☖『金底の歩、岩より堅し』

 熱戦の余韻が残るなか、簡単な“感想戦”を行った。

 対局の内容について互いに振り返る“感想戦”は、双葉にとってテレビやネットでしか見たことのない憧れのものでもあった。もちろん、双葉はそんなことを決しておくびにも出さず、「この手は悪くないけど五手詰めがあったよ、詰めが甘いね」などとあっさり告げて、悟の悔しがる様を堪能した。


 そして、その後もさらに二回対局を行った。


 二局目は、を交換しない緩やかな戦いとなった。

 一局目のミスが頭から拭えなかった双葉は、角道を塞いでの交換を拒んだ。

 安全策を選んだつもりだったが、慣れない消極的な戦法は攻め筋を鈍らせる。

 何かを掴んだ悟の猛追を凌ぎ切れず、双葉の完全な敗北となった。


 双葉は悔しくて仕方がなかったが、同時に悟の成長が喜ばしくもあった。

 そんな複雑な想いを噛みしめ、ここは素直に褒めようと意を決していたところ、自分の投了の言葉とともにガッツポーズを取った悟に腹が立ったので「それ、マナー違反だから!」と強くいさめ、結局褒めるタイミングを逃してしまった。


 三局目は、双葉も何かが吹っ切れた。

 一局目よりもさらに激しい攻め合いが続き、お互いに一歩も引かない。

 乱戦のさなか、双葉は不思議な感覚に包まれていた。

 次に悟がどう攻めようとするのか、何を考えているのかが分かる。

 そして逆に、自分がどう考えているのかも、悟に伝わっていることが分かる。

 双葉はこれまで千回以上のネット対局を行ってきたが、初めての体験だった。

 表情。動作。目線。呼吸。

 お互いの一挙一動が伝え合う。

 悟も双葉も、無意識のうちに笑っていた。


 終盤、を切って王手をかけてくる悟に、双葉は何度も冷や汗をかいた。

 だが、終盤力では双葉に分があった。

 最後は一手差で双葉の勝利となった。


「負けました」


 悟の言葉を聞き、双葉は大きく息を吐く。

 手が小さく震えている。

 これも双葉にとって初めての経験だった。


「勝ちそうなときって、なんかドキドキして手が震えるな」


 内心を見透かされているのかと顔を上げると、悟も自分の手を見つめていた。

 悟の手も震えていた。


「……そういうもんだよ」


 つい恰好を付けた言い方をした自分が恥ずかしくなったが、悟が尊敬の眼差しを注いできたので、双葉はそれ以上何も言わなかった。


「そういや双葉さ、ネット対局しかやってないって言ってたよな。なんでそんなに持つの上手いの?」


 悟がそう言って、おぼつかない手つきで駒をつまんだ。

 双葉の真似をしようとしているが、ぽろっと駒をこぼす。


「別に、ネットで持ち方調べただけだよ」


 双葉は親指と中指で駒をつまみ上げ、中指の腹と人差し指の爪で駒の上下を支える。

 そして駒が盤に接地する瞬間、中指を押し出し、パチンと駒音を響かせた。


「そう、それそれ」


 悟が真似をしようとしているが、人差し指が盤に当たるので駒音は鳴らない。

 最初はそんなものだろう。自分だって駒を買ってもらってから相当練習をした。


「持ち方はともかく、この前よりは随分マシになったんじゃない?」


 駒音を鳴らそうとして失敗を繰り返す悟を眺めるのも飽きたので、双葉は話題を変えた。

 一回とはいえ、自分に勝ったのだ。ちゃんと褒めよう。そう心に決めて。


「最後の粘りも……まあまあだったよ。“底歩そこふ”なんて手筋も使っちゃって」


 終盤、双葉がを奪い、それを使って攻めていたときの局面を思い出す。

 悟はの下にを打ち、守りを固めた。

 “金底きんぞこの歩”と呼ばれる手筋だ。シンプルな手ではあるが、これが意外に堅い。


「いろいろ覚えたからな」


 駒を盤に置き、悟が自慢げに言う。

 自分に勝つために努力してくれたことが双葉には嬉しかった。


「でも、サトルちゃん。やっぱり終盤が甘いよ。詰将棋やった方がいいんじゃない?」


 だよなあ、と悟は頭を掻いた。


「ああ、そうだ。……これ、貸したげる」


 双葉は本棚から三手詰めのハンドブックを取り出し、悟に見せた。

 もう読むことはないだろうから、あげてもいい。でも、貸せばいつか返しに来たときに対局ができる。

 ほんの一瞬でそんな“読み”を入れ、双葉は本を差し出した。


「あ、それ俺持ってる」


 意外な返答に戸惑ったが、ちゃんと勉強している悟に感心した。


「へえ。ちゃんと買ったんだ」


「買ったっつーか、同僚からもらった。将棋やる同僚がいてさ、その人がいろいろ教えてくれたんだよ」


「ふーん」


 なるほど、と腑に落ちた。悟の急成長の理由がわかった。

 通りで手強かったわけだ。その人が悟の“金底の歩”だ。


「“棒銀”を勧めてくれたのもその人。俺には合ってるんじゃないかって」


「へえ。……どんな人?」


 俄然興味が湧いてきた。

 “棒銀”は初心者にも分かりやすい戦法だが、その言い方だと悟の性格を知って勧めたように聞こえる。


「えーと……。ああ、これ見てもらえばいいか」


 悟がスマートフォンを取り出し、双葉に向けた。

 双葉は写真でも見せるのかと期待したが、そこに映っていたのは“将棋ウォーリアー”の画面だった。

 そして“友達一覧”に一人だけいる名前を悟がタップする。


「この人」


「二段……。“manamanamanaまなまなまな”?」


「そう。会社の後輩」


「後輩……」


 段位は自分よりも一つ上。でも、それより名前の方が気になった。


「ふーん。……ねえ、このひと、マナって名前?」


「ああ。このアカウント名はちょっと安直だよな」


 悟の“satoru_sasusho指す将”だって似たようなものだと思うのだが。

 しかし、今はそれよりも確認すべきことがある。

 双葉は思い切って聞いた。


「じゃあこの人って、女の人?」


「ん? ああ」


「仲いいの?」


「んー、週に2~3回、仕事が終わったあとに将棋を習ってるなあ」


「ふーーーん」


 双葉は頭の中で様々な“読み”を入れる。

 さっきの対局よりも頭を使っているかもしれない。


「……ねえ、負けたから言うこと一つ聞いてくれるんだよね」


「あー、そうだったな。いいよ、聞く。何がいい?」


 もう“聖地巡礼”のお願いは双葉の頭からすっかり消えていた。

 いま攻めなければ、負ける。

 双葉はそう直感的に感じ取っていた。


「私……この人と対局したい」


 悟の目を見据え、はっきりと双葉がそう口にした。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・

 


 ☖真菜の将棋格言講座☖

 

 『金底の歩、岩より堅し』


 の下にを打つ。それだけで横からの攻めにはかなり強くなるんですよ。

 無理やりを取ったらで取られる。かといってを取ったらで取られる。たとえでも迂闊うかつに手を出せないので、「岩より堅い」なんて言われるんすね。一枚でを防げるなら、コスパ最強ですもんね。


 とはいえ、このガードにも弱点があって、たとえば相手がを持ってた場合はの上に打たれると一気に崩れちゃうんですよ。楔を打ち込まれると割れちゃうところも、なんか岩っぽいっすね。


 こういう“手筋”を覚えると、中盤から終盤にかけてグッと強くなるんで、先輩もいろいろ覚えてくださいね。……私で良ければ、いくらでも“底歩”になりますから!

 え? 意味がわからない?

 ええと要するに、頑張ってフォローするって意味っす……。

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