☖『三歩持ったら継ぎ歩に垂れ歩』

 まず最初に決着がついたのは真菜だった。あっという間の出来事だった。

 真菜は“穴熊囲い”だけを残したまま、攻め駒を全て取られてしまった。

 俗に言う“穴熊の姿焼き”という状態だ。こうなってはもう為す術が無い。


「たしかに強くなったな。ようやく自分から攻めることを覚えたっつーかよ。なんだ、心境の変化でもあったか?」


 桑原はまだ悟と双葉との対局をしている途中だが、ほぼノータイムで指すため、二人が考えている合間に真菜に対して感想戦を行っている。


「でも、ちょっと攻めっ気が勝ちすぎてんな。それも一つの将棋だけどよ、それぞれ得意不得意ってもんがあるだろう。技術は身に着けられるけどよ、根っこんとこの性格はそうそう変えらんねえよ」


 自分の将棋に集中すべきなのだが、どうしても耳に入ってしまう。

 対局の内容というより、もっと深いアドバイスのようにも聞こえる。


「影響されちまったか? ま、それを自分のモンとして消化するにゃ、もう少し時間かかるわな。若えうちは色々やってみるのがいいさ」


 その次に投了したのは悟だった。


「兄ちゃんは初心者の割にゃ周りがちゃんと見えてんな。だけどよ、それだけじゃ足りねえ。目の前にあるのは盤だけじゃねえだろ? 向かい合ってる相手が何をしたいのか、何をされたくないのかを想像するといい」


 悟は黙って何度もうなずいている。


「人付き合いが苦手なタイプか? ……いや苦手っつーか、あえて他人を見ねえようにしてんのか。でもな、将棋は対話だぜ。目の前の相手を理解せずに勝っても楽しくねえだろ」


 何かを考え込むように口元に手を当てている悟に、双葉は声をかけそうになるのを我慢した。

 まだ自分の対局は終わっていない。


「とりあえずは……5級ってとこだな」


 そして、ほどなくして双葉の対局も終わった。

 桑原は双葉が今まで指してきた誰よりも強かった。

 まるで自分が一手指す間に、桑原は二手指しているような、そんな錯覚すら覚えた。


「嬢ちゃんは将棋初めてまだ一年経ってないんだってな。そんだけ指せるなら大したもんだ」


 真菜よりも善戦できたのは、桑原が指導対局のつもりで相手をしてくれたからだということを双葉は十分に理解していた。もし本気だったら、もっと早く詰まされていただろう。


 桑原のの底が見えなかった。

 足が付かない深い海を漂っているような感覚。

 自分がこれまで“将棋”だと思っていたものは、ただ浅瀬で水遊びをしていただけだった。


「攻めの筋もいい。だが、なんつーか自分を追い込むような攻め方だな。攻め続けなきゃ不安か?」


 桑原の言葉が、心のどこか一番痛いところを突いた気がした。

 同じことを、いつか自分でも考えたことがあるような。


「何を焦ってんのかは知らねえけどよ、もっと自分の持ち味を生かす道を考えると、嬢ちゃんはもっと強くなるぜ」


 自分の持ち味。それはひたすら攻め続けることだと思っていた。

 でも、それだけじゃない?


「ちょっと甘めにつけて、初段だ。真菜ちゃんと同じだな」


 桑原は最後にそう言って、老眼鏡を外した。

 感想戦が終わり礼を終えたとき、双葉は自分の背後にギャラリーができていることに気付いた。


「お嬢ちゃん強いね! 中学生? 飴あげるよ」

「ワシらの中で相手ができそうなの、マサさんとシゲさんくらいかの」

「兄ちゃんの方とは良い勝負ができそうだの。はっはっはー」


 さっきまで奥で指していた人はずのたちが一斉に双葉たちを取り囲む。


「あーもう、双葉ちゃんびっくりしてるでしょ。道場来るの初めてなんだから、皆ちょっと遠慮して」


「いやーこんな可愛い子がこんなトコに来てくれるなんて珍しくてなあ」


「……あれ、私は?」


「“腰掛け銀”ってのも、また渋いよねえ。若い子が将棋に興味持ってくれると嬉しいねえ」


「……ねえ、私は?」


「しかもそれで強いんだから大したもんだ。ほら、飴食べな」


「……」


 真菜がいじけている。

 双葉は狼狽えるばかりだったが、常連の一人が真菜に声をかけた。


「じょ、冗談じゃよ、真菜ちゃん。あ、そうそう、今度の大会ワシと組まない?」


「……組む?」


「ほら、これだよ」


 そう言って壁に貼っているポスターを指でさした。

 手書きで何か書いてある。


『11月17日 桑原杯 団体戦(三人一組)/個人戦 詳細は桑原まで』


 双葉と真菜が振り返ると、換気扇の下で煙草を吸っていた桑原が火を消しながら気怠そうに歩いてきた。


「あー、最近若い客も増えたんだけどよ。そいつらが団体戦やりてえって言うから、常連にも聞いたら乗り気でな」


「そうそう。真菜ちゃん、ワシんとこのチーム来てよ」


「おめえ、抜け駆けすんじゃねえ! 真菜ちゃんはオレと組むんだよ」


「個人戦は別にどうとでもなるんだが、団体戦は当日ぜってぇ誰と組むかとかで揉めるからよ。事前エントリー制にしてんだ」


「へえ……団体戦……三人一組」


 双葉と真菜が顔を見合わせ、お互いにうなずく。


「再来週なら来れます!」


 双葉は力強く真菜に答えた。


「サトルちゃんもどうせヒマでしょ?」


「駄目っすか? 先輩」


「……え? いや、だって俺5級だぞ? 無理だろ、団体戦なんて」


「兄ちゃん、心配すんな。団体戦に関しては棋力差分の手合い割はつけるルールだ。そうじゃねえと詰まんねえからな。ただチーム組みに関しては制限をつけさせてもらってる」


「制限ですか?」


「ああ。初段はマイナス1、二段は-2、1級はプラス1、2級は+2、ってな計算をして三人の合計がゼロ以上にならなきゃ駄目っつーことにしてる。強え奴ら同士が組んでも面白くねえだろ?」


「私たちだと、先輩が+5、私と双葉ちゃんが-1で、合計3だ。余裕でクリアしてますね!」


「でも余裕ってことは、不利ってことなんじゃ……?」


「あーもう細かいことはいいでしょ。サトルちゃんが出たいか、出たくないか、それだけ」


「そりゃ、まあせっかくだし出てみたいけど」


「じゃあ決まりっすね」


 真菜を先頭に三人が桑原に向かい合う。


「私たち、この三人で出たいです!」


 そんな真菜の言葉に桑原は楽しげに笑い、「まあ頑張んな」と煙草をもう一本くゆらせた。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・

 


 ☖真菜の将棋格言講座☖

 

 『三歩持ったらぎ歩にれ歩』


 三っていう数字は、なんだか特別な感じがしますよね。

 「三人寄れば文殊の知恵」とか「三本の矢」とか。一つ一つが小さくても三つ集まれば何かできる、みたいな意味でよく使われますよね。

 少なすぎず、多すぎず。そんな絶妙な数だから、諺や慣用句で使われるんでしょうね。


 同じように将棋でも三を使ったこんな格言があるんです。

 “継ぎ歩”っていうのはを二枚連続で相手の駒の前に叩きつけることです。

 だいたいの場合は目の前にを打たれたら取りますよね。それを二回繰り返すと、相手の陣地にスペースができます。

 そして、そこに三枚目のを打つんです。相手の陣地内なので、そのは次にになれますよね。これを“垂れ歩”と呼びます。


 “継ぎ歩”も“垂れ歩”も有名な攻めの手筋ですけど、それを組み合わせたわけっすね。

 が三枚あるだけで攻めの拠点が作れるってことで、これを知っとくと相手の“囲い”を崩すときなんかに役立ちますよ。


 私たち三人もせっかく一緒に組むわけですから、なんだかいろいろやれるような気になりません? え? 将棋は個人競技だから関係ないだろう?

 もー、先輩こういうところ結構ドライっすよねー。

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