第200話 別離の時

「リーシア……これから話すことは二人だけの秘密です。いいですね?」


「分かりました」


 

 それはオークヒーロー、カイザーにエクソダス大量移住計画を説明した夜の出来事だった。そこは暗い洞窟の中……オーク達が罪を犯した者を閉じ込めておく、牢獄の中で二人は向かい合って座っていた。いつもと違う真剣な表情を浮かべるヒロに、リーシアはうなずき耳を傾ける。



「昼間、僕がカイザーに説明したエクソダス計画には、まだ誰にも話していない……先があります」


「先ですか?」


「そうです。この話がバレれば、間違いなく人族は僕らを裏切り者と呼び、生き残ったオーク達からは依怙えこ贔屓ひいきだと言われ罵られるでしょう」


「ヒロは、何を成そうとしているのですか?」


「僕は、人とオークの命をできるだけ救い、双方が限りなくハッピーエンドで終わりを迎えられる道を目指します」


「それは一体どんな道なんですか⁈」


 

 リーシアが、興味津々な表情を浮かべるとヒロの手を取り、話しに耳を傾ける。



「これはリーシアの頑張り次第ですが、この道を歩むにはどうしても必須な条件があります。それは……憤怒の紋章を継承した者を仮死状態で倒すことなんです」


「仮死状態? 聞いたことない言葉です」


「人の心臓は外部から強い衝撃を、一定の角度とタイミングで打ち込まれると心臓振盪しんぞうしんとうと呼ばれる現象を引き起こし心臓が止まってしまいます」


「昔、拳を習った師父から、そんな話を聞いたことがありますが……」


「この状態では、まだ人は完全な死に至っておらず、早い段階で蘇生処置を施せば生き返る可能性があります」


「それって爆心治癒功ですか?」


「その通りです。止まった心臓を動かすのに、リーシアの技が必要なんです」



「ですが、私は心臓を仮死にする方法を知らないないですよ? 覇神六王流にもそんな技ありません」


「そこは僕の知識とリーシアの腕があれば、なんとかなりそうです。かつてプレーしたボクシングゲームに出てきた必殺技フィニッシュブローの中に、ハートブレイクショットと呼ばれる技がありまして、再現性が気になって実際に出来るのか調べたことがあります」


「ボクシングゲーム?」


「はい。伝説のボクシングゲーム、『終わりの一走いっそう2 ファイナルロード』です!」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




『終わりの一走』……三十歳を超えた男が、社会のイジメに合い自殺しようとしたところを、偶然通りかかったプロボクサーに助けられ、そのままボクシングの道へと走り出す、中年ボクサーの人生を描いた大人気漫画である。


 連載三十二年を超えてなお連載される長寿漫画であり、単行本百三十二巻を超えても、なお戦い続ける幕外まくのそと 一走いっそうの姿に涙した者は少なくない。


 ゲーム自体はアクション性が高いボクシングを基本にしており、他のボクシングゲームと一線を画する。特徴的な点を述べるとするならば、体力ゲージが存在しないことが挙げられる。


 実はこのゲーム、リアルを追求し過ぎた結果……戦いの最中、自分の状態を数値で測ることができない。プレイヤーは自分と対戦相手の状態を、打ち出すパンチのスピードや体の動き、顔のボコボコ具合でダメージを予想し戦わなければならないのだ。


 相手をボコボコにして優勢と思いきや、逆に自分の方がダメージを受けていて劣勢だったなんてことが頻繁に起こり、そのドラマティックな逆転劇にプレイヤーは魅了された。


 原作ストーリーを追体験できるアーケードモードで、手に汗握る熱い戦いを完全再現し、キャラを作成できるボクサーモードでは、自分で好きな容姿のキャラを育成し世界チャンプを目指すなどの育成要素も加わり、プレイヤーを飽きさせることはなかった。


 特にこだわりの育成モードは、本当に理想のキャラを作り出せるようにと細かな設定を可能にしており、顔のエディットなど、細か過ぎて逆に面倒くさく感じるほどである。身体の育成に至っては……上腕の筋肉だけでも上腕二頭筋、三頭筋、三角筋と鍛える部位が分かれており、それがパンチの威力やキレに直結するほど細か過ぎた!


 つまり理想のキャラを作るためには、どの筋肉を鍛えれば良いのか綿密に計算し、理想のトレーニングと食事を考え鍛え抜く必要があったのだ。


 下手に他の筋肉を鍛えれば、それが体のバランスを崩しパンチ力を落としたり、トレーニングのやり過ぎで脂肪を過剰に落とせば、打たれ弱くスタミナを切らしやすいキャラになったりと、もはや試合以上に育成パートに全てを全振りしたといっても過言がないゲームシステムが採用されていた。



 コア過ぎるゲームシステムと、原作ファン納得のアクションパートで名作の名を冠したボクシングゲーム……それが『終わりの一走いっそう2 ファイナルロード』だ!




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 



「またゲームですか……はあ〜」


 ゲームと聞いて、やな予感を覚えたリーシアは、思わずため息を吐いてしまう。ゲームが絡んだときのヒロは、十中八九、おかしな事になるのが分かっていたからだった。



「イヤイヤ、リーシア、ゲームと言ってもこれは馬鹿にできません。現実さながらのリアルな挙動と、現役トレーナー並みに食事とトレーニングメニューを考えなければならない育成システムに、僕も舌を巻きました。あれはボクシングゲームの頂点と言っても過言はありませんね。あれこそ、まさに神ゲーと呼ぶに相応しい一品でした!」


「そうですか……それは良かったですね」



 いつも通り、ゲームが何かさっぱり分からないリーシアは、とりあえず相槌を打ってお茶を濁していた。



「はい。それでこの神ゲーの中で、心臓にパンチを打ち出して、相手の時を止める拳技がありまして……」


「時を止める?」


「ええ、実際に本当に止まるものなのか、調べたことがありましたが……徒労に終わりました」


「でしょうね。御伽噺おとぎばなしに出てくる時を止める大魔法が、心臓を撃ち抜いたくらいで起こるわけが……せいぜい息の根を止めるくらいしか」


「それです。普通ならダメージを負うか、強打によって心臓が破壊されるかで、相手の時間を一時的に止めるなんて不可能な事象です。ですが、僕はそれについて調べていく内に、心臓をある角度とタイミングで強打すれば、その鼓動を止められる可能性があると学びました」


「鼓動をですか⁈」


「そうです。それが仮死状態です。憤怒の紋章が継承する条件は宿主の死が絶対条件です。ならばカイザーに宿った紋章を僕に移すには、カイザーを仮死状態にした上で蘇生するしかありません」


「そんなこと、できるのですか?」


「成功する確率は限りなくゼロに近いでしょうね……ですが、ゼロではありません。0.1%でも成功する可能性があるのなら、僕はそれに賭けてみたいです」



 ヒロは真剣な眼差しでリーシアを見つめていた……それは決意に溢れる男の目だった。



「分かりました。私もアリアさんやシーザー君が幸せになれるなら本望です。ヒロの案に乗ります。ですが……実際にその技を打てるようになるにしても、どうやって?」


 

 流石に試したことも、練習すらしていない技が成功するとは、リーシアも思っていなかった。技の習得には当然の如く修練が必要なことは、少女も重々承知だった。



「それに関しては……僕で試します」


「ヒロで⁈」


「はい。心臓にどう打ち込めばダメージが入るのかを検証しながらの作業になりますから、僕に打ち込んで試すのが一番いいはずです。失敗してダメージが入ったとしても、リーシアの持つギフトスキル『聖女の癒し』による自動ヒーリングを使えば、MPがなくても回復できますし」


「ですが、もし蘇生に失敗したらどうするつもりですか⁈」


「僕には【不死鳥の魂フェニックスソウル】というスキルがあります。これは蘇生確率にプラス補正が入りますから……たとえ技が成功して仮死状態になったとしても、生き返る可能性が高いはずです。現に今まで幾度となくリーシアに蘇生してもらいました」


「それはそうですが……」



 憂いた表情を浮かべたリーシアが俯いてしまう。それは仕方がないことだった。人を仮死状態にする技の修練に、自分で試せと言われて平気で技を打てる者などいやしない。ましてや、心優しい少女にそれを成せと言うには酷なことだった。


 自分を心配してくれるリーシア……その気持ちを汲み取ったヒロは、リーシアが罪悪感を少しでも覚えないように、ある提案を思いつく。



「それなら、ダメ元で一回だけ試してみませんか?」


「一回だけですか?」


「はい。一回だけで良いので、出来そうなのか試させてください」


「ですが、もし成功したら?」


「いや、そもそも戦いの最中、相手を仮死状態にするなんて荒唐無稽な技が一発で成功すると思いますか?」


「無理だと思います。技とは一朝一夕で身につくものではありませんから……そんな簡単に出来たら修練の意味がありません」


「なら、せっかく思いついた案です。一度だけで良いので、僕に試してみてくれませんか?」


「一度だけですか?」


「はい。一度だけです。それを見て無理そうなら、この案は取りやめます。どうですか?」


「一度だけなら……いいですよ」



 リーシアが一度だけの約束で渋々承諾すると、顔を上げてくれた。その顔は不安と恐れの表情を入り混ぜたもので、見ている方が辛くなるものだった。だがヒロはそれに耐え、笑顔を作る。


 一度だけの言葉……ヒロは嘘をついていた。技が成功しないのを、百も承知でこの提案をしたのだ。それは少女の不安を取り除くための優しい嘘だった。


 人は初めてやることには躊躇してしまいがちだが、何度も同じことを経験してしまえば慣れてしまい、次からは呆気なくやれてしまう生き物なのだ。それを知るヒロは、リーシアに罪悪感を少なくする最初の一発を打たせるため、ワザと一度だけと言ってうそぶいた。


 心にチクリと何かが刺さるが、ヒロはそれを無視する。この先にリーシアの願う未来があると信じて……男は嘘を吐く。



「具体的には、どうするんですか?」


「はい。ちょっと立って、拳を握ってみてください」


「こうですか?」



 リーシアがスクッと立ち上がり、握った拳を前に差し出すとヒロはそれを自分の胸へ導く。


「この胸骨の骨と骨の間、この場所をこの角度で打ち出してください。軽くでいいです。一度だけのお試しですから」


「この角度ですか? 分かりました」



 するとリーシアが、『シュッシュッ』と打ち込む拳の角度を調整しながらシャドーをすると、改めてヒロの前に立つ。



「では、いきます」


「はい。お願いします」


「えい!」



 と、可愛い掛け声で拳を放つリーシア……失敗に終わるのは目に見えていたため、軽い気持ちで挑んでいた。右斜め四十五度の角度から内角に抉り込むように突き出された拳が、ヒロの胸を打つと、拳から打ち出された気と衝撃が男の心臓に襲い掛かる。


 リーシアは胸に打ち込んだ拳を離し、顔を上げてヒロの顔を覗き込むと、そこには笑顔を崩さず微笑みを浮かべた男の姿があった。



「ふ〜、やはり失敗ですね」


「…………」


「ヒロ?」



 笑顔のまま微動だにしないヒロを不審に思い、声を掛けてみるが返事はない。どうしたのかと思ったリーシアがヒロの顔を見るとあることに気がついた!



「…………」


「えっ……ヒロ……な、なんで息をしてないんですか!」



 驚愕の声と同時に後ろに倒れ込むヒロ! リーシアが仰向けに、笑顔のまま倒れたヒロの胸に急ぎ耳をつけると――



「…………」



――心音が全く聞こえてこない。



「ま、ま、ま、ま、まさか一発で成功しちゃったんですか⁈ ええ〜! マズイです。急いで蘇生しないと!」


 

 急ぎヒロに馬乗りになったリーシアが、気をヒロの体の中へ送り込み、手に溜めた気をヒロの心臓目掛けて即座に打ち出した!



「カハっ!」



 すると、ヒロが再び呼吸を取り戻し、咳き込みながら蘇生を果たす。



「ゴホッ! 僕はなにを?」


「よ、良かったヒロ! 無事ですね⁈」



 どうにか生き返ったヒロを見て安堵するリーシア……それを見たヒロが考え込み答えを導き出す。



「ま、まさか、一発で成功したんですか? 本当に⁈」


「はい……ヒロはまた……ごめんなさい」


 

 そんなリーシアをヒロが見ると……その手は震えていた。それはもしかしたら、ヒロが死んでいたかもという思いからの震えだった。


 リーシアは、何かを求めるようにヒロの手を握ると謝っていた。ヒーリング効果が発揮され苦しみから解放されたヒロが、リーシアの罪悪感に押しつぶされそうな暗い顔と、小刻みに震える手に、やってしまったと後悔の念を覚えると……出来るだけ優しくリーシアへ語り掛ける。



「リーシア、僕は大丈夫ですよ。まさか一発で成功するなんて夢にも思いませんでしたが、無事に蘇生できました。だから気にしないでください……」


「ヒロ……」


 無言になる二人……だかリーシアの手の震えは治らない。するとヒロがおもむろに手を引っ張り、リーシアの身体を抱き寄せた。



「えっ? アッ! ええ〜!」



 突然、ヒロの胸に顔をうずめる形になり、パニくるリーシア……暗い表情は吹き飛び真っ赤な顔で目を見開いていた。


 少女の頭を愛おしくなでるヒロ……しばらくの間、二人は互いを抱きしめ合っていた。すると落ち着きを取り戻したリーシアの顔から、暗い表情が消え去ると手の震えも止まっていた。



「……」


「……」



 無言の二人……そしてヒロの胸に顔を埋めていたリーシアが自然と顔を上げ、潤んだ瞳でヒロと見つめ合う。どちらともなく二人は目をつぶり、互いの唇が自然に近づいていくと――『バターン!』と、突然、何かが倒れる音が洞窟内に響き渡った!



「え⁈」


「ひゃあっ!」



 音に反応して、リーシアが顔を真っ赤にしながら『バッ!』と跳び上がり、ヒロが横に転がりながら立ち上がる!



「誰ですか⁈」


「だ、だ、だ、 誰かいます⁈ 私はヒロとは何もしてませんよ!」



 二人が音のした方へ視線を向けると、そこにはカイザー親子の姿があった。



「父上! 大丈夫ですか?」


「シーザーよ、大事ない。お前こそ大丈夫か?」


「はい! まさか牢屋の格子が外れて、倒れるなんて思いませんでした」


「うむ。ちと前のめりに力を込め過ぎてしまったようだ。おお、すまぬヒロよ……邪魔をしたな。さあ、我らに構わず続きをするがいい」


「ヒロ、僕らのことは気にせずに続きをどうぞ!」



 カイザーとシーザーが、仲良く転んだまま続きを促す。ヒロとリーシアは、顔を真っ赤にしながら口をパクパクしていた。


 まさか他人に抱き合う姿を見られていたとは……穴があったら、コンクリートと一緒に埋めてもらいたいくらいの恥ずかしさが、二人の心に込み上げてきた。



「我らに遠慮せんでいいぞ? 見せてもらおう、人族の情事とやらを」


「ヒロ……ムフフだね!」



  そうヒロとリーシアに声を掛ける父子だったが――



「あなた……シーザー、あなた達……何をやっているの!」



――突如、発せられた声に、『まさか!』と父子が思い振り返ると……そこには鬼がいた! 怒りの闘気をまとった母アリアが仁王立ちで二人を見下ろしていたのだ!



「コソコソ何をしているのかと思い、あとを追ってみれば……」


「いや、アリアよ、これはだな⁈」


「母上、こ、これは……」


「二人共、ちょっとこっちに来なさい!」


「ぎゃー! 母上、耳が、耳がぁぁぁぁぁぁ!


「ぬおぉぉ! この痛み嫌いではないが、下手をしたら耳が千切れる。やめよアリア! グァァァァァッ!」


「ヒロさん、リーシアさん、失礼しました。この愚かな二人は私が処分しておきますので……申し訳ありません」



 カイザーとシーザーがアリアに耳を摘まれると、そのまま引きずられながら、牢屋の外へと連れ出されて行くのだった。



 その日、仮死の必殺技フィニッシュブロー、ハートブレイクショットは完成し、ある父子の叫び声がオーク村に響き渡るのであった!




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 二人の夫婦と子供が抱き合い、涙を流しながら喜び合う姿を、ヒロとリーシアは手をつなぎながら見守っていた。


 やがて三人の親子は互いの無事を確かめ合うと、顔をあげヒロとリーシアの元へ歩み寄る。二人の前で止まると三人の家族は頭を下げる。



「ヒロ……そしてリーシア、我らを助けてくれたこと、礼をいう、ありがとう」


「ヒロさん、リーシアさん、本当にありがとございました」


「ヒロ、リーシア姉ちゃん、ありがとう!」



 親子がみな、感謝の言葉を口にする。それは心の底からの言葉だった。



「皆さん無事なようですね。良かった」


「ヒロよ。我らオーク族を憤怒の呪縛から解放してくれたばかりか、我ら家族を助けてくれたこと、族長としてそして父として改めて礼をいう。ありがとう」



 片腕のカイザーが……オーク最強の男が、ヒロとリーシアに頭を下げていた。だが、その姿は決して利己的なものでく、心からのものであった。



「カイザー、頭を上げてください。これは僕たちのワガママの結果なんです。自分達の自己満足のために皆さんを生き返らせただけなんです……だから……」


「それでも……それでも我らは助けられた。今生こんじょうの別れを誓い、死出の旅立ちにおもむいた我ら家族を再び出会わせてくれた。それがどれほどの喜びか」


「カイザー……」


「それに滅びに向かうオーク族に、新たなる道も示してもくれた。いくら感謝してもしきれんほどの恩を、お前たちは与えてくれたのだ。村を失い流浪の民となった我らには、もはや何も残されておらん。そんな我らに出来ることは、もう頭を下げ礼を述べることしかできないのだ。だから……ありがとう」



「あたなからの感謝は確かに受けとりました。だから頭を上げてください。そのままの格好では話し難いですし、時間がありません」


「そうか、しかし時間がないとは一体?」



 頭をようやく上げ、ヒロと向き合うカイザーが疑問の表情を浮かべていた。



「今いる場所は、人族の住まう町のすぐ近くなんです。さっきまで憤怒と戦っていましたから、騒ぎを聞きつけて町の者が様子をうかがいに来ないとも限りません。見つかる前にこの場所を去るのが得策です」



「なら、早くみんなでここを離れようよ。西に向かったみんなと合流するまでに、いろいろ話せばいいんだし。そうだ! いっそのこと、ヒロとリーシア姉ちゃんも僕たちと一緒に西に行こう。それでみんなで一緒に暮らそうよ」



 シーザーが無邪気な笑顔で、そう言い放つと……四人は困った顔をしていた。



「シーザー、それはできないわ」


「え? は、母上なんでですか?」


「それは……ヒロさんとリーシアさんが人族だからよ」


「人とオークが共にいることはできんのだ。ゆえに二人は我らと共に西に向かうことはない」


「父上……だって、ヒロとリーシア姉ちゃんは僕らのために戦ってくれたのに……村のみんなも二人を認めていたじゃないですか⁈」


「シーザーよ。二人を困らせてはならぬ。我らには我らの生きる道があるように、二人にも二人の道がある。今はたまたまその道が交わっただけなのだ」


「やだよ、ヒロ、僕らと一緒に行こうよ。それで僕らに人族のことをもっと沢山教えてよ……」


「シーザー君……」



 ヒロがシーザーの前で片膝を突き、しゃがみ込むと目線を同じ高さにして話しかける。



「すみません。僕も一緒に行きたいのは山々なのですが、僕らにはやらなければならない事があります。だから、一緒にはいけませんが、僕たちの思いもシーザー君と同じです。人とオーク……種族は違っても、この思いさえあれば僕らはいつでも一緒です」


「ヒロ……」



 泣きそうなシーザーの肩にアリアとカイザーが手を置く。



「シーザーよ。ヒロたちを困らせるな。戦士に別れはつきもの、だからこういう時は笑って別れるのだ」


「シーザー……お二人に精一杯のお礼を……」



 すると二人の言葉を理解したシーザーが、腕でグイッと涙を拭いヒロとリーシアの二人を見ると……。



「ヒロ、リーシア姉ちゃん、僕らを助けてくれてありがとう!二人がオーク族を命懸けで助けてくれたことを…… 僕は絶対に忘れないよ。子供の僕じゃ、いまはヒロにお礼を言うことしか出来ないけど……いつかきっと父上を超える大人になって、もしヒロがピンチになった時には、絶対に駆けつけてみせるから……だから……僕らのことを忘れないでね」


「忘れません。絶対に忘れませんよ。僕がピンチの時にシーザー君が駆けつけてくれるなんて、頼もしい限りですよ」


「ですね。オーク族、最強の息子が駆けつけてくれたら百人力です。安心してください。英雄ヒーローが忘れても私は覚えていますからね」



 ヒロとリーシアは、シーザーの言葉を真剣に受け止めて答えながら手差し出す。



「うん、約束だよ!」


「約束です」



 差し出された手をしっかりと握りしめると、ニカッとした笑顔でシーザーは応えた。名残惜しいがヒロはシーザーの手を離し立ち上がる。



「『リスト』」



 素早くアイテム袋のメニュー画面から、ヒロがあるアイテムをタッチして地面に置く。



「カイザーこれを……西に向かったみんなと合流するまでに、必要な物資です」



 カイザー親子の足元にパンパンに膨れた肩掛けの鞄と、オークヒーローの得物であるハルバードが置かれていた。


  

「おお、これは愛用のハルバード!」


「はい。戦いの最中、回収しておきました。そちらの鞄には食べ物や水が入っています」



 するとカイザーは地面に置かれたハルバードを片手で掴み、軽く振って具合を確かめ始める。



「片手でも扱えそうですね?」


「ああ、両手ほどではないが、それでも家族を守るくらいはできる。重ね重ね感謝する」


「父上、鞄の中に見たことがない食べ物が一杯入ってます!」


「なに? 本当か!」



 父子が鞄の中を覗き見たことも食べたこともない食べ物に首ったけになっていた。



「あなた達、意地汚い。まったく……」



 そんな二人を見てアリアは微笑む。そこには人もオークも関係ない、幸せな一家いっか団欒だんらんの情景があるのだった。



「さて、ではあまり長いはできんようだし、行くとしよう。ヒロよ、本当に世話になった」


「こちらこそ、お世話になりました」



 ヒロとカイザーは誰に言われるでもなく、互いに手を出し握手を交わしていた。



「ヒロよ……お前がこの名で呼ばれるのを嫌うのは知ってはいるが、あえて言わせてくれ。勇者エロヒロよ、我らオークの民は、お前に救われた。これは言葉では言い表せんほどの救いだ。ゆうにヒロ、我らのオーク族が族長カイザーがここに誓おう。お前が我らの力を欲したとき、我らの一族はお前のために命を捨てて戦うことを!」



「カイザー、ありがとう。もしそんな時が来たのなら、あなた達の力を頼りにさせてもらいます」


「ああ、期待してくれ。それではサラバだ、また会おう!」



 手を離したカイザーは、そのままヒロ達に背を向けると西へ向かって歩き出す。



「ヒロ! リーシア姉ちゃん! またいつか、絶対会おうね!」


「お二人ともお元気で、いつかまた会いましょう!」



 するとシーザーとアリアもまた、ヒロとリーシアに再会の言葉を掛け、西へと歩き出していた。



「皆さん、またいつか会いましょう!」


「アリアさん! シーザー君! またいつかですよ〜!」



 遠ざかる親子にヒロとリーシアが精一杯の声を出して手を振っていた。それは三人の姿が森の中に消えるまでずっと……そして三人の姿が見えなくなったとき――



「あの……そろそろ拙者も喋ってよろしいでしょうか?」



――突如、背後から聞こえてきた声に驚き、後ろを『バッ!』と振り返るヒロとリーシア! その視線の先には……。



「え、え〜と……?」


「ム、ムナクさんでしたっけ?」


「ムラクですよ! 若手No.1(三十代)のム・ラ・ク! あなた達、絶対ワザとやっているでしょう!」



 そこには、存在感ゼロの戦士……ムラクの姿があった!



「あっ、ムラクさん……いたんですね」


「え〜と……いつからそこに?」


「最初からいましたよ! 話に加わるタイミングがなくて、ずっと後ろで控えてましたよ! 最後には気付いてもらえると思って待っていたのに……チキショオォォォ!」



 すると、ムラクがオーク家族が向かった方角へ、泣きながら走り去って行ってしまった。



「憎い、憎い、憎い! 存在感のある奴らが憎い〜!」


「ムラクさ〜ん、お元気で〜!」


「また会いましょうね〜!」



 やがてムラクの姿も南の森の中に消えてしまい……草原にはついにヒロとリーシア、二人の姿が残されるのみとなっていた。



「みんな、行っちゃいましたね……」



 リーシアは少し寂しそうに呟き、ヒロの肩に寄り掛かり、ヒロは肩を抱きリーシアを支える。



「寂しいですが、いつかまた会えますよ」


「ですね。いつかまたきっと……」



 勇者と聖女の二人はそのまま互い身寄せ合うと、しばしの間、オーク達の消えていった西の森を見てながら思い出に浸る。


 調査クエストから始まった一連の事件……たった三週間の出来事だったが、二人が生きてきた人生の中でもっとも濃密で濃厚な時間……肉体的にも精神的にも成長した二人はただ黙って寄り添う。


 そして……。



「さて、ヒロ、私たちもそろそろ、アルムの町に帰りましょうか」


「……」


「ヒロ? どうかしましたか?」



 無言の回答……いつもならすぐに返事をしてくれるヒロが? とリーシアがヒロの顔を見ると……


「リーシア……申し訳ありませんが、僕は町には帰りません。君とはここでお別れです」



 男は真剣な顔で少女を見つめていた。




〈突然の別れ……聖女ですら知らされていない、真なるエクソダス計画は、最後の時を迎えようとしていた〉































◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「フッフッフッフッ……ハッハッハッハッハッ! 見つけた! ついに俺は見つけたぞ! この世界をぶっ壊せる存在を! バグキャラを俺はついに見つけ出したぞ!」



 白い仮面の中央に埋め込まれた赤い宝石が、男の上げる喜びの声に反応して真っ赤な光りを放ち、周囲を赤く照らし出していた。



「憤怒を倒すだけの奴は何人も見てきた。殺される奴、体を乗っ取られる奴、様々な奴を見てきたが誰も俺を満足させる答えを出せなかった。だがおまえは……憤怒と共に歩む道を選びやがった……そんな奴、未だかつて一人も存在しなかった」



 自らをサイプロプスと名乗った男が、地の果てまで何もない真っ暗な世界で一人歓喜に打ち震えていた。



「どれだけの時を待ったことか……どれだけの……だが、俺はついに見つけた! アイツに打ち勝つための存在に…… ついに出会えた、真の英雄に! ハッハッハッハッハッ!」



 サイプロプスが空中に表示されたモニター画面を見ながら笑う。それはついに念願のゲーム機を手に入れた時のような笑い声だった。



「だが、このままリーシアと別れるとなると、少々厄介な展開になるかもしれんな。さて、どうしたものか……」



 サイプロプスが腕を組み何かを考え始めると……モニター画面の端にチョロチョロ映る存在に気がつく。



「ん? なんだこいつは……ああ、たしかこいつは……」



 すると、それを見たサイプロプスが何かを閃き、手をポンと叩く。



「いいぞ、これも女神パンドラの思し召しか? いいだろう。奴に気づかれる可能性があるが、危険を犯すだけの価値はある。時計の針は戻せんが、早めるのならなんとかなる。俺がお前たちの運命を変えてやろう」



 するとサイプロプスが白い仮面に手を掛け、顔から仮面を外し手にする。



「本上 英雄……悪いが俺の復讐のために踊ってもらうぞ。この世界をバグで満たしぶっ壊すために……奴をこの世界に引きずり出すための贄となってもらう。恨むなら俺をいくらでも恨むがいい。だから許せ、異世界の英雄よ。俺と共に地獄に落ちてくれ」


 暗き世界に仮面を手にした男が佇み、仮面を外した男の右頬で奇妙な紋様が静かに光り輝くのだった……全裸で!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る