鯱は毒と一緒に風を食う(44)

 ジ・オルカの動きはあまりに自由だった。歩道や車道という垣根を越えて、ピンクやフェザーの手中から、容易く逃げ出す身軽さがあった。

 それを封じるためには、移動する先を潰すしかない。その判断からピンクは一人でジ・オルカのいる歩道に渡った。


 しかし、そこで我に返った。ピンクは一人でジ・オルカを相手にする自信がない。


 ジ・オルカの動きの速さは対応できる人物が限られる領域だ。その部分を問題視する気はない。


 ただジ・オルカの接近戦に於ける膂力や、妖術の威力の高さはピンクにとって脅威であり、それが分かっているからこそ、ピンクはフェザーがジ・オルカに対抗できると知った時に安堵した。


 それが自ら一人で相対する状況を作ってしまい、ピンクは自分自身の行動に疑問を持ってしまった。自分一人でジ・オルカと向き合って、何ができるのだろうかと考えても、その答えは見つからない。


 取り敢えず、必要なのは時間稼ぎだ。ジ・オルカが自由に行動する時間を潰せればいい。

 つまり、ピンクがジ・オルカを倒す必要性はない。


 そう考えを切り替えることで、ピンクは消えかかった自我を何とか現実に引き止めて、ジ・オルカを真剣な表情で睨みつけた。相手にできる自信はないが、ここに来て自信がないという理由で逃げられるとも思っていない。


 ジ・オルカがどこから動き出すのか、ピンクはその一点に集中することで、ジ・オルカのあの移動速度があったとしても、次に繰り出される攻撃は躱せるだろうと考えていた。


 そこから恐らく、ほんの数十秒のことなのだが、ピンクはジ・オルカとただただ見つめ合う時間が生まれた。

 ただ当事者であるピンクの感じる緊張は凄まじく、その数十秒の時間でピンクはどんどんと精神を擦り減らすことになった。動きもしていないのに疲労が溜まり、ピンクの身体をじわじわと重くしていく。


 もしかしたら、このまま死ぬまでジ・オルカと見つめ合うだけの時間が経過するのではないかと、ピンクは不必要な心配を懐き始めて、勝手に溜まり切った疲労で崩れ落ちそうになる中、ようやくジ・オルカの身体が僅かに動いた。


 接近してくる。そう察知したピンクが咄嗟に身構える。


 直後、ジ・オルカは反対側の歩道に移動した。フェザーが立っている方だ。


「はえっ?」


 極限状態とも言える緊張感からの唐突な緩和に、思いもしなかった肩透かしを食らったピンクは間抜けな声を漏らし、その場に崩れ落ちた。


 その様子に気づくこともないまま、フェザーがジ・オルカに接近していく。


 さっきはジ・オルカの移動先を見逃さないように、仙気を投擲してから接近したフェザーだったが、今回は違った。ジ・オルカを倒すのではなく、この場に釘付けにする動機作りがメインとなった今、ジ・オルカがどこに逃げるかは大事ではない。


 ここはジ・オルカが無視できない状況を作り出せればそれでいいと考え、フェザーはジ・オルカに拳を振るっていた。

 その拳から逃れるように、ジ・オルカはフェザーとの間に距離を作っていた。


 ジ・オルカの攻撃手段には妖術もあるのだが、フェザーは傍から見ているだけのピンクにも分かるほど、分厚く仙気をまとっている。電撃を放ったところで結果は知れていて、それが分かっているからこそ、ジ・オルカは逃げることを選んだのだろう。


 再び距離を離したジ・オルカを目にして、フェザーは舌打ちを漏らしながらも、必要以上に追撃する姿勢は見せなかった。

 それが不必要であると分かっていることもそうだが、それ以上に仙気をまとった状態の継続は難しいのだろう。どうしても休息が必要であり、その休息を得るためにジ・オルカの追撃はしなかった。


 この状況が作り出せれば、後は他の仙人が到着するまで時間を稼ぐだけでいい。それだけでピンクやフェザーの目的は達成される。


 安直に考えれば、そう思ってしまうところだが、ピンクはそう思えなかった。身体に溜まった疲労を回復させながら、ピンクは反対側の歩道に渡ったジ・オルカを目撃し、疑問を懐いていた。


 あのジ・オルカの目的はどこにあるのか。逃げることが目的なら、フェザーよりもピンクの方が相手しやすいはずだ。フェザーの前に向かうくらいなら、ピンクを倒して逃げればいい。


 少しでも、それをやろうとして失敗し、別の手段に切り替えるなら分かるが、ジ・オルカはそれをすることなく、ピンクの前からフェザーの前まで移動した。

 そこに何かしらの理由があるとピンクは思えてしかなかった。気紛れとは考えづらい。


 ジ・オルカの動きで怪しい点はそこだけではなかった。


 フェザーの前に移動し、殴りかかるフェザーからジ・オルカは逃げ出し、それを抵抗する手段がないからとピンクは考えたが、それは冷静に考えておかしかった。


 確かに電撃はあの仙気のまとい方を見たら通用しないと思うだろう。妖術が通用しない相手に妖術を放つことは、妖怪にとって無意味以上に致命的なミスになりかねないものだ。


 ただ妖術を絶対に放たないかと言われたら、十分に選択肢としては考えられる行動だった。

 確かに仙気をまとった相手に電撃は有効に機能しない。さっきフェザーがピンクと違って、即座に起き上がったこともそれが理由だろう。


 だが、仙気を一時的に吹き飛ばすことは可能だ。仙気の消費量が大きければ、仙人はやがて動けなくなる。その状況を作り出す方がジ・オルカにとって有益だろう。

 それを選ばなかったのは、妖術が機能しない以上の理由があるはずだ。


 ジ・オルカの妖術は電撃。それも恐らく、充電式の妖術だ。妖気を一定量溜めて使用することで威力を跳ね上がらせる。


 そう考えた時に、ピンクはまさかと思った。


 ジ・オルカの妖術をピンクやフェザーは推し量っていたが、その判断に誤りがあるとしたら、ジ・オルカが妖術を使用しないことにも説明がつく。


 要するに、ジ・オルカはこれまで以上の電撃を生み出す算段があるということだ。


 咄嗟にピンクは頭を動かし、車が来ていないことを確認してから、車道に飛び出した。向かう先は反対側の歩道だ。

 もしもピンクの考えが間違いでないのなら、時間稼ぎを選んだことは失敗だ。それによって利益があるのは、ピンク達以上にジ・オルカの方かもしれない。


「ミーナさん!もしかしたら、その敵は……」


 ピンクが叫ぼうとした瞬間、ジ・オルカの身体が僅かに発光し、ピンクとフェザーは一瞬、目を瞑った。


 だから、ピンクは何があったのか詳細までは分からない。


 ただ気づいた時には、フェザーが道路を転がって、その場から動かなくなった。

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