第2話 望みのままに

 人気のない廊下の古い鉄扉の向こうは、白檀の香る薄暗い部屋だった。部屋の壁際には大きな水槽が並べられており、その中には並々とした水の代わりに色とりどりの蝶が翅を休めていた。

「すごい……」

「でしょう。主のコレクションでね」

 ほんの僅かに眉を顰めたのをみると、男は虫が苦手なのか、主の趣味を快くは思っていないらしい。

 見回すほど広くはない部屋には他に誰もおらず、佳奈はどこにいるのか、私は落ち着かずに首を巡らす。小さな衝立のあちら側に、扉の上部が覗いているので、あの中にいるのに違いなかった。ここに至って漸く、私は自分が怪しげな処に踏み込んでしまったという後悔と、警戒心に包まれたが、男は知らぬ振りをして冷たいお茶を差し出してくる。

「あの……」

「ああ、そんなに不審がらずに。うちは無理矢理に高額の商品を売りつけたり、軟禁したりはしない主義でね。厭ならお帰り戴いて結構。その代わり、この場所のことはご内密に。他言した場合には」

 そこまで言って衝立の向こうを見透かして、男ははてと首を捻った。

「他言した場合には、どうなるのか……生憎、俺はそこまで知らないけど」

 私は緊張した喉を潤そうと、出されたグラスに手を伸ばす。硝子の茶器には花の香りのするお茶が満たされ、口に含むとほどよい冷たさが滑り落ちていく。その心地よさに身体がほぐれて、私は小さく溜息を吐いた。

「それで、どのように変わりたいんです?」

 男が静かな声で、私に尋ねた。硝子の水槽の中で、蝶が一斉に翅を広げる。極彩色の鱗粉が私の目をちらつかせた。

「美しい顔?しなやかな身体、それとも」

「どちらも。あの子みたいに、綺麗な顔と柔らかな身体と、それから溢れるような魅力」

「随分と、欲深い」

「いけない?」

「いけなくなんてありゃしませんよ。望みのままに」

 また一口、グラスのお茶を飲み下す。身体の中に水が満ちる。たぷん、と花の香りが身体で揺れる。

「それじゃあ、目を今よりも大きく、鼻はつんと上向きに、胸を豊かに、腰を絞って」

 男の視線が私の言葉に合わせて、全てを測るように流れていく。その目は機械の如く冷静で、緻密に、身体の細部を余すことなく辿る。

「できるの?」

「できますとも。貴女の望みのままに変わりましょう。骨も皮も肉も、全て」

 にやりと男が笑うと同時に、水槽の向こうで、蝶がざあっと羽ばたいた。くらりと私は光に目を眩ませる。


 私は、気を失っていたらしい。

 目が覚めると男はおらず、仄暗く明かりを落とした小部屋の、柔らかな寝台の上に寝かされていた。なんだか、身体が少し窮屈だ。それに、手足が重くて、頭も怠い。

 ゆっくりと起き上がった時、自分の胸が今までよりも豊かにせり出していることに気がついた。それで着ていた服がきついのだ。比べて、ウエストは布地が余って、また腰回りで窮屈になっている。慌てて顔にも触れる。唇の手触りが、鼻の形が、睫の長さが、違う。全身を撫で回した掌が、肌の感触にびくりと揺れた。指が辿る皮膚は、子供の肌みたいに滑らかだ。

 寝台から滑り降りて、壁に掛けられていた姿見に駆け寄った。そこには見知らぬ美しい女がひとり、驚いた顔をして立っていた。

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