メクレロ!

ふしかのとう

第一章

第1話



 陽の落ちたことで空気がまた一段とつめたくなっている。


 急いで帰らないといけない。


 いけないのだが、風が顔を撫でた時のあまりのつめたさに足が止まる。


 見上げると雲一つない空に星が見える。


 ああ…。




 肉まんとはおっぱいではなかろうか?





 実際、共通点が多く見られる。誰も傷付けることのない丸みを帯びた形状。そっと触れれば手のひらから伝わる優しい温もり。軽く指で押すとしっとりと受け入れつつも照れたように小さく反発する柔らかさ。そしてその中には夢が詰まっているんだ…多分。



 石造りの二階建ての家の間を歩いていると、冷たい風が追い越していく。階段の石が触らずとも冷たいと解る、独特の黒さを見せている。晩飯時の今は通る人も無く、自分の足音がひたひたと聞こえるだけ。




 触ったことがないのでわかりませんよ?あ、一応言っておくと、おっぱいの話ね。おっぱいは触ったことあるけど肉まんに触ったことなど無い、という人間が居たら是非会ってみたい。


 彼に足りないもの。俺に足りないもの。それぞれが情報を提供することで、ひとつになる。そして真実が生まれる。結果として俺はおっぱいを触ったことになる。当然彼も肉まんに。そして彼はきっと言うのだろう。肉まんとはおっぱいである、と。


 …万が一、これはおっぱいではないよと彼が言ったならば。


 可能性としては無くはない。おっぱいは実は冷たいかもしれないし、豆袋のように粒状の何かがあって指で押すとじゃらりと微かに鳴るかもしれない。


 何せこちらには体験の無いことであるから、想像しか判断材料が無いのだ。柔らかいという話だが、そいつが憧れに触れたら夢から覚めたという気持ちを共有する為に嘘を吐いていたら?触ったことのない俺には肉まんがおっぱいであると、本当は言い切れないのだ。無念、としか言いようがない。ムネだけに。




 石の階段を上ったところで振り返ると、教会が見える。あたたかい火の色をした光が照らすそれはとても美しい。恋人達はきっと、お互いを飾る為にその美しさを借りに行く。その教会は、確かにただの飾りなのだ。





 …彼は好機とみて更に畳み掛けてくるだろう。おい、乳首はどうした?


 迂闊、としか言いようがない。いや、本当のことを言えば、知っていた。肉まんにそのようなものは無い。肉まんにクコの実を乗せておく気遣いが何故出せなかったか。今は味の話はしてない。


 大事なのは、おっぱいであること。赤又はピンクの何かがその頂に飾られていなければならないのだ。ならないのだが、無いものは無い。


 …どうやら今日のところの負けのようだな。だが勘違いするなよ?触ったから勝ちということでは無い。あくまで、肉まんはおっぱいではないかという俺の仮説が負けただけであって、俺が負けたのではない。


 逆に、負けたのか?俺が証明出来なかっただけで本当は肉まんはおっぱいなのかもしれないという可能性は残っているんじゃないかな、逆に。逆にね。


 ガチャリ。


 「おうお帰り。いくらだった?」


 「1000ディミ。案外安いな。」


 「ん。ほいじゃ何度目か分かりませんが…乾杯。」


 「かんぱーい。」


 20歳になるので私立ロクラーン魔法学校入学希望者向けの説明会に行ったところ、隣に座ったのがこの男、シンである。どうもあなたもですかええそうですなどという一般的な出会いであったのだが、気が合ったというかすぐに仲良くなった。

 町で会えば挨拶を交わし、一緒に飯を食い、酒も一緒に飲み、酒も一緒に飲み、酒も一緒に飲み、そして今日は我が家で飲んでいる。先程は追加の酒を買いに出たのである。コインで負けて俺が。


 「…で、何だっけ?」


 「肉まんに触ったことがあるか?って話だよ。」


 「タキ。お前酔ってるのか?俺は良い感じだけれども。」


 「俺も良い感じだけれども。じゃあ、何の話だっけ?覚えてる?」


 「肉まんに触ったことがあるよ。」


 「ならば貴様はおっぱいに触ったことが有る。」


 「無い。」


 「え?」


 「いや、おかしいだろ。きょとんとすんなよ、無いよ。おっぱい触ったこと無いよ。」


 「いや、お前彼女居るんだろ?何年か付き合ってるっていう。そらもうそれなりなことやってるんじゃないの?」


 「そういうのは俺がちゃんと仕事に就いて面倒見れるようになって結婚してそれからって話してあるのよ、彼女と。」


 「お隣、ってことか。」


 「まぁ、それもあるし俺的にもけじめみたいな?」


 「容易に逢えぬふたりは何時しか擦れ違いの日々。身体の距離は心の距離は違うとは申しますが、十年という時の流れは無情、嗚呼いつしかおんなの心には他のおとこの影…。」


 「やめて!不安になっちゃう!」


 「まぁ飲め飲め。もしそんなことになったら一杯奢ってやるよ。」


 「悲しみに対して軽い。で、何だっけ?」


 「ツマミ無くなったから何食う?って話。ベーコンならあるよ。」


 「良いね。」


 「ほうれん草もあるわ。火頂戴。」


 「おお…ほい。」


 「ん。」


 フライパンを温めて火から離してベーコンを入れると、刺激的な音をたてながら脂と食欲をそそる香りがじんわりと出てくる。あとは火に戻してほうれん草を入れて塩胡椒を振ればもう立派なおかずだ。



 「持つべきものは火出せる友達だわ。」


 「フリジール国民全員トモダチ。美味いわ。酒が進むわ。」


 「酒全員トモダチ。で、何の話?」


 「何で肉まんなの?」


 「話せば長くなるが。」


 「金はないが、時間ならある。」


 「さっき酒買いに行ったろ?寒いし肉まん食べたいなと思ったらふと思った訳よ、肉まんってばおっぱいじゃないかなって。」


 「さすがタキ教授、慧眼です。」


 「眼福です。」


 「福耳です。」


 「みみ。」


 「みみみ。」


 「みみみみみみみ。」


 「協議の結果、タキはおっぱいを知らないことが決定しました。」


 「むむ、その言い方だとまるで自分は知っているかのようではないか。」


 「姉がいる。」


 「負けたわ。完敗だわ。ほいカンパイ…うん、それは強いわ。肉まんじゃないことも知ってる筈だわ。姉ちゃんて美人?可愛い?」


 「身内だから可愛いとかは思わないけど、整ってると思うよ。美人若女将とか言われて調子乗るくらいだし。」


 「義兄さんて呼んで良いよ。」


 「義兄さん!お酒が無いから注いで!」


 「まぁ飲め飲め。」


 「うい。でも姉ちゃんは本当に恋人とか居ないっぽいんだよな。モテるとは思うんだけど。2年くらい帰ってないから、俺が知らないだけなのか、男の前だと弟の知らない恐ろしい性格でもしてるのか。」


 「義兄さんと呼ばないで。」


 「言うなよ?もし会っても、俺がそんな風に言ってたって言うなよ?」


 「いや、会わないでしょ?会ったら言うけど。」


 「らめぇ。」


 「初めまして、タキです。あなたが美人なのに男の前だと恐ろしい性格だから恋人の出来ないお姉さんですか?」


 「初めましてする気ないやつだ。」


 「でもさ、友達のお姉ちゃんてちょっと気まずくない?」


 「彼女の弟ということになるといよいよ気まずい。」


 「俺とシンの姉ちゃんが付き合ったとして。姉ちゃんがデートに行きます帰ってきました。ふと見ると幸せそうに唇を触る姉ちゃん…。」


 「次の日俺はタキの唇を見れない。見れないが見てしまう俺。」


 「デートに行きます帰ってきました。ふと見ると泣いてる姉ちゃん。」


 「次の日俺はタキと上手く話せるだろうかいや無理だ。」


 「それはそれで変だよね。」


 「変なんだけど、放っておいて良いし、二人の問題は、友達と姉だけど、関係無いっちゃ無いんだけど、気になっちゃうけど聞くのも、聞いても良いんだけど、聞かなきゃ良かったと思うような、一言で言うなら気まずい。」


 「気まずいのはまずい。つまりシンの姉ちゃんと付き合うのはまずい。」


 「まずい。つまり、姉ちゃんに彼氏が出来るとまずい。」


 「シンのお姉ちゃんに彼氏が出来ないのはシンのせいということでひとつの解決を見た。」


 「責任取って実家の店を姉ちゃんにあげます。」


 「まさかそいつが目的だったとはな。」


 「まぁ継ぐ気無い俺と、継ぐ気ある姉ちゃんとで収まるところに収まる予定なんだよ。このままちゃんと魔法使いになれれば、だけどな。」


 「まずは入学だな。ただ、その試験がよく分からんよね。調べるとかなんとか…。」


 「適正、みたいなものなんじゃないの?」


 「だとすると既に火を出せるシンは絶対有利よな羨ましいわ。」


 「申し訳ないけど、ちょっとラッキーだと思ってる。」


 「そうなるとフリジール出身の圧倒的有利になるし、ならこっちじゃなくてフリジールに作る方が最初から才能あるやつ多くて良いと思うけどな。」


 「魔法の使えない国だから魔法学校が必要で、魔法使える国でわざわざ魔法学校作ることは無いでしょ。」




 ここの世界は、ホールトンと呼ばれ、周囲は海で囲まれている。海の先は無く、その先に何があるのか確かめようとした者は全て同じ港に帰ってきているらしいので、よくわからんけど、繋がっているのだろう。


 ホールトンには2つの国がある。ひとつはここ、ロクラーン。かつては魔法の存在した国。国民の殆どが人間である。この国の人間は魔法を使えないが、魔法紙を利用することで魔法を使うことは出来る。俺は魔法紙を使ったことは無い。


そして、もうひとつは、フリジール。国土はロクラーンの半分程で、こちらは魔法が存在し、人間以外も珍しくはない。シンはフリジール出身なので、魔法が使える。





 「学校って言っても、訓練所みたいなもんだけどな。」


 「卒業後も決まってるしね。」


 「私立で、卒業後はそのまま学校勤務で国発行の魔法紙作り…シンさん!これは金目の臭いがぷんぷんしますぜ?」


 「おぅタキィ。滅多なことを言うんじゃねぇ。壁に耳あり、ってな。」


 「みみみ。」


 「みみみ。お前、み、好きだな。」


 「前世は、む、だったんだろうな。」


 「み、を追い掛けるも決して追い付けないさだめ・・・。」


 「悲しみを忘れる盃を寄こしなさい。」


 「ほらよ…割と飲んだな。タキは好きな女の子とかいなかったのか?」


 「…いないよ。」


 あれ?


 「タキ君何かね?今の間は?」


 「いや、違う。」


 あれ?


 「違う?」


 「今、スッと消えたというか…。」


 あれ?


 「タキ大丈夫か?飲み過ぎた?」


 「違う。違わないけど、落ち着け。」


 あれ?


 「タキ、どうした?お前が落ち着け。どうした?」


 「なんかこう、言おうとするとものの名前が出なくなることあるよな?そんな感じで、逃げてくんだよ。」


 引き出しを開けたら入ってる筈のものが無いような…。


 「好きな子の名前が?」


 「いや…違う。いろいろ…。」


 どの引き出しを開けても空だ…。


 「多分それ酔ってるんだと思う。」


 「こんなに出なくなるもの?」


 空き巣に入られたみたいな…。


 「程度は解らんけど、まぁそういうこともあるよ。最初にタキと飲んだ時はどうやって帰ったか覚えてないし。」


 「それは飲み過ぎ。」


 「今のお前に言われたくないぞ。まぁ今日はこの辺でお開きにしよう。分かる程度だけど、軽く片付けて帰るからお前はもう寝ろ。歯、磨けよ。」


 「そうするわ、すまんね。」






 寝て。




 起きたら。




 風呂に行く?



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