29 【悲報】新たな宿、壊れる
ノノイさんは人目をはばかってか表通りは使わず、時折周囲を警戒しながら身を隠すように路地裏を進んでいく。尾行を恐れているような動きだった。
何度か分かれ道を曲がり、時には引き返したりして古びた木戸の前に辿り着いた。
ノノイさんが戸を背にして周囲に注意を払いながら静かにノックをすると、少し間を置いてから内側に誰かが立つ気配がした。
「私よ、開けて」
ノノイさんの声に返事はなかったけど、すぐにガタッと物音がして戸が少しだけ開けられた。
隙間から青い、ひび割れたトルコ石のような瞳が覗いた。
その瞳はワタシたちの姿を確認すると、キョロキョロと素早く周囲を見渡してから引っ込み、もう少しだけ隙間が広がった。
「さっ、入るわよ」
ノノイさんが返事を待たずに中へ身を滑り込ませる。それに続いてワタシも慌てて隙間に体を押し込んだ。
中は薄暗くて、長く使われていない部屋のように埃っぽい。
一段と暗くなったせいで目が利かなくなってしまう。とりあえず匂いで周囲の様子を探ると、食べ物だったり動物だったり、いろんな種類が混ざっていた。
おそらく複数の人がここに身を潜めてるんだろう。
「お帰りなさいッス、ノノイさん。どうでしたか、街の様子は?」
「相変わらずね。どこもかしこも葬式みたいに沈んでて、こっちまで暗くなりそうだったわ」
鼻をスンスン鳴らして少しでも情報を得ようとしているワタシの後ろで、ノノイさんともう一人がヒソヒソと小声で話し始めた。
街の様子、人々の動向、そして事件の進展。
話を進める度に、二人共疲れを体の外に押しだそうとしてるみたいに息を吐いていた。
「街の雰囲気が悪くなるのはどうにかして欲しいんスけど、仕方ないッスよね。みんな不安なのはおんなじッスもんね……ところで後ろの子はどちら様ッスかね?」
「ああ、紹介してなかったわね。この子は……ちょっとアンタ。自己紹介しなさい」
「……また名前訊いてなかったんスか?」
「ほらッ、さっさとする!」
誤魔化すみたいに急かしてくるノノイさんに、背後の女性っぽい声の人から呆れたといった感じのため息が聞こえてきた。
そういえば色々あって自己紹介してなかった、完全に忘れてたよ。
呼びつけに応じて二人の側に小走りで駆け寄って頭を下げる。
視界はすでに明るさを取り戻していた。
「トイディと言います、イディって呼んでください。ワタシ行く当てがなくて、街がおかしくなってるのにも気がつかなくて。フラフラしてたところをノノイさんに拾ってもらったんです。
急なことだったんで名前も言ってなくて、名乗るのを忘れたのはワタシなのであまりノノイさんを攻めないでください」
「おお~! こんな小さいのにしっかりした子ッスね~。アタシは
差しだされた大きな手を握り返す。
ちょっとヒヤッとしていて、なんかペタっとした感触が返ってくる。
シュルカさんは大きな目をクリクリ動かしながら、ワタシと目線の高さを合わせるように腰を屈めた。
独特な色の虹彩と縦に切れたような瞳孔がまじまじと見つめてくるのに、緩く尻尾を振りながら愛想笑いを返した。
恐いとは違うんだけど、なんというか……違和感が凄い。
頬や肌の表はツヤツヤした鱗に覆われてる、大きくてしなやかな尻尾もある、なのに髪の毛が生えていて顔の造形は人っぽい。
ワタシがこっちに来てから見た中で、人の造形から最も近いのに離れた人相かもしれない。
ワタシの緊張を払うみたいに、シュルカさんはニカッと快活にギザギザした歯を見せて笑った。……爬虫類っていうより恐竜っぽいな。
「アタシもノノイさんにお世話になってる身ッスから、そんな攻めるなんてとんでもないッスよ。孤児院が危なくなって、急に大勢で押しかけたのに快く匿ってもらったうえに、食料から衣服まで……もうホントにお世話になりっぱなしッス!」
チロッと青い舌を覗かせるシュルカさんの後ろで、ノノイさんは腕を組みながら体ごとそっぽを向いた。暗くて分かりづらいけど、きっと顔が赤くなってる。
文句を言いつつも助けてしまうあたり、ノノイさんも人が好いよな。
「別に、家の倉庫がたまたま空いていたってだけよ。使ってやんないと建物だって痛むから、こっちとしてもタイミングが良かったって話」
シュルカさんがシャラシャラした感じの独特な音を鳴らしながら笑う。
ノノイさんは完全に背を向けてしまってどんな顔をしてるかは見えないけど、なんとなく想像ができてワタシも一緒になって笑った。
「凄い親切なのに恥ずかしがり屋なんスよ、ノノイさんは。今のオールグでアタシたちと関わるだけでも危険なのに、それを顧みないで手を差し伸べてくれたんスから」
「シュルカ! 無駄話もいい加減にしなさい。
はぁ、まったく……。過去の自分が恨めしいわ。気まぐれで人助けなんて、面倒なことこの上な……ッ! シュルカッ!! 今すぐ奥へ! 私がいいと言うまで隠れ」
――ドォン!
突如、入ってきた扉が爆発した。
静寂だった部屋を風と光が引き裂いていく。さっきまでの和やかさは、完膚なきまでに破壊され尽くしていた。
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