第7話 覚悟
青空に浮かぶ雲。
雲に隠れた太陽は、午後に備えて昼休み中のようだ。
新緑が勢いを増す、初夏の頃。
この頃になると、新入生という言葉も聞かなくなる。
学園の校舎の中、教科書を胸元に抱えている女生徒は、渡り廊下から中庭を見つめていた。
そして、嬉しそうにつぶやく。
「メアリーお姉さま、今日は、お一人かしら?」
そして、女生徒は、足早に、廊下の奥へと消え去った。
今は制服姿、クラリスお嬢様にメイドとして仕えるメアリーは、もともとは子爵のご令嬢。
そんな彼女は、中庭のベンチに、静かに、座っていた。普段、クラリスお嬢様の、おそばに仕えている時は、特筆すべき容姿でないように見える。しかし、彼女は美しい。
子爵令嬢としての洗練された所作と、その容姿、しかも女の子主席ということも相まって、「学園のお姉さま」として人気が高まっていた。
暇そうな彼女の表情がパッと明るくなる。
遠くから、それを見た、先程の女生徒は、ドキッとし歩みを止めた。
メアリーが、明るい仕草で、クラリスお嬢様を出迎えるところだ。
休憩中の太陽が、雲から顔を出し、仕事を始める。
中庭のベンチに座る、クラリスお嬢様とメアリーを陽射しが照らす。
そんな二人の光景を、女生徒は、我を忘れて魅入っていた。
「アレンさんは、どうされました」
メアリーは、期待を込めて、百も承知のことを聞いた。
「今日も、アレン殿は、アルフレッドと一緒に、稽古で外に行ったでござる。剣の手ほどきなら、それがしで十分でござるのに……」
クラリスお嬢様は、小さなくちびるを尖らせてすねている。
メアリーは、「お嬢様、かわいいっ! 剣聖、グッジョブ!」と心で叫ぶ。クラリスお嬢様のやきもちともとれる表情は、彼女にとって、珠玉の一品。
「やはり、アルフレッドは、早々に斬り殺すでござる!」
「切り殺したらダメですっ! お嬢さまの服が汚れますっっ!」
メアリーのツッコミ。彼女も、剣聖の生死は問わないらしい。
剣聖アルフレッドは、「クラリス様に、決闘に敗れた」と自ら公言している。そのいさぎよいとも言える行為に、彼の人格者としても名高い一面が垣間見れる。
「あやつの返り血など浴びんでござる!」
ご機嫌斜めのクラリスお嬢様の本能は、ほっぺを風船のように膨らませ、ベンチに座りながら足をぶらぶらさせていた。
「あらぁ、クラリスお嬢様も、剣聖に弟子入りされちゃいますかぁ?」
「なっ、なっ、弟子入りする前に、あれを、みじん切りにするでござる!」
「だから、それは、服が汚れるからダメです!」
さて、「決闘で負けた」ことを公言している剣聖アルフレッドだが、大衆の捉え方は、その言葉通りとはいかない。
だからといって、彼は人格者であり、権力に屈することもない実力者であるから、カルロス卿のように、悪い噂とはならない。
その結果、
「剣聖アルフレッド様が、辺境伯のご令嬢に、比類なき剣の才を見出された」
となり、市中を騒がせた。
そこに、「剣聖の決闘での敗北」を知った王国の思惑が加わり絡まる。
国々は常にその動勢を見つめ合っている。それは、人が治める国だけではない、最近、大人しい北の魔族も同様に、王国の動静を探っているはずだった。
王国最強の一角、剣聖が、たかが決闘に敗れるなどあってはならない。それがたとえ、真実であったとしてもだ。
辺境伯のご令嬢である、クラリスお嬢様に王国は、おいそれと手は出せない。北の実力者、ラングレイ辺境伯の機嫌を損ねる訳にはいかないからだ。
だからこそ、王は、直々に剣聖アルフレッドに命を下した、「辺境伯のご令嬢を弟子にせよ」と。
「アレン殿は、ひどいでござる」
「そうですね。でも、アレンさんの、お嬢様より強くなりたいという気持ちも分かりますわ」
アレンは剣聖という地位に幼い頃から憧れていた。アレンも、男の子だ。強くてかっこいい存在が大好きで、それを夢を見るのは、健全な証拠だろう。
アルフレッドが、クラリスお嬢様に弟子入りの件を申し出た時、アレンは、良い機会とみて自らが志願した。
剣聖アルフレッドは、アレンの弟子入りを認めた。それは彼にとっても好都合だったからに、他ならない。
剣聖は、クラリスに心を惹かれていた。
さらに、学園に来る理由ができれば、破門したカルロスの挙動に注意を払うこともできる。
剣聖アルフレッドの耳には、「カルロスが良くない連中と接触している」という噂が入っていた。破門したとはいえ、弟子だった人間だ。過ちを重ねるのを黙って見ていられるほど、彼は冷酷な人間になれなかった。
「強くなりたいのであれば、それがしが手取り足取り、丁寧に指南するでござる」
「ふふふ、それじゃ、ダメなんです」
メアリーは、クラリスお嬢様が「なんで? なんで?」と男女の仲を理解してない様子に、愛おしくなり、お嬢様をギュッと抱きしめた。
その様子をジッと見つめる女生徒がいる。
その人物は、渡り廊下から中庭へと降りてきた、最初の女生徒ではない。
ジッと様子を見つめる女生徒。
彼女もまた、学園では有名な人物の一人。
入学式から、かなり日数のたつ、この時期に、平民なのに、彼女は、まだ、誰とも主従を結んでいない。
彼女の名前はソフィー、学年第七位、女の子ではメアリーに次ぐ実力者だ。そんな、彼女を従者にしたい貴族はいっぱいいる。
それだけでも、名が知れ渡るのには、十分だったが、さらに、彼女は、平民とは思えない特徴的な容姿をしていた。
誰もが息を飲む容姿。彼女は、王家と同じ艶やかな金色の髪を持ち、日焼けをしていない透き通るような白い肌を、制服の隙間から覗かせた。そして何より、気品のある顔立ち。
そう、彼女もまた美しかったのだ。
男子生徒の気配がする。
中庭の平和が乱れ始めた。
「何か、用でござるか?」
二人の男子生徒の気配に、クラリスお嬢様は、直ぐに気がついた。
クラリスにとって興味のない存在だが、お嬢様の本能はしっかり休みなく働いている。
クラリスお嬢様の潤んだ瞳に見つめられた男子生徒たちの、決意が揺らぐ。
決意といっても告白などという青春ではない。
何しろ彼らは、カルロス卿の一派なのだから。
お嬢様に見つめられた男子生徒たちは、後ろに組んだ手に隠し持つ、その決意を譲り合う。
「おい、おまえから行けよ」
「何でだよ、おまえから投げろよ」
とりとめのない、つまらない譲り合いが続く。
「用がないなら、昼寝の時間でござる。他に行くと良いでござる」
「ね、寝ないで下さい! 次は、魔法の実習です! さあ、参りますよ!!」
メアリーが、クラリスお嬢様の手を引いて立ち上がる。
「魔法は、苦手でござる……」
「大丈夫ですよ。実習の内容は、薬草採取ですからっ! ピクニックみたいものですよっ!」
グイグイとメアリーは、クラリスお嬢様の手を引いて歩く。
男子生徒たちの猶予がなくなる。
カルロス卿に命じられた通りに事をなさねば、彼らの家族が酷い目に合う。
カルロス卿は泥団子を彼らに渡し、「これを、クラリスに投げ付けろ」と命じた。
「心底下らない」
彼らだってそう思った。だが、カルロス卿の行う仕打ちは身に染みるほど知っている。
彼らは目をつむって、泥団子を投げた。
一投は、大きく外れ、残りは……。
メアリーの手を振りほどき、クラリスお嬢様が、その小さな背中で、メアリーをかばうように、泥団子を受けた。
お嬢様の背で泥が弾ける。
「お嬢さま?!」
メアリーは慌てて振り返る。
クラリスお嬢様の背の向こう、男子生徒たちの涙目でオロオロとしている。すぐに、何かイタズラをしたと察しがついた。
彼女は炎を手に宿らせた。
クラリスお嬢様は、辺境伯のご令嬢だ。
無礼を働いた者への懲らしめが、度を越して、それが間違いとなっても、許されるだろう。
それが爵位制度というものだ。
「メアリー殿、別に良いでござる」
クラリスは、メアリーの手をそっと握り、炎を打ち消した。
この程度の児戯に、心を乱されることはない。
クラリスお嬢様は、くるりと後ろに振り返る。制服のスカートが勢いでフワッと浮いた。
男子生徒たちと目が合うとイーッとしてあかんベー。こういう風に、生粋のお嬢様本能は、対応した。
その一部始終を、金色の髪の女生徒、ソフィーはずっと見ていた。そして、自由を夢見る彼女は、クラリスお嬢様のとった仕草に、なぜか胸が高鳴った。
クラリスお嬢様の中身の「さむらい」は身分社会を知らない訳ではない。「さむらい」は戦国の世を生きていた。
異世界の爵位制度と同等な、もしかしたら、より過酷で凄惨な、戦国の世の身分社会を生きていたのだ。抵抗感なく、クラリスお嬢様の身分も理解している。
そして、身分の低い者が、上位の者に無礼を働く覚悟も理解できていた。
「今回の児戯は見逃すでござる。なれど、次は、斬り捨てるでござる」
クラリスお嬢様の表情は、冷たく一変した。
男子生徒たちは、深く頭を下げ、逃げるように走りさる。
無礼を働く覚悟を知っていても、斬らねばならない。
身分とは、そこに付き従う者たちが存在する。
クラリスお嬢様にも従者がいる。
彼女が侮られれば、アレンとメアリーに、必ず危険が及ぶ。だから、次は、たかが、児戯でも斬って捨てると警告をした。それが、精一杯の慈悲というもの。
「お嬢さま、本当に、良かったのですか?」
「いちいち児戯の相手はしないでござる」
「背中に泥が付いて汚れてますよ。あっ、これ、シミになっちゃってますよ。良いんですか、次は、途中から、アレンさんも合流なのにっ」
「シ、シミなど気にしないで、ござるっっ」
クラリスお嬢様は、背中を見ようと懸命に首をひねった。
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