第13話 ワガママな彼女
最初の出会いは、ある雪の降り積もった日のことでした。
今でもあの日のことは忘れられません……私が孤児院に預けられて三年目のでき事でした。
私たちが住むアルムの町は、一年の内に何回か雪が降り積もります。
その日はいつもより吐く息が白く、とても寒い朝だったのを覚えています。
毎年少なくない雪がアルムの町に雪化粧を施し、教会も真っ白な雪がコレでもかと言うくらい降り積もっていました。
孤児院に住む私たちは、雪が降り積もった次の日は、朝から子供たち総出で雪掻きをするのが日課でした。
あの日、私の持ち回り教会の入り口での除雪でした。ひとり雪掻きで使う木の板を持ち門前まで来た時、私の耳に微かな声が聞こえてきました。
「だれかいるの?」
私の他に誰もいない門前で耳を澄ましましたが何も聞こえません……私は聞き間違いかと思い、手にした木の板で雪掻きしようと教会の外に出た時でした。
門前に降り積もる白い雪の上に、蔓で編まれた
ふと籠の中が気になった私は何かと思い、恐るおそる中を覗くと……中には青白い顔をした赤ん坊が入っていました。
「え? あ、赤ちゃん?」
『なんでこんなところに赤ん坊が?』と考える前に、私はすぐに着ていた厚手の上着を脱ぎ赤ん坊にかけると抱き抱えて教会にいる神父様の元へ走ります。
降り積もる雪が邪魔で思うように走れませんでしたが、一刻も早く赤ん坊を神父様の元へ……その思いが雪道を走る私をさらに急かします。
「トーマス神父様、大変!」
「そんなに慌ててどうしましたリーシア?」
部屋の中に飛び込むなり、大きな声を上げる私を見て、トーマス神父様は何ごとかと顔を向けます。
「赤ちゃんが教会の入り口置き去りにされていたの! グッタリとしていて……顔色も真っ青!」
籠をゆっくりと地面に下ろすと、神父様がすぐに赤ん坊の容体を診てくれました。
「首がまだ座っていないので、生まれて半年もたっていないですね」
「大丈夫なの?」
「赤ん坊は普通、泣く事でしか自分を伝えられないのに、この子は泣く事もできないほど、衰弱していますね。このままでは……死んでしまいます」
トーマス神父の診断で、赤ん坊の小さな命がこのまま消えさろうとしていると告げられ、それを聞いた私の心の中で何かが叫びました。『助けてあげて』と……。
「トーマス神父様、この子を助けてあげて!」
「無論です。リーシア」
そしてトーマス神父様は神に祈りを捧げて立ち上がりました。
「リーシア、私はこの赤ん坊を暖炉がある礼拝堂に連れて行きます。あなたはシスターに毛布とヤギの乳を人肌に温めて持ってくるよう伝えなさい」
「はい!」
私はシスターの元へ、慌ただしく駆け出していました。
すぐにシスターは見つかり、神父様に言われた指示を伝えると、渡された毛布を持って私は礼拝堂へと急ぎます。
礼拝堂に着くと薪に火をつけ終えた神父様が、神に祈りを捧げていました。
「トーマス神父様、持ってきました」
私はすぐに、毛布で赤ん坊を包んであげようと、籠から赤ん坊を大事に持ち上げます。
私の手に小さな……とても小さな命が納まります。赤ん坊の体は凍えるような冷たさで、私の手の体温が触れただけて奪われてしまいました。
私はこの命を消えないでほしいと願い、赤ん坊を急ぎ毛布で包み籠に寝かせます。
部屋の中は暖炉の暖かさで徐々に暖かくなっていき、暖炉の暖かさと毛布のおかげか、真っ青だった肌の色に赤みが出てきました。
私は赤ん坊をトーマス神父様と見守りながら、神に祈りを捧げるます。『この子を助けて』と……。
しばらくすると、シスターが温めたヤギの乳が入った木の器を礼拝堂に持って来てくれました。
トーマス神父様は器を受け取ると木のスプーンで
仕方なくスプーンを傾かせ、無理にでも飲ませようとしますが……口の中にミルクは入っていきません。
「もう飲む力もないほど、弱っているのかもしれません。このままでは……」
「貸して!」
私はトーマス神父様から、木の器とスプーンを半ば奪うように受け取り、自らの手でミルクを飲ませようと試みます。
「お願い、飲んで……飲まなければ、あなたは死んでしまうのよ⁈」
赤ん坊の唇にスプーンを近づけ、ヤギの乳を乾いた唇に浸しますが、衰弱しすぎた赤ん坊の体はミルクを受け入れてくれません。
私はただ、神に祈りながらスプーンの乳を、ずっと唇に触れさせていると、トーマス神父様が私の肩にやさしく手を置くと……。
「リーシア、私と代わりましょう」
「いいえ……お願いです。私にやらせてください」
「そうですか、分かりました。では疲れたら言ってください。いつでも代わりますよ」
そう言うと、トーマス神父様とシスターは静かに私たちを見守ってくれました。
どれくらいそうしていたかは覚えていません。
何度かシスターが温め直したヤギの乳を、渡してくれたので、かなりの時間が経っていたはずです。
私は赤ん坊に、いまだ一口も乳を飲ませられずにいました。
「リーシア……残念ですが覚悟を決めておきなさい」
不意にトーマス神父様は、そんなことを私に告げました。
「覚悟……? 覚悟ってなんですか! この子は生きています!」
私は子供ゆえに死に行く命を認められず、全力でその言葉を否定しました。
「この子は生まれて、まだ半年もたっていないのでしょう?」
「リーシア……」
「じゃあ、この子は何で生まれてきたの⁈ 死ぬために生まれてきたっていうの?」
「貴方が小さな命の
「命が平等でないなんて、母が死んだ時に知りました。でもこの子はまだ生きているの! だから私は最後まで諦めない!」
私は赤ん坊を籠から抱き上げていました。自らの手で抱きしめることで死を否定します。
赤ん坊を優しく上下に軽く動かしながら、私は諦めずにスプーンを口元にあてがいます。
「お願い、飲んで! あなたは今ここで……死ぬために生まれてきたわけじゃないのよ。だからお願い!」
私はこの赤ん坊に生きて欲しかった……それが自分の身勝手なワガママであったとしても、私は諦めない!
ここで私が諦めたら、この子は本当に死んでしまうから……私は
親に捨てられた独りぼっちの赤ん坊が、頼れる者が誰もいない世界……私が諦めたら、この子は一人っきりになってしまう。私と同じ一人っきりに……。
絶対に諦めない、最後の最後まで諦めてやるもんか!
「お願い飲んで! 私のワガママに付き合って!」
『ゴクッ』と、何かを飲み込む音が聞こえ、私はスプーンの中を見ると……今さっきまであったミルクがなくなっていました。
「飲んで……飲んでくれましたよ!」
私は歓喜し、急いでスプーンにミルクを掬い、赤ん坊の口元に運ぶと、今度はすぐに飲み干します。
次々と飲み込む赤ん坊は、器に入っていたミルクを全てを飲み切ると、そのまま眠ってしまいました。
顔色もかなり良くなり、さっきまで消え入りそうだった息も、少し力強くなっています。
「予断を許さない状態ですが、とりあえず峠は超えました。神よ感謝いたします」
トーマス神父が神に感謝する。
私は赤ん坊の寝顔を見て、思わず微笑んでいました。
「よかった……私のワガママに付き合ってくれてありがとう。そして生きてくれて……ありがとう」
私は悲しいわけではないのに、なぜか
その後、元気になった赤ん坊はリゲルと名付けられ、孤児として私と教会で姉弟のように長く……とても長く暮らす事となりました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
長い……とても長いお説教です。
まさか、お昼を超えても続くとは思ってもいませんでした……そして今も続行中です!
「聞いていますか? リーシア?」
「もちろんです。トーマス神父様」
「はあ〜」
私は辟易する心をひた隠して返事をすると、トーマス神父様が、ため息をつきました。
「今回は、リゲルに免じて罰を与えて終わりにしましょう」
「罰ですか……」
「何か不服ですかリーシア?」
「いいえ! トーマス神父様、ありがとうございます」
私は胸の前で手を組み、神へ感謝します。
心の中では、軽い罰当番で済む様にと神に祈っていました。
「では、今回は町の南の森で、薬草を摘んできてもらいましょう」
「南の森ですか?」
町の南には、肥沃な土と流れ込む川の流れのおかげで恵み豊かな広大な森が広がっています。肥沃な大地からはさまざまな薬草や食べ物が豊富に取れます。そして豊富な森の恵みに誘われて、動物や魔物がわんさか集まり森の中は賑わいます。
魔物などは、町にあるギルドが定期的に狩りの依頼を出して間引いているため、森の外周付近には、さほど強い魔物は現れません。
「トーマス神父様、いくら罰とは言え、か弱い女の子を一人で森に行かせるのはどうかと……礼拝堂の掃除が妥当だと思います。いえ、ぜひお願いします!」
トーマス神父様の目がジト目になる……。
「か弱いね。時にリーシア……この前、捕まえて食べたイノーシは美味しかったかね?」
トーマス神父様の問いに、私は『ドキリ』とします。
イノーシは森に現れる魔物で、その肉は油が乗っていて、とてもジュ〜シィ〜で美味しいのです。
「は、はい。大変美味しかったです。孤児院のみんなも喜んでいました!」
「それを仕留めたのは誰だったかな?」
私の目がパシャパシャ泳いでいます。
「だ、誰だったでしょう……」
「ふむ、そう言えば最近、孤児院の食事にキイチのジャムが振る舞われるようになったね」
キイチの実は南の森に実る果物で、その赤い実は甘酸っぱく、女の子には人気です。
「アレは美味しいですよね。パンだけでは飽きてしまいますし、リゲルも大好きですから、毎日でも食べたいです」
「不思議ですね。シスターはジャムを買った事も貰った覚えもないのに、孤児院で食べられるなんて……」
「な、な、何ででしょうね。不思議ですね……」
私の目はダイナミックに泳ぎ始めました。
「不思議なことに、確かキイチの実は南の森で採れましたね」
……私は沈黙を貫く事にしました。
「それに薬草の備蓄が残り少なく心許ないのです。私が行ければ良いのですが、年には勝てないのか最近は体が思うように動かなくてね」
神父様と最初に出会ったのは六歳の時、当時で五十歳を超えていたので、もう今年で六十歳を迎える計算です。白髪が増え、もう初老を越して老人の域に入ろうとしています。
そんな神父の体に鞭打って、薬草を取りに行って来てとはとても言えません。
私の目が力尽き、ついに沈みました……。
「分かりました……南の森に行って薬草を摘んできます」
「おお、そう言ってもらえると助かります。それでは、今日は準備だけして明日にでも出発してください」
「はい……トーマス神父様、ありがとうございます」
私は、そう元気なく答えると部屋を後にしました。
「はあ〜、仕方がありません。礼拝堂の清掃なら三時間で済みましたが、薬草摘みとなると準備も含めて一日半は掛かりますね……リゲルの面倒をシスターにお願いしないとです」
私は森に薬草を採取する準備のため、自室へ向かう廊下を歩いていると、部屋の前で一人の男の子が、壁に寄りかかって誰かを待っています。
茶色の髪はフワフワで柔らかく、六歳にして百cmと低い身長と華奢な体格が、男の子にひ弱な印象を与えていました。
その可愛い顔立ちは、将来は絶対に女の子にモテると確信するほど将来有望な男の子……そこに居たのは、私の可愛い弟リゲルでした。
「リーシアお姉ちゃん! 大丈夫だった?」
私の姿を見るなり、心配しながらリゲルが駆け寄って来ます。
「リゲル、走っちゃダメですよ。無理すると、また熱が出ますから」
「今日は調子が良いって言ったでしょう」
「どれどれ」
私は自分とリゲルの前髪を手で抑え、オデコをくっ付けて熱を測ります。
「ん〜確かに熱はないようですね」
「でしょ! それよりお説教はどうだったの?」
「それがですね……とりあえず部屋の中で話しましょう」
私は部屋の中にリゲルを通すと、トーマス神父様との話をリゲルに伝えます。
「リーシアお姉ちゃん一人で森に行くの? 危なくないの?」
リゲルが心配して聞いてくれます。
まあ確かに普通に考えて、女の子が一人で森に行くなんて考えられないです。普通ならですが……。
「リゲル、大丈夫ですよ。お姉ちゃんは強いですから。森に出るモンスター程度なら一撃です♪」
私はリゲルの前で『ピシッ!』とパンチを打ち出します。
「でも、一人は危ないよ。何かあったら……じゃあ僕も一緒に行くよ!」
リゲルの気持ちは嬉しいですが、それはできません。しっかりと言わなければ……コッソリ付いて来られたら大変です。
「ダメです。理由は、リゲルを守りながら森を歩くのは大変だからです。一人ならいざと言う時、逃げ切れる自信がありますが、リゲルがいては逃げ切れないかもしれません」
「僕がいた方が、邪魔なんだね……」
シュンボリするリゲル……あ〜可愛い♪
私はそんなリゲルを、幼い頃、母様が抱いてくれたみたいに、優しく抱きしめていました。
「リゲル、心配してくれてありがとう。でも分かって……リゲルを危ない目に合わせたくありません。だから大人しくお姉ちゃんの帰りを待っていてください。お願いです」
リゲルは顔を上げ。真剣なまなざしで私を見つめます。何でしょう……この可愛い子は! 堪りません!
「わかったよ。大人しくリーシアお姉ちゃんの帰りを待ってる。でも本当に危ないことしちゃダメだからね。約束だよ!」
「はい。約束です」
私はリゲルと約束を交わし、南の森へ出かける準備を始めました。
ですが、この後、南の森であんな危ない男に出会う運命が待っていたなんて……このときの私は知る由もありませんでした。
〈運命の出会いは、すぐそばにまで忍び足で近付いていた!〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます