第5話


 星一つ存在しない、闇。


 その完全なる闇の下は、海。


 海は火傷する程に熱く。


 闇に向かって、せり上がっている。


 その海に映る、星一つ無い闇。


 闇は海に、海は闇に溶けて…。






 「どしたの?目閉じちゃって。」


 「海が溢れないように…。」


 「はい?」


 目を開けたら涙が溢れちゃう。




 初めての恋、記憶のある限りでは初めての恋を知り、即座に失恋をするという悲劇を経験することになるとは思わなかった。


 一目惚れなんてある筈が無いと思ってたし、見た目だけで惚れるなんて軽薄だと思っていた。徐々に温められて燃えるものこそが本当の恋と呼ぶものではないかと思っていた。


 そんな概念が一瞬で壊され、そこで構築された恋心もまた一瞬で壊され、ついでに俺の中の色んなものが壊され、なんだかこうして脳味噌が普通に活動してることが不思議なくらいだ。


 世界一可愛いと思える、とても魅力的な女の子に出会って、それが人妻で、43歳と年上も年上、20歳以上年上で、希望も何もあったもんじゃないのに、俺は一生死ぬまでずっと、好みのタイプを聞かれたらミック博士って言い続けることが決まったのに、俺は一体何をしたら良いのか。どうしよう。



 「失礼ですけど、43歳って本当ですか?流石に若過ぎません?」


 「うふふ、これでもエルフなの。4分の1は人間だからクォーターね。だから耳も目立たないし、髪もちょっと黒いの。他にも色々あるけど、エルフで43歳ならまだまだ子供かしらね。」


 「ちなみに旦那さんは?」


 「エルフよ、同い年の。」





 どうしよう?






 「死んだわ。死ぬわ。」


 「来て早々どうした?とりあえず死ぬのは飲んでからな。かんぱい。」


 「入学おめでとう、かんぱい。俺の最期の晩餐の相手がお前で良かったよシン。」


 「あれ、お前が呼び出し食らっちゃったから帰りに他のやつ何人かで帰ったんだけど、週末の休みにクラスの懇親会やることになったから。来るだろ?」


 「俺の目がまだ黒かったらな。」


 「パーティ会場みたいなの借りるか?って話も出たんだけど、料理や酒の用意も面倒だし、流石にそこまで本格的なのもなってんで、どこか小さなレストラン借り切ってやる方向で進みそうだよ。」


 「葬儀屋の手配も早目に進めておく。」


 「ほんとノリが良いやつら多くて良かったよな。割と近くに住んでるのもいるみたいだし、そのうちこの宅飲みも人数増えるかもな。」


 「手向けてくれる花の数が増えて華やかな棺桶になりそうだ。」


 「そろそろ聞くけど、何なの?自分の葬儀の手配するやつがいるかよ。」


 「真面目な話とクソ真面目な話とでは、先にどっち聞きたい?」


 「経験上、どうせクソ真面目な方はどうでも良い話だから、クソ真面目な方を先で。」


 「恋に落ちた話なんだけど。」


 「こっちが当たりだったか。」


 「がんがんに可愛い子に会ってさ、どっかん一目惚れよ。」


 「語彙の選択がおかしくなってるな。」


 「馬鹿にされるかもしれないけどさ。俺、正直、一目惚れなんて馬鹿にしてたんだよ。見た目だけかよみたいな。でもさ、好みのタイプ?は無い訳ね俺。記憶無いんだから。でも、パッと見た時に、これこれこの子!好きな子のタイプ!好きな子!っていう思考になっちゃったのよ。勝手に。」


 「別に馬鹿にしないよ。見た目で印象が変わるなんてのは当たり前だし、今回それがそっち方向に振り切っただけの話だろ。可愛いと思ったから好きだっていうのは立派な理由だろ。」


 「彼女持ちが言うと説得力の安定感が半端無いな。恋愛相談業やろうぜ。」


 「恋愛相談業はやらないけど、お前にそういう話があるってのは純粋に嬉しいぞ。なんか面白いし。笑えるし。こうして酒も進むし。やらかしたら小馬鹿に出来るし。」


 「2秒だ。2秒だけお前に感動した。だが今はそうではない。」


 「俺から言えることは一つだ。当たって砕けろ。」


 「砕けちゃ駄目だろ。まぁ俺は砕けたんだけど。」


 「もう当たって、もう砕けちゃったの?」


 「正確には、当たる前に勝手に割れた。」


 「なんだ、当たってないのかよ。一目惚れから速攻かける英雄譚を聞けると思ったのに。あれか?直前でビビッて足踏みして、なんとか諦める理由捻り出すパターンか?まぁ飲め飲め。」


 「良いか良く聞け。大事なことだから2回言う。」


 「1回で良いよ。」


 「人妻43歳。43歳人妻。」


 「おうふ。」


 「人妻で、43歳だった。」


 「おーうふ。」


 「人妻。」


 「おーーー。」


 「43歳。」


 「うふ。」


 「今真面目な話してるんだけど。」


 「クソ真面目な話だろうが。いやすまん、ちょっと想像以上に強烈だったわ。ここ何年かで一番強烈だったわ。」


 「人生で初めて、どーんと恋に落ちた青年が即座にそれを知ったらどうなるか想像出来るか?」


 「いやそれは死ぬわ。お前の人生まだ1か月分しか無いけど、死にたくもなるのは解るわ。」


 「解ってくれて嬉しい。まぁ飲め。俺の人生の最後の酒だ。」


 「ただまぁ、ひとつだけ言わせて貰うなら。」


 「何個でも良いけど。」


 「俺は、タキが納得してるなら諦めても、当たって砕けても、死んでも、飛んでも、町で裸になっても、まぁ良いやって思うんだ。でもな。少しでも納得出来ないなら、納得出来るように頑張っても良い、というか頑張るべきだと思う。そして、俺は今凄く良いことを言ってると思う。」


 「いや、ほんとだわ。お前は良いやつだけど軽くて、不真面目で、とても相談には向かないやつだって前々から思ってたんだけど、ちゃんとまともに良いやつだったんだな。」


 「褒めるな褒めるな。多分だけどお前、今死んだら一生後悔するぞ。だからそれよりも、ちゃんと当たって砕けろよ、その方が面白いし、酒の肴になるし。人妻がなんだ、ちょっと他のやつと結婚してるだけじゃないか。43歳がなんだ、ちょっと倍以上生きてるだけじゃないか。お前の絶望した部分は、考えてみればお前が死ぬことよりはずっと些細なことじゃないか。」


 「俺間違ってた。全然間違ってたよ。」


 「間違ってるといえば、43歳人妻の時点で間違ってるからな。」


 「その大前提は、もはや事故だから諦めるとして、しかし、希望の光が見えないのに頑張るというのはキツいな。」


 「良いか?恋なんてものはどうせいつか冷める。だが冷めたから駄目というものでもない。実際俺とリズィは、熱くはないと思う。遠いしね。でもな、だからこそ頑張って冷めないように、お互い手紙書いたり物を贈ったりしてる。それでも冷めるかもしれないけど、俺達は今のこの、頑張って冷めないようにすることを楽しんでるんだ。下手すりゃ俺はリズを好きなんじゃなくて、リズを好きだという俺を好きなだけかもしれない。リズだってそうかもしれない。でも凄く楽しいんだよ、頑張ってるのが。だからお前も、せめて気持ちが冷めるまではぷふっ、人妻43歳さんに、頑張ろうぜ。」


 「お前今ぷふ、つったろ。」


 「クソ真面目な話の最中ですぞ。」


 「コップが空だからですぞ。飲め飲め。」


 「うい。お前も飲め飲め。」


 「うん。いやまぁ、お前の言う通りだわ。死ぬのは納得してからにするわ。」


 「死ぬのは確定なの?」


 「人間誰しも死ぬだろうが。今後死ぬまで、好みのタイプ聞かれてもブレない特技を会得しただけ儲けものだと思っておくよ。」


 「後ろ向きに前向きだな。」


 「幸いなことに、20歳なのにその殆どを失っているので。」


 「さいわい。」


 「残りの人生が全てである。その全てを、一目惚れに費やす男が一人くらいいても良いと思うんだ。」


 「俺は恐ろしいものを目覚めさせてしまったような気がしてきた。他にも女の子はいるよ?」


 「ふっ、雄叫びをあげたい気分だよ。お前の家だし。」


 「やめて!自分ちでやって!」


 「もしもの時は骨を拾って欲しい。」


 「まぁ骨になる前の介錯もやってやるけど。」


 「まぁこれから毎日のように会える訳だし、死んでたらミック博士の方も教え甲斐無いもんな。」


 「完全に化けて出てるじゃねぇか。さ、幽霊さんどうぞどうぞ。」


 「まだ幽霊じゃないが、頂くとしようか。お前も飲め。」


 「うい。それじゃ、真面目な話の方を。」


 「今したじゃねぇか。」


 「今はクソ真面目の方じゃねぇか。真面目な話とクソ真面目があったんだろ?その真面目な方だよ。」


 「あー、そっちか。忘れっぽいもんで。」


 「その設定、都合良くて便利だな。」


 「なんか衝撃的な出来事のせいで本当に忘れてたわ。」


 「好きになった人が人妻43歳より衝撃的なことってあんま無いよな。」


 「そんなことがあったのに記憶が戻らないってことは、もはや俺の過去は絶望的だ。」


 「まぁ良いじゃないの、ミック博士色になる脳はきっとピンク色だ。ちょっと古びてるけど。」


 「ヴィンテージというと価値が上がる。」


 「ちなみに非処女という点は?」


 「ダメージド。つまり、人妻43歳はダメージド・ヴィンテージ。」


 「ビンテージ。」


 「ヴィ。下唇を上の前歯で触れ。ヴィ。ヴィンテージ。」


 「ヴィンテージ。すっごいオシャレな感じがするな。」


 「お洒落なダメージド・ヴィンテージ、それはミコーディア・ミック。」


 「博士は、み、が多いな。」


 「くっ、名前まで可愛いかよ!」


 「お前は、む、だっけ?一生追い付けないな。」


 「ま、を目指していく。取り急ぎ名前をマキにする。」


 「姉ちゃんと一緒だわ。」


 「姉ちゃん、マキっていうの?」


 「うん、マキ。」


 「先を越されたか…いやまさか、ミック博士の旦那はシンの姉ちゃん?」


 「多分違う。いくらあの歳まで結婚してなくったって、女には走らないでしょ多分。」


 「いや、多分じゃないだろ。旦那さんはエルフの同い年って言ってたから。43歳。人生経験も豊富だろう。俺が旦那さんに勝てるのは若さだけ、と言いたいところだが、エルフにしちゃ若いし、そもそもエルフ全員若い訳だからな。」


 「鎧兜に槍持ってる兵対丸腰のタキ。勝てる気がしないな。」


 「大丈夫。俺脱いだら凄いんです。あと、逃げ回ってたら向こうも暑くなって鎧兜を脱ぐだろう。その時を叩く。」


 「エルフに持久戦か。」


 「幸いにも、こちらには幽霊化という奥の手がある。」


 「それは槍も効かないし、安心だな。安心したところで今日はお開きにしようぜ。」


 「食器くらい洗わせろい。」


 「じゃ頼むわ。俺ゴミ片付けるか。」


 「スープ鍋美味かったな、またやろうぜ。」


 「そだね、また今度。」






 よし。




 明日からどうしよう?




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