第96話 オーク……最強の母

「もう拙者らでは、手の施しようがない傷を……今夜一晩、持つかどうからしい」


「そうですか……シーザー君が……」



 ヒロの表情と呟きを聞いたリーシアは、ただ事ならぬ雰囲気を感じ取りヒロに問いただす。



「ヒロ、何がありました?」


「……シーザー君が狩りで獲物に襲われて、怪我をしたそうです」


「け、怪我の具合は?」


「首の太い血の管から血が流れ出てしまい、止まらないそうです」


「大怪我じゃないですか!」



 リーシアはヒロに掴みかかり、その身体を揺する。


「私をあの子の元に連れて行くように伝えて下さい! 私のスキルなら癒せるかもしれません!」



 リーシアの言葉を聞いたヒロは、確かに聖女の癒しを用いれば助かる可能性はあるが、それでは間に合わないと判断した。おそらく自然治癒の回復速度を上げる聖女の癒しでは、ゲームの回復魔法のように、瞬時にHPを回復することはできない。重大な血管が傷つき、血を流し続けているシーザーの容体は一分一秒を争う。


 ヒロはアイテム袋を触り、一瞬逡巡しゅんじゅんしたが、リーシアの真剣な目を見ながらヒロは頷き口を開く。



「ムラクさん、僕たちをシーザー君の元へ連れて行っては頂けませんか?」


「坊ちゃんの元にか? なぜですか?」


「リーシアのスキルなら回復出来るかもしれないからです」



 ヒロの言葉を聞いたムラクは、驚きの表情を浮かべながらリーシアの顔を見る。



「……ヒロ殿、一つお聞きしたい。なぜオークである我らを……敵同士であるのに助けるのです? オーク一匹の命など、あなた達は何とも思っていないはずなのに?」


「何とも思わない訳ではありませんよ。確かに今、僕たちは敵対関係であるからこそ、この牢屋に入れられてます。でも……」


「でも?」


「でも……人とオークが争っていたとしても、僕とリーシアはシーザー君が憎いわけではありません。あの子の笑った顔にウソはなかったから…… だから僕とリーシアはシーザー君を助けてあげたいと思ってしまいました。それではダメですか?」


「……」



 ムラクが口を閉じ、無言になる。何かを見定めるように、ヒロとリーシア、二人の顔を見ていた。



「良いだろう。だが拙者の一存では決められぬ。長に話してみよう」


「お願いします」


「しばし待たれよ。必ず説得して見せる。拙者も坊ちゃんが死ぬところなど、見たくないのでな」



 その言葉を残し、ムラクは牢屋を急ぎ後にして行った。



「ヒロ……ごめんなさい」


「どうしてリーシアが謝るのですか?」


「ヒロに考えも聞かず、勝手にあの子を助けたいと言ってしまったからです」



 リーシアは肩を落として、ヒロに怒られる覚悟で謝っていた。それを見たヒロは……。



「リーシア、謝る必要はありませんよ。言ったでしょう? 僕もシーザー君を助けたいと思う気持ちは一緒です。たとえリーシアが言わなくても、僕が助けたいと言っていましたよ」


「ヒロありがとう」


「ですが、リーシアのスキルだけでは間に合わないかも知れません」


「分かっています。私のスキルはは即効性がないから、瞬時に回復が必要な怪我では、回復に間に合わない可能性があります」


「だから……僕は最後に取っておいたポーションを使いたいと思います。瞬間的な回復が見込めるコレなら間に合うかもしれません。リーシア良いですか?」


「最後のポーションですか?」


「はい。オークヒーローとの戦いのために取っておいたポーションです。何が起こるか分からない状況で、自分たち以外に使うのは愚かな行為かもしれませんが……」


 

 首を横に振り、その言葉を否定すると、リーシアはヒロの手に小さな自分の手を重ねた。



「シーザー君に使いましょう。私も賛成です。ヒロの思いを愚かと言う者がいるならば言わせておけばいいです。少なくとも、私はヒロを愚かだなんて絶対に思いません」


「ありがとうリーシア」



 そのまま二人は、無言で手を握り合い、ムラクが戻るのを牢屋の中で待つのだった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

  



「いわれた? 誰にいわれたのだムラク?」


「坊ちゃんを助けることが出来る者……ヒロ殿だ!」



 ムラクの言葉にカイザーは言葉を失う。



「ムラク、本当なの? シーザーは助かるの?」


「ただ待つよりも、可能性があるというだけです」



 シーザーの母アリアが、ムラクの言葉に希望を見出すが……。



「信じろと言いのか? アイツらは人族だ、我らを倒そうとする敵なのだぞ?」



 カイザーは、ムラクの言葉を信じることなど出来なかった。

オークの仲間を守るため、戦い続けた来た戦士には自分たち以外は全て敵としか接してこなかったからだった。


 自分たちを見れば誰であろうと襲い掛かられ、戦いを強いられる。強くなければ生きられない南の森の中にあって、他種族の言葉を鵜呑みにする程、カイザーは愚かではなかった。


 もしかしたら怪我を治す振りをして、シーザーを人質に逃げようとする算段かも知れない。あの二匹は自分を倒すために捕らえた虜囚であり、シーザーが死の世界へ旅立とうとしているいま、カイザーにとっては生かしておく意味もなかった。シーザーが死ねば、自分に匹敵しうるあの雄は、確実に殺して置く必要があった。いま逃げ出されれば、自分とアリアが自害した後、このオーク村をあの雄から守れる者がいない。



「ダメだ。他種族の手を借りて、シーザーの運命を変えることは容認できない」



 カイザーはムラクの進言を却下した。



「あなた!」


「なぜですか? 坊ちゃんを助けたくないのですか?」


「シーザーが、ここで死ぬのならばそれは運命だ。運命は覆せない。お前たちも分かっているはずだ。それにあのつがいの二匹がウソをついて、逃げ出そうとしているのかもしれぬ」



 カイザーは認めようとはしなかった。



「正直に話しましょう。拙者、ここ二日程、あの者たちと接してみましたが、その瞳は……ウソをついていないと感じました」


「あなた、運命を受け入れろという、女神の教えは否定しません。でも目の前に助かる可能性があるのなら、それにすがるのはいけないの? それでシーザーが助かるのなら、それこそ運命なのではないの?」



 アリアとムラクは声を上げてカイザーの言葉に反論する。



「あの牢から出すことは許さね。手傷を負ったからこそ、あの二匹を閉じ込めておけるのだ。牢から出せば、その隙に逃げられるやもしれぬ」


「あなた……では、牢から出なければよいのですね? なら、私がシーザーを連れて牢に向かいます」


「そんな詭弁を聞くわけにはいかない。アリアよ諦めろ。これは族長命令だ!」


「何を、何を諦めろというの? シーザーが生きるのをあなたは……私は諦めません! ムラク行きましょう。シーザーは私が連れて行きます」


「ならぬ! 族長命令を破れば村から追い出されるのだぞ⁈」


「言ったはずです! シーザーもあなたもいない世界に生きるほど私は強くないと! でもあの子がいる世界なら、私はいくらでも強くなれるの!」


「……」



 アリアがその一言カイザーが押し黙る。オーク族にとって、族長命令は絶対だった。滅多なことでは発せられない絶対の権限……命令を破れば村に住うことは許されず、外の世界に放り出される。他種族に狙われ続けるオークにとって、それは死を意味していた。


 だがそんな絶対の掟に、アリアは真っ向から逆らった。息子のためならば、例えオーク最強と言われる夫が相手だろうと、決して臆さない。


 我が子を守る……その思いがアリアを強くしていた。最強のオークヒーローすら打ちのめす最強の母親へと!


 族長としては正しい判断、父親としては苦痛の決断……カイザーの心が苦しみで引き裂かれる。妻アリアの母としての強さに、カイザーは何も言えなくなり、その身体が打ち震えていた。父親と族長……二つの肩書きに挟まれたカイザーは、ついに動けなくなってしまった。


 そして最強の母が最弱な父を打ち負かしたとき、アリアは動かないカイザーをおいたまま、隣の部屋で眠るシーザーの元へと足を運ぶ。

 


 血が流れすぎ、意識が朦朧とするシーザーをアリアが抱き上げる。



「母上……」


「少しだけ我慢して頂戴。きっと治してあげるから」



 母に抱き上げられたシーザーは、母の腕の中で、その温もりを感じ静かに目を閉じていた。アリアは急ぎ部屋を後する。いまだ動けないまま立ち尽くすカイザーの前を通り抜けようとすると、カイザーがアリアの前に立ち塞がった。



「あなた……そこを退いてください」



 アリアの顔は暗く沈むが、道を塞ぐカイザーをまっすぐに見ていた。


 自分たちを行かせないつもりかとアリアは思い、カイザーと一戦交える覚悟をする。


 だが、カイザーがアリアに手を伸ばし、一瞬、躊躇したかと思うと、その手はアリアの抱くシーザーを奪っていた。ムラクが間に割って入ろうとしたとき――



「行くぞ、我が連れて行く! 族長としては褒められたことではないだろうが、父親として我は息子を死なせたくはないのだから……すまないシーザー、弱い父である我を許してくれ! もう迷わぬ! 必ずおまえを助けて見せる!」


「あなた、行きましょう!」



――息子を胸に抱く父と母は、ヒロ達が待つ洞窟へと急ぐのだった。




〈オークヒーローは、希望に向かって走りだした!〉

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