16.帰還

 そのあとの行動は迅速だった。

 エドガーに背負われているセイシェスの怪我は、出血こそ減ったが未だに包帯代わりの裂いたローブコートの生地には出血が染みこみ、背負うエドガーの背中を赤く染めていた。

 急所こそ外れたが出血のせいで、セイシェスの顔色はまるで死者のように青白く、体温も低下しているのだろう。寒さを訴える声に先行するジークも心配を隠し切れず、何度もセイシェスの様子をうかがっていた。

 クレールとアーシェも自分の外套をセイシェスに被せて、意識を途切れさせないように交互から声を掛け続ける。

 幸いにも山賊や大蛇がいない分、帰路は順調で行きにかかった時間よりも早く鉱山を出ることができた。

そとでようやくクレールの指示のもと林の中の木の根元にセイシェスを横たえて、草木に宿る精霊たちの種を芽吹かせる生命力の力を借りて、その貫通していた傷を薄く傷跡は残るが見事に治療して塞いで見せたのだった。



 村に帰還したのはすでに夕方に近かった。


「朝早くに出て、こんな時間までずっと坑道にいたのね」


 僅かに空の色が夕日色に変わりはじめ、家畜小屋に山羊や牛を子供たちが誘導している姿に、朝はこの逆だったわね、とアーシェが目を細める。

「いろいろなことがありすぎた一日ですね」


 荷物こそジークが背負っていたが、セイシェスもクリスタルの杖を付きながら自分の足でちゃんと歩いていた。

 精霊の力を借りた治癒の術のあと、貧血状態になっていることも懸念され村の近くまではエドガーに背負われたままだったが、さすがにもう大丈夫だとセイシェスが訴えたことにより、村に入るところで下してもらえたのだ。


「あ、お姉ちゃんとお兄ちゃんたち!おかえりー!」


 鶏を抱えた女の子が、アーシェたちの姿にぱぁっと笑顔になりながら大きく鶏を持った手をかかげて手を振るように左右に鶏を揺らした。


「鶏が嫌がってんぞ!」


 そんな姿に笑いながらジークが返せば、女の子は鶏を地面に下ろして大きく手を振る。

 鶏はいそいそと鶏小屋に駆け込んでいくのを女の子と共に笑って、村唯一の宿『小麦亭』へ向かって歩き出す。

 アーシェたちの帰りを待っていたのだろう、宿の前の道端で木彫りの馬と兵隊で遊んでいたトビーは、談笑する声にぱっと顔を上げると勢い良く立ち上がった。


「おねえちゃんたち、おかえりなさい!」


 そのまま駆け寄るとアーシェに飛びつくトビーに、クレールが笑いながら頭を撫でた。


「ちゃんとみんな揃って帰ってきましたよ」

「うん!母さんも今ごちそう作ってるよ!ねぇねぇ、大きな蛇いた?!やっつけた?!」

「おうよ、ばっちりやっつけたぜ!」

「もう大きな蛇は出ないから大丈夫ですよ」


 目を輝かせて見上げるトビーにジークもセイシェスも笑いながら頷いた。


「お兄ちゃん、服が赤いしお姉ちゃんもスカート破れている…!怪我したの?!」

「ええ。でもクレールの精霊魔法で治してもらいましたから」

「よけたらこうなっちゃったの。怪我はしてないわ」


 穏やかに頷くセイシェスの横で、くすくすとアーシェは笑うと、スリットの様に裂けたオーバースカートを引っ張って見せれば、トビーは顔を赤くして目を覆う。


「女の子のスカートの下は見ちゃダメなんだ」

「ズボンははいてるわよ」

「はは、トビーはしっかりしているな」


 エドガーが笑いながらトビーをよいしょと抱き上げた。


「すごい、高い!」

「…第2の親父として、父性に目覚めたな…」


 ぼそ、というジークにエドガーは右手を伸ばしてその額を指で弾く。


「いってぇっ!」

「自業自得ですよ、ジーク…」


 苦笑交じりにセイシェスは言うと、小麦亭のドアを開けて姿を見せた女将に小さく頭を下げた。


「おかえりなさい、つかれたろう?もう食事の支度はできているよ!…エドガーさん、疲れているのにこの子を…」

「あ、ああ。…トビーはしっかり者のいい子だな」


 女将はそう声を掛けながらも、トビーを抱き上げているエドガーの姿に目を瞠るや口元を両手で押さえて熱っぽい視線を向けてくることに、エドガーも困ったように苦笑を返すしかなかった。



 あれから女将の声かけと、鉱山の大蛇を退治してくれた恩人ということもあってトビーの友人たちの家々がそれぞれ湯を用意してくれ、アーシェたちは各家に分かれて湯を浴びさせてもらい、土埃や坑道内の探索での汗や汚れを落として、着替えも済ませてゆっくりと小麦亭で夕食をとることができた。

 そうして、昨夜も泊まった部屋で昨夜と同じようにアーシェもジークたちの部屋にやってきて初めてのパーティでの冒険について話に花を咲かせているのだ。


「無事依頼は達成したな。明日は村の若者がヴェルークまで荷馬車を出してくれると言っていたから、朝の9時に出れば14時にはヴェルークに帰還できるな」

「大蛇の討伐もこなしたし、緑煌石も手に入れたし、山賊の事も村のおっさんたちに聞いたら、やっぱり近隣を荒してたみてぇだし、ヴェルークに着いたら自警団にも一応届けねぇとな」


 ざっくりとした綿のシャツにズボンといった軽装でエドガーが笑えば、ジークもタオルを首にかけたまま、荷物を片づける手を止めてヴェルーク帰還後にやることを述べ始める。

 完全に乾ききっていない長い黒髪をトビーの友達の女の子にもらった赤い細いリボンで束ねたセイシェスが、ジークたちの会話に女将に借りたハロウズ周辺の地図を畳みながらアーシェに顔を向けた。


「アーシェも無事でよかったです。あのタイミングであの石の守り人が姿を見せてくれたからこうしてみな揃って村へ戻れたようなものですし…」

「ええ。あの守り人の女の子には感謝してもしきれないわ…。……わたしだけじゃなくてセイシェスだって、一番命が危なかったじゃない。鉱山から出たとき顔色がひどかったわよ」

「アーシェ、もっと言ってやれ。セイシェス、てめぇはオレに心配かけたんだからヴェルークに戻ったらメシおごれ」


 ジークがセイシェスの首を腕でがっちりとホールドして締め上げる。


「ジーク、首が…っ、……ごほっ!」

「締め上げないでください。ここで何かあったら薬しか上げられませんよ」


 薬研やげんで薬草をすり潰していたクレールが、見かねてジークに声を掛けた。

 女将に渡す分だろう、数種類の薬が瓶や薬包紙に丁寧に包まれてクレールの前に並べられている。


「ま、死ななかったからこれくらいにしてやるぜ」


 そう笑うとジークは腕を緩めて、親友の頭を軽く小突いた。

 思わず半眼になりながらセイシェスはじとりとジークに視線を向けるも、アーシェに向き直る。


「……今ので死にそうでしたよ。…そういえばアーシェ、石は忘れないようにしまっておいてくださいね」

「あ、そうね。これだけは忘れないようにしなきゃ」


 白いハンカチに丁寧に包んだ手のひらに収まる大きさの、美しい澄んだ緑色の輝石をそっと手に取り、その透明度の高い石を見つめた。

 室内のランプの明かりでは、蛍火のような洞窟で見た光は見止められなかったが、きっと外で見たのなら、ほのかに淡い光を放つのだろう。


「その石、…俺たちは依頼で持って帰るだけだから、石を渡した後の事は分からないが、…いい使い方をしてもらいたいものだな」

「…うん。…あの石の守り人の女の子が安心してくれる使い道だったらいいわね」


 アーシェの手の中の石に目を向けたエドガーの言葉に、アーシェは小さく微笑んで頷いた。


「…明日はヴェルークに帰るんですから、また馬車で長時間揺られますよ。今日は早朝から大仕事だったし、今夜はゆっくり休んでおかないと体がつらいですよ」


 クレールの言葉通り、早朝から歩き詰めで、山賊や大蛇に遭遇したりと立て続けにいろいろ起こった一日だ。

 馬車でうとうとはできるかもしれないが、その日の疲れはその日のうちに回復するのが得策だろう。


「……それじゃあ、今日はこれで解散しましょうか」

「そうだな。アーシェ、ゆっくり休めよ」

「朝寝坊すんなよ、したらしたで叩き起こすからな」

「今日は一日お疲れさまでした。眠れなくても体を横にしているだけでも違いますから、しっかり休息をとってくださいね」

「アーシェもそうですけど、セイシェスもですよ?治癒の術で治しましたが、貧血を起こしてはいけませんから」


 仲間たちに声を掛けられながら、アーシェは自分にあてがわれた向かいの部屋に戻る。

 今日一日の事を振り返れば、楽しかったこと、どきどきしたこと、怖かったこと、嬉しかったこと、いろいろなことがあった。

 ランプを枕元に置いて、アーシェは昨夜もそうしたように、掛け布をもって簡素なベッドにもぐりこんだ。


「…守ってもらうだけじゃなくて、わたしも仲間を護れるような、そんなリーダーになりたいな」


 そっとこぼれた小さな呟きは、ほのかなランプの明かりに溶けて消えた。

 ドアと細い廊下越しに、向かいの部屋ではまだ何か話しているのが聞こえた。

 いてぇ、だか何だか聞こえたから、きっとジークがまたエドガーをからかったりしたんだろう。

 そんな、微かなどたばたを聞きながら、うとうととアーシェは眠りに落ちたのだった。




「冒険者さんたち、忘れ物はありませんか?そろそろ馬車を出しますよ!」


 翌朝は快晴だった。

 朝食後、荷馬車で迎えに来た村の若者が声を掛けた。

 お世話になった『小麦亭』でエドガーは女将に名残惜し気に手を握られ、それをジークがからかいセイシェスが呆れ顔で親友をいさめており、その傍ではクレールがトビーの頭を撫でて薬を手渡している。

 そんなハロウズの村でのいつもの光景を見て、アーシェは仲間に声を掛けた。


「さぁ、帰りましょうか。ヴェルークへ!」


 彼女の声に、仲間たちはそれぞれ了解の意を示す。

 初めての冒険者としての冒険は、大変なものだったが結果としては大成功と言えるだろう。

 馬車へ皆が乗り込むのを確認した若者は、馬に鞭を当てて遥か先のヴェルークへ向けて出発する。

 姿が見えなくなるまで手を振り続ける女将とトビー、そして子供たちに見送られて手を振り返すアーシェたちを乗せて、ごとごとと荷馬車は村から離れていく。


 初めての1歩を踏み出した冒険者パーティの前途を祝福するような、それは澄み切った6月の晴天の日の事だった。

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