鯱は毒と一緒に風を食う(31)

 光。煌々と輝く眩い光。それが眼前で膨らみ、幸善の目は眩みかけた。


 かけた。眩んだのではなく、眩みかけた。そこで光は止まった。幸善の目を完全に潰す前に、膨らむ光は膨らむことをやめた。

 それは何故なのか。その理解に頭を使う必要はなかった。


 痛み。気づいた時には、幸善の身体を鋭い痛みが貫いていた。それも一点ではなく、全身を貫く痛みだ。


 幸善とピンクは鯱人間の目の前で倒れ込み、幸善は全身を襲った痛みに頭を悩ませる。

 何が起きたのか。そう思った幸善の隣で、ピンクが小さな声を漏らす。


「電気……」

「あぁ……電気……?」


 そう言われ、幸善はようやくさっきの自分が感電した事実に気づいた。鯱人間に見た発光は恐らく、放電の瞬間に起きたものだ。


「ミラー!幸善!」


 ドッグの叫び声が聞こえ、幸善とピンクは起き上がろうとした。全身を貫く痛みには襲われたが、痺れ等の後遺症が残るほどの威力はない。


 身体は問題なく動いたが、問題なのは起き上がろうとした場所だった。


 当然のことだが、そこは鯱人間の眼前だ。ゆっくりと起き上がろうとする二人が完全に立ち上がるまで、鯱人間が悠長に待ってくれるはずもない。


 半分ほど身体を起こし、中腰の体勢になった幸善とピンクの前に立ち、鯱人間が拳を握った。


「がぁあー!」


 幸善にも理解のできない雄叫びを上げ、鯱人間は握った拳を振り上げた。拳は幸善に見向きもしないで、ピンクの頭に向かっていき、そこで咄嗟にピンクの上げた手にぶつかる。

 そのままピンクは自身の腕ごと、鯱人間に打ち上げられる形で吹き飛んだ。


 起き上がろうとした体勢のまま、幸善は吹き飛ぶピンクを目で追ってしまう。振り返ってピンクの姿を探し、地面に転がるピンクを発見してから、幸善は声をかけようとする。


「大丈……!?」


 そこまで口に出した瞬間だった。幸善の背後から鯱人間の腕が伸びて、幸善の頭を拘束するように絡んできた。首をロックする形で幸善は引かれ、鯱人間の腕の中から逃れられなくなる。


 それどころか、首を絞める力は次第に強くなり、幸善はだんだんと苦しさに襲われた。酸素を求めた手が鯱人間の腕を引っ掻くが、それでも鯱人間の力は弱まらない。


「あがぁ……ごぁ……」


 声にならない声を上げ、だんだんと薄れる意識の中で、幸善は必死にもがき続けた。鯱人間の力は一向に弱まることなく、幸善の首をどんどんと絞めつけていたが、それでも抵抗することはやめなかった。


「……ぇて……」


 僅かに声を漏らし、幸善が耐え切れなかったように意識を手放そうとした瞬間、遥か遠くから声が聞こえた。


「……よ…をは…せ!」


 その声が聞こえた直後、幸善の身体は不意な衝撃に襲われ、その場に崩れ落ちた。


 瞬間、肺が足りなかったもの全てを補うように、大きく空気を吸い込んだ。酸素が朦朧とした意識に吹き込まれ、幸善は手放しかけた意識を手元に取り戻す。


「大丈夫!?」


 そう声をかけられ、幸善はまだぼうっとしたままの頭を持ち上げた。


 そこにはドッグが立っていて、鯱人間との間にはフェンスが壁のように立ち塞がっていた。


「あ…りがとう……」


 助けられた。そう理解した幸善がお礼の言葉を口にすると、フェンスがこちらを振り返った。


「言っておくけど、俺達が戦える相手じゃないからな。全員やられる前に逃げるぞ!」


 逃げる。フェンスの方針を幸善は何とか聞き取り、その言葉に首肯する。鯱人間の戦い方は未知数な上に、ピンク達の実力も分からない。

 この状況でどれだけ鯱人間と戦えるのか分からない以上、幸善達に残された最善な選択は逃走だ。


 幸善はふらふらとした足取りながらも立ち上がり、ドッグとフェンスに声をかけてから、ピンクを見やった。鯱人間の拳を受けたが、直撃は避けられたためか、吹き飛んだ先で既に起き上がっている。


「ミラー!今度こそ、逃げるよ!」

「わ、分かった……!」


 ピンクがドッグの言葉に返答し、それを聞いた幸善達は走り出そうとする。


 その直前、幸善は鯱人間の動きを思い出し、フェンスとドッグが走り出す中、一人だけ足を止めた。


「幸善!?」

「どうしたの!?」


 フェンスとドッグが驚きの声を上げる中、幸善は鯱人間を見やった。


 恐らく、幸善を拘束していた鯱人間はフェンスの攻撃を食らって吹き飛んだのだろう。ゆっくりと起き上がろうとした体勢の途中で止まり、そこから一気に動き出そうと身構えているのが分かった。


 鷹人間も行っていたもので、さっきから鯱人間が幸善達の前でも見せている瞬間的な移動だ。それがある以上、鯱人間から逃れることは難しい。


 それなら、と幸善は考えながら拳を握る。


 あの移動は瞬間移動ではなく、超高速の移動のはずだ。そうでなければ、鷹人間は自身の妖術を使う必要がない。

 鯱人間が動き出す。その瞬間を狙って、幸善は半ば勘に頼りながら、勢い良く拳を振り始めた。


 瞬間、鯱人間の姿が消えて、幸善の拳に何かがぶつかる。その感触を確かめながら、幸善はそのまま拳を振り切る。


 すると、幸善の目の前を鯱人間が転がった。その姿に幸善は少し驚きながらも、成功したことに僅かな喜びを覚え、振り返ってフェンスやドッグを見る。


「よし、逃げよう!」


 そう声をかけ、今度こそ幸善は走り出した。それに続いて、フェンスやドッグも走り出し、幸善達は移動を開始する。

 その背後では転がった鯱人間が再びゆっくりと起き上がろうとしていた。

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