許可いただけますね」

 國彦は眉間にしわを寄せて目を閉じ、息を吐いた。

「もうよい、お前の屁理屈には付き合いきれん」

 席を立った國彦に、子槻が驚いたように立ち上がって追いかける。

「父上、お話はまだ終わっておりません」

「わたしは香水を作れと言ったのだ。香を作れとは言っておらん」

「お待ちください!」

 春子は反射的に椅子から立ち上がって声をあげていた。國彦と子槻が振り向く。

 考えて呼び止めたわけではなかった。國彦の威圧する視線に鼓動が速まる。けれど。

「桜の香水は『香水』として作りました。ちゃんと本来の使い方でご紹介できなかったこと、申し訳なく存じます。けれどどんなに素晴らしいものを作っても、ただ紹介すれば絶対に認めてもらえないと思いました。子槻さんはわたしにお店をさせたいと、苦心なさってくれています。けど、店を認める認めないとは関係なく、感想だけを伺いたいのです。平民も、わたし自体も何も関係なく、作った香水だけに評価をいただきたい。それさえ伺えれば、申し訳ありませんがわたしは店などよいのです。もともと現実味のないお話でしたから。だから、本当は好きだったのか、本当に嫌いだったのか、お聞かせいただきたいのです」

 國彦は拒絶しているのか戸惑っているのかよく分からないふうに目を細くして、視線を外す。

「嫌いだ」

 やはり認められないからなのか、本当に嫌いなのかは分からない。けれど春子は心が沈みながらも言葉をきちんと胸の中へ落とした。

「分かり、ました。では、具体的に何がお嫌いだったのでしょうか」

 國彦は眉をひそめる。

「君も往生際が悪いのか。そんなものを聞いて何になる」

「今後に生かしたいのです。桜自体がお嫌いなのですか?」

「君に話す義理はなかろう」

「ではわたしが桜の着物だったのが気に障ったのですか?」

「そういう問題ではない」

「あ、まさかわたしの名前に『櫻』が入っているから……」

「何を言っているのだ君は」

 春子が飛躍した思考で青ざめたのと、國彦が呆れ返った顔をしたのと同時に、抑えた笑い声がした。子槻が國彦のそばで口元を押さえて笑いをこらえている。

「春子、そのくらいにしておきなさい。父上が桜の香水を嫌いだなどと、うそに決まっているだろう。この場にいる皆、桜が好きだ。父上も、母上も、春子も、このりも、もちろんわたしも」

 國彦は苦々しい顔になり、扉へ体を翻す。

「父上、お待ちください。まだお話は」

「勝手にするがいい。勝手に店を出し、勝手に責任を取れ」

 子槻は抗議の形に口をひらきかけて、一拍おいて間の抜けた顔になった。

「では、勝手に店を出しても」

「責任は取らん。すべて自分で何とかしろ」

 國彦は振り返らず、扉を開けて出ていく。ハナが慌てたようにあとを追って、部屋から出ていった。

 春子が呆然と扉を見つめるなか、子槻が駆け戻ってくる。

「やったぞ春子。よく頑張った」

 子槻は目を輝かせて、幸せそのもののようにくしゃりと笑った。子どもにするように、春子の頭を撫でる。よく知らない男性に触れられるなどあってはならないことだが、本当に子どもに接しているようで、他意は感じられなかった。

「ありがとうございます。ちょっと強引でしたが……」

「いいのだ。父上は厳しくてああいう言い方しかできない人だが、本当は照れているだけなのだ。素直ではないだけだよ」

 あれが照れているとしたら気持ちの読み方が難しすぎる、と思ったが、子槻が満足そうなので言わないでおく。

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