第166話 忘却の戦士

「散々お前たちにしてやられたからな、最後に我が騙してやった! 最高に気分がいいぞ! どうだ? 歯応えはあったか? 楽しめたか? 遊び尽くせたか? 愚かな人よ! ゴミがいくら知恵を働かせようが我には勝てんのだよ! さあ、お前たちに最上の苦しみを与えた上で殺してやろう! 人よ滅びよ! 一人残らず滅び去れ!」


 触手の筋肉で覆われた憤怒が、勝ち誇った顔で魔王を見下ろしていた。


「ちぃ……さすが難易度ナイトメア……一筋縄じゃいかない」


 体中に触手が取り付き、あらゆる関節の曲がる方向とは逆の方へと力を加えられる魔王……力を抜けば即座に体を破壊しようとする憤怒の拘束に必死に抗っていた。

 闘気を体にまとってもなお、体を絞め上げる力は強く一瞬でも気が抜けない。


『くっ……うぅぅ……ヒロ……』


 そして魔王の頭の中に、同じく憤怒の触手に囚われたリーシアの苦しげな声が届く。


「リーシア……」


 触手に抗う魔王が、視線を少し離れた位置にいる少女に向けると、魔王と同じく体を触手に絞め上げられていた。


 苦しみの表情で必死に触手の拘束から抜け出そうと足掻くリーシア……だが体力を限界まで消費した今の彼女では抜け出すことも容易くない。


 地面にペタンと座った体勢で拘束されしまったリーシア……必死に抜け出そうと残る力を振り絞るがビクとももしない。


『ま、まずいです。完全拘束されて……気を抜けば体がバラバラにされそうです……』


 なんとか闘気を体にまとい、触手の力に抗ってはいるが長くは持ちそうにない。魔王共々拘束され、力を消耗しきった二人……もはや風前の灯でリーシアの心は諦めの色に染まろうとしていた。


「もう少しだけ耐えろ……今、助ける!」


 だが、魔王の一言にリーシアの瞳に力が宿る。


『分かりました……耐え切って見せますよ!』


 彼女はもう迷わない。心を奮い立たせ必死に抗う。魔王が……ヒロが助けてくれると言った。なら絶対に助かる! もはや呪いにも近い絶対の信頼がリーシアに再び抗う力を与える。


「ほう、この状況で助ける? 誰がだ? まだ歯応えが必要だったか? ならば……」


「グゥッ! 憤怒!」


 その会話を拘束する触手を介して聞いていた憤怒が、魔王を警戒して、さらに拘束する力を強める。

 少しでも力を抜けば体を破壊される状況に加え、力を加える方向がランダムに変わる。


「難易度を上げてやろう! ハッハッハッハッハッ!」


 数秒ごとに体中の拘束する力の方向が変わり、魔王が対応に追われる。

 拘束された力が抜けた瞬間を感じ取り、別の方向に再び力が掛かった刹那に逆方向へ力を入れる……一ヶ所程度なら対処は容易いが、全身でこれを行われては魔王と言えども困難だった。


「さあ、どうだ? お前は少々厄介だからな、念には念を入れてやった。その拘束を抜けるのは厄介だぞ?」


 憤怒が勝ち誇った顔でヒロの顔を殴る。


「……」


 魔王は殴られても無言で憤怒を睨み返していた。


「チッ! まだ反抗的な目をしているな。ふん、我の怒りは、お前の心が絶望に染まる顔が見られねば晴れん……そうだ、お前はアレを好いているようだな?」


 憤怒が抗い続けるリーシアを指差し、その顔を歪めて笑う。


「……」


 魔王の憤怒を睨む目が一瞬だけ鋭くなるが、彼は無言を貫いた。


「クックックックッ、いいぞ……なら、お前の目の前でアレが上げる悲鳴を聞きながら、死ぬさまを見せてやろう。フッフッフッフッ」



「……」


「どうした? もう助からんと諦めたか? それとも死ぬ恐怖で言葉も喋れなくなったか? フッハッハッハッハッハッハッハッ! ならそのまま黙ってお前の愛する者が無惨に死んでいく姿と声を聞いているがいい!」


 憤怒が笑いながら魔王をその場に残しリーシアに向かって歩き出していた。


 途中、ヒロに殴り飛ばされ地面に突き刺さっていたハルバードに手を掛けると、無造作に引き抜き肩に担ぐ。

 重量が増した憤怒は、足取りも軽くリーシアの元へと下卑た笑いをしながら近づいて行く。



「……」



 魔王はただ無言でドンドン遠ざかる憤怒の後ろ姿を見ていた。だかそれは諦めたからでも、恐怖から言葉を喋れなくなっていた訳でもなかった。


 彼はタイミングを計っていた。この状況を脱する策を練り実行するタイミングを……少ないリソースをかき集め、最小の状況で最大の成果を出すために、魔王はただチャンスを待ち続ける。


 そして憤怒がついにリーシアの元にたどり着くと、右腕の紋章が凶々しく不気味に光り、手にしたハルバードに暗い漆黒のオーラをまとわせる。


 憤怒はリーシアの恐怖に慄く顔が見たいがために、これ見よがしにハルバードを彼女に見せつける。


「どうだ? 手も足も出せまい? いまからこれでお前を切り刻んで殺してやろう。安心しろ、すぐには殺さん。少しずつ体を切り裂いて時間を掛けて殺してやる。まずは指を一本ずつ切り落としてやる。良い声で鳴いてくれよ。痛みと苦しみに悲鳴をあげるお前の声を、アイツに聞かせてやりたいからな フッハッハッハッハッ!」


「……」


 リーシアは触手に抗いながら、無言で憤怒を睨んでいた。


「おのれ……キサマも奴と同じか? この状況を見てまだ分からんのか? もうお前たちに我を倒すことは叶わん。だと言うのに……お前たちはなぜ絶望しない?」


「……」


「ふん。拘束されていては喋ることもできんか? 良いだろう。少し喋れるくらいに拘束を緩めてやろう」


 その言葉にリーシアが心の中でほそく笑むが……。


「クッ!」


「……などと油断はせん! お前たちに隙を見せれば、何をしでかすか分かったものではないからな!」


 憤怒は拘束を緩めるどころか、さらに拘束の力を強めリーシアを絞め上げる。体中の骨が軋み、少しでも気を抜けば一瞬で体を破壊されてしまう触手の拘束に、少女は必死に耐えていた。


「しかしこれだけ絞め上げても悲鳴ひとつ漏らさんとは立派なものだ……だが、それもいつまで持つかな? さあ、宣言通りお前の指を一本ずつ切り落としてやる! フッハッハッハッハッハッ!」


 憤怒が狂ったような笑い声を上げながら、ハルバードを両手に持ち頭上高く振り上げる……まるで罪人の首を斬り落とす、処刑人のようにゆっくりとした動作。


 それは罪人が、自らの行いに悔いながら、死の恐怖に怯えさせるための時間だった。


 リーシアの右腕が触手によって肩の真横に上げられ、指を無理やりに広げられる。


 少女も必死に抗うが、今の彼女にはもう拘束から自力で抜け出す手段がない……ヒール(滅)を放とうにも、すでに一発分しかMPは残っておらず、単発で打ったとしても一部分だけを塵と化すだけで意味をなさない。

 全身の触手を全て塵に返すだけのMPが、彼女には残されていなかった。


 もう自力ではどうする事もできないリーシアの脳裏に、あの時の……母が殺された時の光景がぎる。


 リーシアは心の奥底に厳重に封印した感情を爆発させて鬼化しようと心見るが……いつもなら心の奥底から溢れ出す怒りの感情で、破壊できる心の枷が破壊できない。


「クッ! やっぱり……鬼化できない……」


 いつもなら、母の首を切り落とされた場面を思い出すだけで、冷たく暗い心の奥底から、自らを焼き尽くすような怒りの炎が噴き出すのに……それができない。


 リーシアには分かっていた。ヒロと出会って自分が弱くなってしまった事に……気づいたのはヒロが一緒に幸せを探してくれると言ってくれたあの時だった。


 ヒロの言葉に、憎しみの炎と凍てついた心しか持たなかった少女の中に温かな光りが宿った。

 その光りが凍てついた心を少しずつ溶かし、憎しみの炎が弱まっていた。

 怒りこそが力になる覇神六王流において、憎しみの怒りが弱まったリーシアに、鬼化するだけの怒りを維持する事ができなくなっていた。

 

 最後の望みにと、鬼化を試みるがやはり徒労に終わる……それでもリーシアはまだ諦めない。


 戦う力は弱くなった……だが、少女の心は強くなった! 


 自分が信じる男が言った。『助ける』と……なら自分は最後までその言葉を信じて自分の成すべきことを成すだけだった。

 すなわち……最後の一発であるヒールを最良のタイミングで使うこと。


 最後の瞬間……いや、最後を迎えたあとでも、リーシアはヒロを信じる覚悟を決めていた。

 

「……」


 顔を上げたリーシアは、無言で憤怒の姿をその瞳に映していた。


「その顔? まだ絶望に染まらないのか? 忌々しい……だがいつまで耐えられるかな? さあ一本ずつ指を切り落としてやる。10本全部落としたら、今度は足の指を……そして次は手足を先から少しずつ切り刻んでやる」


「グァァァっ!」


 憤怒がハルバードをリーシアに振り下ろそうとした時、後方から待望の声が上がり、憤怒が思わず後ろを振り返っていた。


「ハッハッハッハッハッ、良いぞ! その声が聞きたかった。もっとだ、もっと苦しみの声を上げろ!」


 憤怒の視線の先には、触手の拘束に抗いきれず、ついに右腕を破壊された魔王の姿が写っていた。

 右肩から下の関節を全て逆の方向に折られ苦痛に顔を歪ませた男に、憤怒が満足げな顔をすると再びリーシアの方へと顔を向けた。


「……」


 魔王の悲鳴に少女の動揺した表情が見られるかと期待していたが、リーシアはまったく表情を変えずに憤怒を見ていた……それを見た憤怒に嫌な予感が走る。もはや絶対に負ける要素がない状況において、憤怒は心の中に得体の知れない感情が芽生え始めていた。


「チィ! 忌々しい人如きが……まあいい。さて、待たせたな。それでは殺してくれと懇願するまで痛めつけてやる。早めに悲鳴を上げて奴の顔が苦悶の表情に染まったら、楽に殺してやる」


 そして憤怒が再びハルバードを頭上に掲げると、これからリーシアが上げる悲鳴を想像して笑っていた。

 その笑い顔を見てもリーシアは目を閉じずにジッと憤怒を見ていた。

 

「さあ、泣き喚け! お前らの悲鳴こそ我が生きる意味。怨嗟の声こそが我が安らぎ。人よ後悔の念に溺れ死ぬがいい!」


 憤怒が振りかぶったハルバードを振り下ろした瞬間ーー


「それを待っていた!」


ーー魔王の声が高らかに草原へ響き渡る。


 リーシアは見ていた。憤怒の後方にいたヒロが、左腕に絡みつく触手の拘束を振り払って腕を動かしている姿を! 憤怒がハルバードの重量を利用して振り下ろした際にはできるほんの刹那の時間……手と武器の握りが甘くなる瞬間に魔王が動いた。


 魔王の左手首から伸びる無色透明な魔力のワイヤーの先は、まっすぐに憤怒の持つハルバードへとつながっていた。フルブレイブを放つ寸前に憤怒が投げた二本のハルバード……回避する際、左手で打ち弾いたハルバードにあらかじめ魔力のワイヤーを括り付けていたのだ。


 魔王もこうなる事を狙っていた訳でない。どう転ぶか分からない戦いの中で、常に最善を尽くし布石を打って行動するゲーマーのさがが窮地を救った。


 すっぽ抜けるように憤怒の手からハルバードが離れていく。

 

「おのれ! 小賢しい!」


 憤怒が魔王を拘束する触手に力を加え、その動きを止めようとするが左腕の動きは止まらない。


 拘束したときより、倍以上の闘気をまとう魔王の左腕……それはワザと右腕を捨て、その分の闘気を左腕一本に集中したからであった。


 そう、魔王はワザと右腕を犠牲にしていたのだ。少ないリソースを生かすため、利き腕を捨ててこのチャンスを待っていた。


 宙を舞うハルバード! 魔王は魔力のワイヤーを巧みに使い、左腕一本で空中にあったハルバードを操作しリーシアを拘束する触手を断とうする。


 慎重にワイヤーを動かし、リーシアの体に当てずに触手だけを断ち切ろうとした時……横から急に現れたハルバードに、魔王のハルバードが在らぬ方向へと弾き飛ばされた。


「ハッハッハッハッハッ! 残念だったな!」


 いつの間にか憤怒の手には別の触手ハルバードが握られ、返す斧刃が魔力のワイヤーを断ち切っていた。


「お前が何かをやろうとしていたのは明白だったからな! もしやと思い、ハルバードを瞬時に作り出せるようあらかじめ準備していたんだよ。残念だったな!」


 魔王を見て勝ち誇る憤怒……悔しがる顔を見てやろう目を凝らした憤怒は、男の吊り上がった口元を見てしまった。  


「何が可笑しい、人の分際で我を笑うなど!」


「クックックックッ、いや何、お前が見事にまで引っかかってくれたんで、つい笑いが隠せなくなっただけさ」


「ふざけるな! もうきさまの奇策も尽きただろう? もうお前たちに勝ち筋などありはしない!」


「勝機か? 勝機ならーーまだあるさ!」


「勝機がまだあるだと? 世迷言を……拘束されたお前たちにもはや勝機など存在せん!」


「俺たちだけ? 憤怒……おまえはいつから俺とリーシアの二人しかいないと思っていたんだ?」


「なんだと? お前たち以外に他に誰かいるとでも言うのか⁈」


「ああ、お前は忘れているのさ、この場にいた四人目の……『忘却の戦士』をな」


 憤怒が突如現れた闘気の気配に『ハッ』となり、リーシアの方へ顔を向けたとき、そこには『忘却の戦士』が弾き飛ばしたハルバードを手に、少女へ打ち下ろしている姿があった。


「拙者の存在感のなさを舐めるなよ!」



〈忘却されし戦士……ムラクが少女の拘束を断ち切った〉






















…………


「やはり同じか……このままでは英雄ヒーローは間違いなくバッドエンドへまっしぐらだ。勇者や魔王では本当の意味でデバッガーに勝てん。このままではいつもと変わらん。なぜ、俺が望む結末に辿り着けんのだ! なぜだ! 何が足りない⁈ 一体何が……」


 白い仮面を付けた男が、項垂れながら自らの裸体を見つめ思考する。


「『英雄』……ガイヤにおいて呪われた称号……いかなる『英雄』も、奴の思惑からは抜け出せない。一体何が足りない? デバッガーを倒せる……奴に届き得る要素ファクターとは一体何なんだ! クソが!」


 サイプロプスが忌々しい声で悪態を吐く。


「このまま勝ったとしても意味がない。普通に憤怒に勝つだけでは時間の無駄だ……せめてもの情けだ。痛みすら感じさせずに、俺の手でお前を殺してやるよ。本上 英雄ヒーロー


 サイプロプスの仮面につけた一つ目が闇の中で赤く光り、裸体の男の体を怪しく照らし出すのだった。

 

 

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