19 衝撃の真実
「そもそも、キスぐらいで大げさです! 挨拶みたいなもんでしょう。唇にしたわけでもないのに、そんなことで騒ぎたてるリィルさんの方がよっぽどスケベです!」
「うわぁ、キスが挨拶とか、うわぁ。そんなのだから山羊人族は性獣とか言われちゃうんだよ。他の獣人族までそんな風に言われたら溜まったもんじゃないよ」
リィルさんの言葉にガーンとショックを受けて、ゼタさんが二歩、三歩とよろめきながら後退った。
しかし、負けじと胸の前で両手を握りしめてもう一度踏み込んだ。
「せっ、性獣!? そ、そんなことありません! た、確かに他の種族と違って、そっち方面で言われることが多いですけど……ふ、普通です!
それに他の獣人族だって、挨拶で首筋に鼻を擦りつけたり、顔をぺ、ぺろぺろする種族だっています! ねっ、イディちゃん!」
「……へ?」
しまった、気配を消すのに集中するあまり話を聞いていなかった。
慌てて訊き返そうとして、急に詰め寄ってきたゼタさんがガッチリ肩を掴んできたのに驚いて、体を竦めて言葉を飲み込んでしまった。
「イディちゃんはそんなことしないもんね~? どっかのムッツリスケベと違って、そんな卑猥な挨拶なんてしたことないもんね~」
リィルさんまで競うように腰をかがめて詰め寄ってくる。
これはいったいどういうことなんだ!?
挨拶がどうとか言っていたけど……で、でもこれだけは分かる。
これ、どう答えても面倒臭いやつだッ!
今はオマエも女やぞっていうツッコミは事前にスルーしておくとして、なんでこう女性っていうのはどうやったって角が立つことを他人に答えさせようとするのだろうか?
敬虔な信徒が懺悔するみたいに涙目で訴えかけてくるゼタさんも、ニッコニコと満面の笑みを浮かべながらも細めた目の奥で深海のように底知れない恐怖を宿しているリィルさんも、正直言ってどっちも怖い。
何を言っても正解にならない、どう答えても被害がワタシに降りかかるクエスチョン。この世界に来てからここまでの危機があっただろうか?
いや怒涛の勢いで危機にしかあっていないような気もするけど、それを差し置いても、これはまさに危急存亡の時。
考えろ、考えるんだ、ワタシ。
――最善の一手をッ!
「ああッ! そういえばワタシ、どうしても外せない用事があったんだ。いやー、すみません。申し訳ないんですけどお先に失礼しますぅ。お疲れ様でした~」
申し訳なさそうに頭の後ろを掻き、腰を低くぺこぺこ頭を下げながら二人を刺激しないように慎重かつ自然体で背を向けて、そそくさとその場を後にする。
――完璧だ。
社会経験六年にて培った『本当はお付き合いしたいんだけどなー、大事な用があるからなー、残念だなー』のポーズ。
日本じゃあこれをやっとけば大体なんとかなるんだよ。
謝罪の力ってすげぇ!
「待って! このまま置いていかれたら、僕がムッツリスケベってことになっちゃいますよ!」
「んふふ。逃がさないよ、イディちゃん」
どうにもならないよね。日本じゃないもんね。知ってた。
背を向けた途端、二人にがっしりと肩を掴まれそれ以上進めなくなる。
力が強いのもそうなんだけど、何より肩越しに感じる威圧感が半端ではない。
山羊のくせに捨てられた子犬のように濡れた瞳でこちらを覗いてくるゼタさんは、目で(行っちゃうん? 本当に行っちゃうん?)と訴えかけてきて、これはもうある種の脅迫だろう。
リィルさんにいたっては、言葉は不要とばかりにその全身から滾らせているオーラと笑みの奥から放たれる鋭い眼光だけでワタシの全身を縛り上げ、一切の挙動を許していなかった。
ワタシにいったいどうしろと?
「ちょっとリィルさん。そんな風に一般人のイディちゃんを威圧したら可哀そうじゃないですか。こんな小さな女の子にそんな高圧的な態度で、ほら! こんなに震えちゃって」
「違いますぅ。イディちゃんが震えてるのは、おちんちんがついてるような性獣の権化のムッツリさんに肩を掴まれちゃってるからですぅ」
ワタシの肩を掴み合いながら火花を散らさないでほしい。
状況的に言えば、『けんかはやめて、二人を止めて、ワタシのために争わないで』って感じだけど、少しも甘酸っぱくないし、なんなら辛いし苦いし渋いしでワタシはこの状況を飲み込めそうにないですよ。
「なぁあッ!? また言った! 一度ならず二度も! もぉお完全に怒ったぁッ! 侮辱罪です! それに武器を使用したことによる市内での危険行為、及び家屋などの器物破損! 極めつけは婦女暴行の現行犯! 言い逃れなんて利きませんからねッ!」
「だったらどうするの? この場で無理やり捕まえてみる?」
「もちろん! 少しの間、騎士団の詰所の牢屋の中で頭冷やしてもらいますッ! イディちゃんのことは
ゼタさんの言葉にリィルさんの耳がピクッと震えた。
「――へぇ。私からイディちゃんを盗ろうって言うんだ?」
「当たり前です! こんな白昼堂々小さい女の子を追い回しているような、情緒も常識も不安定な人のところにこんな可愛い子を置いておけるはずないじゃ」
――ギィインッ!
続けざまに鈍く甲高い音が響いた。
いつの間に構え直したのか、ゼタさんは二本のピッケルのようなものを振り抜いた姿勢で固まっていた。
おそらく反射的に動いた結果なんだろう、彼女自身も今し方起こったことへの驚愕がありありと浮かんでいた。
「リィルさん。今、針を……武器を私に向かって。人に向かって投げましたね?」
いつの間にか二人の手はワタシの肩から離れており、再び重苦しくなった空気の中、二人の間でオロオロと視線を彷徨わせるしかできなかった。
――シリアスさん!? 殺されたはずじゃ……!?
さっきまでのカーニバル会場みたいな空気は幻想だったっていうのかよ? ここはリオじゃなかったのかよぉ!?
再び地の底から甦ってきたシリアスさんの仕事ぶりに胃が痛くなってきた。
「……んふ、んふふふッ! もういいんだぁ。私はイディちゃんさえいれば、それで。他のことは全部、どうでもいいんだッ! んぁははははッ!」
突如、奇声を上げたリィルさんに二人してギョッと目を剥いた。
これは駄目だ、頭が異世界に逝っちまってる!
両手を広げながら天を仰いで狂ったように笑うリィルさん。これにはゼタさんも遊びじゃない異常な空気を感じとったのか、またワタシを庇うように一歩前に出た。
「どうやら、本当に話が通じる状態じゃないみたいですね」
ゼタさんがザリッと蹄を地面に嚙ませながら深く腰を落として構える。
それに対してリィルさんは、半身になって両手をだらりと下ろして構えた。
いつの間にか両手の指の間には三本の針が挟み込まれていて、こっちを威嚇するみたいに冷たい光沢を見せつけている。
「ふ~ん。本当に私とやる気なんだ? ゼタ、分かってると思うけど……私は強いよ?」
不遜なほど自信に満ちた視線だった。確実にゼタさんを格下として見下してる。
しかし、当のゼタさんはその失礼極まる視線に苦笑を返すだけだった。
「嫌ってほど知ってますよ、ええ。というか、僕に空師のイロハを叩きこんだのはそもそも貴女でしょう。――姉さん」
「…………へっ?」
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