Soldier Game〈Pile〉


 女の子が関西弁を話す──というだけで、辟易する向きはあったらしい。


 しかも。


 西にしもり真姫まきの場合、工業高校の自動車科でバイク整備を学んでいただけに、余計にキツい性格に他からは思われていたようである。


「西野森はうちのクラスの数少ない女子やからね、何ぞ遭ったらワイら男子が、そいつをメタメタのボロカスにしたらなあかんよってな」


 というのが、クラスメイト男子たちの共通した認識ではあったらしい。


 真姫は卒業すると、地元である吹田の国道沿いのバイクショップに整備の見習いに入り、油まみれのツナギを着てキャップをかぶり、汗水漬みづくになりながらもよく働くので、客からの受けも良かった。


 中には、


 ──うちのバイクの整備は真姫ちゃんに。


 とわざわざ指名をしてくる顧客もあるぐらいで、それだけ腕前も確かであったことがうかがわれる。


 他方で。


 当の真姫はあまり喋らないところにきて、


「…別にえぇんとちゃう?」


 というどこか突き放したような口癖があった。


 少しつっけんどんな真姫のそうした様子を見て工場長は、


 ──あれでは、嫁に欲しがる物好きもないやろ。


 と溜め息まじりにぼやいた。




 そうした最中、である。


「一台のスーパーカブを直して欲しいんやが」


 という常連客からの持ち込みがあった。


 見るとスーパーカブというよりはアーモ缶がサイドボックスとしてあつらえてある、アップマフラーの目立つハンターカブのようなこしらえの一台で、しかしフロントフォークはボトムリンク式だから、ハンターカブではない。


 色も立ち上がりの強いグリーンで、フロントフェンダーだけはまばゆいばかりのクロムメッキである。


 見れば見るほど不思議な一台で、


「ずいぶん手を入れてるよね」


 真姫は見るなり言った。


「うちの取引先のオーナーさんが、何年も大事に直しながら乗ってるそうで、今回はクラクションの不具合やって言うて…」


 確かにスイッチに油を差しても接触が悪いのか鳴らない。


「…ってことは、断線?」


 真姫がスイッチボックスを開いて手繰りながら見てゆくと果たしてギボシのところから捻れて切れかかって、鳴らなくなっていた。


 早速コードをつなぎ直すと鳴った。


「真姫ちゃんはまるで名探偵やねぇ」


 その手際を見ていた常連客は、


「そのオーナーさん、多分真姫ちゃんも名前だけは聞いたことあるんやないかな」


 二階堂行謙ゆきのりという作家だというのである。


 真姫はキョトンとした顔になり、


「…ごめんなさい、作家は分からなくて」


「そこの雑誌に連載書いてる人やで」


 休憩スペースの無造作に置かれてある雑誌の目次を見ると、


「〔連載〕『SuperCubの風景』──二階堂行謙」


 と確かにあった。


「むかしから京都に住んどって、今でも普段から市内をトコトコ転がしとるらしいねんけどな」


 転がしとるとこ見たことはないけど、と常連客は笑った。


 たまに京都や神戸から、


「直してもらうならここに」


 というので持ち込む顧客はあるので、別に不思議はない。


 それでも、


「でもクラクションぐらいは自分で直してくれないと…」


 真姫は渋い顔を作った。




 しばらく、過ぎた。


 研修で京都へ日帰りで行くこととなった真姫は朝から河原町四条のビルで缶詰のような状態で座学をし、昼休みに弁当を使ったあと、木屋町の喫茶店で息抜きついでにお茶をすることにしたのであったが、洋館づくりの普請の喫茶店の前に、見たことのあるスーパーカブが停められてあることに気づいた。


「あ…前に直したやつ」


 まぎれもなくクラクションを直した、二階堂行謙のスーパーカブである。


 ──どんな顔か一度見てやろう。


 そんな軽い気持ちなものもあったが、何よりその喫茶店は昔からゼリーポンチで有名な店で、来てみたかったのもあったらしかった。


 喫茶店に入ると、無音である。


 有線なりレコードなりかかっていても良かりそうなものであるが、一切の雑音がない。


 そこに。


 黒いヘルメットを脇に置いた、白い鳳凰が染め抜かれた黒のスカジャンを羽織った、凛々しく彫りの深い顔の短髪の男が、タブレットとキーボードを前に何やら文章を起こしている姿があった。


 ──あれが二階堂行謙かあ。


 意外にもまつ毛か長く、どことなく翳がある。


 真姫はそれまでのどんな男にもなかった、行謙がまとう理智的な空気に、


 ──何でクラクション直させたんだろう。


 という疑問がわいたが、初対面なだけに眺めるだけにとどめた。


 真姫はカフェオレを頼み、やがて来た。


 カフェオレを飲みながら、研修が始まる直前まで真姫は行謙の姿を見ていたが、一見少し頼りなさげだが冒し難い品のある佇まいに、


 ──何か不思議な人。


 という印象を懐いたのは、まぎれもないところであった。




 しばらくして、常連客に連れられて二階堂行謙が真姫のいる整備場にやってきた。


「ここの整備場に、腕の良い女の整備士がいる」


 というので連れてきたらしい。


「真姫ちゃん、ちょっといいかい?」


 呼ばれた真姫は、いつものツナギ姿で事務所に来た。


「こちらがこないだのスーパーカブの二階堂さん。あ、この子が例の整備士の西野森真姫ちゃんね」


 行謙は真姫が若いことに驚いた様子であったが、


「こないだはありがとうございます」


 深く頭を下げた。


 物腰の柔らかい行謙に真姫はお辞儀をし、


「確かサイドボックスついてましたよね?」


「あー、あれね。あれは単にカバーをしまいたいからつけた」


 リアボックスにカバーをしまうと体積が減る。


 そこで専用のボックスをつけたらしかったのであったが、


「スーパーカブにサイドボックスなんて初めて見ました」


 真姫は感想をそのまま述べた。


「まぁそう思うわな。でもビジネスバイクなんだから、無駄のないところが良いような気もするけどね」


 予想外にも口跡の綺麗な標準語なので、真姫には却って新鮮な感動があったらしかった。


 はじめのやり取りはそんな程度ではあったが、工場長の親戚から梨が大量に届き、その梨を真姫が北野天神のそばの行謙のもとへ届けることとなり、真姫がリュックに梨を詰めて京都まで普段乗りのC90に乗ってやってくると、


「まぁ一服したらどうかと」


 と、手ずから梨を向いて茶を出してくれた。


「独身なんですか?」


「離婚して懲りた」


 行謙は苦笑いをしながら、


「西野森さんだっけ、込み入った話だけど彼氏は?」


「いません」


「それがいい。結婚だの何だのというのはあんなものは金持ちの道楽で、普通の人間のすることではない」


 世間話をしてその日は帰ったが、浮世離れしているような、それでいてリアリストであるところが透けて見えて、何だかミステリアスなところのある人物であることだけは間違いはなさそうであった。





 それからはたまに工場長からの届け物に行った際に話すといったことが多かったが、真姫が驚いたのは話題の幅の広さであった。


 スポーツ観戦が趣味で行謙はよくスタジアムに行くらしいのであるが、


「あのチームのストライカーの後ろにはボランチに足の早いアンカーがいてね」


 といったかと思うと、


「ヘッドフォンはソニーとオーディオテクニカと二つに好みが割れるんだけど、アニソンならオーディオテクニカで、J-POPならソニーかな」


 などと話が広汎なのである。


 窓は棚をつくり付けたらしく、その棚にはたくさんの斑入りの小さな植物が並んでいて、


「これは富貴蘭。江戸時代の大名がよく集めて育ててた貴族趣味の植物だね」


 などといい、開花する時期には香りの良い花を部屋全体に漂わせたりもする。


 こんな変わった異性を、初めて真姫は見た。


 作家という生き物が変わっているのは分かったが、それだけに人間づきあいは苦手らしく、


「西野森さん、私のような男を彼氏にしたらとんでもない目に遭わされるから、くれぐれも選ぶ際にはゆめゆめ気をつけるようにね」


 まるで反面教師にするように言ってくる。


 が。


 凝り性で人づきあいの苦手なところは真姫もあって、似たような匂いのする行謙のことが、真姫は気になり始めていたようであった。




 それから少しばかり過ぎて、真姫は思い切って行謙をツーリングデートに誘った。


「うーん、紅葉の時期だから穴場でも行ってみる?」


 というので、行謙のナビゲートで真姫が来たのは、洛北の常照皇寺であった。


「ここは桜も有名なんだけど、紅葉は静かでね」


 こんなに静かな場所が京都にあるのかというぐらい、周りには人も少なく声もなかった。


「こういう静かなところのほうが自分は好きなんだけど、西野森さんはにぎやかな方が良かったかな?」


「…いや、私は人混みが好きやなくて」


 真姫も雑踏は苦手で、人が少ないほうが気楽で、息苦しさも感じなかったほどである。


「それなら、ここは知っていると得だね」


 行謙が微笑んでみせた。


 それまでの鋭い眼差しから、笑うと途端に可愛らしくなる行謙に、真姫は心を掴まれ始めていたようである。


 それでも。


 行謙が少しばかり戸惑っているように真姫に見えたのは、もしかしたら結婚の失敗が響いていたのかも知れない──と真姫には映っていたからかも分からない。




 また少し過ぎた頃、真姫は思い切って行謙を呼び出した。


 例のサイドボックスのついたスーパーカブで行謙が真姫の前へあらわれると、


「行謙さん」


 初めて苗字でなく、真姫は名前で呼んだ。


「…私、行謙さんのことが好きです」


「いや…西野森さんはまだうら若いし、もっとふさわしい人がいるような気がするんだけどなぁ」


 行謙は目が泳いだ。


「そんなことは言われなくたって分かってます。行謙さんがそんなようなことを言うんじゃないかって思ってました」


「…僕はバツイチだし、作家といったって文豪ではないし、それに過去に、愛した人を幸せに出来なかった恋愛不適格者だ。それをあなたが選ぶのは、何かが違うような気がする」


「…行謙さんらしいな」


「えっ…」


 真姫は微笑んでから、


「行謙さんってそう。こないだ家に寄ったときだって、男だから押し倒してしまったっておかしくなかったのに、行謙さんはそれをしなかった。それは、多分私を傷つけたくなくてしかなった。…違う?」


「それは確かにそうではあるけど、でもあなたに僕は釣り合わないかも知れない」


「そうやって言うのも…私たちが似てるからなのか、なんとなくだけど分かる」


「真姫さん…」


 思わず行謙は真姫を名前で呼んだ。


「大丈夫、いざとなったら私が整備の仕事で稼いだるから」


 真姫は昂然と胸を張ってみせた。


「…その気持ちだけは、ありがたく受け取るよ」


 行謙は照れ臭げに、頬を掻いた。





 以下、余談となる。


 ひとシーズンほど友達づきあいの続いたあと、バレンタインの頃から真姫と行謙は付き合い始めた。


 ホワイトデーには二人でツーリングデートで琵琶湖を左手に彦根まで行き、松原の水泳場でぼんやり過ごしてみたり、博物館を見たり城を背に写真を撮ったりして過ごした。


 桜の季節が来た頃、真姫と行謙は再び常照皇寺までスーパーカブで出かけた。


 前に来たときには梢だけであった桜は、およそ五分咲きあたりまで開花が始まっている。


「…こんなに綺麗に咲いていても、人が少ないんやね」


「だから真姫さんにだけ教えた」


「…じゃあ、二人で内緒にしなきゃね」


 薄い花曇りであった空はいつの間にか雲が裂け、光芒が射すと途端に明るくなって、桜の枝間えだまをやわらかく照らし始めていた。





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