『掌編』日陰のそばのできごと
猛暑が続く今日ですが、私は元気がないので日陰におりました。太陽にさらされる勇気がなく、最下位になってもよいから日陰におりました。時より風が吹いても熱風としか言えず、首に浮かぶ汗は滴れて服をしっとりとさせていきます。それにリュックでしたので背中に熱が籠るのです。さらには風通しの悪いジーンズを履いているものですから炎天下の中に出れば、たちまち炎に包まれ刺された感触になるのです。しかも熱を孕み続け、冷やす為には冷房が効き過ぎた部屋にいかなければなりません。そんな部屋はなく、ここはバスを待つ、そうバス停です。私はバスを待っていました。先ほど言いましたが私は日陰にいます。このはバス停から百メートルくらい遠い場所にあり、そこから見える目的のバスが来るまで涼んでいました。いえ、暑過ぎて涼んでいるのではなく、どうにかして炎天下から逃れていたのです。バスを待つ人たちは、あの炎に晒されるているというのに、ちゃあんと待っているのです。私より歳上の方も居ました。しかも日傘をさしておらず、帽子だけでいるのです。倒れてしまうのではないかと私は日陰の中でひやひやしておりました。そうしていると私の後ろから人が来るのです。当たり前です。ここはロータリーなのですから、次々と人が来ます。バスを待つのです。椅子もないバス停で、この天気で待つなど正気ではない、と私は考えておりました。しかもバスが来るまで十分ほど待たないといけませんでした。それでも私の後ろから人が来るのです。老人、若人、子供、順々と並び始め、列は長くなっていきました。それこそ私の目測ですが、バス内で立つ人が二、三人いるでしょう。この時期ですから人はお互いに感覚を開けるのですから、立つ人はもっと多い。あの炎天下にいる人たちは水分不足で、そう立っているのも辛くて倒れてしまう人もいるのではないのかと考えていました。日陰の私は暑さで、そんなことしか考えられず、列で一番後ろでも構わない、座れなくてもいいから、とりあえず日陰にいないと倒れてしまうと自己判断の下、バスを待っていました。みなさん、知っているかも知れませんがバスは出発の五分前に指定の発車位置に来るのです。しかもここは始発のロータリーでしたから、目的のバスが十分前に着ていたのです。みな恨めしかったかもしれません。二人ほど終点場所に止まっているバスの車掌に何かを言っていました。それでもバスは終点場所から動かず、待つ人たちは炎に晒されておりました。長年、私はこのバスを利用していましたので、その事は承知しておりました。だから百メートル離れていても、バス内で立つかもしれないというデメリットを許容し日陰に居たのです。私は、じっとしておりました。私の陰になってくれたのは密集した蔦の塊で、丁度、私の身長より高い場所に生え、傘のように頭上にありました。暑さのせいか茎も草もぐったりと垂れ下がり、野生ですから水ももらえないのでしょう。足元には枯れ葉が何枚も落ちていました。熱風が吹けばカサカサ、カサカサ、夏には似つかわしくない音ばかり聞こえました。その音を聞きながらバス、列、後ろから来る人たちを見る時間、つらくてつらくて堪りません。終点にいるバスは始点に行かない。人々は体をタオルで拭いて、後続の人たちが無言のまま列に並んでいくのです。ただ一人、日陰にいる自分がおかしく感じ始めて、私は馬鹿なのではないのか、怖くなりました。人間じゃないのかもしれない。私の選んだ日陰で待つという行為が間違っている可能性に、じわじわと浸食され、もう列に並んだ方がいいのでは? と一歩踏み出しました。その時、風が吹いたのです。もちろん熱風は私の心を癒してはくれません。しかし、その風は日陰にいた時間の中で一番強い風でした。蔦が激しく揺れ、私の目の前に蜘蛛の巣が現れました。つっと一歩、下がりました。蜘蛛は嫌いではありませんが細い細い線が現れたら誰しもびっくりするでしょう。かの蜘蛛の巣は蔦の内側に私の顔ほどしかありませんでした。とりあえず貴方の手をみて二倍ぐらいと思ってください。蔦にあるものですから想像するような、ぴんと張られたものではなく布を垂らした、食べ物を捕まえるのには情けない巣でした。これでお前は食い扶持を捕るつもりなのか、と。カサカサ、カサカサ、鳴る中、音に合わせて巣が揺れます。当のバスは始発の場所に行きませんし、私は、その巣を観察することにしました。すると言っても小さい巣ですし、一目見て不必要な巣なのではないのか、と考えました。獲物を捕獲しようと巣を作ったけれど、この猛暑で蔦は垂れ、風に揺られるせいで役目を果たせない、そうです。巣としての役目を果たせず放置したのではないかと思い至りました。現に真ん中にいるであろう蜘蛛はいないのです。私の前には、くしゃくしゃになった糸だけが風のせいで揺れている。ただしくは蔦と共に揺れているだけでした。しかし私は感動しました。こんな季節でも熱さでも蜘蛛は生きようと巣を張り、獲物を待っていたのだと。日陰に作り、日陰に寄ってくる獲物を捕まえようとしていた。そう私のような本能を優先させる生き物を待っていた。虫という生物に詳しい訳ではありません。しかし蜘蛛は獲物がかからない場所に巣は作らないはず、です。私は獲物でした。蜘蛛が食べる獲物です。私が人間でなければ捕まり食べられていたでしょう。暇な頭で命の尊さを感じ、感心していたところで、バスが始点へと動きました。私は列に並ぶべく日陰から出てバス停へと向かいます。その時にはもうこの巣のことは忘れていました。感動も何もない、バスが来た。それだけです。これでやっと涼める。そんなことが頭の中を支配しました。本能です。だって熱いところから涼しいところに行きたい、それは当たり前です。こうやって詩を書こうとした時、ふと、この巣を思い出したので書き綴りました。そうしてバス停に向かう私の頭の中が本能で動いていたので、もしバス停が蜘蛛の巣であったなら、今度こそ捕食されていたでしょう。私は猛暑でよかったと、今、心から考えています。そして、まだ熱さを我慢できる人間でよかったとも思いました。何故なら蜘蛛は熱さを本能でとらえ、ここでは駄目だと巣を放置したのでしょうから私は捕まらなかったのです。人間でいることに嫌気がさしていましたが食われるくらいならば人間でよかったと心より思った、というだけの話でありました。
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