第24話 初めてのオコ!
夢を見ていました。私が子供の頃の……忘れることは決してない、母様との別れの夢です。
「悲しいか小娘?」
背の高い、ガッシリとした体つきの老人が、私を見下ろして問い掛けます。
ですが、泣きじゃくる私の耳には、老人の声は聞こえていませんでした……。
それはいつもと同じ、穏やかな朝の出来事でした。
大好きな母様と朝の礼拝で神に祈りを捧げていると、『バン』と、教会の扉が乱暴に開け放たれます。
私と母様は突然のことに、何ごとかと祈りを中断して礼拝堂の入り口を見ると、そこには教会の神父様と町の兵士が怖い顔をして立ち並び、ドカドカと中に入って来ました。
神父様と兵士の後ろには、右頬に奇妙な痣がある見知らぬ男が歩いてたのを覚えています。
ただならぬ雰囲気に私は怖くなり、無意識に『ギュッ』と母の服を握っていました。
私たちの前に立つ三人の男……いつも優しくしてくれる神父様や顔馴染みの兵士が、怖い顔をして母様を怒鳴りつけます。
何を言っているのか、子供には理解できず恐怖で母の後ろに隠れる私は神にお願いします。『いつもの優しいみんなに戻して下さい』と……ですが、その願いも虚しく母様を怒鳴る声はさらに激しくなり、ついに兵士が母様の手を乱暴に掴むと、有無を言わさず拘束して教会の外に引きずり出されます。
母様から無理やり引き剥がされた私は、母様を拘束する兵士に必死に縋り付きました。
「お願い止めて! 母様を離して!」
いつも挨拶してくれる優しい兵士の顔が、怒りに満ち私を睨みつけます。
私は何度も『止めて』と声を上げましたが、兵士は耳を貸してくれません。
町の通りを母様が無理やり歩かされ、その後を私が声を上げながら付いて行きます。
昨日まで優しかった世界が一変していました。
母様と町を歩けば、常に挨拶と感謝の声を掛けてくれた町の人々が、こぞって母を罵倒するのです。
「よくも今まで騙してくれたな! この魔女め!」
「自分を聖女と呼ばして裏では人を喰い物にしやがって!」
「あの人が死んだのもお前のせいよ!」
「俺の生活が苦しいのも全部お前のせいだ!」
あんなに優しかった人々が怒りで豹変し、母様が悲しい顔をしていました。
私は悲しくなり泣きじゃくりました。何でこんな酷いことをするのと……。
「悔しいか小娘?」
老人は鷹のような鋭い眼差しで、泣きじゃくる私を見下ろします。
母様は広場の中央に縛り上げられ、教会の神父様に告げられました。『この者は人々を惑わす魔女である』と……教会の許可なく人々を癒す行為は悪であり、母様は神の教えに背く異端者であると町の人々に説明します。
昨日まで聖女と呼び感謝してくれていた人々が、口を揃えて母様を魔女と呼び出したのです。
次々と連鎖した負の感情が広場に溢れ出しました。
小さな私には理解できません……あれだけ人のために尽くしてきた母様が、なぜ魔女なのかと?
「母様は魔女なんかじゃない。だからお願い……母様を離して!」
私は必死に母を助けてと声に出しますが、悪意の声に押し潰されて誰の耳にも届きません。
言葉で言い表せぬほど、悪意ある熱狂に包まれた異常な熱気が広場を満たしていきます。
その悪意の渦の中で……ただ母様だけが静かに佇んでいました。
目をつぶり、人々の怒りを一身に受ける母様……私は悔しかった。悪意の渦の中心にいる母様を助けられない、無力な自分が悔しくて仕方がなかった。
「憎いか小娘?」
老人は感情のない無機質な口調で私に問い掛けます。
悪意ある熱狂が最高に達した時、その時がついに来ました。
やさしかった神父様の隣に、見た事もない教会の服を着た男たちが立ち並びます。
そして自らを異端審問官であると人々に告げると、母様に罪状と処分を言い渡します。
『斬首に処する』と……私は必死に祈りました。
母様は何も悪い事はしていない。だから助けて神様と……ですが、私の祈りは神に届きませんでした。
昨日まで聖女と呼ばれ慕われていた母様が、異端者……魔女と皆が下げ荒み罵声を浴びせます。
母様は、ただ
目を閉じ穏やかな表情で、刑が実行されるのを待っていました。
そしてついにその時は来ました。
母様の拘束が解かれ、両の手を二人の兵士に掴まれた母様は、頭を地面に触れさせる程下げさせられました。
母様の横に立つ男が、大きな剣を上段に構えます。
「止めて、止めて、止めて、止めて! 母様を殺さないで!」
私は半狂乱に叫びますが、誰もその願いを聞いてくれません。あれほど毎日祈りを捧げた神様や女神様も助けてくれませんでした。
剣が振り下ろされた時、母様は私に微笑みながら何か話し掛けてくれましたが、人々の狂乱の声にかき消され聞き取れません……そして非常にも剣は振り下ろされ、母様の頭だったものが私の目の前に転がります。
全てが狂った熱狂の中、私は狂おしいまでの怒りと悲しみに心を塗り潰されました。
何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!
絶対にコイツらを! 大好きな母様を殺した奴らを! 裏切った奴らを! 絶対に一人残らず殺してやる!
母様を殺した人々を見て、憎しみが爆発しました。
狂乱し叫ぶ私に、いつの間にか横にいた右頬に奇妙な痣を持つ男が、『魔女の子供も殺せ』と声を上げました。
「ならば怒れ! 悲しみに怒れ! 悔しみに怒れ! 憎しみに怒り! 全てに怒れ!」
老人が叫びます……私に怒れと!
私は右頬に奇妙な痣がある男に掴まれ、広場に引き摺り出されていました。母様の遺体が転がる横へ……。
怖くはなかったと言えば嘘になります。
怖かった……だが横に転がる母の顔を見た時、恐怖よりも怒りと憎しみが心の感情を上書きし、母の死を悲しむより目の前にいる人々の死を強く願う自分がそこにいました。
心から噴き出す怒りと憎しみが、目の前にいる人々に殺意を振り撒きます。
私は大きな剣を持つ男の前で跪かされると、母様と同じ事をされるのだとすぐに理解しました。
奇妙な痣を持つ男は、兵士に抑え付けられた私を見ながら言います。
「魔女の子は魔女だ! 生きる事自体が罪なのだ! だから死ぬ!」
私はもう泣いていなかった……激しい怒りと憎しみが、泣くことを許してくれません。
町の人々もまた、魔女の子供を殺せと次々に声を上げると、ついに最後の時がきました。
「魔女はひとり残らず死ね!」
剣が振り下ろされる直前、私は自分を殺す人間の顔と……広場に集まる人々のおぞましい姿を瞳に焼きつけます。
そして怒りと憎しみに塗れた最後を迎えようとした……その時でした。
剣を振り下ろした男の刃を、突然群衆の中から飛び出した老人が素手で受け止めてしまいました。
老人が剣を持った男を投げ飛ばすと、私を拘束していた兵士を睨みつけます。
拘束していた兵士が私を離すと、腰に刺した剣を抜き構え、果敢に老人へと斬りかかっていきます。
ですが、老人は振り下ろされた剣を何なく捌き、腹パンを打ち込むと、その場で兵士は崩れ落ち倒れてしまいました。
地獄の苦しみにのたうち回る兵士を見て、私の心は『ざまぁみろ!』と黒い感情が湧き上がりました。
「な、なんだお前は!」
私の横にいた奇妙な痣を持つ男が声を上げましたが、老人に睨まれると一目散に群衆の中へと逃げてしまいます。
拘束から解き放たれた私を、老人は母様が抱いてくれたみたいに優しく抱きかかえてくれます。
私を抱いた老人は、母の遺体に一言『すまぬ』と言い残すと、群衆の垣根を飛び越えて町の外へと連れ去ってくれました。
人の気配がない、町の近くにある街道にまで連れて来られた私を、老人はソッと地面に降ろしてくれます。
「すまなかった。お前の母を助けられなかった」
老人は謝ります。母が助けられなかった事を……ですが私の耳には届いていませんでした。
私はただ放心し、目は虚空を見つめたまま力なく首を垂れていました。
老人が問いかけます。
『悲しいか小娘』と……殺された母様を思い出し、悲しみが心を満たします。
『悔しいか小娘』と……何もできない無力な自分が悔しかった。
『憎いか小娘』と……母様が殺された瞬間、私の中の悲しみは怒りへと変わり、全てを憎む感情が心を満たしていきます。
『ならば怒れ』と……全てに怒れと老人は言います。私の中から溢れ出す怒りが、心を奮い立たせます。
「その怒りを忘れるな。悲しみを忘れるな。悔しみを忘れるな」
「忘れてやるもんか! 絶対に忘れない! あの場にいた奴ら全員に、必ず母様を殺した報いを受けさせてやる!」
怒りの形相で言い放つ私を、老人は悲しそうな目で見つめて言いました。
「ならば、ワシがくれてやろう。小娘、お前の復讐を果たすための力をな」
「私は小娘じゃない、私の名前はリーシアよ!」
「リーシアか……」
老人は何かを考えた後、慈愛に満ちた目で私に言いました。
「クックックッ、そうかリーシアか……ワシの名はゼス、人からは拳聖と呼ばれておる。ついて来い。復讐の牙をワシが研いでやる!」
ゼスと名乗った拳聖が歩き始めると、私はその背中を追いかけてついて行きます。それは長いようで短い、放浪と修行の旅の始まりでした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ん〜、最近、昔の夢をよく見ます。いけませんね。怒りが溢れ出してきて……これではリゲルや皆を怖がらせてしまいます」
夢から覚めたリーシアがベッドの中でそう呟くと、ベッドに腰掛けてゆっくりと心を落ち着かせていた。
湧き上がってきた怒りを沈め、心の奥底へと再び仕舞い込む。それは誰にも決して見せられない彼女の怒り……生きる理由。その日が来るまで決して表に出さないよう、心の奥底に鍵を掛け厳重に封をする。
「さあ、朝の礼拝です。しばらく遅刻は厳禁ですからね」
リーシアは身支度をして部屋を出ようとした時、『ドタバタ』と、誰かが廊下を走る音が孤児院に響き渡る。
リーシアの扉の前で走る音が止まると、今度はドアを強くノックする音が部屋の中に聞こえてきた。
「リーシアお姉ちゃん起きてる?」
「おはようリゲル。今日はちゃんと起きてますから、遅刻はしませんよ」
リーシアが扉を開けるとリゲルが血相を変えてドアの前で立っていた……その様子にリーシアは異変を感じとる。
「どうしましたリゲル? 何かありましたか?」
「うん。今、玄関に町の兵士が来ていて、リーシアお姉ちゃんを呼んでいるんだよ。リーシアお姉ちゃん何かしたの?」
「町の兵士? 特に何かした記憶はないですが……」
町の兵士に知り合いがいないリーシアに、兵士が訪ねて来る理由が見つからない。
心配するリゲルを伴い、孤児院の入り口へと急ぐリーシアの脳裏には、遠い日の出来事が重なっていた。
入り口には、トーマス神父と兵士が話している。どうやらリーシアが来るのを待っていたみたいだ。
「おはようございます。神父様」
「おはようリーシア」
朝の挨拶を済ませたリーシアが、横に佇む衛士へと顔を向ける。
「おはようございます。私に何か御用ですか?」
「うむ。私はこの町の衛士のラングというものだが、君がリーシアで間違いないか?」
「はい。確かに私がリーシアですが……」
リーシアは少し緊張し、手に力を込めた。
衛士に悟られず、体をどの方向へでも瞬時に動けるよう、重心をコントロールする。
「朝早くからすまない。実は昨日捕まえた犯罪者に尋問を行った所、この町に知り合いがいると言っていてな」
どうやら思っていた展開にはならない様子に、リーシアは緊張を少し解いた。
「犯罪者に知り合いはいないのですが……人違いでは?」
「身元引受人として、この町に知り合いがいないか聞いてみたら、君の名前が出てきてな」
何となくあの男の顔が、リーシアの脳裏にチラつく……。
「今日の昼に君と会う約束をしていると言っていてな、念のため聞くのだが覚えはあるか?」
リーシアの脳裏にチラチラと、ヒロが顔を覗かせる。
「え〜と、確かに人と会う約束はしていますが……」
「そうか、そいつの名前がまた特徴的でな……」
リーシアの頭の中で、ヒロがあちこちからチラチラチラチラと、鬱陶しく感じるほどアピールしまくっている。
「取り調べの最中に名前を聞いたのだが、自分の名前は
脳内でピースサインするヒロを蹴り殺しながら、リーシアが答える!
「間違いなく私の知っている
〈運命の輪はガッチリと噛み合わさり、二度と外れなくなっていた!〉
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