第151話 憤怒再臨

「まだだシーザー、もっと引きつけるのだ」


「はい、父上」


 茂みの中から小声で話すオークの親子は、気配を殺し息を潜めていた。


 二人の目線の先には、南の森ではポピュラーな魔物、イノーシが辺りをキョロキョロしながら歩いている。


 下の牙が発達し鼻がデカいイノーシは、匂いを嗅ぎながらフゴフゴと食べ物を探して森を彷徨っていた。

 

 茂みに隠れる親子に気づかず、少しずつ近づいてくるイノーシに、シーザーが弓に矢をつがえ、解き放つタイミングを待っていた。


 前方から近づいてくるイノーシは、通常より少しサイズは小さいが、丸々と太り食べ応えがありそうだった。


 父の合図を待つシーザー……そして!


「今だ!」


「はい!」


 カイザーの合図と同時に、シーザーの弓から矢が放たれた。


 一直線に飛ぶ矢が、イノーシの首筋に当たり……血を流しながらヨタヨタと倒れ込む!


「父上、やりました!」


「うむ。なかなかいい場所に当てたな。いいぞ。首筋は急所が集まっているから、狙うなら今の場所だ。覚えておくのだぞ」


「はい!」


 父親に誉められ嬉しそうに答えるシーザーと、息子に狩りの仕方を教える喜びに顔がほころぶカイザー。


 カイザーは、怪我が治ったシーザーを連れて息子との初めての狩りに来ていた。


 当初は長としての責務で、狩りに参加できず息子の初めての狩りに付き合えないと、カイザーは意気消沈していた……夢にまで見た光景が実現し、彼の内心は喜びで一杯だった。


 村の長としての威厳を保つため、真顔で息子に接しようと務めるが、その顔は緩みっぱなしだ。


「さあ、トドメだ。いいかシーザー。戦いや狩において最も危険なのは油断だ」


「油断?」


「そうだ。勝ったと思った瞬間こそ、もっとも危険なのだ。手傷を負い動けないとしても、息の根を止めるまで決して相手に隙を見せるな」


「わかりました。父上!」


 シーザーは弓を肩に掛け、地面に置いていた自分の槍を手に、倒れたイノーシに近づいて行く。


 イノーシは首から血を流し、地面で死んだようにじっとしていた。


 動かないイノーシを見て、シーザーが父の教えに従い、槍を構え警戒しながら近づくと……イノーシが急に立ち上がりその鋭い牙を突き上げながらシーザーに突進する。


 だが、あらかじめ警戒していたシーザーは、イノーシの突進に対しカウンター気味に槍を突き出すと、槍は左の肩から体へと突き刺さる。


 大きな鼻から血を流しその場に倒れ込むイノーシ……ピクリとも動かず、その目から光が消えていた。


「見事だ。覚えておくといい。戦いにおいて正々堂々と戦うものもいれば、今のように姑息に弱ったフリをして隙をうかがうものもいる」


「はい! でも父上、死んだフリをした相手にどうやって見分ければ?」


「簡単な事だ。目を見ろ」


「目?」


「そうだ。目は口ほどにものを語る。口は閉ざすことはできるが目は閉ざせん。死を受け入れるもの、生きようと足掻くもの、意地汚く卑怯な手をろうするもの……すべて目の輝きが違うのだ」


「輝きですか……僕にはまだ分かりません」


「ああ、命のやり取りを繰り返せば自然に覚える。今はまだ分からなくても構わんさ。さあ、村に帰ろう。おまえの初めての獲物だからな、アリアに美味い飯を作ってもらおう」


「はい! 父上!」


 シーザーは尊敬する父に褒められ、その意気揚々とイノーシを担ぎだす。


 だが小柄とはいえ、子供のシーザーにイノーシは大きすぎ、引きずるように歩く息子を見たカイザーが手を差し出した。


「どれ、我が獲物を持とう。貸してみろ」


「いえ、父上、これは僕の獲物です。だから母上に渡すまで僕が持ちます!」


「そうか……」


 カイザーは差し出した手を引っ込めながら、息子が子供から雄になった顔を見て、寂しさと共に頼もしさも感じていた。


 初めての獲物を担ぎ、シーザーが村に帰る後ろ姿を見た父は、息子の成長を実感すると供に、この機会をくれたヒロとリーシアに感謝する。


 願ってまなかったこの瞬間を迎えられたことに、カイザーの心は感謝の念で絶えない。


 この素晴らしき時をくれたヒロ達に、この恩を必ず返そうとカイザーが誓った時、オーク族の運命はヒロの運命の歯車とガッチリ噛み合った。


 二度と外れない呪いにも近いヒロの運命に……全てをぶっ壊す歯車に彼らは組み込まれてしまった。それがオークヒーローの定められた運命から、ほんの少しだけ外れたことに気づく者は誰もいなかった。


 イノーシを担ぐシーザーを見守りながらカイザーが村の入り口まで帰ってくると、そこには母アリアの姿があった。


「母上! ただ今帰りました! 見てください! このイノーシ、僕が仕留めたんです!」


「二人供、お帰りなさい。まあ、凄いわねシーザー!」


「父上にいろいろ教えて頂いたおかげです!」


「アリア、シーザーは筋がいい。きっと我を超える戦士となるだろう。今から成長が楽しみだ」


「エヘッヘッヘッヘ、僕もいつか父上のように強くなって母上や村のみんなを守れる存在になります!」


「あなたならきっとなれますよ。さあ、今日は腕によりを掛けてお料理しないとね。シーザーの初めての獲物ですから、手を抜けないわ!」


「僕も手伝います!」


「うむ。我も手伝おう」


「そう……それじゃあみんなで作りましょうか。折角ですから、ヒロさん達にもお裾分けしましょう」


「はい! 僕もヒロ達にも初めてのイノーシを食べてもらいたいです!」


「では、帰ろう我が家に!」


 三人は並んで家路を歩き出す。


 それは何の変哲もない、シーザーの記憶の中にある幸福の記憶……もう叶うことのない過去の幻だった。


 暗闇の中でシーザーは目を覚ました。


「こ、ここは……」


 意識を取り戻したシーザーが頭に掛かるモヤを晴らすために頭を振り、無理やり意識を覚醒させる。


 周りを見渡すと……真っ暗な空間でシーザーは手足を触手で封じられ、体を拘束されていた。


「クッ、なんだこれ?」


 力を込めて触手を振り払おうとするが、いくら足掻いても拘束は外れない。


「ダメだ、外れない! それにしてもここはどこ? たしか僕は、森の中を歩いていて……」


 自分の身に起こったことを懸命に思い出そうと、シーザーは記憶を掘り起こす。


 それはポークの民が、森の中を休まず歩き続けていた時にまで遡る。



…………



「母上、ムラク、みんな! あそこを越えれば森を抜けるよ」


 父から安全な森の通り道を教えてもらっていたシーザーを先頭に、ポークの民400人が、一人も欠けることなく森の外周部にまでやって来た。


 指差す先には森の木々が途絶え、広い平原の姿が見えて来た。差し込む太陽の光が、森の出口をまぶしく照らし出していた。


「ふ〜、なんとか一人も欠けることなく、森を抜けられましたな」


「良かったわ。でもここからね」


 若手NO1戦士ムラクの言葉に、アリアが安堵しながらも気を引き締める。


 森を抜ければそこから先は、彼らにとっては未知の領域。事前にヒロとリーシアから説明は受けていたが、いざ森を抜けるとなると、さすがに不安がないとは言い切れなかった。


「確かにここからは誰も知らぬ土地、気を引き締めないとなりませんな」


 戦士として皆を守る役目があるムラクは、手に握る槍を強く握りなおす。


「ムラク大丈夫だよ。みんなが居ればきっと大丈夫!」


 誰もが不安になる中、シーザーが声を上げ皆の不安を取り除こうとしていた。


「坊ちゃん……いや、若! そうですな。皆がいるから頑張れる。さあ、みんな行こう!」


 その言葉にシーザーの中に何かを見たムラクは、シーザーの後に続き歩き出していた。


 小さな子供を先頭にオークの民が新天地に向かって歩き出した時だった!


 突如、シーザーの心に、ドス黒い感情が流れ込んできた。

 心を引き裂く悲しみ、怨嗟の憎しみ、おさまらない怒り……言葉にできない感情が心の内側から際限なく湧き上がる。

 

 心の中を何か得体の知れない感情が暴れ回り、心を塗り替えてゆく。


 シーザーが苦しみに耐えながら目を開けると、自分の後ろにいたポークの民が、自分と同じように苦しみに顔を歪ませていた。


 隣にいた母アリアと戦士ムラクもまた、自分を保とうと必死に争っていた。


 シーザーも必死に心の中であらがうが……。


「人よ……滅びよ!」


 その言葉が心の中で響いた時、シーザーの心は怒りと悲しみの感情に塗り潰され、目の前が真っ暗な暗闇に包まれてしまった。


 そして次に目が覚めた時、暗闇の中で触手に体を拘束されながら目を覚ましていた。



…………



「思い出した。確か森を抜けた時に、変な声が聞こえて……そうだ! 母上! ムラク! みんな!」


 シーザーが辺りを見回すが、暗闇が広がるだけで自分以外の姿はない。

 

 手足の拘束から抜け出そうと手足を動かすが、触手はビクともしない。だが彼は諦めずに必死に抗っていると……右腕が熱く、焼けるような痛みに顔を苦悶に歪ませた。


 そして痛みが引いた後、その痛みを発した右腕を見ると、そこには奇妙な痣が浮かび上がり、憎しみの声がシーザーの心を埋め尽くす。


「おのれ! おのれ! 我は滅びぬ! 我は不滅!

 人よ、我が母の痛みを思い知れ! 許さぬ! 許さぬ! 一人残らず滅ぼしてくれる! 我は憤怒! 怒りを司るもの! 我が怒り思い知れ! 人よ滅びよ!」


「父上、母上……みんな……」


 そしてシーザーの心は闇に黒く塗り潰された。


「人よ滅びよ! 一人も生かしておくものか!」


 意識を乗っ取っとられたシーザーが立ち上がり、その目を開くと……憎しみに満ちた目で周りを見回していた。

 シーザー以外のオークは、一人の例外なく倒れ込んでいた。

 

「我の狂気がオーク供に波及せぬ。この貧弱な体では長くは戦えん……おのれ我らデバッガーの邪魔をする者め! 許さん! 人に絶望を! 人に滅びを!」


「ウ、ウッ……シーザー……」


 息子の声に母アリアが反応し、いち早く意識を覚醒させて体を起こす。


 自分より子供の安否を心配して、シーザーが立つ姿を見て安堵するアリアだったが……右腕に浮かぶ奇妙な痣を見てその目を見開いた。


「まさか、それは! シーザー……」


 アリアは瞬時に理解した。夫であるカイザーの右腕に浮かぶ憤怒の紋章が、シーザーに継承されてしまったことを……そしてそれは同時に夫が死んだことを意味していた。

 

 頼れる夫はもういない。この子を助けられる家族は、もう自分しかもういないのだ……フラつきながらもアリアは立ち上がる。

 

「その子から出ていきなさい!」


 だが、そんなアリアの必死の声を憤怒は無視すると、構わず周りの気配を探りだし、はるか北東の方角に人が集まる気配を感じ取る。


 その場を立ち去ろうとする憤怒に、アリアが静止の声を上げる!


「待ちなさい!」


 アリアを一瞥いちべつした憤怒が、うるさいハエを払うかの如く、顔をそむけたまま、手だけを彼女に向けると……突然、肩から触手が生え出しアリアに向かって撃ち放たれていた。


 もうスピードで迫る触手に、アリアは反応できない!その凶々しい触手が彼女を刺し殺そうとした時!


「アリア殿!」


 横から意識を取り戻したムラクが、アリアに飛びつきからくも触手の魔の手から彼女を守っていた。


 触手を避けられた憤怒は、おまえ達になど構っていられなぬと言いたげな表情を浮かべると、そのまま北東に向かって走り出してしまう。


 息子を助けるため、後を追おうとするアリア……だが、まだフラつく足がもつれ、その場に倒れてしまう。


「お願い待って! シーザー!」


 アリアの声も虚しく、憤怒はその場を後に走り去ってしまった。


「クッ、ここは……」


「わ、私たちは?」


 憤怒がいなくなると同時に、地に伏したオーク達が順に目を覚まし次々と起き上がる。


「アリア殿、若はいったい?」


 フラつきながらも立ち上がったムラクが、倒れたアリアに手を貸しながら尋ねた。


「ムラク、手を貸して頂戴! あの子を、シーザーを憤怒の紋章の呪縛から解き放ちます!」


〈絶望を超えるものから息子を取り返すため、最強の母が立ち上がる!〉

































…………



「やはり本上もとがみ 英雄ヒーローよ……お前も同じなのか? このままでは他の奴と同じ運命を辿ることになる。デバッガーに見つかる危険を冒してまで、接触したと言うのに……クソッ!」


 一つ目の白い仮面を付けた男……サイプロプスが心に溜まった憤りを口にして嘆いていた。


「やはり奴も外れなのか? あいつならと期待はしたのだがな……まあいいさ。どうせ長い旅路の途中だ。今さら外れを引いたところで、どうと言うことはない。またやり直せばいいだけの話だ」


 サイプロプスは落胆しながらも、何か懐かしいものを見るようなまなざしで、暴れ馬バイクに乗る聖女ヤンキーをモニター越しに見ていた。


「さて、結末は同じだろうが最後まで見届けてやろう……それこそが俺の受けるべき罰なのだからな」


 サイプロプスが腕を組み、再びモニターを凝視する。


 物語の結末を知る男は、ただ静かに二人の運命を見守るのだった……全裸で!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る