まことから出たなんとやら。

ねずみ

第1話


「どんな本を読むの?」

帰宅するところを見られたかと首を傾げ、そういえば出張のときにそんな会話をしたなと思い出す。ちょうど駅に到着したのでそのときは終わったが、会話のフックとして記憶されていたらしい。

そうですね、と記憶を探るふりをしつつ、相手の目と肩と腰を見る。緊張はないがリラックスしているようでもない。仕事の質問以外の一切をせず、昼食でも人を避ける後輩をなんとか溶け込ませようと気遣っているのかもしれない。申し訳ないと思わなくもないが、しかし正直に答える気にはならなかった。

雑談の端々から推察されるこの人の好みは、私の嗜好とだいぶ離れている。この人、たぶん人間どうしのぶつかり合いが好きだ。自分が選ばなかったものを娯楽として味わう、発散のしかたまで自律されているのがなんともこの人らしいけれど、あいにく私は現実でお腹いっぱいだった。しかしこの人はこの通り人当たりが好くマメなので、具体例を挙げればそこそこの確率で読んだ感想をくれようとしてしまうだろう。口に合わないと予想しながら己の好物をさらす気もなく、かといって小説以外のジャンルを返せば触れられたくなかったと取られかねない。行間を察して言葉でぶつけられる前に気を回そうとする人だ。世話になっているので邪険にする気はないのだが、さてどうしたものか。

メインキャラクターが社会人でファンタジー要素がなくて、地道な我慢からのどんでん返しがあってそれなりに名が知れているもの。映像化されているともっといい。いくつか候補が浮かび、私が好意的な感想を出せるものをと考えて全部消えた。むり。『下町ロケット』なんかドラマにもなってぴったりだがミリも私の口には合わない。描写が鮮やかなのでこれはフィクションの防護壁をやすやす打ち破ってくる。

『空の中』はどうだろうか、大人はそこそこバチバチする記憶がある。しかしこの忙しい人にあのページ数を読ませるのはあまり気が進まない。序盤の色塗りが丁寧なのは私の好みには合うが、せっかちなこの人には加速が中盤からなのはじれったいかもしれない。理系ネタもあって楽しいんだけど。……あ。

「最近だと『探偵ガリレオ』とかですかねー」

読んだのは最近どころかもう5年も前なのだが。もそもそ顔を上げて目を合わせる。こちらを見たまま待ってくれていたらしいこの人が応えて笑んでみせる、その直前の目がわずかに緊張していたのを拾った。嫌だったわけではないんですすみません、と胸の中で呟く。口に出しても困らせるだけだろう。

普段からゆるくとろく話しているのは抑揚のなさをごまかすのが半分で思考時間を確保するのが半分、しかしこういう話になると足りなくなる。私に雑談を振ってくるのはこの人ぐらいなもので、この人は待っていてくれるので構わないといえば構わないのだが、気を揉ませるのもわずかな息抜きの時間をもらうのもなんだか申し訳ない。ので。

「主人公の性別がドラマと逆なんですよ」

自分の言葉に被せて追加情報を投げる。ドラマだけだと話が食い違いますよを言外に含め、その上に会話をいったん切りましょうかを乗せる。肩がゆるんだので伝わったかしらと思う。続けるなら続けるだろうし終わりたければ終わるだろう。馴染まない後輩の面倒より、先輩のモニターで自己主張をはじめたメールの着信通知のほうが優先されるべきだ。

そうなんだ、おもしろいねと明るい声が返ってくる。視線をこちらに向けたままにするので、こちらの目線をモニターに移して、戻してみせる。ごめんメールきちゃってる、いえこちらこそお時間取らせて。茶番だなあと思うが、この人が安心するならいいかとも思う。

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まことから出たなんとやら。 ねずみ @petegene

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