第4話 あたたかい剣

「メアリー殿は、参加しないのでござるか?」

「もうっ、刀を担がないで下さいっ!」

 メアリーのため息は止まらない。彼女は、まったく、やれやれといった様子。


 剣の実技試験、その試験会場に、クラリスお嬢様とメイドのメアリー、そして、お嬢様の幼なじみで、ラングレイ邸で警備兵を務める、アレンはやって来た。


 アレンは背後霊、いやいや守護霊、もとい、主人に忠実な柴犬のように優しくクラリスを見守っている。それは、もの心ついた頃からの習慣で、それが恋ごころと気付いたのは、彼がクラリスお嬢様より背が高くなった、ここ、一、二年のことであった。


「メアリー殿は、参加しないのでござるか?」

 今度は、お嬢様本能が油断していないので、可愛らしく口を尖らせて、いじけて見せる。


「わたしは棄権します。女の子は剣の試験を受けなくても不利になりませんからね。それに、女の子が、ふつう、剣なんて降らないでしょっ!」

 メアリーの雑な返事。

 彼女は、クラリスお嬢様が、粉微塵にした魔石の事後処理をしていて疲れていた。


 魔力を測る貴重な魔石。


 壊せない魔石を粉微塵にしたクラリスお嬢様は、凄いが、だからといって、貴重な魔石を壊してはいけない。


 学園からラングレイ辺境伯に、いろいろな費用が請求されるのは間違いなかった。


「アレンさんも、働いてくださいっっ」

 メイドのメアリーが、口を尖らせて、八つ当たりをするのも仕方がない。


「僕は、クラリスお嬢様の護衛役だから、そういうのはちょっと……、でも申し訳ありませんでした。メアリーさんがいてくれて助かります」

 アレンは潔く頭を下げた。


「クラリスお嬢様に護衛がいるとは思えないですけど……」

 メアリーは、クラリスお嬢様と魔族の戦いを直接は見ていないが、話には聞いていた。


 ラングレイ辺境伯は、クラリスお嬢様の剣の才能にも期待をよせる。それでも剣を振り回す公爵令嬢など前代未聞に違いない。


「アレン殿、いつもの、素振りを、一緒に始めるでござる」

「はい、お嬢様!」

 久しぶり見せたアレンの笑顔。


 それを見た、剣の実技試験を見物に来ていた女の子達が、キャッと顔を赤くする。


 アレンの容姿は整っており、クラリスお嬢様の幼なじみだけあって、洗練された礼儀作法を身につけていた。


 クラリスお嬢様とアレンが素振りを始める。


 剣を前に構え、上段から振り下ろす、基本の動作。そのつまらない動作を、ひたすらに繰り返す。


 クラリスお嬢様が熱から回復された日から、毎朝、二人は、それを繰り返していた。


 クラリスお嬢様の素振りは、お嬢様ということを差し引けば、何の変哲もない、ただの普通の素振りにしか見えない。


 彼女の剣は、ただひたすらに、真っ直ぐに振り下ろす。


 アレンの素振りの方が鋭く速く、見る者を圧倒していた。見学の女の子たちは、うっとりと見惚れる。


 もし、達人がここにいたら、違う感想を述べるだろう。


 アレンの剣は鋭く速いが、ただそれだけだ。

 クラリスお嬢様の剣は、ただ、ひたすらに真っ直ぐに振り下ろす。鋭くなく、速くなく、同じ剣筋を寸分たがわず往復し、しかも、その足捌き、重心移動、全てを同じに繰り返す。


 この会場に、達人がいたなら、「クラリスお嬢様の剣は恐ろしい」と言うに違いなかった。


 アレンは、クラリスお嬢様との素振りの時間が楽しみだった。それは、思い寄せていれば当然のことだろう。


 だが、素振りを始めれば、それは邪な気持ちでなくなり、ただ、ひたすらに、彼女の「しあわせ」を守りたいという気持ちへと、アレンは変わる。


 その思いをのせて、彼は素振りをしていた。


「アレン殿は、いつも精が出るでござる」

 いつのまにか、クラリスお嬢様は、素振りをやめて、感心、感心とアレンを見つめる。


 それも日課。そして当然。


 なぜなら、アレンは、クラリスお嬢様より、素振りを多くするまで、やめないからだ。


 キラキラとした瞳でアレンを見つめるクラリスお嬢様の様子に、「あらまあ」と思い、メアリーは微笑ましく思っていた。


 それは、メアリーの勘違いで、クラリスお嬢様の仕草には、隙を見ては、お嬢様本能がしぶとく修正を加えているからにならない。


 クラリスお嬢様は、純粋にアレンの素振りに感心しているのだ。


 中身の「さむらい」から見れば、まだまだ未熟だが、その剣に乗せてる「何かを守りたい」という純粋な思いが見え隠れし、それが「さむらい」にはうらやましくすら思えていた。


 大きな笑い声が聞こえる。

 その笑い声が大きすぎて、会場中の注目を集めた。


 その笑い声の主は、クラリスお嬢様達のすぐそばにいた。


「北方の田舎から、覚醒した魔族を倒した受験生が来ると聞いていたが、その程度のつまらぬ素振りばかり、やはり噂とは恐ろしい、トカゲを斬ればドラゴン、ゴブリンを倒せば、魔族を倒したことになる」

 男は、不遜な態度で大声で笑う。


「おぬしは誰でござるか?」

「俺か? 俺は、レフテン公爵の嫡子、カルロスだ」

「で? 何がおかしいでござるか?」


「そこの、スカした野郎の素振りを見て、たった一人、しかも剣のみで覚醒した魔族を倒したなんて、ありえない噂を流す、辺境伯のご苦労を思ってな」

 大声で笑っていたカルロス卿は、クラリスお嬢様の父親、ラングレイ辺境伯が、己の力を誇示するために、臣下に手練れがいると嘘をついていると言っている。つまり、辺境伯への侮辱だ。


 メアリーとアレンの表情は厳しいが、行動には移さない。相手は公爵の嫡子だ。彼らが下手に動くと、そこをやらしくついてくる。それが貴族社会。


 であれば、辺境伯の愛娘、クラリスお嬢様が対応するしかないだろう。彼女とカルロス卿であれば、たいてい子供同士の口喧嘩で着地する。


「アレン殿の素振りを笑うでござるか?」

 クラリスお嬢様の中身の「さむらい」は、貴族社会の口撃という常識にうとい。素直にアレンへの侮辱と受け取った。


「アレン? 聞いたこともない名前だ」

「おぬしの名前も、それがしは知らぬ」

 クラリスお嬢様は、真顔で言い返した。


 メアリーは、心配で涙目になり、アレンは、何も出来ない身分という高い壁に、拳を握る。

 そして、カルロス卿は烈火のごとく怒り狂う。


 カルロス卿はすでに自己紹介をしたのだ。

 それを受けて、名前を知らないというのは、爵位という身分制度がある貴族社会では最大の侮辱、喧嘩を売る行為に等しい。しかも、クラリスお嬢様は名前を彼に告げていない。


 当然、彼は、ラングレイ辺境伯の関係者の集まり、クラリスお嬢様達と知っていて絡んでいるのだが……。


「お前の素振りも見ていたぞ、まるでママゴトだな」

 カルロス卿は、クラリスお嬢様と知っていて、失礼な物いいをする。


 クラリスお嬢様は、飛び出そうとするアレンを片手で、上品に制して見せた

「ほう、それがしの素振りをママゴトと申すか」

「当然だ、あんな素振りで斬れるのは、お人形が関の山だ」


「おぬしに決闘を申し込むでござる!」


「お嬢様!」

 メアリーとアレンが声を揃えて制止する。


 ご令嬢が決闘を申し込むとは前代未聞!

 会場は大騒ぎ!


「ば、バカな、決闘なんてするわけねぇだろう!」

 カルロス卿は別に相手が女の子だから拒否した訳ではない。自分の対面を考えてのこと。女の子相手に決闘なんてしたら、勝っても、負けてもそしられるに違いなかった。


「ほう逃げるでござるか? なら戦争でござる。父上は、それがしに失礼を働くものがあれば、国を割って戦争をすると申しておったぞ!」


「お嬢様!」

 律儀に、クラリスお嬢様を制止するのは、アレン、一人。


 メイドのメアリーは、「あぁー、あるある、あるわぁー」と小声でため息を吐き出した。そして、「あの親バカのご主人様なら、きっと戦争になるに違いないわ。家中の者たちも、クラリスお嬢様にデレデレだがら、それは、もう、たけ狂うようにして、王都を目指してくるわね」と思っていた。


 国を割って戦争ができる程の軍事力、それを治める器量、だから辺境伯という地位を頂く、ラングレイ辺境伯であった。


 カルロス卿と試験官たちが円陣を組んで相談を始めた。その最中も、会場がザワザワとし、野次馬は増える一方。


 円陣の方の懸念事項は一つ。

「カルロス卿が決闘を受けても、断っても、戦争になるのではないか」ということ。


「いっそのこと、カルロス卿がわざと負ければ良い」という意見が大半を占めるようになる。


 その円陣に口を挟む声。

「その必要はないでござる。決闘すれば、戦争はしないと誓うでござる」


 緊張した試験官が聞き返す。

「誓うでござるか?」


 クラリスお嬢様は笑みをたたえ、言い切った。

「誓うでござる」


 一時ののち、闘技台の上に、二人の姿があった。


 ラングレイ辺境伯の愛娘、クラリスお嬢様と、レフテン公爵の嫡子、カルロス卿の二人だ。


 二人の決闘が始まろうとしている。

 会場は、すでに超満員のすし詰め状態。


 王国と辺境伯の代理戦争ともいえる、このカードに貴族だけでなく、平民も興味津々であった。


 いったいどちらが勝つのか、それは、もう観衆の間では決定している。


 レフテン公爵の嫡子、カルロス卿が勝つと思っているのだ。相手が、非力で、か弱い、可憐なクラリスお嬢様だがらではない。


 恐らく、誰が相手でも、観衆は、カルロス卿が勝つと予想する。


 カルロス卿を知らぬ者は、王都にはいない。彼は剣聖の愛弟子であり、その才は、秀でていた。


 今年の受験生で、カルロス卿が最強という前評価もあった。


 事実、彼は強い。


 カルロス卿が剣を投げ捨てる。

 会場が「オォォォ」とどよめく。


「何のつもりでござるか?」

 クラリスお嬢様は、凛と美しく立っていた。


「女との決闘に剣は不要、お嬢ちゃんの素振りじゃ、どうせ、何も斬れはしないぜ」

 カルロスは、下心を隠さずに笑う。


 彼が剣を捨てたのは、クラリスお嬢様の身体に触れるため。今も、やらしい妄想で頭は一杯だった。


「そうでござるか。それがしの素振りでは、何も斬れないでござるか」

 クラリスお嬢様の笑みに、カルロス卿は、一瞬だけゾッとした。


「アレン殿! それがしの刀を頼むでござる!」

 クラリスお嬢様が刀を、ラングレイ家の家宝、妖刀ムラマサを放り投げ、アレンへと預けた。


「バカにしやがって、すぐには終わらせねえぞ」

 カルロス卿は怒っているが、口の中に唾液を一杯溜めてもいた。もう彼は対面を気にするのはやめた。クラリスお嬢様を、やらしく凌辱することしか考えていない。


 試験官の合図。


 そして、世界は凛として凍りついた。


 さっきまで股間を熱くしていたカルロス卿も動けない。


 闘技台の上には、二人の姿。


 カルロス卿は、動けないウドの大木。


 クラリスお嬢様は、何も持たない両手で刀を正眼に構え、刀先を相手の目に向けていた。


 カルロス卿も、クラリスお嬢様が刀を持っていないことは百も承知。だが、彼には、見えるのだ。冷たく鋭い刀が、どうしても見えてしまう。


 観衆も、その幻の刃に魅入られ恐怖した。


 世界が凍る。空気がピンと張り詰める。


 クラリスお嬢様は、凛々しい姿で、幻の刃を正眼に構えていた。


 その姿を例える言葉を、異世界の人たちは知らない。


 クラリスお嬢様の姿は「さむらい」そのものだったからだ。人を斬り殺す。ただ、それのみを追求し、剣を愚直に振るう者。


 それが「さむらい」


 クラリスお嬢様が幻の刃をゆっくりと上段に構える。


 それが頂点に達した時。

 ラングレイ卿は、赤子のように「ひっ!」と悲鳴を上げた。


 頂点に達した幻の刃は、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、一直線に振り下ろされる。


 凍った世界が、真っ二つに切り離される。

 世界が極寒から解放された。


 ラングレイ卿は、股間をションベンで濡らし尻餅をつく。

「おい、今のは、いったい何なんだよ……」

 彼は今にも泣き出しそうだ。


「北神流、修練の型、水の構え。ただ、愚直に刀を振る素振りでござる」

 クラリスお嬢様が殺意を込めて笑うと、ラングレイ卿は、気絶をしてしまった。


 闘技台から降りるクラリスお嬢様を、観衆は唖然として見送った。


「僕の剣は、クラリスお嬢様に追いつくことが、出来るでしょうか?」

 喜びながら出迎えたアレンは、普段から思う疑問を、クラリスお嬢様に問うてみた。


 彼女は笑う。「さむらい」ではなく、お嬢様の仕草、暖かく優しい笑顔。


「それがしの刀と、アレン殿の剣は、道が違うでござる。おぬしの剣、それがしは、暖かくて好きでござる」

 クラリスお嬢様は、アレンから剣を受け取ると、お嬢様本能でキヤッとした。


 アレンの頭では「好き」という言葉がずっとこだましており、メアリーは「あらまあ」となっていた。

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