第6話 魅惑の剣筋
入学式から数日後。
セントレア王立学園の校門に、容姿の整った青年の姿があった。
剣においては並ぶもの無しと称され、大陸最強との呼び声も高い青年。
「アルフレッド先生」
一人の男子生徒が、彼に駆け寄る。
彼の名は、剣聖アルフレッド、まごうことなき、王国最強の一角である。
「お久しぶりです。お元気そうでなによりです。ちゃんと剣は振られてますか?」
「はい」
男子生徒は嬉しそうに、明るい素直な返事をする。
そして、
「皆が闘技場で待ってます」
と生徒は行儀良く、剣聖アルフレッドを案内した。
男子生徒の名は、カルロスという。レフテン公爵の嫡子であり、クラリスお嬢様との決闘に敗れた剣聖の愛弟子であった。
素直で礼儀正しい愛弟子の様子を見て、剣聖アルフレッドは、「やはり噂が真実だ」と確信する。
決闘の結果は周知の通り。実技試験でどう評価されようとクラリスお嬢様の勝利。
だが、王都に流れる噂がある。
「ラングレイ辺境伯のご令嬢が、卑怯な手で、剣聖の愛弟子、カルロス卿をおとしめた」という噂。
「なんと可哀想なカルロス卿。そして、辺境伯の娘は、なんと小汚い」
王都で彼は同情を集め、辺境伯の血筋は評判を落としていた。
春はまだ健在で、夏は遠い。
あたたかな春風が、木々をゆらす。
男子生徒に手を引かれるようにして、今まさに、剣聖アルフレッド、一人の武人が闘技場へと向かっていた。
一方、闘技場からは、大勢の生徒達の声が聞こえる。
剣の修練の最中のようだ。
しばらく前から、実戦形式の模擬試合が続いていた。
剣術の教師が、クラリスお嬢様の名前を呼んだ。
先に闘技台に上がっていた生徒は緊張しながら、お嬢様たちを見つめている。
新入生の間では、クラリスお嬢様たちは憧れの存在。主従の垣根を超えた三人の仲睦まじい光景に、皆が羨望の眼差しを向ける。
「それがしの出番でござる。では、斬り捨ててくるでござるか」
「もう、斬り捨てたらダメですよ」
メアリーのこれは声援のようなもの。
「お嬢様、頑張ってください」
いつも真面目なアレンのこれが正しい声援。
「分かってるでござる」
クラリスお嬢様は、いつも通りの返事をした。
クラリスお嬢様の中身の「さむらい」も未熟者相手に真剣になるほど大人気なくない。
それなりに打ち合い、それなりに負けたりもする。
だが、それは手を抜くとは違う。
「未熟を見、未熟を学び、己が未熟を知る」、そういう言葉を「さむらい」は知っていた。修練の場では、互いに敬意を払い高め合う。
達人である「さむらい」であれば、そのように剣を扱い、導くことも出来るのだ。
模擬試合が始まる。
互いに礼。
「そんなに緊張をしなくて良いでござる」
クラリスお嬢様は、対戦相手に優しく微笑みかける。その笑みは女を感じさせない。だからといって野蛮ではなく清楚。
その微笑みが、生徒の身体を軽くする。
彼は、コクリとうなずくと模擬試合の打ち合いが始まった。
しばしの打ち合い。
生徒の息が乱れ始めたところで、模擬試合は終了となった。
その結果は引き分け。
生徒は深々とお辞儀をし、クラリスお嬢様は軽い会釈をした。
「良い汗を流せたでござる」
そして、クラリスお嬢様はご機嫌な様子で闘技台を後にする。
こんなだから、お嬢様の剣の成績は上がらない。
それでも、一度でも対戦したことがある生徒達は、ふれ合った剣を通して知っていた。
クラリスお嬢様の強さと、その剣に対する思いの真っ直ぐさを。
だからこそ、カルロス卿との決闘を見たことがない生徒でも、その勝利を疑うものがいない。
お嬢様は強い。
一部の新入生を除き、その思いに曇りなかった。
「剣聖のアルフレッド様よ!」
女生徒が闘技場に人影を見つけて騒ぎ出した。その声を聞き、男子生徒も唸り声をあげて興奮する。
王国に、その名を知らぬ者はいない。
若き王国の英雄、剣聖アルフレッドが闘技場に、いつのまにか、姿を見せていた。
カルロス卿と二言、三言、言葉をかわすと、剣聖アルフレッドは、クラリスお嬢様の方へと歩いていく。
剣聖がクラリスお嬢様に深々とお辞儀をする。
武人の匂いはさせない、洗練された所作。
会場に感嘆の声が聞こえ、女生徒達は目をキラキラと輝かす。
「貴女がクラリスお嬢様であられますか?」
「そうでござる」
返事は残念だが、お嬢様の本能が、片足を斜め後ろに引き、制服のスカートの裾をつまんでちよんと持ち上げる、立派なカーテシーと呼ばれるあいさつをして見せた。同様なあいさつを、メアリーは、深々とし、アレンは、お辞儀をする。
「あなたが、アレン君ですね、どのようにして、主席に?」
「どのように? でございますか……」
アレンが力なく言葉を飲み込む。剣聖アルフレッドに肩を掴まれ、彼は、剣聖の方へとその身を引き寄せられる。
「そちらの方は、女生徒の首席は、メアリーさん、でしたね。クラリス様の従者は、どちらも素晴らしい。さぞ、ご自慢でしょう?」
剣聖アルフレッドは、メアリーの方へも手を伸ばすが、その手をメアリーは、ピシッと叩く。
「アルフレッド様、失礼は良くありませんわ」
メアリーは、そう言ってのけた。
メアリーは、剣聖アルフレッドの意図に気づいていた。そして、今も我慢している。
アレンの方は、その意図が信じられず、困惑していた。
「二人は、実力でござるよ」
クラリスお嬢様は、剣聖アルフレッドの手から、ゆっくりとアレンを引き離す。
「そうですか、それは良かった。では、貴女の実力は? 先ほどの模擬試合の様子から、貴女がカルロス卿に勝てるとは思えません」
剣聖アルフレッドは、クラリスお嬢様が実力のない卑怯者と確信している。
だからこそ、衆目の前で化けの皮を剥がすため、
「クラリスお嬢様、貴女と真剣で一戦を交えたい、つまり、決闘を申し込みます」
と言い、ニヤリと笑う。
別に彼は、本気で女の子と戦う気はない。お嬢様の返事は「お断りします」と、彼の中では決まっているのだ。
彼の目的は、その後、衆目の前で、カルロス卿との決闘の謝罪をさせることだった。
だが、クラリスお嬢様の返事は違う。
「良いでござる。さあ、闘技台に上がるでござるよ」
それは、己の力を誇示するためではない。
貴族社会の口撃に疎い「さむらい」でも流石に感じとった。剣聖アルフレッドがアレンに「どのように?」と問いかけた時に気づいていた。
いつのまにか大切を手に入れた「さむらい」は思う。
「アレン殿とメアリー殿を疑うものは許せない」
それは、アレンの決闘の申し込みを「クラリスの実力が嘘なら、アレンとメアリーの首席は、辺境伯の力でズルして手に入れたのものだ」と受け取ったからだ。
それは斬るに値する十分な理由。
それが、理由となったことに「さむらい」は驚きもした。
「そのような、お返事は、受け入れられません」
剣聖アルフレッドは、準備していた言葉をサラリと言った。
「おい、アルフレッド様が決闘を申し込んで、承諾を拒否したぞ!」
「剣聖が逃げた!」
「逃げた!」
ここに来て剣聖アルフレッドが「あれあれ? あれれ?」と慌てる。
「お嬢様は、何とお返事をされましたか?」
「良いでござると言った。おぬしは、何がしたいのでござるか?」
クラリスお嬢様は、かなりイライラとしている。お嬢様の本能も不在で、その動きは、荒々しい。
「聞き逃さないように聞いてください。剣聖というのは、王国で一番強いのですよ。分かりました? それでは、もう一度、お伺いします。私は、クラリスお嬢様、貴女に、決闘を申し込みます」
「良いでござる、さあ、闘技台に参られよ!」
クラリスお嬢様は、そのまま闘技台に上がる。
これでは、剣聖も逃げられない。
「クラリスお嬢様とアルフレッド様が決闘をするぞ!」
生徒達が騒ぎ出した。
闘技台を緊張した面持ちで見つめる生徒たち。
そこに、場違いな表情でニヤニヤしている集団があった。
「カルロス様、ついに、やりましたね」
「ああ、これで小娘も思い知るだろう。それからが楽しみだ」
男子生徒は、楽しくてしょうがない様子。
王国最強の一角、剣聖アルフレッドが、公爵のご令嬢に負けるはずがない。
彼は、そう確信していた。
心配そうに見つめる生徒たちも、決闘の結果については同じだった。
だからこそ心配していた。
闘技台に立つ剣聖アルフレッドは、腹をくくった。「女の子と決闘するのは本意ではないが正すのには良い機会だろう」と彼は思うようにした。
剣聖が剣を抜く。
クラリスは重心を落とし、刀の柄に軽く指を添える、居合の構え。
「剣を抜かないのですか?」
剣聖は問う。
クラリスの構えは、異世界の理にかなっていない。身軽に動けない窮屈な構えにしか見えなかった。
「北神流、静の構え、居合。心配は無用でござる」
クラリスが言い放つ。
剣聖アルフレッドに鳥肌がたつ。それは、季節外れの北風が、彼の体温を奪い去ったかのようだった。
世界から気温が奪われる。
極寒の地を、クラリスを中心とした「静」が支配していく。
曇りなき凍った大地に、冬空が写り込む。
剣聖アルフレッドは方針を変え本気を出すと決めた。
「剣技、雷光一閃」
アルフレッドが雷光をまとう。そのまま、クラリス目掛けて剣を振る。
「静」が支配した凍った世界。
そこに気配が二つ。
雷光が悠久の時をかけ、ゆっくりとクラリスへと向かう。
ただゆっくりと、ゆっくりと、じわり、じわりと進んでいく。
「北神流奥義、一の太刀裏、死線」
クラリスは微動だにしない。
雷光をまとう剣聖アルフレッドには見えた。
微動だにしないクラリスから一本の糸が伸びるのが見えていた。
居合の構え。
指が添えられた刀の柄から一本の糸が伸びる。
白い糸はまるで剣筋を描くようにして進んでいく。
悠久をかけて進む雷光は、それが見えても、何もできない。
あっという間に、糸が、剣聖の首に絡みつく。
剣聖は死を悟った。そして、剣の頂、その一端を垣間見れたことに満足をした。
その表情に「さむらい」は不快を感じる。ふと、友を斬った死の間際の過去がよぎり「未熟」と自らを叱咤する。
クラリスが刀を抜いた。
妖刀ムラマサ。
その太刀が糸を裂く。
「静」が解かれる。
極寒の大地が割れた。
悠久の時が、あっという間に終わる。
剣聖は生きていたことに驚いた。
「私の負けです」
剣聖アルフレッドの首、その寸前に刀が見える。
「それがしが、未熟であった。すまぬ……」
クラリスお嬢様が、少し悲しげに微笑んだ。
アルフレッドの剣は、クラリスの脇に完全にそれていた。
決闘の後、剣聖アルフレッドが険しい表情でカルロス卿を呼ぶ。
「なぜ、負けを素直に認めない!」
彼は、カルロス卿の決闘のことを言っている。
カルロス卿が決闘の負けを認めていたなら、あのような噂はたたないからだ。
「そんな! 先生だって、わざと手を抜くなんて!」
カルロスには何も見えてない。一瞬の攻防、それが見えていたのは、クラリスとアルフレッドだけだろう。
「私は、クラリス様に負けた。お前も、認めろ! それができ、己が未熟と知るまでは、お前は破門とする!」
アルフレッドは、カルロスの頬を叩いた。
そして、生徒達に決闘の結果を伝え、アレンとメアリーに謝罪した後、闘技場を去った。
「くそっ!」
その姿を、憎々しくカルロスは見つめる。
彼は、剣聖の優しさにも気付いていなかった。
剣聖は言っているのだ「過ちを認めれば、弟子にする」と……。
「お嬢様、寸止めされたんですね。お見事です」
アレンは、クラリスお嬢様の勝利を喜んでいた。
「お嬢様が寸止めされるとは思いませんでした。成長されましたね」
メアリーもとても嬉しそう。
真剣勝負に寸止めなし。
そう「さむらい」は教わったし、それを是とし、寸止めは失礼としていた。
「寸止めなど未熟。それがしも衰えたでござる」
クラリスお嬢様の顔は、勝利のものではない。
「いいえ、僕には、お嬢様の剣は魅力的になられたように見えます」
アレンは言う。
「そうなら、良いでござる」
中身の「さむらい」は納得していないが、お嬢様の本能は、スカートの裾をつまみ、綺麗なお辞儀をしてみせた。
大好物な光景に、メアリーはアレンの背中を押して、クラリスお嬢様にぶつけて楽しんだ。
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