☗“指す将”はじめました!☖ 〜「振り飛車党の美人系後輩」vs「居飛車党の美少女従妹」〜

穂実田 凪

序盤戦

【手番】悟

☗『開戦は歩の突き捨てから』

 ぱちん、と小気味の良い音が部屋に響く。

 細い指が器用に駒をつかみ、王将の前に置いた。


 もしかして俺、負けたのか? こんなにも早く?

 さとるが冷や汗とともに盤から顔を上げると、目の前の女子は落胆したように溜息をついた。


「はあ。サトルちゃん、雑っ魚ざっこ


 そう言い放ったのは中学1年生の従妹いとこ双葉ふたばだ。


 最近なぜか将棋にハマったらしく、ぜひ相手をしてやってほしいと悟が叔母から頼まれたのは先週のこと。悟としては、久しぶりに可愛い従妹の顔を見るのも悪くないと思い、わざわざ電車で数時間かけて帰省をしたわけである。


 約二年ぶりに会う従妹は想像していた以上に大きくなっていたが、くりくりとした大きな瞳や、引き絞ったような小さな唇は小学生の頃の面影がしっかりと残っていた。今は髪を伸ばしているのか、肩に付くくらいの黒髪が市松人形のようで微笑ましかった。

 そんな双葉から投げかけられた悪態に、悟は少なからずショックを受けた。


 ほんの数年前は「将来サトルちゃんと結婚してもいいよ!」とまで懐いていたのに。これが反抗期というやつなのだろうか。

 悟は動揺を隠し、双葉に問いかけた。


「なあ……これ、もうダメだよな?」


「見ればわかるっしょ」


「……こう、しても詰むし……こう、でも無理か」


 将棋のルールは一通り知っている程度の悟だったが、双葉も将棋を始めてまだ半年くらいと叔母から聞いていた。ならば自分と似たようなものだろうと悟は考えていたが、それは大間違いだった。

 序盤にを交換したところまではまだ良かった。だが、そのを空いたスペースに打ち込まれ、一手指すごとに形勢が悪くなるのは素人の悟でも十分に感じていた。


「マジでがっかりだよ、サトルちゃん。こんなに弱いとは思わなかった」


「おいおい双葉よ。久しぶりに会ったってのに、そこまで言わなくてもよう」


「そうだよ。ほんと、久しぶりだったのに……」


 はあ、と双葉がもう一度大きな溜息をつく。


「先手番も譲ってくるから、よっぽど自信あるのかって思ってたのに。なんにも知らなかっただけなのね」


 レディーファースト程度にしか考えず、先手を双葉に譲り、その代わり“玉”ではなく“王”を使わせてもらった。そのときの双葉の期待に満ちた顔が今や見る影もない。


「な、もう一回! もう一回やろう!」


「こんなんじゃ何回やっても同じだよ。それより私、まだ聞いてないんだけど」


「ん? なにを?」


「投了の言葉」


 どういう意味か理解できずにいる悟に向けて、双葉が淡々と言う。


「あのね、将棋は自分から負けを認めないと終わらないんだよ」


「え? そういうもんなのか?」


「そういうもんなの」


「ええと……ま、負けました」


 言葉にした途端、心の奥から悔しさが滲み出す。こんなに悔しいのは何年ぶりだろうか。

 悔しさを噛みしめる悟を気にすることなく、当然とばかりに双葉は小さくうなずき、駒を片付け始めた。


「なあ、双葉。将棋覚えて半年くらいなんだよな?」


「ネットでしか対局したことないけどね。この前、“将棋ウォーリアー”ってアプリで初段になった」


「……へえ、結構強いじゃんよ」


 それがどの程度のレベルなのか悟にはわからなかったが、段位ということはそれなりに強いのだろう。


「全然。私なんてまだまだだよ。まあ悟ちゃんよりはずっと強いけど」


 何が火をつけたのだろうか。悟は自分の中で何かが燃え上がっていることに気付いた。

 あの可愛かった従妹に馬鹿にされた屈辱か。それとも自分から負けを切り出した惨めさか。

 いや、違う。に味わったあの敗北感と似ている。思い出したくもないあの挫折感に似ているのだと、悟は思い至った。

 だが、この屈辱は自分の努力で覆らせることができるはずだ。その点においてだけは決定的に違う。


 ならば、見返してやる。本気で勉強してやる。社会人をなめるなよ。

 悟は拳を握りしめ、勢いよく立ち上がった。


「来月! また来るから! リベンジ戦、待ってろよ!」


「……ふーん。期待せずに待ってる」


 双葉との二年ぶりの対面はたった一時間程で終わった。しかもその間、ほとんど会話を交わさず、ただ将棋をしただけである。

 だが、不思議なことに今まで以上に双葉のことを理解できた気がする。

 帰りの電車の中、悟はそんなことを思いながらスマートフォンで将棋の教則本を探していた。



・・・・ ・ ・・・・・・………─────────────………・・・・・・ ・ ・・・・

 


 ☗双葉の将棋格言講座☗

 

 『開戦は歩の突き捨てから』


 こういう将棋の格言ってけっこう参考になるから覚えて損はないよ、サトルちゃん。

 っていろんな攻め方に使えるんだけど、同じ筋(縦の列)に二枚置くことはできないから、をわざと取らせてから打つって技が有効なのよね。

 あ、ちなみに普通は「将棋をす」だけど、持ち駒を置く場合は「打つ」って言うからね。あーもう、こんな基本から教えないといけないなんて、ほんと面倒い。


 で、そのだけど、戦いの最中だとぶつけても相手がとってくれない場合もあるのよね。まあ、サトルちゃんは目の前にが来たらホイホイ取るんだろうけど、場合によっては取らない方がいいことも多いんだからね。が三枚以上ぶつかったら初段以上、みたいなことも言われるくらい。

 だから最初のうちに突いて相手に取らせようっていうのがこの格言。もちろん無駄に取らせても意味は無いから、ちゃんと攻めようとする場所を狙うのが必要だけど。

 ちょっとは勉強になった? 早くちゃんと相手になるくらい強くなってよね、もう。

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