27 影からの視線


 ちょっと涙声だった。

 なんでかは分からないけど、ワタシが原因で女性が悲嘆にくれてるのは理解できる。


 こんなにも気の強そうな人が頽れるなんて……きっとよっぽどのことがあったに違いない。


 なんか可哀想だ。ワタシにできることが何か……そうだッ!


 頭の奥から妙案が閃いてきた。

 早速、女性の下から這いだして、わずかに震えてる肩にポンと優しく手を乗せた。


「あの……」

「何よッ! 一緒にいる以上、私も同類だって言いたいの? 共にある者は歩幅まで似るとでもッ!? 分かってるわよ! 自分が岩人族ドワーフのはみ出し者だってことくらい。だからって奇人変人と一緒くたにされたらたまらないわ!」


「そうじゃなくて……」

「だったら何よ!?」


 キッと吊り上がった瞳にゾクゾクしながら、上目づかいでそっとお伺いを立てるみたいに提案した。


「……散歩、行く?」

「なんでよ!? 脳の回路をどう繋げたらそんな意見が出てくるっていうの? アンタちょっと頭が……アンタまさか」

「わぅ……?」


 急に訝しげな視線を向けられた。

 女性は思案顔で親指の爪をクッと噛みながら、じぃーっと穴が開きそうなくらい見つめてくる。


 知的な色が濃く滲む視線に晒されて落ち着かない気持ちと、自分だけを見つめてくれてる喜びがごちゃごちゃに混ざって落ち着かない。


 でも嬉しさが勝って、尻尾が揺れるのを止められなかった。


「まさかね……」


 女性がボソッと小さく呟いて、おもむろに手を伸ばしてくる。

 その手を見つめながら首を傾げていると、徒人族ヒュームの三倍はありそうな大きい指がワタシの眉間をトンッと突っついた。


 その瞬間、小さな風船が目の前で弾けたみたいな衝撃が走った。


 その振動が目の裏を通って脳にまで届くような感覚がして、意識が一気にクリアになっていった。


「も……」

「も?」

「申し訳ありませんでしたぁ!!」


 小声にできたのは無意識の奇跡だった。


 全身全霊の土下座。間違いなく、異世界こっちに来てから一番の謝罪だった。

 でも、これでも到底足りるとは思えない。それくらいのやらかし具合だ。


 さっきまでのワタシをぶん殴ってやりたい! 何が「散歩、行く?」だッ!


 ワタシは馬鹿か!? 犬だ!


 チクショウ、まるで寝起きの顔に冷水をぶちまけられたみたいだ。

 熱に浮かされたみたいにボヤけてた視界が一気に晴れて、自分がやらかしていた今までの奇行が次々に脳裏に甦ってくる。


 さっきまでとは別の意味で血液が沸騰しそうだった。

 完全にやらかした! なにが引き金になったのかは分からないけど、今のは完璧に本能に飲みこまれていた。


 地面の一点を見つめながらガタガタ震える。

 尻尾も今は股の下に丸まって、すっかり大人しくなってた。


「……まさか本当に種族特性の本能に飲みこまれてただけなんてね」


 大きなため息が漏れる音が聞こえてきた。

 恐る恐る顔を上げると、女性は眼鏡を外して眉間を労わるように揉んでいた。


「大方、私に押し倒されて押さえつけられたことで、自分よりも上位のつき従って寵愛を受けるべき存在として認識してしまったってとこかしら?」


 眼鏡をかけなおして、疲れ切った表情で胡乱な視線を向けてくる。

 威圧感すら覚えるジトッとした目つきに、媚びへつらった笑みを返しながら尻尾を緩く振ってみせた。


「へへっ。ど、どうなんですかね? 自分でもよく分かんなくて……」


 油断するとお腹を見せようとする自分を抑え、ご機嫌を伺いながら下手に出る。

 腰に手を当てて見下ろしてくる姿は、できの悪い弟を叱る姉みたいだった。


 彼女がもう一度大きなため息を吐いたのに、居た堪れなくて尻尾が止まった。


「はぁ、もういいわよ。その様子じゃあ自分でもどうしようもないみたいだし。ただ、これからは気をつけなさい。大変な目に合うのはアンタなんだからね」

「は、はい!」


 必死な思いで返事をすると、眉根に寄ってたしわが少し緩んだ。

 それと一緒に柔らかくなった空気に、ワタシも見えないようにホッと息を吐いた。


 なんとか許してもらえそうだ。

 あれだけ煽るみたいなことしたのに……なんて手も懐も大きな女性ひとなんだ!


「さて。アンタも落ち着いたみたいだし、とっとと移動するわよ。こんなとこにいたんじゃ、いつアイツらに見つかるか分かったもんじゃないしね」


 女性は路地の影に身を潜めながら、表通りの方に鋭い視線を送った。

 噴水大広場では、まだ聴衆に向けて演説というか先導というか、怪しげな集会サバトにしか見えない何かが行われてる。


「くそッ、アーセリアの連中は何やってんのよ……。リィルもリィルでどうしたのよ。アンタはそんな、いかにもな連中に捕まるようなタマじゃないでしょう!」


 その様子を見つめながら、癖なのか親指の爪をクッと噛んで険しい顔をした。

 そろそろと刺激しないように立ち上がったところで、ようやく彼女の全身を見ることができた。


 ワタシの場合、こっちの世界では見上げるような身長差が当たり前だけど、この女性ひとはそこまでではなかった。

 おそらく一三〇センチくらい、それでもワタシより高いんだけど。


 そして長い金髪はおさげに編まれて、首の前で一つにまとめる特徴的な髪型をしている。


 でも、何よりも目を引いたのはその大きな腕と手だった。


 太くて長い。


 先に行くほど大きくなって、掌に至っては徒人の三倍くらいはありそうだ。

 これ、腕をまっすぐ伸ばしたら地面に届くんじゃないか?


「あの、貴女は……?」

「ん? ……ああ。そう言えば自己紹介がまだだったわね。いいわ、とにかく移動しながら話しましょうか。私もアンタに聞きたいこともあるしね」


 そう言いながら女性は身を翻し、路地の裏に向けて小走りに駆けていった。

 その背を慌てて追い駆けながら、彼女が口を開くのを待った。


「……まぁ、ここまで来れば大丈夫でしょ」


 広場の喧騒が遠く離れていき、わずかなざわめきが微かに耳を掠めるくらい深くまで路地裏に潜ったところで女性は足を止めた。


「さて、自己紹介だったわね」


 女性はくるっと体を回してワタシと面と向かうと、メガネの縁を指でクイッと押し上げながら斜に構えた。


「私はノノイ・グライン・ベルグウィーク=オールグ。通りすがりの岩人族ドワーフよ」




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