鯱は毒と一緒に風を食う(27)

 リングはいつものように俯いたまま、頻りに頭を上下に動かしていた。俯いているから分かりづらいが、多分、ぺこぺこと頭を下げている動きだ。


「突然……すみません……」


 いつもの消え入りそうな声を漏らし、幸善はかぶりを振る。振ってから、俯いたリングには見えないかと思って、声を発する。


「いや、大丈夫だよ。どうしたの?何か用事?」

「その……お話が……支部長から……」


 アイランドからの話と言われ、幸善は少しだけ険しい表情になった。

 いろいろと考え込んでいた後のこれだ。話の内容までは分からないでも、関わりがないとは思いづらい。


「どうぞ」


 幸善が脇に移動して、部屋の中を手で示すと、ぺこりと一礼したリングが俯いた体勢のまま、部屋の中に入ってきた。この前もそうしたように、部屋の中に置かれたテーブルにつくので、幸善はその前に腰を下ろす。


「それで話って?」


 回りくどい話は必要ないだろうと幸善は思い、早速そう切り出した。

 リングは俯いたままだったが、それでも分かるくらいに視線をテーブルの上で彷徨わせている。少し迷っているみたいだ。


「その……実は…お仕事の……話で……」


 アイランドからの話と言えば、それか幸善の帰国に関する話くらいしかない。後者の話題だったら、もう少しくらいは明るい雰囲気を持ってくるはずだ。前者しかないだろうとは一目見た時から考えていた。


 幸善がこくりと頷くと、リングは恐る恐る口を開いて、本題に突入した。


「その……支部長が……頼堂さんの仕事は…ここまでで大丈夫……と仰って…いました……」

「ここまでで大丈夫?それはつまり、もう仕事はしないでいいという意味?」

「あの……多分……」


 こくりと頷くリングを前にして、幸善は理由を問い質しそうになったが、一度、膨れ上がった気持ちを寸前のところで抑え込んでいた。

 リングにその勢いを出しても仕方がない。これはアイランドの決定だ。


 ただすぐに納得のいく話ではない。羊の群れが殺された姿を確認し、自分に助けを求めてきたセバスチャンの願いを叶えられなかった後のことだ。


 人型の行動の意味は未だに理解できないが、行動自体は幸善の思いつきもあって見えてきている。人型の姿が今は見えなくても、少しはそこに繋がる手助けができるかもしれない。


 そう思っているのだが、この決定はアイランドがそれを幸善に求めていないという風に聞こえてきた。


 幸善は湧き上がってきた勢いを噛み殺し、目の前のリングに目を向ける。


「それはどうして?」

「その……人型が…関わっているから……だそうです……頼堂さんと…人型を接触させて……何か起こる可能性を…消したいと……」


 幸善は既に人型と接触し、日本への帰国途中に行方不明になった身だ。同様の事態を起こすことは避けたい。アイランドはそのように考えたらしい。


 その考えは正しいと言えた。人型が幸善の確保を狙っている以上、その目の前を行動するのは無謀と言える。


 ただそれは論理的な考えに基づいた結論だ。正しい考えを積み重ねただけで、そこに幸善の考えや気持ちは含まれていない。

 そういうものを無条件に受け入れることは難しい。


 幸善はリングから聞かされたアイランドの言葉を何度も頭の中に思い浮かべ、自分自身が答えるべき言葉を思い描いた。


 分かっている。ここがイギリスである以上、アイランドの指示に従うべきだ。幸善の安全も保障されていないのに、人型の近くを動き回るべきではない。


 その一方で、見てしまったセバスチャンの最期が幸善の理性を殴り飛ばしてくる。あれを作り出した人型を見逃してもいいのかと囁いてくる。

 見逃すとは何かと考えたら、その意味も分からないのに、その言葉はやけに正しく聞こえてしまう。


 分かっている。言葉が正しいのではなく、その言葉が幸善の気持ちに寄り添っているから、正しいと思いたいのだ。


 セバスチャンのような犠牲をこれ以上出したくない。

 何より、この良く分からない人型を無視して、日本に帰ってしまったら、幸善は解消できないもやもやとした気持ちを抱えたまま、仙人を続けていくことになる。


 人型の考えや行動の意味の全てを知りたい。そうしないと幸善は皇帝との約束も果たせないかもしれない。


 幸善が言うべき言葉と自分の気持ちの間に挟まれ、追い込まれている途中のことだった。テーブルの上で強く握られていた手が温もりを感じ、幸善は考え込む中で瞑っていた目を開いた。


 そこではリングが幸善の手を優しく包み込むように握っていた。


「あの……その……無理しないで…ください……」


 リングが幸善をチラチラと見ながら、いつもの声で呟いた。その視線や声を聞き、幸善は言葉に詰まる。


 無理。そうはっきりと言われたことで、幸善はずっと抱え込んでいた気持ちに気づいてしまい、項垂れるように俯いた。


 いつからだろうか。人型に襲われ、世間的に行方不明となった時だろうか。それとも、奇隠の本部に行った時だろうか。


 幸善はいつの間にか、抱え込んだ物に潰されかけていることにも気づかずに、それを一人で持ち上げなければいけない気持ちに苛まれていたようだ。


 多分、日本にいる時の幸善だったら、もう少し気楽に物を見られていただろう。誰かに頼る意味をあの時は理解していたはずだ。


「分かった……言っておいて。俺は関わらないから、ちゃんと人型を見つけてくださいって」


 リングにそのように返答し、幸善は大きな溜め息をつく。


 これで良かった。自分が抱え込み過ぎる問題ではない。


 そう思うのだが、幸善の頭の中からはどうしてもセバスチャンの姿と、皇帝の姿が消えてくれなかった。

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