第213話 甘くて危険な聖女の夢
暗い……微かな月明かりが、闇の中でたたずむ少女を照らし出し、薄らと暗い世界に光をもたらしていた。
「ここは……どこですか?」
金糸の髪を下ろし、濃い紺色の修道服を着た少女は辺りをキョロキョロと見回す。
「私は……たしか留置場に入れられて、寝ていたはずなのに?」
ドワルドの執拗な追求から逃れるため、冒険者ギルドのマスター・ナターシャさんと衛士長ラングの提案に乗り、詰所の地下に設けられた留置場で、リーシアは一晩を明かすことになった。
形式上の取り調べもほぼ終わり、留置場へと入れられた少女は、特にすることもなく早々に床に着いたはずだったのだが……気がつけば見知らぬ場所でひとり
少しでも現状を把握しようと辺りをキョロキョロと見回すと……少女の目に、月光が何かに反射して瞬く光景が見えた。目を細め光の正体を見極めようとすると、月光が水面に反射して光っていることに気がつく。
「水辺ですか?」
はじめて見る景色……水面が月光を反射して幻想的な風景を描きだしていた。普通ならば、その恐ろしいまでの美しさに、心は奪われていただろう。だが、その光景を見た少女の心には、いい知れぬ不安と寂しさが湧き上がってきた。
闇の暗さに目が慣れ、次第に周りの景色が鮮明になっていく。
「大きな湖?」
見たこともない大きな湖に映り込む月……見渡せど対岸の見えない湖のほとりに、少女は立っていた。
「一体ここはどこなんですか? 見たこともない場所ですが……? 『リーシア』⁈」
どうしたものかと考えていた少女のすぐ後ろから、自分の名を呼ぶ声が聞こえ、リーシアの心はドキリとする。背後から聞こえた男の声に、心臓の鼓動は速まった。
「リーシア!」
「ま、まさか⁈」
――自分の名を呼ぶ声……別れてまだ数日しか経っていないのに、もう何十年も経ったかのような懐かしさを感じながら少女は振り返る。すると
「ヒ、ヒロ!」
目をパチクリさせたリーシアは、顔を男の胸に埋めるように抱かれていた。互いに触れる体から伝わる心地よい体温に、ずっと触れていたい……リーシアはそのまま目を閉じると、体をヒロに預けてしまう。
「これは夢ですか……」
頬に当たる胸板の感触、耳元にかかる吐息、そして何より全身に伝わる温もりを感じていると心が落ち着くようだった。
「ええ、夢です」
「では、このままずっと目覚めなければいいですね……」
そう言って再び目を閉じたリーシアは、夢でもヒロに会えたことに喜んでいた。
「……」
そんなリーシアに対して何も答えないヒロ……ただ黙って抱きしめたまま動かない。
「ヒロ?」
その反応に疑問を持ったリーシアは目を開き、顔を上げて首を傾げる。
「……」
だがヒロは何も言わず、ただじっとリーシア見つめていた……ただ黙って抱きしめたまま動かない。何も言わずただじっと少女を見つめていた。
「あの……何かあったんですか?」
無言のまま自分を見下ろすヒロに戸惑うリーシアだったが、しばらくすると彼の視線が自分の唇に向けられていることに気がつき、顔を赤くする。
「あ、えっと……」
この手の話に耐性がないリーシアは思わず口ごもってしまう。するとヒロは、無言のまま小柄な少女を抱く手に力を込め、さらに強く抱きしめる。
「んっ⁈」
突然の出来事に驚いたリーシアは、慌てて身をよじり抵抗した。しかしヒロの力が強く逃れられない。
「ひゃ! ちょ、ちょっと待ってください!」
焦ったリーシアはヒロを押し返そうと腕を伸ばすが、逆に両手を押さえ込まれてしまう。
「ああっ! ダメです! こ、こんなところで⁈」
真っ赤になりながらもジタバタするリーシアだが、本気で抵抗はしていなかった。いつものように零距離から腹パンチを打ち込めば、この状況から抜け出せるはずなに……リーシアは大人しくその身をヒロにゆだねてしまう。
(あれ?……なんでしょうこの感覚?)
ふわふわと浮いているような気分になるリーシア……どこか現実離れしているようで、それでいて、とてもリアルで気持ちがいい。まるで自分が自分でないようで、今にも消え入りそうなほど希薄になっているような不思議な感覚に襲われる。
「……」
ヒロは何も言わずに、ただじっとリーシアの瞳を見つめ続けていた。
そんなヒロをリーシアもまた見つめ返す。やがて二人はお互いの顔を寄せ合い、ゆっくりと唇を重ねる。
「ん……」
ヒロとの何度目かのキス……なぜかそれが当たり前のように思えて受け入れられた。むしろもっとして欲しいとさえ思う。
(どうしてでしょうか?……すごく安心します)
唇が触れ合うだけのキス、それだけなのに、なぜこうも心が安らぐのだろうか? 不思議と恐怖や不安といった負の感情が薄れていく。代わりに今まで感じたことのない多幸感がリーシアの心を満たしていった。
「ヒロ……私をもう離さないでください」
リーシアは無意識のうちに呟いていた。
「……」
ヒロは無言のまま、そっと少女を抱き寄せる。
「お願いです……」
そういうと、リーシアは再び目を閉じてヒロの胸に顔を
(暖かい……ヒロの腕の中は暖かくて、幸せで心地よくて、このままずっとこうしていられれば、どんなにいいか……)
そんなことを考えながら、リーシアは幸せなひと時を感じていた。それは幼き日、大好きだった母に抱かれた時に感じたものとは違う幸せ。
「……」
「……」
無言で抱き合う二人……どれくらいの時間が経ったのか? 体感的には数分程しか経っていないはずなのに、リーシアにとって永遠とも言える幸せな時間が流れる。しかし唐突にそれは終わりを迎えた。
「ライムさん……」
「ライム⁈」
謎の言葉を口にするヒロ……それを聞いたリーシアは『カッ!』と目を見開く。その名に聞き覚えがあった。アルムの町にある冒険者ギルドで働く職員にして、ダイナマイトボディーの持ち主……狂気の解体屋、ライムの名を自分と間違えて口にした? ま、まさか? 聞き間違いであってほしいと願いながら、ヒロの胸に埋めたままおそるおそる尋ねる。
「ヒロ、き、聞き間違いでしょうか? いまライムさんの名を口にしたような?」
「……いいえ、僕が君の名を間違う訳ありませんよ。シンシア」
「はい?」
今度は聞き間違いではない。オークに捕まり、ヒロと二人で助け出した冒険者パーティー『水の調べ』のヒーラー、シンシアの胸に実ったふたつのメロンを思い出した瞬間、リーシアの心に『ムカッ!』とした感情が湧き上がる。
「ヒロ、一体何を言って⁈」
意味不明な言動に埋もれた顔を離し、ヒロを見ると……なんかヤラシイ想像をしてニヤケている
その瞬間。少女の恋する瞳は……汚物を見る目へと変わっていた!
「ケイト、どうしましたか?」
また違う女性の名前を聞いて、リーシアの中で『ムカムカ』した感情が溢れ出す。そして次の瞬間――
「最悪な気分です! ヒロの馬鹿!」
――震脚を踏んだリーシアは、零距離から腹パンチを打ち出していた。
お腹に炸裂した必殺の
額を地面に擦りつけ、ヒロは痛みに悶絶する。その姿を見て、リーシアは「アレ?」っと不思議に思う。あの程度の強さなら、それほど痛みはないはずなのにと……だが少女は気づいていなかった。
ヒロの腹筋は、リーパンや腹◯◯シリーズにより信じられない領域にまで鍛え上げられていることに……それに比例して、リーパンの威力が知らずに上がっており、人を殺せるレベルにまで威力が上がっていることに……気づいていなかった!
「ガハッ! し、信じられない……正体も確かめずに、いきなり殺しにくるなんて」
ようやく痛みが引き、顔を上げたヒロ……その瞬間――少女は『バッ!』と、ヒロだった者から距離を取るため、後ろへと跳んだ。
「リーシア、どうしたんですか?」
「あなた……誰ですか⁈」
距離を開け着地したリーシアは、拳を構えながら問う。
「リーシア、何をいっているんですか? 僕です。ヒロですよ?」
「どこからどう見ても、ヒロじゃありませんよね! というか……人ですらないですよね⁈」
「はは……どこから見ても人だと思いますよ……リーシア?」
「世界は広いと言えど、どこの世界にクチバシを生やした人族がいるっていうんですか!」
リーシアは、人差し指を『ピシッ!』と突き出し、偽者の口元に生えた長いクチバシを指差していた。
すると偽者は、手で顔をペタペタと触りはじめ、ようやく長いクチバシが顔から生えていることに気づいた。
「あら、おかしいわね? なんで幻術が解けているの? まさかお嬢には、私の力が効きにくい? さすが
偽者の発していたヒロの声が、どこか聞き覚えのある女性の声に変わっていた。
「お嬢? 姐御? あなたは一体?」
「ん? ああ、この姿じゃ、私が誰かだなんてわからないわね。ちょっと待って」
すると偽者は、その場で真上に飛び上がり、白い煙を立てながら空中で一回転すると――
「兄様推し! 兄様LAVE! 兄様サイコー! 兄様のために生き兄様のために死ぬ! 他者を
――人間大のペンギン……
【聖女の前に、兄大好きな災厄のブラコンが現れた!】
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