第10話 霧の夜明け前
光の結界魔法で活躍した、ソフィが、ついに、部屋に入って来た。
「このような時間に申し訳ありません。どうして、お二人とも、そんな怖い、お顔をされるのですか?」
王国の第三王女であり、平民と身分を偽っている。ソフィ(偽名)は、口元に指を当てた。彼女は、「このような時間」と言ったくせに、「なんで? なんで?」と不思議そうに首を傾げている。
クラリスお嬢さまがガルルルとなり、メアリーがキッとなっている理由は、もっと他にある。それは、彼女自身ではなく、彼女が連れてきた人物が問題なのだ。
「ソフィさんは、悪くありませんわ」
メアリーは、ホホホッと取り
「ここは、男子禁制ですよ!!」
彼女は、手元にあったモフモフを「出てけ!」とばかりに、ブンブンと振り回す。
彼女の言う通り、ここは男子絶対禁制のセントレイ王立学園の女子寮。爵位制度とは、血統を重んじる制度でもある。男女の過ちがあれば、国を割る火種になりかねない。
身分の高い幼い血縁者が、反乱の際、
そんなこんなで、絶対防御力を誇る、女子寮へ、正面玄関から、突破した強者がいた。
「キャッ!」
ソフィが突然のことに悲鳴を上げた。
クラリスお嬢さまの棒(木刀らしき物体)の一閃が、その者の頭蓋を目がけて走り抜けたからだ。
その男、自らの歯を光り輝かせ、お嬢さまの一撃を、頭蓋で、爽やかに受けきってみせた。その反動のように、訛りがが激しくて鬱陶しい、モフモフ精霊が、「キュウ、キュウ」と鳴き声を上げた。
哀れなモフモフ精霊は、振り回されたから悲鳴を上げたのか、はたまた、宿木がダメージを負ったからなのか、定かではないが、くしくも、宿木と、その精霊が、一人の男を倒すために、武器にされたのだった。
結果、モフモフ精霊は、目を回し床に転がり、その宿木である棒(お嬢さまに言わせれば立派な木刀)はミシミシときしんだので、クラリスお嬢さまが、アワアワと涙目で慌てている。
「
キラーンと歯を輝かせる、この男こそ、王国最強の一角、剣聖アルフレッド、その人だ。
「あんたは、歯を磨くより、剣の腕を磨きなさいよっ!」
メアリーにとっての剣聖は、女たらしのクズだった。彼の良いところは見たことがない。「早く、妖刀ムラマサをお嬢さまに渡さなくちゃ」と思っている。
そう、ここは、女子寮、女性上位の治外法権、男の命など、床に転がっているモフモフ精霊以下の虫ケラだ。
「そうよ、ここなら……、でも部屋が、アレの血で汚れちゃう……」メアリーの決意も、ここぞという時に、「お部屋を綺麗に」というメイドの
メアリーの葛藤をよそに、ソフィの目が、ある物に釘付けになる。それは、クラリスお嬢さまが、剣聖への、一撃に振るった棒だった。
「クラリス様! ああ、その杖は、なんて美しい!」
ソフィがクラリスお嬢さまの棒を絶賛して、うっとりと棒に駆け寄った。
「つ、杖ではござらん……」
クラリスお嬢さまが、瞳にいっぱいの涙を溜めて、メアリーを見つめる。そして、ソフィの美的センスが残念なのも、発覚してしまう。
「そ、それは、わしの、宿木や……」
ソフィのすぐそばで、モフモフ精霊が目を回し、ついに、力尽きた。さらば、モフモフ!
「お嬢さま方、さあ、そろそろ、落ち着きましょう」
元凶の最強、剣聖アルフレッドが、にこやかにまとめようとする。
メアリーの頭に負荷がかかり、それはもう、オーバーフロー寸前。お嬢さまからは、涙目で見つめられ。空気を読まない、ど天然の姫さま、ソフィは、ゴミ……立派な木刀を大絶賛中。うざいモフモフ精霊は、力尽きたとはいえ、意識を失っているだけ。それに、役立たずの女たらし、剣聖アルフレッドが、これみよがしに、威風堂々としている。
複雑に絡み合う状況の中、彼女が弾き出した答えは、やはりというべきか、またというべきか、結局、モフモフ精霊を剣聖にぶつけてみるというもの。
「メアリーさんも、もう睨むのをやめて頂けませんか?」
剣聖の髪は男のくせに手入れが行き届いている。「正直、サラサラでキモい」が目を離すと、この男が何をしでかすか、予測できず、メアリーは、ジッと睨む。
そして、彼女の手は、彼女が思うモフモフ精霊がいた辺りへと伸びていく。
ソフィの小鳥のさえずりのような悲鳴!
「キャッ、イヤ!」
メアリーには、手応えがあった。手の平いっぱいに広がるムニムニした弾力と質感は、彼女が知っているモフモフ精霊、そのもの! モミモミっと捕まえることができたが、それが、彼女の思うように動かないようだった。
「アンッ、イヤッ、イタイ!」
ソフィはさえずっているが、メアリーにとっての優先事項は、剣聖の成敗。平民と身分を偽っているソフィの対応は、その後。
「メアリー、君は、いったい……」
何事にも動じない、強靭な精神力を持つ、剣聖アルフレッドが慌てている。その様子が、メアリーの行動に拍車をかけた。
「モフモフ」は剣聖に通じる……、その根拠のない、それどころか、先ほど振り回しているのだから、通じてないのだが……、とにかく、メアリーは、「通じる」と信じてしまった。
だから、彼女は、モフモフを力一杯、モッミッと握り締めた。
少女の、艶かしいあえぎ声が寮内に響き渡る。
「アーンッ、そ、そんな、イヤ、イヤ、イッヤァァーッ!」
ここに来て、メアリーは、自らが掴んでいる物を目視した。それは、少女の立派に成長したおっぱい。
ソフィがメアリーの手から逃れ、ハアハアと息を整えながら、クラリスお嬢さまに寄り添うように隠れた。彼女は、乱れた寝巻きを整え、胸元をギュと締めると、下唇を噛みながら、メアリーを睨む。
メアリーは、あぜんとした。
「ソフィさんは、十五歳だったかしら?」
「十四……になります……」
ソフィは、メアリーを警戒するようにして、クラリスお嬢さまの背中に隠れて顔を覗かせている。
「そんな……」
メアリーは、手の平を見つめ、床で気を失っているモフモフ精霊を見比べた。「あの娘、十四で、あんなに大きいなんて……、それに、なんて贅沢な弾力……」と心に大きなダメージを負う。
それは、メアリー、十七歳が成人前の十四歳に敗北した貴重な瞬間だった。
ソフィは、クラリスお嬢さまの耳元でささやく。
「わたし、知りませんでした。平民への、あいさつが、こんな乱暴だなんて……」
クラリスお嬢さまは、吐息がかかった耳がこそばしく、背中には、大きな膨らみが押し当てられるのを感じていた。
それから、しばらく沈黙が続いた。
メアリーは立ち直れるのか? さらに、平民でも胸を揉まれたら犯罪だと、誰がちゃんとソフィに教えてあげるのか? 課題は山積みのまま、時間は流れる。
取り敢えず、皆、落ち着こうということになり、テーブルを囲むように座る。
ソフィは、顔をずっと赤くしてモジモジしていた。その隣の、剣聖は、優雅に紅茶を飲んでいる。
クラリスお嬢さまの頭の上には、モフモフ精霊がちょこんと居座る。
さて、口を一番に開いたのはメアリーだった。
まずは、彼女の謝罪から……。
「あの、ソフィさん、申し訳ありませんでした。お詫びとはいっては何ですが、こちらをどうぞ」
メアリーは、クラリスお嬢さま制作の棒をソフィに差し出した。
「あっ」
とクラリスお嬢さまの声。メアリーがお嬢さまを「おねがいっ!」と見つめる。
クラリスお嬢さまとメアリーとの短い話合いは、事前にあった。メアリーは、「何か別のものを作って、アレンさんに渡しましょう」という提案もしている。それに、うざいモフモフ精霊付きの変な棒より、手作りのお菓子の方が良いのでは? というのも彼女の本音だった。
「わ、分かったでござる。その木刀は、メアリー殿の無礼のお詫びでござる」
クラリスお嬢さまは、ここに来ても木刀というのは譲らないらしい。
「ありがとうございます。この素敵な杖、大切にしますっ」
「木刀でござる……」
宿木の所有者が変更したことで、モフモフ精霊が移動する。ソフィの頭の上に、ちょこんとモフモフ精霊が居座った。
「おぬしが、なぜ、ここにいるのか、説明をしてもらうでござる」
クラリスお嬢さまが、名一杯な不機嫌を込めて、剣聖に問うた。
剣聖のセリフは省略しよう。
クラリスお嬢さま、メアリー、ソフィ、誰も、彼を重要視してないのだから……。
剣聖がソフィと行動を共にしてる理由、それは、昼間の森での一件が関わっている。
つまり、セントレイ王立学園の安全に対する信用が下落したということだ。
それで、王城の偉い方々は、王女に護衛が必要だろうと判断した。それで、最強の一角、そして暇を持て余してる、剣聖アルフレッドに命が下った。
「アルフレッド様から、平民の私を気遣って、護衛をして下さると、申し出がありましたので……。あの、その……、偉い方の申し出を、平民がお断りするのも、失礼かと思いまして……」
「いえいえ、普通、平民は、剣聖なんて護衛につけませんよっ。それに、それの、申し出を断っても失礼に当たりません。女性の方から、誘いを断られるのは、慣れてらっしゃいますよね、アルフレッドさま」
「やだなあ、メアリーさん、私は、誰でも良い訳ではないですよ。今、お誘いしてるのは、クラリス様だけです」
アルフレッドが花束を、クラリスお嬢さまに差し出した。お嬢さまは、ビシッと花束を叩き落とす。
「ソフィ殿の用事は、何だったでござるか?」
「あの、クラリス様が良ければ、わたしを従者にして頂けないかと……」
「ソフィ殿の申し出は承諾するでござる。だから、おぬしの役目は、終わりでござる」
クラリスお嬢さまは、アルフレッドに帰れと言った。
「そうですね、私も、いつまでも女子寮にいるわけにもいかない。貴女のそばは、一番、安全だ」
剣聖アルフレッドが席を立つ。
そして部屋を出る際に、彼は、こう言った。
「ソフィア様が倒した相手の死体は、まだ、見つかってません。カルロスの行方も見失いました。それに、あの少年たちの証言によれば、もう一人、仲間がいるようです。王国の不手際を押し付けるようで、申し訳ありませんが、重々、気をつけてください」
剣聖アルフレッドは、その場を立ち去った。
クラリスお嬢さま、メアリー、ソフィ、ついでにモフモフ精霊の長い夜は、それからも続いた。
その頃、昼間の騒動があった森は深い闇に包まれていた。濃い霧に覆われた森は、不気味な静けさが支配している。
黒フードを被った人影が、霧の中に浮かび上がる。
「あっさり、やられたものだな」
彼の眼前に、首のない肢体が転がる。
風化が進む肢体、かなりの範囲が、既に灰になってしまっている。
「肌寒い夜だ……」
そうつぶやき、己の身体が寒暖を感じないと思い出し、ハッとする。「寒いなどと思ったのは、いつ以来だ」彼は故郷の風景を思い出した。
一面の銀世界、寒くて貧しい、彼の故郷。
「ドロシー、やはり、お前がいないと、世界が、つまらないと思えてしまう」
ドロシー、吸血鬼の真祖たる彼が従える、唯一の眷属。そして、同郷であり、幼なじみの無二の存在。
「君に力を与えると、また、長話を聞かされそうだ」
物言いだけな顔で横たわる彼女の首に、彼は、話しかけた。
そして、彼は、彼女へ、手をかざす。
霧が、淡く輝く、それは、満月の光なのか、それ以外かは、定かではない。
ただ霧は輝き、森に、幻想的な光景が広がった。
「ドラキュリア様……」
首から声が出た。
彼の名は、ドラキュリア伯爵、数百年に渡って、姿を変えながら、「生」を欲し「死」を渇望し続ける存在。それらを、人の不幸に、見いだし、己の欲を満たす、残忍な存在でもあった。
「ドロシー、まだ、無理をするな。話なら、後でたっぷりと聞いてやる。私たちの時間なら、永遠に、あるのだから」
ドラキュリア伯爵は、ドロシーの口をそっと隠した。
太陽が昇る前、地平の峰々が輪郭を現した頃、森の霧は消えていた。
彼と彼女の姿も、もう、そこには無い……。
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