06 まともなのはワタシだけか……!?


「えっと、お気遣い? ありがとうございます」


 なんにしても、とりあえずお礼を言っておこう。

 おそらくだけど、これはワタシが万が一着弾していた時のことを考えて、クッション的なものを用意してくれたんだろう。


 違ったとしても、よく知らない生き物……生き物だよね?

 まぁ生き物と仮定しよう。


 それがこうして接近してきたんだ、友好的な態度で接しといて損はないだろう。

 お礼言われてイヤな気分になるほど捻くれてはいないでしょ。


 ほら、なんか照れたみたいに体をくねくねして……可愛いな、おい!

 くそぉ、そんなに体をくねらせてもツンツンしちゃうだけなんだからね!


 膝を抱えて屈み人差し指で突っついてみると、すぐに地面にひゅんと引っ込んで、また少しするとひょっこ顔を出した。


 なんか穴から顔を出す小動物と戯れてる気分だ。


「ふふふ、えいえい! おっ、避けたな? 生意気な! これならどうだ!

 はい、ワタシの勝ち~。次に会う時までになんで負けたか考えといてください。

 へへ……ハッ!」


 いかんいかん、楽しくなってしまった。

 今日泊まる場所も決まってないんだから、あまり時間をかけてられないんだった。


「あの、本当にありがたいんだけど、街道をこのままにしておくと他の人たちが困ると思うんだ。戻してもらっても?」


 小首を傾げながら申し訳なさそうにお伺いを立てた。


 いや、なんか自然と声をかけちゃったけど言葉分かるのか?

 ワタシの心配をよそにチンさんはこくんと頷いてから地面に潜って、またすぐに顔を出した。


 すると先程までのふかふかが嘘だったように、見た目通りの硬い地面に早変わりした。


「ありがと」


 迅速な対応に頭が下がりますわ。

 うちの会社の上司にも見習わせたいね。


 とりあえず、なんとか街のすぐそばにまで来ることができたし、あとはどうやって街に入るかだ。

 う~、緊張しすぎて身体がバキバキに固まってる。


「ぅ~はぁ~。いやしかし。本当に助かったは~、一時はどうなるかと……。

 特に目の前に地面が迫ってきた時なんて、背筋がぞわぞわして下腹部がきゅうぅっと……はっ、まさか!」


 雷に打たれたような感覚が体を走り抜けるのと同時に、気づいてしまった。

 気づいてしまったからには、確かめずにはいられなかった。


 サーッと血の気が引くのを感じながら恐る恐る手をお股に持っていき、そぉっとなでた。


「……良かった。大丈夫みたいだな!」


 ちょっと湿っている気がしないでもないけど、これは汗だから大丈夫。

 獣人化のせいか鋭敏になった嗅覚がわずかに香ばしい匂いを拾ったけど、これも汗の匂いだからなんの心配もいらない……大丈夫だもん!


「ダイジョウダイジョウブ、汗汗、コレ汗」


 クリさんとチンさんが慰めるようにワタシの周りをわちゃわちゃ戯れてくるけど、落ち込むことなんて何もなかったから!


 何を慰めるというのか、それが分からない。


 ほら、こんなにもカラカラに乾いた笑いを上げてるワタシから漏れでしてくる余分な水分なんてあるはずないでしょ。


 もう、チンさんもクリさんもせっかちさんなんだから。


「ハッハッハッ…………空ってこんなに青かったんだなぁ」


 な゛い゛でな゛ん゛か゛な゛い゛んだから゛ぁ!


 ――わをーーーぅん!


 無意識の遠吠えが空しさに拍車をかけるな……。


「――君、大丈夫?」

「をぅ!?」


 ザリッと靴が砂を噛む音と急に聞こえてきた女性の声に、変な声を上げながら振り返った。


 クリさんとチンさんもビックリしたのか、空気に溶けるようにして消えてしまった。


「わッ!? あ!」


 ワタシが振り返ったのと同時に、ビュウッと鋭く一陣の風が吹き抜けていった。


 急な突風にスカートが大きく巻き上げられる。

 女性は咄嗟に両手で押さえたけど、そのせいで頭に乗っていたカンカン帽には手が回らなくて、帽子が勢いよく舞い上げられた。


 麦わら帽子がワタシの頭上を流れてく。

 初めて飛んだ小鳥みたいにふらふらして危うげなのに、遠くまで飛んでいく意志だけはバッチリって感じの帽子を思わず視線が追いかけた。


 あー、あれは結構遠くまで運ばれてしまうやつだなぁ。

 取ってあげたいけど高さ的に届きそうにないし……でも、なんでだろう……無性に気になる。


 丸くて、くるくる回って、空を飛んでいくアレは、まるで……。


「――わをぉん!」


 自分とは別の存在に体を動かされてるみたいだった。


 いつの間にか四つん這いになっていた手足が地面を力強く蹴りだした。

 一瞬の内に帽子の真下に移動して、全身をバネみたいにたわませて跳び上がる。


 目の前には白いリボンがアクセントの麦わらのカンカン帽。不規則に揺れてるのを瞬時に見きわめ、ほんの僅かな停滞を見逃さずにそのつばに食いついた。


 ――やったッ!


 口に咥えた瞬間喜びが溢れてきた。でも、それに浸る間もなく、体は重力に引かれて地面に落ちていった。

 肩越しに確認した地面までの距離は約五メートル。普段なら覗き込んだだけで足が竦む高さだけど、不思議と恐怖はなかった。


 考えるまでもなく体が勝手に動いてくれるのが分かったから。


 手から音もなく着地して、地上に戻ってくるのと同時に地面をもう一度蹴る。スカートを押さえたまま呆けている女性に颯爽と駆け寄って、お座りのポーズをとった。


 ようやく分かったよ、あの空を飛ぶ帽子を見たときの衝動の正体。

 あれは――フリスビー欲だ!


 なんだ、ただの本能か。

 いや~何事かと思ったけど、そういうことだったんですね。


(それよりもどうですか、お姉さん。見ました? ワタシの華麗なキャッチ!

 褒めさせてあげてもいいんですよ? まぁ、常人なら褒めずにはいられませんよね、分かります! こんなに尻尾を振ってアピってあげてるんですから。

 ほら、なでたいんでしょ? そうなんでしょ? ワタシの頭……って馬ッッッ鹿じゃねぇの!?)


 全身から一気に汗が噴きだした。


 ヤバいヤバい、ヤバすぎる!

 さっき本能に負けないようにとか言ったそばからこれだよ。

 こんなこと初対面の人にしたら……ほらぁ! 目ぇ見開いて固まってんじゃん!


 そりゃあそうだよ。道のど真ん中で空を見上げて涙ながらに遠吠えしている犬っ娘ってだけで相当アレなのに、飛んでいった帽子をフリスビーみたいに咥えてくるとこなんて目の当たりにしたらそうなるよ!


 どうするよ、ワタシ。尻尾振ってる場合じゃねぇぞ!? ……でも止まんないよぉ!


「……君」

「をぅ!?」


 ああ、ついに恐怖のあまり口元を押さえて震えだしてしまった!


 なんでもないときだったら、きっと十人中十人が二度見してしまう。それくらい整った容姿が、あり得ないモノを見てしまった衝撃に劇画チックに変貌してる。


 陽の光に淡く輝くプラチナブロンドの髪も、深い海の色を思わせる印象的なディープブルーの瞳も、今となっては……これはこれでアリだな。


 いや、そうじゃなくて!


 こんなの失礼通り越して気味が悪いわ。とりあえず謝るべきなんだろうけど、口が帽子で塞がってるから声を出せない。


 ……これは詰んだんじゃなかろうか?


 ――ゴクッ


 緊張が限界まで高まって唾を飲み込んだその時、




「――すぅんごい可ぁ愛いぃ!!!」




 女性が両手を広げて跳びかかってきた。




      ☆      ☆      ☆




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